2020年2月2日。
大阪内環状線(国道479号)をカブ90でたどるツアー(の続き)。
11時、旭区、太子橋今市駅から大阪内環状線(国道479号)を南へ。深江橋までは生駒山の時と同じ。
深江橋からは東成区。近鉄奈良線大阪線の高架をくぐるとその先は生野区。環状線の鶴橋、桃谷、寺田町の東側が生野区で、西側が天王寺区。
高い建物がなくて空が広い。平らでまっすぐな道が続く。車の修理屋があって、塾があって、サイゼリアがあって、鳥貴族があって、ライフがあって、ドコモショップがあって、古本市場があって、ジャンカラがあって、コスモ石油があって、エネオスもある。自分の知らない人たちが生活している町が続く。知らない道を通るとき、脳の普段使っていないところが活性化している感じがする。
小路駅、北巽駅、南巽駅。
平野川を渡ると平野区。平野馬場アンダーパス。アンダーパスは緊張する。
平野区、平野、へいや、平地、低く平らな広い地形のことをさす地理用語。
頭上に阪神高速。モノとして大きい。迫力がある。
瓜破交差点を右折して西へ。ここから大阪内環状線(国道479号)は長居公園通と呼ばれる。
喜連瓜破、きれうりわり。1980年(昭和55年)に地下鉄喜連瓜破駅をつくるとき、喜連は鎌倉時代からある地名で、瓜破は大化(645~650)からある地名、どちらも引けないので合体させた名前、とのこと。
長居公園通を西へ、東住吉区。近鉄南大阪線の高架をくぐり、400mくらいで右手に長居公園、通り過ぎたら住吉区。
JR阪和線の高架をくぐって、南海高野線の踏切を越えて、阪堺電車の踏切も越えて、南海本線の高架をくぐると、国道26号線(梅田新道交差点起点)と交わる浜口交差点がある。ここが大阪内環状線(国道479号)の終点。豊中市の稲津町交差点からここまで、28.9 km。
浜口交差点から西、内環状線は住之江通になる。阪堺電車の線路から西は住之江区になっている。どこで折り返そうかと考えながら阪神高速の高架をくぐり地下鉄の住之江公園駅を越えたところで、ボートレース住之江の駐輪場を見つけ停車。12時。
人の流れについて歩道橋を上がる。
歩道橋を下りて南入場門から入る。
レースが行われるプールや観戦スタンドなどがある右側のゲートは14時30分からのようだった。
※デイ開催日/10:00~、ナイター開催日/14:30~、入場料/100円。
「ボートパーク住之江」という外向発売所(舟券発売専用施設)に入ってみた。(こちらは10時開場、入場無料)
結構広い。
出走表を熱心に集める人。
施設内は意外と広く、かなり奥のほうまでおじさんがいた。
施設内見渡す限りのおじさんたち、こんなにもおじさんばかりが集まっている場所を私は知らない。
誇張なく、おじさん率は99%を超えていた。
壁には券売機が並び、天井からつるされたモニターがあり、全国の競艇場で行われているレースやオッズなどが表示されており、そのモニターを睨み、新聞を睨み、いろいろな印をつけ、酒を飲み、火のつけていない煙草をくわえ、ボールペンをくわえ、小さくうなる。
おじさんたちは皆がそれぞれの予想に熱中しており、隣の人の予想が気になる人もあり、はじまりそうなレースに間に合わないと焦り、はじまれば硬直させた顔でモニターを見つめ、何かをつぶやいている、各々が各々、静かに熱く盛り上がっていた。
12時40分、ボートレース住之江を後にし、長居公園通を東へ戻るとすぐに神社が見えた。護国神社だった。
長居公園通を再び東へ。浜口交差点を左折し北へ。右手に住吉公園。左手に住吉高燈籠。13時。
住吉高燈籠の中は小さな資料館になっていた。入り口は開け放たれており、スリッパが12組くらい丁寧に並べられていた。中にはスタッフと思われる高齢男性が一人いた。「どうぞ」と言われた。
5分ほどで展示された写真などを見た。「鎌倉時代創建の日本最古の灯台とされている」とあった。住吉の港。この辺りが海だったころ。
塔の真ん中にある急な螺旋階段を上がると、約15mくらいの高さからの展望が楽しめる。
高灯篭からバイクを押して住吉公園を東に横切る。公園内には松尾芭蕉の句碑があった。
「升買て 分別かはる 月見かな」
>芭蕉は元禄7年(1694)9月、大坂で派閥争いをしていた2人の門人を仲裁するために故郷伊賀上野から奈良をすぎ暗峠を越えて来坂した。
>13日に、住吉大社の宝の市神事へ参拝し、参道で売られた升を買った。
>折から体調が悪かった芭蕉はその夜、招かれていた月見の句会には出席せず宿へ帰った。
>その翌日の句席で「升買て......」と詠み、「自分もついつい一合升を買ってしまった。すると気分が変わって月見より宿に帰って早く寝た方が良いような気がした」と、洒落っ気を利かして、前日の非礼を詫びたという。
>その後、芭蕉は発熱下痢を伴い、大坂の花屋仁右衛門方離れ座敷に病臥、10月12日夕方、51歳の生涯を閉じた。
(大阪観光局のサイトより)
「花屋仁右衛門方離れ座敷」というのは、現在、御堂筋の本線と側道の間のグリーンベルト(難波別院南御堂向かい)に「芭蕉翁終焉の地」として石碑が立っているの場所、とのこと。
13時30分。公園を抜け、南海本線の住吉大社駅を越えると阪堺電車の住吉鳥居前駅。住吉大社の目の前。
古代日本の港、住吉津→難波津→瀬戸内海→。
住吉大社は西暦211年に神功皇后によって建立されたという説もあるくらい古いらしい。1800年前。
以前来たときは、この太鼓橋とその奥の建物が住吉大社だと思っていたが、もっと広い範囲にわたっているようだった。
初辰まいり、はったつさん、という巡拝方法があるようで、いろいろなところに「のぼり旗」や矢印などのサインがあったが、私はルールを知らなかったので足に任せて回った。
「五所御前」という場所では、たくさんの小石の中から「五」「大」「力」と書かれた石を探し、それをお守りにするらしい。
誰かがもう揃えてくれている五大力があった。
「パワースポット」は何か所かにあるようだった。
境内のいろいろなところで見かけた手書きの地図は、どれも少し違和感を感じないでもないが、総合的にはとてもいい地図だった。
「おもかる石」というのもあった。
二拝二拍手一拝のお参りした後、石を持ち上げ重さを確認し一度置く。次に石に手を置き願掛けをして、もう一度石を持ち上げる。2回目に持ち上げた方が軽く感じればその願いは叶う。
私もやってみたが2回目をめちゃくちゃ重く感じた。やり方を間違ったのだと思う。
近所に一休さんが、晩年の一時期に住んでいたところがあった。
14時30分。再び長居公園通に戻り東へ。
長居公園の駐輪所に停車。
14時50分から公園内をランニング。
公園内にはランニングをしている人もいたが、スマホゲームをしている人がとても多かった。若い人ばかりでなく結構中高年の人たちもやっているようだった。
ヤンマースタジアム長居の周りも走れたのでよかった。巨大なコンクリートの塊という感じで迫力があった。
高齢の方々が集まり将棋をしていた。パプリックスペースの使い方に慣れている。
16時になっていたので帰った。