読んだ。 #オープンダイアローグとは何か #斎藤環

読んだ。 #オープンダイアローグとは何か #斎藤環
 
フィンランドの西ラップランドで行われている統合失調症に対する治療法。
精神的な障害の発端となった過去の出来事、トラウマを信頼できる集団と共に新しい言葉で言語化していくことによって、参加者の人生に再構成させていくような方法。
 
第1部 解説 オープンダイアローグとは何か (斎藤環
はじめに それは“本物”だろうか?
10 衝撃の治療成績
 ともあれ私は、現地で治療過程を記録したという、そのドキュメンタリー映画をさっそく注文してみました(ダニエル・マックラー監督の“Open Dialogue:An Alternative, Finnish Approach to Healing Psychosis”.現在はYouTubeで、日本語字幕付きで見ることができる)。
 映画の舞台は西ラップランド、トルニオ市の精神科病院であるケロプダス病院。家族療法を専門とする臨床心理士であり、ユバスキュラ大学教授のヤーコ・セイックラ氏が治療の中心人物です。映画は治療スタッフのインタビュー(英語)が中心で、治療場面らしきものは少ししか出てきません。しかし、映画に登場する病院スタッフたちが語る内容は、実に驚くべきものでした。
 この治療法を導入した結果、西ラップランド地方において、統合失調症の入院治療期間は平均19日間短縮されました。薬物を含む通常の治療を受けた統合失調症患者群との比較において、この治療では、服薬を必要とした患者は全体の35%、2年間の予後調査で82%は症状の再発がないか、ごく軽微なものにとどまり(対照群では50%)、障害者手当を受給していたのは23%(対照群では57%)、再発率は24%(対照群では71%)に抑えられていたというのです。そう、なんとこの治療法には、すでにかなりのエビデンス(医学的根拠)の蓄積があったのです
 くどいようですが繰り返します。私自身もそうですが、入院と薬物治療によって統合失調症にかかわってきた医師ほど、この治療成績に衝撃を受けるでしょう。これらの数字が事実なら、それはほとんど“魔法のような治療”と呼んでも差し支えありません。しかし、すでにこの治療は1980年代から着実に成果を上げつつあり、フィンランドでは公的な医療サービスに組み込まれて、希望するものは無料で治療が受けられるというのです。
 
12 「いちばん開いているときだからね」
 専門家の反応といえば、私には忘れがたいエピソードがあります。
 神田橋條治先生といえば、さまざまな意味でカリスマ的な名人芸を誇る精神科医として有名ですが、氏の名声を高からしめた業績のひとつに「自閉の利用」というものがあります。
 これは簡単にいえば、こういうことです。統合失調症患者が他者との交流を絶って自分の世界に閉じこもる「自閉」的な態度を性急に批判したり治療しようとするべきではない。むしろそうした態度を尊重する姿勢のほうが、精神療法的な態度である。このような氏の主張は、当時の精神医学界に大きな衝撃をもって迎えられました。
 しかし、「自閉」と「開かれた対話」とでは、ほとんど目指す方向が真逆です。はたして神田橋先生ならどうお考えだろう。そんなおり、たまたまある学会で幸運にも先生と立ち話をする機会があり、さっそく聞いてみました。「オープンダイアローグという治療法があって、手法はこれこれ、先生はどう思われますか?」と。
 先生の答えはきわめて明快でした。
 「ああ、それは効くだろうね。いちばん“開いて”いるときだからね」
 即答でした。これには「さすがは名人」と感服したものです。ちょっと解説しておきましょう。
 “開いている”とはどういう意味なのか。統合失調症という疾患は、その病理を簡単に説明するのはきわめて難しいのですが、あえてひとことで言えば、「自分と他者の境界があいまいになる病気」と考えられます。自分の考えたことが“だだ漏れ”になったり、他人の考えがどんどん入り込んでくるような感覚を訴えることがよくあります(思考伝播、思考吹入)。某有名漫画の影響で、これを「サトラレ」と呼ぶ人もいます。心の声が外から聞こえてくれば、「幻聴」という症状になります。
 この状態は、ふだんは自分を守るためにある他者とのあいだの壁が壊れてしまい、外からのノイズを含むさまざまな刺激が、心の中にどんどん入り込んでくるような状態にたとえることができます。神田橋先生は、この状態を“開いている”と表現されたわけです。
 開いているからこそ、有害なノイズを避けるための「自閉」は尊重されるべきです。しかし、開いているからこそ、治療的な刺激としての「開かれた対話」が効力を発揮するとも考えられるのです。ここに矛盾はありません。
 よいたとえかどうかわかりませんが、身体のバリアとしての免疫力を低下させると、感染症の危険が高まりますが、臓器移植はしやすくなります。他者に向けて開かれた状態においては、「有害な」他者の被害を受けやすくなるぶん、「有益な」他者の受け入れも容易になる。その意味でオープンダイアローグとは、有益な他者の受け入れを容易にするための技術なのかもしれません。
 
1 オープンダイアローグの概略
全体をざっくりつかんでみよう
19 セイックラ教授の著書や論文を読んでいると、治療の対象は統合失調症に限定されてはいないようです。提示されている事例も、うつ病PTSD家庭内暴力などさまざまで、なかには小学校教育での応用例も紹介されていました。台湾でのワークショップで教授に質問した際には、薬物依存症の治療経験もあるとのことでした。実は「オープンダイアローグは依存症向きではない」といった答えを予期していたのですが、「時間はかかるが不可能ではない」と。
 
21 トータルに見れば低コスト
 費用の問題は馬鹿にできません。日本における一般的な統合失調症の慢性患者がどんな治療を受けているかご存じでしょう。彼らの多くが数年から数十年といった長期間にわたる入院生活を続けており、主治医の診察は週に1回5分程度、後は日々の服薬が彼らの安定を支えています。
 彼らが入院を余儀なくされている理由は主として社会的なものです。地域に受け皿がなく、彼ら自身も長期にわたる入院生活の中で退隠に強い不安を感じているため、しばしば病院が「終の棲家」になります。オープンダイアローグにどれほど人件費がかかるとしても、早ければ10数回程度のセッションで治療が完了するとしたら、慢性的な入院治療に比べて、どれほどコストを低く抑えられるか想像に難しくありません。
 
23 これが万能の「薬」なら、間違いなくインチキでしょう。しかし、こう考えてみてはどうでしょうか。どんな患者も看護することはできる。どんなクライアントにもカウンセリングはできる。どんな事例にもケースワークが可能だ。ならば、どんな患者とも「対話」はできるという考え方も、それほど不自然ではありません。
治療すなわち「キュア」と考えるなら難しいことでも、「ケアに限りなく近いキュア」と考えるなら、ありそうに思えてきませんか?
 
どんなルールで進められるのか
リフレクティングとは何か
 
 
 
 
2 オープンダイアローグの理論
ミクロポリティクス
29 ニーズ適合型アプローチの一部
 オープンダイアローグを実践するための制度的背景に関する事柄を意味する。
 
30 この技法は多くの点でオープンダイアローグの基礎をなすものです。むしろオープンダイアローグとは、「ニーズ適合型アプローチの形式のなかで、対話の技術を洗練し発展させたようなもの」と考えることもできます。フィンランド政府がこの手法をコミュニティケアに取り入れていたことは、オープンダイアローグを実践するうえでも有利に働いたと思われます。
 
 
詩学1 不確実性への耐性
31 毎日のミーティングであいまいさに耐える
医師の権威による安心感とは対極
診断や介入は逆効果
 
詩学2 対話主義
33 病的体験の言語化こそ王道
患者は言語を絶した経験に圧倒されている
 
35 招待のわからない恐怖よりは、正体を言葉で言い表せる恐怖の方がまだましなのです。 
 
「言葉の力」は情報量を圧縮できる
 このほかに言語を絶した経験と言えば、PTSDなどのトラウマがあります。あまりに過酷なストレス体験は、断片化され現在との連続性を失ったトラウマとして心に刻まれます。断片化ゆえに、トラウマは、自分自身の人生の一部として統合され物語化されることがありません。それは断片のままフラッシュバックしてきたり、悪夢に入り込んだり、身体症状に転換されたりします。
 断片化されたトラウマの記憶を、言葉の力を借りて自分の人生に再統合すること。トラウマの治療の多くが、そうした基本方針のもとで構築されてきました。
 たとえばナラティブ・セラピーは、トラウマに意味を見出し、言語化を促進することで、もう一度患者自身の人生に再統合するという側面を持っています。あるいはまたPE(持続暴露療法 Prolonged Exposure)は、繰り返しトラウマを語らせること(暴露すること)で、それによって生ずる不安を軽減し、断片化した体験の統合をはかります。
 私はPEについてはよく、精細度が高く情報量が多すぎて保存しきれない画像データを”圧縮”して、記録しやすい情報サイズに変換する作業になぞらえます。ここで情報量の圧縮に大きく貢献しているのが「言葉の力」ということになります。
 ここまでで言えることは、精神障害の原因が「体験を言語化できないこと」かどうかはともかくとして、多くの精神障害にとって「病的体験の言語化=物語化」は何らかの治療的な意義を持つ、ということです。この側面については、オープンダイアローグはナラティブ・セラピーから大きな影響を受けています。
 
共有可能な発話を導き出す
すべての言葉に応答を
 
詩学3 社会ネットワークのポリフォニー
ただ複数の声が鳴り響くこと
一つの真実より多様な表現を
妄想についてくわしく語ってもらう!
 
 
 
 
3 オープンダイアローグの臨床
それはどんな経験だったのか
ミーティングの実際
実践のための12項目
46 
1、ミーティングには二人以上のセラピストが参加
2、家族とネットワークメンバーが参加
3、開かれた質問をする
4、クライアントの発言に応える
5、今この瞬間を大切にする
6、複数の視点を引き出す
7、対話において関係性に注目する
8、問題発言た問題行動には淡々と対応しつつ、その意味には注意を払う
9、病状ではなく、クライアント独自の言葉や物語を強調する
10、ミーティングにおいて専門家どうしの会話(リフレクティング)を用いる
11、透明性を保つ
12、不確実性への耐性
 
 
 
 
4 オープンダイアローグとその周辺
言葉が現実をつくっている
「ガマの穂」としての言葉
日本的「空気」の活用
53 オープンダイアローグでは、参加者全員が尊重される平等で自由な「空気」をつくり出し、何かを決定するのではなく、対話の継続それ自体が目的であるような対話がなされるのです。特権的な<治療の主体>を想定しないこの種の治療法は、日本の治療文化に極めて親和性が高いように思われます。
 
ダイナミックに自己言及する閉鎖系として
対話が目的、治療は”廃棄物”
 
オープンダイアローグとは対極?
<去勢>とダイアローグへの展開
 
ケロプダス病院の実情
看護師の自律性の高さ
なぜスタッフが辞めないのか
 
べてるの家」との類似性
三度の飯よりミーティング!
べてるは「日本語学校」です
 
 
 
 
5 本書に収録した論文について
①精神病急性期へのオープンダイアローグによるアプローチ———その詩学とミクロポリティクス
オープンダイアローグの理論的系譜がわかる
ダブルバインド理論で始まる
家族療法の黄金期へ
ミラノ派からオープンダイアローグへ
 
②精神病的な危機においてオープンダイアローグの成否を分けるもの———家庭内暴力の事例から
どうすれば「ダイアローグ」になるか
 
③治療的な会話においては、何が癒やす要素となるのだろうか———愛を体現するものとしての対話
身体性や感情に着目
70 オープンダイアローグの古くて新しい特徴は、人間という存在の「固有性」や「現前性」をきわめて重視しているところです
本論でもハブチンの「存在の一回性の出来事」についての言及があります。
 
 あらためて強調しておきますが、オープンダイアローグにおいては、メンバーがその場に居合わせること、その固有の、かけがえのない身体を持ち寄って、対面しつつ声をあげて言葉をかわすこと、その際、身体的な反応としての感情の表出を大切にすること、こうしたことが大きな意味を持つのです。
 
身体が有限性をもたらす
71 「オープンダイアローグの”終わり”はどうやって判断するのか?」と。たしかに、純粋な言葉のやりとりだけに終始するなら、理論上は無限に続けられそうです。にもかかわらずオープンダイアローグには終わりがある。この有限性はどこから来るのか。
 私の考えはこうです。オープンダイアローグの有限性を枠づけているものこそが「身体」である。この身体という枠組みゆえに、私たちは攻撃性を控えて対話を続け、言葉の内容よりも場の空気に反応し、しばしば合意という形で対話を終わらせることができるのだ、と
 
「愛」をまっすぐに語る
 
 
 
 
おわりに 私たちに「不確かさへの耐性」はあるか
ジャズのアドリブ!
73 ジャズの即興演奏について、「トレーニングされた自由」という表現を読んだことがあります。なるほど、一定の演奏技術や楽理の知識に乏しい人が自由に演奏しても、それは退屈なデタラメにしかならない可能性がありますよね。本気でいい即興演奏をしたければ、まずは楽器を徹底的に練習し、読譜を学習し、たくさんのフレーズを覚え、ニュアンスを理解し・・・と、やるべきことが山のようにあります。こうした徹底的なトレーニングが、自由な即興を創造する背景にあるということ。
 
うっかりコードにそぐわない音を引いてしまったとする。なんの問題もない。それがまた、新たな即興の始まりになるのだから。
 
どうやって日本に導入するか
「抵抗」について
フィンランドでの状況
私たち自身の「不確かさへの耐性」へむけて
 
 
 
 
第2部 実践者たちによる厳選論文 オープンダイアローグの実際
① 精神病急性期へのオープンダイアローグによるアプローチ———その詩学とミクロポリティクス
  The Open Dialogue Approach to Acute Psychosis: Its Poetics and Micropolitics.(Jaakko Seikkula & Mary E. Olson)
81 ミーティングにおけるコミュニケーションの原則的なあり方を指す詩学
①不確実性への耐性
②対話主義
③社会ネットワークのポリフォニー(多声性)
 
83 まず詩学というのは、対面して診療をおこなう場面での言葉づかいやコミュニケーションの実践を指す言葉です。
 
次に、ミクロポリティックスというのは、制度としてどう実践するかについての話です。
 
95 リルケ「答えの中へ生きていく」『若き詩人への手紙』(新潮文庫
 あなたはまだ本当にお若い。すべての物事のはじまる以前にいらっしゃるのですから、私はできるだけあなたにお願いしておきたいのです、あなたの心の中の未解決のものすべてに対して忍耐を持たれることを。そうして問い自身を、例えば閉ざされた部屋のように、あるいは非常に未知な言語で書かれた書物のように、愛されることを。今すぐ答えを探さないで下さいあなたはまだそれを自ら生きておいでならないのだから、今与えることはないのです。すべてを生きるということこそ、しかし大切なのです。今はあなたは問いを生きて下さい。そうすればおそらくあなたは次第に、それと気づくことなく、ある遥かな日に、答えの中へ生きて行かれることになりましょう。おそらくあなたはご自身の中に、造型し形成する可能性をもっていらっしゃることと思います、特別に幸福な純粋な生の一つの在り方として。これへ向かって御自身の芽をお伸ばし下さい。
 
109 むしろオープンダイアローグにおいて特に困難なのは、治療全体を通じてひとまとまりのチームを維持するという、管理ないし実践上の問題ではないかと思われます。そのまとまりことが、危機的状況において、本人とネットワークとの心理的連続性を保証するものなのです
 
111 オープンダイアローグに参加した統合失調症患者と通常の治療を受けた統合失調症患者の比較では、治療の過程と治療成果が有意に異なっていました。
 オープンダイアローグの患者は入院にまで至る頻度が低く、対象群の患者の100%が投薬を必要としたのに対して、向精神薬を必要とした患者は35%でした。2年間の追跡調査では、対象群の50%に症状が残っていたのに対して、オープンダイアローグに参加した患者では82%が精神病の症状がまったくないか、きわめて軽微で目立たない程度でした
 西ラップランド地方の患者の就業状況は良好で、障害者手当の受給率は、対象群の57%に対し23%でした。対象群の再発率が71%であったのに対し、オープンダイアローグの症例では24%にとどまりました
 こうした、かなり良好な予後の原因として考えられるのは、精神病患者の未治療機関が3.6か月まで短縮されたためでしょう。それというのも西ラップランドでは、ネットワークを中心としたシステムが、慢性化してしまう前の急性精神障害への即時対応を重視しているからです。
 要するに重要なことは、オープンダイアローグを精神医療システム全体を変革するものとみなすことです。そこには、運用のサポート、プライマリケア医と精神科医との連携、教育訓練の確保、そして平行して進める成果研究などが含まれます。このとき臨床の「詩学」は、専門的環境の「ミクロポリティクス」と調和しつつ強化されることになるでしょう。
 
 グレゴリー・ベイトソンダブルバインドについて「もしこの病理(ダブルバインド)を退け、抵抗することができたなら、その経験全体が創造性を促すものになるかもしれない」と記しています。オープンダイアローグは、「病理(ダブルバインド)」的体験に抵抗していくためのひとつの手法です。
 
 
 
 
② 精神病的な危機においてオープンダイアローグの成否を分けるもの———家庭内暴力の事例から
  Open Dialogues with Good and Poor Outcomes for Psychotic Crises: Examples from Families with Violence.(Jaakko Seikkula)
125 システム論とここが違う
 システム論的家族療法では、まず家族システムの病理性を判断し、病んだシステムの作動に介入して、病理を取り除こうとするオープンダイアローグでは、病理の除去ではなく、新しい言語の共有を目指す。これは言い換えるなら、病因を取り除く治療から、健康の生成を目指す治療への転換でもある
 
 
 
 
③ 治療的な会話においては、何が癒やす要素となるのだろうか———愛を体現するものとしての対話
  Healing Elements of Therapeutic Conversation: Dialogue as an Embodiment of Love(Jaakko Seikkula & David Trimble)
オープンダイアローグとは
核としてのミーティング
ミーティングの進め方
フラッシュバックに苦しむイングリッド
助言役はセイックラ
張りつめた空気の中で
<事例 フラッシュバックから愛へ>
リフレクティング開始!
家族に感想を聞く
ミーティング終了へ
その1年後
<なぜ対話で治癒するのか>
理論と臨床の循環
意味は”あいだ”にある
セラピストも一参加者にすぎない
 
159 モノローグとダイアローグ
 対話(ダイアローグ)を理解するひとつの方法は、それをモノローグと区別することです。「ノローグとは、他者を受動的な存在としてみなすことだ」とブラーテンは述べています。
 対人関係に着目すれば、モノローグは他者から”釈明”という手段を奪うことによって、その人を沈黙させてしまいます。他方、精神内界に着目しても、モノローグは、他者のイメージ(ブラーテンのいう「仮想他者」) )を、自分の内なる声をオウム返ししたり、承認したりするだけの位置に押しとどめるものです。
 心臓発作を予防するために、患者と医師のあいだでかわされる言葉のやりとりは、モノローグ的会話の好例でしょう。心臓発作の兆候パターンについての手順書や、診断確定後の行動についての指針に基づいて、医師は患者に質問します。この時患者からの応答は、このモノローグ的会話によって意思にコントロールされることになります。
 
どうすればダイアローグに移行するか
「身体を持つ」とは?
なぜ応答しなければならないのか
リフレクティングではどうするか
新しい意味を受け入れる余地を広げる
<感情の共有経験>
応答が共鳴を準備する
 
身体の記憶が言葉に結実する
165 最もひどいトラウマ記憶は、言葉ではなく身体のレベルに刻み込まれます。そうした感情を言い表す言葉をつくり出すことは、とても大切なことです。言葉が見つかるまでは、人間関係が持つ力の助けを借りながら、その感情に耐えなくてはなりません。ネットワークメンバーは治療チームに励まされながら、悲しみ、無気力、絶望感といった、つらく苦しい感情に耐えぬきます。そのためにこそ対話のプロセスが必要とされるのです
 
つらい体験こそ宝である
166 確実に言えることは、つらい感情を危険物扱いするのではなく、その場の自由な感情の流れのなかに解放したときにこそ、こわばって縮こまっていたモノローグがダイアローグへと変化を遂げる、ということです
 
ミーティングという力
愛の体験として
<発達理論のレンズを通して>
説明も”ポリフォニック”に
 
ヴィゴツキーの「発達の最近接領域
169 ヴィゴツキーは言語や思考、心というものの起源は対人関係にこそあり、それが個人が発達していく過程で内面化されていくと提唱しました。
 
治療チームは最近接領域を設定する
心は関係性から生まれる
応答が基本である理由
<新たな共有言語をつくり出すために>
対話のための3つのポイント
聴かれれば聴くようになる
 
リフレクティングは何をもたらすか
175 治療チームの言葉に触発されて、ネットワークメンバーは、その場のリアルな他者との会話から一瞬解き放たれて、自分自身の内的な仮想的他者との対話を始めます。かくしてリフレクティブな内的対話がもたらされ、問題となっている状況への新たな理解がここから生まれてきます。さらに、その理解がはっきりと声に出されることで、彼らの対話は未知の可能性のほうへ向かうようになるのです
 
ストーリーが書き換えられるとき
 症状というものは、いわば包括的に身体化された経験なのですが、この新たな言語もまた理詰めではなく、同じように身体化された経験から生み出されるものです。ネットワークメンバーが一体感を感じるようになるとき、いまだ語られざるものにも<声>が与えられるのです
 かつてそれを試みて手痛い失敗をしている場合、困難な問題をわかちあうことをためらうのは自然なことです。とはいえ、自分自身の経験にしっかり向き合うことで、見えてくるものがあるのも事実です。ミーティングに参加すると、あまり発言しない人ですら、より率直になり、お互いにもっと信頼し合えるようになり、困難な課題もなんとかなると思えるようになってきます。
 ミーティングの場に持ち込まれたもろもろの経験をなぞっていく中で、感情的な経験が共有されます。そうすることで、関係者がふだんから慣れ親しんできた言葉が、新たな理解へと再構成されていきます。
 新たな理解とはすなわち、それぞれの参加者がトラウマに向き合い、自分の感情をコントロールすることを可能にしてくれるようなストーリーのことです。それまで語られなかった苦悩のストーリーや、はじめて症状が出現した時の文脈を、その新たな言語がしっかりととらえたとき、対話はまさに症状を代償し、それを書き換える力を持つのです
 ネットワークメンバーは、自身のトラウマ的経験を語るための言語を獲得することで、語られる状況とそこから生まれる感情の双方をコントロールできるようになります。
 
  <治癒が起こる瞬間、愛はその指標になる>
介入から対話へ、治療から愛へ
177 治療プロセスにおいては、ある種の経験がターニングポイントになることがわかってきました。その経験とは、分かち合い一体となりつつあるという強い集団感情、あふれ出すような信頼感の表明、感情の身体的な表現、緊張がほどけ身体がくつろいでいく感じ、などです。
 
「関係的存在」としての人間
 マトゥラーナは、「体験可能な唯一の孤独の超克は、他者との合意のうえに成り立つ“現実”、すなわち“愛”を通じて成し遂げられる」と述べています。ミーティングの際に私たちの中に生まれる愛の感覚とは、意味を共有する世界に参加したことで生ずる、身体レベルの反応のことです。
 
 
用語解説
 近代的(モダン)な価値観に根拠がなくなった時代を指してポストモダンという。
近代的な価値観とは、たとえば「人々がみな理性的になり、真理を求め、社会が進歩しつづけ、自由が拡大される」といったような信念であり、「大きな物語」と呼ばれるものである。
 西洋的な一元的理想にもとづく進歩主義歴史観とも言えるが、情報網・交通網の拡大による人と文化の移動、それに伴う価値の多様化、信仰の衰退、第三世界の発展などによって、そうした価値観は衰退することになった。
 こうした時代背景のなかから、真理の相対性や構築主義、「現実の社会的構成」などの考えが発達してくることになる。