読んだ。 #美しい国へ #安倍晋三

読んだ。 #美しい国へ #安倍晋三
 
改めて本で確認すると自分の価値観とは異なる部分がわかりやすくなった。
また、この価値観が共有される社会を求める人がいるということもわかる気がした。
 
 
目次
はじめに
3 かつては自民党に「官僚派」と「党人派」という区分けがあったが、現在は「政局派」と「政策派」という分け方ができるかもしれない
 
 時代は変わったが、わたしは政治家を見るとき、こんな見方をしている、それは「闘う政治家」と「闘わない政治家」である、「闘う政治家」とは、ここ一番、国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れず行動する政治家のことである、「闘わない政治家」とは、「あなたのいうことは正しい」と同調はするものの、けっして批判の矢面に立とうとしない政治家だ。
 
第1章 わたしの原点
16 もともと「リベラル」という言葉は、ヨーロッパとアメリカでは、受け取り方が大きく違う。
 ヨーロッパでは、王権に対して市民が血を流しながら自由の権利を獲得し、民主主義の制度を作り上げてきた歴史をもつことから、同じ「リベラル」でも、他者の介入を許さないという「個人主義」にちかい意味合いで使われる。これに対して、アメリカにおける「リベラル」は、社会的平等や公正の実現には政府が積極的に介入すべきであると考える、いわゆる「大きな政府」を支持する立場だ
 アメリカには、封建制度の歴史がない。生まれながらにして平等な社会が原則であり、その制度や権力は、新大陸に渡ったピューリタンたち個々人の合意のうえでつくられた。だから自由主義と民主主義が対立することなく共存できた。
 ところが、建国から150年余り後、1929年に始まった世界恐慌は、アメリカに1300万人の失業者を生み出すことになった。この時、F・D・ルーズベルト大統領のとったのが、ニューディールと呼ばれる、政府が経済に積極的に介入する政策である。それは社会主義的な性格を持つ政策だったために、結果として大きな政府へと向かうことになった。
 このときニューディール政策を唱えた人たちが自らを「リベラル」と呼び始めたことから、社会主義、あるいは、それにちかい考えを持つ人のことをリベラリストと呼ぶようになった。革命主義や左翼もこの範疇にはいる。いうなれば「リベラル」とは、ヨーロッパとアメリカでは、むしろ対立する概念だったのである。日本でしばしば用語の混乱が見られるのは、このことがよく理解されていないためだ。
 
22 子どもだったわたしたちには、遠くからのデモ隊の声が、どこか祭りの囃子のように聞こえたものだ。祖父や父を前に、ふざけて「アンポ、ハンタイ、アンポ、ハンタイ」と足踏みすると、父や母は「アンポ、サンセイ、といいなさ」と、冗談まじにりたしなめた。祖父はそれを、ニコニコしながら、愉快そうに見ているだけだった。
 わたしは、祖父に「アンポって、なあに」と聞いた。すると祖父が、
「安保条約というのは、日本をアメリカに守ってもらうための条約だ。なんdねみんな反対するのかわからないよ」
 そう答えたのをかすかに覚えている。
 
27 自民党はなんのためにできたか
 いまから50年ほど前の1955年、サンフランシスコ講和条約の発効後、抗争を繰り返していた吉田茂率いる自由党と、鳩山一郎を党首に仰ぐ日本民主党の二つの保守政党が、恩讐を乗り越えて合併を果たし、自由民主党が誕生した。
 当時、革新政党である社会党の慎重に危機感をつのらせていたことも背景にはあったが、合併するにあたっては、それとは別に、大きな二つの理由があった。
 一つは、保守勢力が力を合わせて、戦争で疲弊した経済力を回復させようと考えたことだ。
(略)
 二つの保守党が合併したもう一つの理由は、日本が本当の意味での独立を取り戻すことにあった。51年のサンフランシスコ講和条約の締結によって、形式的には主権を回復したが、戦後日本の枠組みは、憲法はもちろん、教育方針の根幹である教育基本法まで、占領時代につくられたものだった。憲法草案の気象に当たった人たちが理想主義的な情熱を抱いていたのは事実だが、連合国の最初の意図は、日本が二度と列強として台頭することがないよう、その手足を縛ることにあった。
(略)
 それから50年、自民党政権政党として、第一の目標は、高度成長によって、見事に達成したといっていい。しかし、第二の目標は後回しにされてしまった。順番としてはやむをえなかったのだろうが、その結果、弊害もあらわれることになった。損得が価値判断の重要な基準となり、損得を超える価値観、例えば家族の絆や、生まれ育った地域への愛着 、国に対する思いが、軽視されるようになってしまったのである
 
41 チャーチルは若いころから、優れた伝統と文化を持つ大英帝国の力を維持するには、国民生活の安定が不可欠だと考え、社会保障の充実を唱えてきた。安全保障と社会保障――じつはこれこそが政治家としてのわたしのテーマなのである。
 
 
第2章 自立する国家
64 トム・ハンクスが主演した「ターミナル」という映画があった。
 
66 靖国問題というと、いまでは中国との外交問題であるかのように思われているが、これはそもそもが国内における政教分離の問題であった、いわゆる「津地鎮祭訴訟」の最高裁判決(1977年)で、「社会の慣習にしたがった儀礼が目的ならば宗教的活動とみなされない」という合憲の判断が下されて以来、参拝自体は合憲と解釈されているといってよい。
 
68 一国の指導者が、その国のために殉じた人びとにたいして、尊崇の念を表すのは、どこに国でもおこなう行為である、また、その国の伝統や文化にのっとった祈り方があるのも、ごく自然のことであろう。
 
 
73 駐日バチカン公使代理だったブルーノ・ビッター神父
「いかなる国民も、国家のために死んだ人びとにたいして、敬意を払う権利と義務がある。もし靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は、米軍の歴史にとって、不名誉きわまる汚点となって残るでしょう。歴史はそのような行為を理解しないに違いない」、この言葉からは、信仰の自由と権利にたいする神父の強い意志が伝わってくる、神父の提言もあって、靖国神社は難を逃れた。
 
74 靖国参拝をめぐる昨今の議論にたいし、アメリカのジョージタウン大学のケビン・ドーク教授は、次のような趣旨のことを述べている。
米国のアーリントンの国立墓地の一部には、奴隷制を擁護した南軍将兵が埋葬されている。小泉首相靖国参拝反対の理屈に従えば、米国大統領が国立墓地に参拝することは、南軍将兵の霊を悼み、奴隷制を正当化することになってしまう。しかし、大統領も国民の大多数もそうは考えない。南軍将兵が不名誉な目的のために戦いで死んだとみなしながらも、彼らの例は追悼に値すると考えるのだ。日本の政府や国民が不名誉なことをしたかもしれない人々を含めて戦争犠牲者の先人に弔意を表すことは自然であろう
 
 
第3章 ナショナリズムとはなにか
81 フランスは、第二次世界大戦のあと、労働力が不足して大量の移民を受け入れた。だがその後ナショナリズムの高まりとともに、移民排斥の嵐が吹き荒れた。98年、強豪フランスは、開催国としてW杯に出場するが、このときメンバーの多くが、アルジェリア系のジダンをはじめとする移民と移民二世の選手たちで占められたため、「レインボー(いろいろな人種からなる)チーム」と呼ばれた。しかし、そのチームが優勝を勝ち取ったとき、かれらはもはや移民ではなく、フランス国家の英雄であった。
 優勝の夜、人々は国家「ラ・マルセイエーズ」を歌って熱狂し、100万人以上が集った凱旋門には「メルシー・レ・ブリュ」(「ブリュ」はフランスチームのシンボルカラーの青)の電光文字が浮かび上がった。サッカーのもたらしたナショナリズムが、移民に対する反感を乗り越えた瞬間であった。
 
84 「君が代」が天皇制を連想させるという人がいるが、この「君」は、日本国の象徴としての天皇である、日本では、天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実だ、ほんの一時期を言挙げして、どんな意味があるのか、素直に読んで、この歌詞のどこに軍国主義の思想が感じられるのか。
 
88 「ミリオンダラー・ベイビー」が訴える帰属の意味
 
91 人は何かに帰属して初めて、自己を確認する――映画「ミリオンダラー・ベイビー」は、民族・文化とは別に、宗教への帰属というテーマを描いた。
 わたしがこのことに目を開かされたきっかけの一つは、高校三年生の時に読んだ遠藤周作さんの『沈黙』だった。
(略)
 一つを選択すれば、他を捨てることになる。何かに帰属するということは、そのように選択を迫られ、決断を下すことのくりかえしである。
 結果的になにを選択することになろうと、帰属するということは、決断するさいの基準をもつということである。それは、自らの生き方に自信や責任をもとうという意識のあらわれでもある。身の処し方といいかえてもよいが、そういう人の人生には張りがある。反対に、帰属を拒む人間の人生が、どこか無機質で、艶がないと感じるのは自己認識を避けようとするからではないか。
 自らの人生をかけて帰属するのだから、その対象が組織であれ、地域であれ、ひとは、それを壊さないように、愛情をもって守ろうとする。愛着はそうして生まれる
 
96 そもそも、人間はひとりで生きているわけではないし、ひとりでは生きられない、その人の両親、生まれた土地、その人が育まれた地域のコミュニティ、そして、それらをとりまいている文化や伝統や歴史から、個人を独立させて、切り離すことなどできないのだ。
 
107 今日の豊かな日本は、彼らがささげた尊い命の上に成り立っている。だが、戦後生まれのわたしたちは、彼らにどう向き合ってきただろうか。国家のためにすすんで身を投じた人たちに対し、尊崇の念をあらわしてきただろうか。
 たしかに自分の命は大切なものである。しかし、ときにはそれをなげうっても守るべき価値が存在するのだ、ということを考えたことがあるだろうか。
 
第4章 日米同盟の構図
111 アメリカの歴史を振り返ると、その外交の伝統には、独立宣言や憲法に歌われた理想の考え方をめぐっておおよそ三つのパターンがあると言われる。
一つ目は孤立主義の立場であり、二つ目は理想よりも国益を重んじ、国際政治に積極的に関与しようとする現実主義的な立場、そして三つ目が、理想主義的、福音主義的な使命感からアメリ憲法の理念を世界に広めようとする立場である。
 この三つは、どれが外交の前面に立つかという違いはあっても、いつの時代にも存在するものだ。したがって、ブッシュ政権アメリカの中で、きわだって特異な政権であるとは思われない。
 
116 アメリカ保守の自信はどこからきているのか
 自由と民主主義を広げようという使命感に加え、アメリカは、一国で世界の軍事費の40%を占めるという比類なきパワーを持っている。
 ネオコンの代表的論客の一人、ロバート・ケーガンは、ヨーロッパとアメリカの世界観の違いについて、著書『楽園と力について』(邦題『ネオコンの論理』)のなかで、17世紀のイギリス法哲学者トマス・ホッブズの著書『リヴァイアサンをとりあげて、アメリカの力を説明している。『リヴァイアサン』には次のような一節がある。
 人間は生まれつき自己中心的で、その行動は欲望に支配されている。人間社会がジャングルのような世界であれば、万人の自然の権利である私利私欲が激突しあい、破壊的な結末しか生まない。そんな「自然状態」のなかの人間の人生は、孤独で、貧しく、卑劣で、残酷で、短いものになる。だから人々は、お互いに暴力をふるう権利を放棄するという契約に同意するだろう。しかし、そうした緊張状態では、誰かがいったん破れば、また元の自然状態に逆戻りしかねない。人間社会を平和で、安定したものにするには、その契約の中に絶対権力を持つ怪物、リヴァイアサンが必要なのだ
 ロバート・ケーガンは、このリヴァイアサンこそがアメリカの役割であり、そのためには力を持たなくてはならないという。そして力の行使を決して畏れてはならない。ヨーロッパはその力の蓄積を怠ったがゆえに、結局アメリカに頼るしかなくなったのだ、ヨーロッパが国際機関の下で、「平和」というカント的世界に安住できるのは、アメリカが、ホッブスの言う「自然状態」に対処しているからだ、と。
 
119 リベラルが穏健というわけではない
 ケネディ大統領は1961年1月、就任演説で、
 「我々に好意をもつものであれ、敵意を持つものであれ、すべての国をして次のことを知らしめよ。われわれは自由の確保とその勝利のためには、いかなる代償も支払い、いかなる負担も厭わず、いかなる困難にも進んで直面し、いかなる友人も助け、いかなる敵とも戦う、ということを」
 といった。
 
121 憲法前文に示されたアメリカの意志
前文
 日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民と協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意したわれらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけて、全力をあげて崇高な理想と目的を達成することを誓う。
 
125 1954年、保安隊に代わって自衛隊が発足すると、政府は、「自国に対して武力攻撃が加えられた場合、国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない」、さらに、憲法第9条第二項が禁じている「戦力」についても「自衛のための必要最小限度を超えるものであって、それ以下の自衛力は、戦力ではない。したがって自衛隊違憲ではない」という見解を明らかにする。
 
128 今も残る徴兵制度は、職業軍人の暴走を防ぐために、軍隊を「制服を着た市民」からなるものにしておく、というのが理由の一つだと言われる。西ドイツのテオドール・ホイス初代大統領は、「国防の義務は民主主義の正当な子である」といった。もちろん民主主義国として「良心的忌避」の権利が担保される。
 
133 たとえば日本を攻撃するために、東京湾に、大量破壊兵器を積んだテロリストの工作船がやってきても、向こうから何らかの攻撃がないかぎり、こちらから武力を行使して、相手を排除することはできないのだ、わが国の安全保障と憲法との乖離を解釈でしのぐのは、もはや限界にあることがおわかりだろう。
 
 
第5章 日本とアジアそして中国
147 鄧小平
 いいかえれば、社会主義の柱のひとつである「結果の平等」のかわりに「競争原理」を導入することによって、大きく経済発展を遂げたのである。
 
149 アメリカの政府高官はこういった。
 「これまで中国の支柱の一つであった「結果の平等」という哲学は、市場主義経済の導入によって失われつつあるが、いま、その代わりの役割を果たしているのが、「経済成長」と「反日愛国主義」ではないか」
 
153 アメリカ議会の公聴会で、ただ一人、天安門事件を予測したある専門家が、私にこう語ったことがある。
 「中国を冷徹に、かつ客観的に判断することはなかなか難しい。とくに中国専門家にとってはなおさらだ。なぜなら、中国は悠久の歴史と文化をもつ、きわめてチャーミングな国だからだ。エドガー・スノーばかりではない。多くの専門家は、恋に落ちる」
 
155 日本人は、昔から道徳を重んじてきた民族である。儒教から礼節をまなび、仏教の禅からは自らを律する精神を、そして神道からは祖先を尊崇し、自然を畏怖するこころを学んできた。寛容なこころは、日本人の特質のひとつでもある。
 
 
第6章 少子国家の未来
164 いつも福祉国家の代表選手のように言われるスウェーデンは、国民負担率(国民所得に対する税金と保険料の比率)がおよそ7割である。
 
165 わたしの考える福祉のかたちとは、最低限度の生活はきちんと国が保障したうえで、あとは個人と民間と地方の裁量でつくりあげてもらうというものである、「セーフティネット」と「自己責任」が重視される社会だ。
 
167 国は、そのときの豊かさに応じた社会保障の仕組みをつくる、血のかよったあたたかい福祉をおこなうのが行政サービスの基本であることはいうまでもないが、身の丈に合わない大盤振る舞いはできないし、また、してはならない、なぜなら、給付の財源は、国民から徴収した税金と保険料だからである。
 
173 また、従来の少子化対策についての議論を見て感じることは、子供を育てる事の喜び、加増を持つことのすばらしさといった視点が抜け落ちていたのではないか、ということだ。私の中では、子供を産み育てることの損得を超えた価値を忘れてはならないという意識がさらに強くなってきている。そこで、官房長官に就任してから、「家族・地域の絆再生」政務官会議PT(プロジェクトチーム)を立ち上げ、大いに議論したうえで取りまとめを行うように指示した。
 家族をもつことは素晴らしい、と自然に思えるような気持ちをはぐくんでいくことが大切である。そのためには、家族の価値の大切さを訴えていかなければならないと思っている。父と母だけでなく、祖父や祖母といっしょになって子どもを育てる環境ができるよう、税制等の検討をしていきたい
 
185 2004年の年金改革がこれまでの見直しの仕方とちがうのは、「マクロ経済スライド」というものを導入したからだ。おおざっぱにいうと、社会全体の保険料の負担能力が減っていくことを前提にして、給付額にゆるやかなブレーキをかける方式を採用したのである。
 ブレーキとなる数字は、「スライド調整率0.9%」(その内訳は、被保険者数の減少分が0.6%、平均寿命の延び分が0.3%)というもので、たとえば物価が1%上がったら、0.9%のスライド調整率をマイナスして、0.1%しか上がったことにしない、という計算だ。ただし、物価上昇率がプラスの時にだけ抑止効果が働く仕組みにしてあるので、物価がマイナスの時は、従来の物価スライドで対応する。
 この「マクロ経済スライド」を導入することなどによって、2025年時点の総給付は、年金改革前後で比較すると約10兆円抑制される。つまり、公的年金は事実上、安定したのである。
 
186 年金というのは、ざっくりいってしまうと、集めたお金を貯めて配るというシステムだ、だから、加入しているみんなが「破綻させない」という意思させもてば、年金は破綻しないのだ、日本人の過半数が「もう年金はやめよう」といわないかぎり、このシステムは継続するのである、そこが、会社経営の破綻とは根本的に違うところだ。
 
188 日本の年金制度は、基本的には前者の賦課方式だから、正確に言うと、自分の年金を積み立てているのではなく、いまのお年寄りの生活費のある部分を援助しているのだ。
 どうしてそういう誤解が生じるのか。その答えは、日本の念気温制度がどうやって始まったかを知るとわかる。
 日本では、戦争中の1944年(昭和19年)に、まず、厚生年金だけが始まった。このときは、完全な報酬比例年金、つまり給与の多寡に応じて保険料を支払うもので、国民年金に相当する基礎年金部分はまだつくられていない。戦争が終わり、1950年代になってから、こんどは国家公務員の共済組合が始まった。(地方公務員だけの共済組合は62年から)。
 国民年金の仕組みができて、国民皆年金と言われるようになったのは、1961年(昭和36年)のときである。このとき、日本の年金は、サラリーマンの厚生年金、自営業者らの国民年金、公務員の共済年金と、三つそろったのである。もっとも、三つの年金のすべてに共通する基礎年金のしくみが完成するのは、1986年(昭和61年)まで待たなければならない。
 どこの国でも同じだが、それまでなかった年金制度が新しく作られるときは、その時点で中高年に達している人たちをどうあつかうのか、が最大の問題になる。このときもし新しい年金制度を「積立方式」にしてしまうと、かれらは、今まで実際に保険料を払っていない(積み立てていない)のだから、給付を受ける権利がないことになる。そうなると、若い人たちの肩には、じつは「二重の負担」がかかってしまうのだ。
 たとえば、ある家庭に、現役を引退した父親と働き盛りの息子が一緒に生活していたとする。ここで積立方式の年金制度が始まると、息子は、自分の将来のための保険料を払い込む一方、父親は年金がないので、自分の給与の中からお金を出して父親を養わなければならないことになる。自分の生活もままならないのに、これはつらい。
 国民年金が実施された1961年には、戦争ですべてを失いながらも、焼け跡から日本を再建しようとがんばってきた人たちがいた。私たちの親であり、祖父、祖母たちの世代だ。この人たちが、年金の恩恵を受けられない、というのでは、いかにも理不尽な制度ではないか
 そこで、日本の年金は、積立方式を基準にしながら、最終的に賦課方式になった。保険料を負担していない高齢世代も給付金が受け取れるように、世代間の助け合いのしくみが取り入れられたのである。
 寡婦方式は、人口構造上、若い世代の層が厚く、高齢世代が少ない時代には都合がよかった。だが、人口構成が逆ピラミッド型になるに連れて、ムリが出てきた。おまけに高度成長の時に、給付水準をあげてしまったために、若い世代の負担はさらに重くなってきた。
 積立方式では、保険料は原則として世代ごとにプールされ、運用される。したがって、同一世代の中で長生きした人が得をする、いわば「世代内の助け合い」のシステムだ。だから、世代を超えてまで助けることはしない。今日のような逆ピラミッド型の人口構成のもとでは、この積立方式にした方が世代間の不公平感がなくていいのではないか、という人もいる。
 
 年金を税金にすると国の財政に左右される
 また、年金は保険料方式でなく、全額税金にすべきだ、という声もある。保険料方式では、どうしても未納者が出てきてしまい、強制的に取り立てることがなかなかできない。その点、税方式なら、国が払うのだから、もらえなくなる心配はないし、税金だから厳しく徴収できる、という論理である。
 いま、基礎年金の3分の1は税金である。これが2009年度までに半分に引き上げられる。だったら、全額税金でもいいではないか、という気持ちはわからないでもないが、これにも問題がある。
 もし今年から全額税金になったらどうなるか。たとえば現在60歳の人は40年間保険料を払ってきた。いっぽう、いま20歳の人は、これからいっさい保険料を払わずに、将来は年金が受け取れる。当然、給付は足りなくなる。さて、その年金の財源は何か。それは、消費税を上げるしか方法がないのである。今よりおそらく4~5%は上げなければならないだろう。
 消費税というおは、若い人から引退した高齢者まで、みんなが払うわけだから、平等だと思うかもしれない。だが、高齢世代は既に保険料を払ったのに、そのうえまた消費税を払わされることになるのだ。それでは、許容できる不公平の範囲を超えてしまうだろう、というのが私の考えである。
 保険料を払った世代に何らかの上乗せをして納得してもらうようにするとしても、その財源だって税で賄わなければならない。
 税方式の方が将来の給付に対する不安が少ない、というのもほんとうではない。保険料というのは、決まった目的以外に使われることがない、完全に閉じられた収入だ。しかし税金にすると、その時々の国の財政状態に左右されてしまう。保険料なら、改定の際に水準をこうだと決めたら、次の改定までは予定通りの保険料収入があるが、税金の場合は、その年いくら収入があるのか、予断を許さない。バブル崩壊のようなことでも起きれば、たちまち税収が減って、払いたくても払えなくなることがある。
 もちろん国民がそれで納得しさえすれば、どんな方式もあり得るだろう。しかしわたし自身は、保険料と税金が五分五分というのは、日本的でいいのではないかと思っている。税金が半分入れば人口の減少を押さえて安定させることができるし、あとの半分は保険料だから、自助と共助の精神も残るのだ。
 
 
第7章 教育の再生
211 もうひとつ、義務境域の改革の前に必要なのが幼児教育の改革である。これはいま、すでに進んでいるが、幼稚園と保育所を一体化した「子ども園」という施設を認定する制度だ。これまで、幼稚園は文部科学省所轄の教育施設、保育所厚生労働省所轄の児童福祉施設に分かれていて、例えば保育所では原則として幼児教育を行うことができなかった。いっぽう、幼稚園では原則一日四時間しか子供を預かる事が出来ない。母親が働く家庭が増えて、幼稚園は定員割れ、保育所は待機児童が列をなす、という状況になってことが改革を促す結果になった。
 今後は、3~5歳を対象とする子ども園で、幼児教育を担う。それが義務教育の充実につながっていくだろう
 
212 じつをいえば、日本の子どもたちの学力の低下については、わたしはそれほど心配していない、もともと高い学力があった国だし、事実いまでも、小学生が九九をそらんじていえるというのは、世界のトップレベルに近い、したがって、前述したような大胆な教育改革を導入すれば、学力の回復は、比較的間機関にはかれるのではないか。
 問題はモラルの低下のほうである、とりわけ気がかりなのは、若者たちが刹那的なことだ。
(略)
若者が未来を信じなくなれば、社会は活力を失い、秩序はおのずから崩壊していく。
 教育は学校だけで全うできるものではない、何よりも大切なのは、家庭である。だからモラルの回復には時間がかかる。ある世代に成果があらわれたとしても、その世代が親になり、つぎの世代が育つころにならなければ、社会のモラルは回復したことにならないからである。
 
213 たとえば、大学入学の条件として、一定のボランティア活動を義務づける方法が考えられる。大学の入学時期を原則9月に改め、高校卒業後、大学の合格決定があったら、それから3か月間をその活動にあてるのである。
 ボランティアの義務づけと言うと、自発的にやるからボランティアなのであって、強制するのは意味がないとか、やる気のない若者がやってきても現場が迷惑する、というような批判が必ずでる。しかし、みんなが助け合いながら共生する社会をつくりあげるためには、たとえ最初は強制であっても、まず若者にそうした機会を与えることに大きな意味があるのではないか
 
219 家族のかたちは、理想どおりにはいかない。それでも、「お父さんとお母さんと子供がいて、おじいちゃんもおばあちゃんも含めてみんな家族だ」という家族観と「そういう家族が仲良く暮らすのがいちばん幸せだ」という価値観は、守り続けていくべきだと思う。
 
 
 
 
 
今回の総選挙で自民党は「日本を、取り戻す。」というスローガンを掲げています、これは単に民主党政権から日本を取り戻すという意味ではありません、敢えて言うなら、これは戦後の歴史から、日本という国を日本国民の手に取り戻す戦いであります。