読んだ。 #保守と立憲 世界によって私が変えられないために #中島岳志

読んだ。 #保守と立憲 世界によって私が変えられないために #中島岳志
 
 
第1章 保守と立憲――不完全な私たち
右左の二項対立を超えて
8 今、重要なのは、この二項対立を超えた「もう一隻の船」を準備することではないでしょうか。多くの国民が求めているのは、極端な選択肢ではありません。極端な態度の中には、自らの能力に対する過信や特定の政治的立場に対する盲信が含まれています。そのためどうしても独善的になりがちで、他者の見解を頭ごなしに退けようとします。
 大切なのは、自己の正しさを普段に疑い、他者の多様性を認める姿勢です。異なる見解の人に対してバッシングするのではなく、話し合いによる合意形成を重んじ、現実的な解決を目指す態度こそ重要です。
 私はこのような態度こそ「リベラル」の本質だと思っています。そして、「保守」の本質だとも思っています。リベラルの反対語は「パターナル」です。「保守」ではありません。「パターナル」とは「父権的」と訳されるように、相手の意思を問わずに介入・干渉する態度を言います。「強権的なウヨク」も「教条的なサヨク」も、基本的にパターナルです。いくらリベラルなことを言っていても、態度がリベラルでなければ意味がありません
 今、求められている「もう一隻の船」は、「リベラルな現実主義」です。私はこの立場をリベラル保守という言葉で表現してきました。本書では、「リベラル」と「現実主義の保守」に橋をかけながら、「もう一隻の船」の輪郭を示したいと思います。
 
保守とは何か
13 やっぱり変えていかなければならない。大切なものを守るためには、変わっていかなければならない。そのため、パークは「保守するための改革」が重要だと言いました。
 ただし、それは左派の革命のように、「これが正しい」と一気に世の中を改造しようとするのではなく、歴史の中の様々な英知に耳を傾けながら、徐々に変えていくことが望ましいと言います。改革は常に漸進的(グラジュアル)でなければならない。保守が重視するのは、「革命」ではなく「永遠の微調整」です。そこには人間の能力に対する過信をいさめ、過去の人間によって蓄積されてきた暗黙知に対する畏怖の念が反映されています。
 
保守とリベラル
14 17世紀の前半、ヨーロッパは30年戦争という泥沼の宗教戦争カソリックVSプロテスタント)を経験しました。ヨーロッパ人は宗教的な価値観の違いをめぐって、約30年にもわたる戦争を行ったのです。この戦争が終結したとき、これ以上、価値観の問題で争うことを避けるため、異なる他者への「寛容」の精神が重要だという議論になりました。この「寛容」が「リベラル」の起源です。自分とは相容れない価値観であっても、まずは相手の立場を認め、寛容になること。個人の価値観については、権力から介入されず、自由が保障されること。この原則がリベラルの原点であり、重要なポイントとなりました
 
15 西部邁『リベラルマインド 歴史の知恵に学び、時代の危機に耐える思想』
 
16 西部は、小選挙区制度導入によって個人の自由闊達な対話、闘論が失われることを危惧し、自由な政党の要件であるリベラリズムの保持を訴えています。
 西部が強調するのは「自己懐疑」の重要性です。保守思想が人間の不完全性の認識に依拠する以上、「私」は正しさを保有することはできません。そのため、平衡を保つための規範や枠組みを「他者との対話」と「歴史の知恵」(死者との対話)に求めます。そこに生じるのが「リベラリズムという精神の有機体」であり、これを西部は「リベラルマインド」として重視します。保守は、自らの正しさを根拠に懐疑するが故に、リベラルへと接近するのです
 
保守と立憲
17 立憲主義とは、憲法によって権力に制約を加え、憲法をしっかりと守らせるというものです。「国民の人権を尊重しなければならない」とか「表現の自由を侵してはいけない」といったように、権力が暴走しないための歯止めとして存在しているのが憲法です。
 しかし、この立憲主義は、民主主義の考え方と衝突してしまうことがあります。
 民主主義は、国民主権を前提とする考え方です。国民は自らの代表者を選挙で選びます。国会議員は主権者である国民によってえらばれた存在であり、彼ら/彼女らは多数派の意思を国民の意思として政治決定を行います。
 民主主義の考え方が絶対視されると、立憲主義を敵視する見方が出てきます。憲法は、国民によってえらばれた国会議員の決定に対して制約を加えるのですが、これは民主主義への制約であり、国民主権への圧迫ではないか。そんな批判が出てくるのです
 ――主権者である国民が決めたことに対して、なぜ憲法が制限する必要があるのか。国民が選んだ国会議員の決定に制約を加えることは、反民主主義的な行為ではないのか。
 実は、このような意識が肥大化したのが、日本の戦後民主主義でした。その為長らくの間、「立憲」は「民主」の影に隠れて、あまり姿を見せることがありませんでした。「立憲」を強調することが「民主の敵」と見なされてきたのです。
 
20 保守は、いかに民主的に選ばれた政府であっても、立憲主義による制約を受けることを前提とします。もちろん、選挙における「国民の決定」も、法律によって制約されます。いくら多数決で決めても、それを憲法によって否定することがある。それが立憲主義です
 では、国民や政府は、憲法を通じて誰から制約を受けているのでしょうか?
 それは死者たちからです。現在の秩序や社会のあり方は、先人たちの長い年月をかけた営為の上に成り立っています。数えきれない無名の死者たちの試行錯誤と経験値が、今を生きる国民を支え、そして縛っているのです
 保守にとって重要なのは、死者の立憲主義です。憲法は、死者による権力に対する制約であると同時に、民主主義の過剰に対する歯止めです。人間は間違いやすい動物です。いくら国民の多数に支持された内閣であっても、不完全な人間によって構成される以上、その中に誤謬が含まれています。そのため、その誤謬によって国民の生命や権利が踏みにじられないように、憲法による制約が不可欠になります
 
政治の見取り図
22 政治(特に内政)は、大きく分けてふたつの仕事を担っています。ひとつは、「お金」をめぐる仕事。もうひとつは「価値」をめぐる仕事です。
 「お金」をめぐる仕事のあり方については、「リスクの個人化」「リスクの社会化」という二つに方向性が分かれます。
 
 もう一方の「価値」をめぐる対立軸は「リベラル」「パターナル」に分かれます。「リベラル」は、個人の価値観に対しては権力は極力介入せず、自由を保障しようとします。逆に「パターナル」は父権的な価値の押し付けを是とし、価値の自由を制約しようとします。たとえば、「リベラル」が「強制的な夫婦同姓」制度に異を唱え、夫婦別姓という選択肢を容認するのに対し、「パターナル」はこれを認めようとしません。あくまでも「強制的な夫婦同姓」を国民の価値観として固定化しようとします。
 

保守と共産党の共闘の可能性
自由のパラドクス
29 最初にヨーロッパで構想された自由論は「Ⅲ」のタイプの物でした。17世紀の思想家ジョン・ロックは、国家を国民との契約によって権限を制約される存在と見なしました。国家は生命や身体、財産などの自由を守るために必要であるものの、存在理由は手段的なものに限定されます。このようなリベラリズム「古典的リベラリズム」といいます。
 これに対して、「Ⅲ」のタイプでは本当の自由は実現できないとして、「Ⅱ」のタイプを主張する人たちが出てきました。彼らはみんなの自由を実現するためには、国や権力が個人の領域に一定程度、介入する必要がある、と考えました。例えば、経済の全てを市場に任せておくと、当然のことながら格差や不平等が生じます。すると、いくら自由が与えられていると言っても、貧困家庭に生まれた人は、自分の望む職業を選択することは難しく、自由が奪われた状態になってしまいます。だから、金持ちからたくさん税金をとって、みんなで分けて、各自が自由を追求するための基礎要件を国が整備するべきである、と彼らは考えました。権力が積極的に関与することで、真の自由に到達するという考え方です。これは、再配分の強化や福祉国家の実現などの主張につながっていきました。
 しかし、「Ⅱ」のタイプのリベラリズムには、落とし穴がありました。自由の実現のために、国家が個人の領域に介入するという方法は、そのやり方が過剰になると、多くの人の自由を圧迫するようになっていきます。例えば共産主義国家の失敗が、これに当たります。共産主義国家の指導者は、真の自由の実現を掲げて、国民に対する思想的統制を行いました。また極端な形で経済統制を行い、基幹産業の国有化や国家による計画経済を推し進めた結果、マーケットから活力を奪い、経済的苦境を招きました。彼らはリベラルを掲げながら、次第にパターナルへと傾斜するという逆説を歩みました。これが「積極的自由のパラドックス」といわれるものです。ここには「統治の過剰」という問題がありました。
 このため「Ⅱ」タイプのリベラリズムを批判して、再び「Ⅲ」のタイプのリベラリズムを掲げる人たちが出てきました。新自由主義者リバタリアンといわれる人たちです。
 
31 保守の考えるリベラルは、ⅡとⅢの平衡感覚を重視します。どちらに偏りすぎても問題が生じるので、うまく両者のバランスをとりながら、人々の多様性や自由を確保する。これが「リベラル保守」に求められる態度ということになるでしょう。
 懐疑主義的な人間観に依拠する保守派、つねにバランス感覚を重視します。
 
 
 
 
第2章 死者の立憲主義
死者と共に生きること
35 高名な僧侶が、テレビ番組で被災地に向けて「死」について語っていた。私はその様子を見て、「この人はわかっていない」と直観的に思った。被災地の人たちが震えているのは「自己の死の恐怖」についてではないと思ったからだ。
 では、彼ら・彼女らは何に震え、立ち尽くしていたのだろうか。それは「死者となった大切な人の存在」をどのように受け止めればいいのかが分からないことに起因しているように、私には思えた
 
37 「そうか」と私は思った。
 ――私はSさんと出会い直した。
 これが、はっきりとした実感だった。Sさんが生きているときには、同様のことなどなかった。彼が私にとって倫理的な存在となったことなどなく、よく生きることを促すようなこともなかった。しかし、彼は死者となって私の背後に現れ、私に厳しいまなざしを向けてきた。こんなことは、彼が生きているときには考えられなかった。
 私は死者となったSさんと、この時、出会い直したのだ。同じ人間同士でも、生者―生者の関係と、生者―死者との関係は異なる。死者となった彼は、生者の時とは異なる存在として、私に規範的な問いを投げかけてくるようになったのだ。
 私は、死者となった彼とともに生きていこうと思った。彼との新たな関係性を大切にしながら、不意に彼からのまなざしを感じながら、よく生きていくことを目指せばいいではないかと思えた。
 すると、それまで喪失感に苦しんでいた心が和らぎ、大きな障壁が取り払われたような心地になった。それ以来、私は時折、思いもよらないタイミングで現れる彼と言葉にならないコトバで会話し、時に自分の言動をいさめながら生きるようになった。
 
死者のデモクラシー
44 チェスタトンは『正統とは何か』の中で、「民主主義の心情とは、最も重要な物事は是非とも平凡人自身に任せろということに尽きる」と論じている。彼にとっては、「平凡であること」こそが「非凡」そのものだった。なぜならば「平凡」は「正気」によって形成され、「正気であることは、狂気であることよりもはるかにドラマチックなもの」だからである。「正統とは正気」であり、「正統は、いわば荒れ狂って疾走する馬を御す人の平衡だった」。そして、この平凡な正気に基づく平衡感覚こそが、デモクラシーを支える重要な庶民の要素と捉えられていた
 ごく簡単に、私の言う民主主義の原則とは何かを説明しておこう。それは二つの命題委に要約できる。第一はこう言うことだ。つまり、あらゆる人間に共通な物事は、ある特定の人間にしか関係のない物事よりも重要だということである。平凡なことは非凡なことよりも価値がある。いや、平凡なことの方が非凡なことよりもよほど非凡なのである。人間そのものの方が個々の人間よりはるかに我々の畏怖を引き起こす。
 
死者の立憲主義
53 また、一切の改訂を拒むことも、時間の流れをせき止めてしまうことになる。保守は反動という立場をとることができない。反動とは変化を拒む態度を意味するが、保守が嫌うのは急進的な変化であって、斬新的な変化には柔軟に対応しなければならない。なぜならば、現在を完全なものとして容認することができないからである
 人間が不完全な存在である以上、人間が構成する社会も不完全な存在である。しかも、人間の不完全性は普遍的なもので、時間を超えた属性である。そのため、人間は過去にも現在にも未来にも、完全な理想社会を生きることはできない。残念ながら、人間社会が完成することはない。
 だから、人間は特定の時間を絶対化することはできない。過去を絶対化する「復古」も、現在を絶対化する「反動」も、未来を絶対化する「進歩」も、すべて容認することはできない。あくまでも時代の変化に対応しながら、伝統を守るために斬新的改革を進めるよりほかはなく、人間が理想化されたクライマックスに到達することは絶対にない。保守は、つねに「保守するための改革」を継続するしかない。
 
大衆化への抗い
歴史ということ
66 小林にとって「思う」という行為は、自己の所有物ではない。「思い」は常に理性によって支配されるのではなく、過去や彼方からやって来て「宿る」ものである。私は「思い」にとっての器に過ぎない。
 「記憶」は、自分の中に何かを求めることである。自分の所有する知識の中に、歴史を見出そうとする行為が「記憶」を手繰ることである。しかし、これでは「歴史」に触れることはできない
 
69 これは何も古典や古歌に限ったことではない。歴史は常に「解釈」によって疎外される。そして、多くの「解釈」は自己のポジションを正当化するための手段である
 ここに主体のベクトルが反転する。「歴史」の迎える「器」であったはずの「私」は、歴史を道具として利用する主体となり、歴史を所有しようとする。ここに繰り返し現れるのが様々な「歴史観」である。歴史観は、死者を殺す。死者は操作可能な客体へと追いやられ、我が物顔の生者が歴史観によって歴史を支配する。
 
 現代人には、鎌倉時代のどこかの生女房ほどにも、無常ということが分かっていない。常なるものを見失ったからである。(小林秀雄『モオツァルト・無常ということ』)
 
死のトポス
71 この世の万物は、姿かたちをともなう以上、いずれ消滅する。あらゆる存在は、有限性を超克することができない。
 この有限という概念を手にした瞬間、我々は「無限」という概念を手にする。無限という対概念が成立しなければ、有限という観念は成立しない。
 人間は死という有限性の認識を獲得した瞬間、無限という超越性を想起する。ここに「絶対者」や「唯一の心理」が誕生する。人間は、本質的に宗教的であることを宿命づけられた動物である。死の認識は、神の認識を惹起するとともに、恐怖心を誘発する。人は自己の死を思う時、底なしの恐怖に襲われる。なぜなら、私という主体が根本的に消滅する危機に立たされるからである。
 
73 チェスタトンは『正統とは何か』のなかで、「絵の本質は額縁にある」と言った。人間は自己をめぐる枠組みを発見することで、価値を生み出す。枠組みの存在しないところに、価値は存在しない。私たちは、時に枠組みを取り払うことが「自由の獲得」だと勘違いする。しかし、人間は枠組みによって限定されることで生の意味を獲得し、自由を手に入れる。自由とは、自分であることの理由を手に入れることである。自己を規定する存在から自己を解放することは、真の自由を意味しない
 
絶対他力と職人の美
81 「一なる真理」と「多なる存在」の間には絶対的な矛盾が存在する。人間は有限なる存在である以上、絶対者そのものになることはできない。しかし、西田幾太郎が言うように、多と一は絶対矛盾の相互否定によって「自己同一」化がなされる。これが「即」の論理で、「同」の論理とは根本的に異なる東洋思想では、超越的存在と相対的存在の二元論を土台としながら、「即」の論理で両者が一元化する弁証法(=不二一元論) が共有される。「世界は多元的であるが故に一つである」というテーゼが東洋の通奏低音であるがゆえに、岡倉天心は『東洋の理想』の冒頭で「アジアは一つ」と宣言した。
 
83 柳宗悦「無造作に執するなら、新たな造作である。楽茶碗の如き、好個の例といえよう。強いて美しく作ってあるが故に醜さがどうしても残る。」
 
先祖になること
中庸の形而上学
93 保守思想にとって、中庸を保つ平衡感覚こそ、思想の生命線となるものである。中庸とは、対立する二つの立場の「間を取る」ことや、両者の「折衷」を図ることではない。一見、相反する価値の対立を引き受け、その両者を高い次元で総合することこそ、中庸のダイナミズムである
 中庸というスタンスにとって重要なのは価値の葛藤を引き受けることである。ひとつのイデオロギーを信奉することは容易である。一元的な「正しさ」を振りかざし、そこから思想的他者を排斥すれば、明晰な立場を手に入れることができるだろう。しかし、そこには保守が重視してきた葛藤という胆力が欠如している。
 チェスタトンは『正統とは何か』(1908年)の中で次のように言っている。
 狂人はたった一つの観念のとりこになっている。その牢獄は清潔無比、理性によってあかあかと証明されてはいるけれども、それが牢獄であることには変わりがない。彼の意識は痛ましくも鋭敏にとぎすまされている。健康人の持つ躊躇も、健康人の持つ曖昧さも、彼にはまったく欠けているのだ。(『正統とは何か』春秋社、2009年)
 ひとつの観念に固執する人間を、チェスタトンは「狂人」と見なす。狂人は常に明解で、一直線に論争相手を論破しようとする。正気の人間は、狂人との議論に勝つことごできない。なぜなら、正気の人間には常に「躊躇」や「曖昧さ」がつきまとうからである。一方、狂人は過度に自己を信用するがあまり、社会生活を支えている良識や人間性を喪失している
 チェスタトンは言う。
 健全な判断には、さまざまの手かせ足かせかつきまとう。しかしながら狂人の精神はそんなものにはお構いなしだから、それだけすばやく疾走できるのだ。ヒューマーの感覚とか、相手にたいするいたわりだとか、あるいは経験の無言の重みなどにわずらわされることがない。狂人は正気の人間の感情や愛憎を失っているから、それだけ論理的でありうるのである。実際、この意味では、狂人のことを理性を失った人と言うのは誤解を招く。狂人とは理性を失った人ではない。狂人とは理性以外のあらゆる物を失った人である。(同書)
 「正気の人間の感情」を持つ人間は、自己に対する懐疑の念を有している。そのため、異なる他者の主張に耳を傾け、常に自己の論理を問い直す。「正しさ」を振り回すことを慎重に避け、対立する他者との合意形成を重視する。
 そこでは対話を支えるルールやマナー、エチケットが重要な意味を持つ。他者を罵倒し、一方的な論理を投げ付ける行為は、「理性以外のあらゆる物を失った人」のなせる業である。彼らは先人たちが社会秩序を維持する中で構築してきた歴史的経験知を、いとも簡単に足蹴にする。彼らがいかに「保守的」な言説を吐いていても、それは保守思想から最も遠い狂人の姿にほかならない。
 
95 中庸は「二つのものを二つながらまったく生かして、二つながら激烈なるがままに包み込むという方法」を重視する。「二つの激烈な感情の静かなる衝突」こそ、中庸を生み出す原動力である。
 私たちは、俗悪な不正義に直面した時、激しい憤りの感情を抱く。そして、不正義者に立ち向かい、問題を糾弾しようとする。しかし、その際に重要なのは、感情に任せて怒りを発散することではない。その怒りの根源を冷静に把握し、自らの主張の筋道を明確にする沈着さこそ重要になる。ただ単に声を荒げることは、劣化した感情の発露であり、成熟した人間の振る舞いではない。大切なのは抑制した言葉を選びながら、熱い感情を維持することである。「冷静」によって「熱烈」の火を消すのではなく、この両者の葛藤によって高次の総合を図ることこそ、中庸の精神が目指すあり方である。
 
 
 
 
第3章 リベラルな現実主義――対談・枝野幸男
大きなビジョンの下の具体策
多様性と保守の共存
右左を超えた経済政策
110 枝野 しかし経済政策の話になると、右派は「経済効率を上げられるか」、左派は「格差の下にいる人がかわいそう」と言うばかり。この嚙み合わなさに、僕自身も苛立っていました。特に左派の社会政策に一生懸命な人ほど、分配政策はもっと崇高なもので、景気対策のような俗っぽい話ではない」と考える人が多かった。それでは再分配に対して、広い国民の支持を得ることが難しい現状でした。党を立ち上げる流れのなかで、経済政策と再分配を関連付けてはっきりと揚げることができました。その結果、一定の理解を得られたと考えています。
中島 再分配を左派的な正義の論理ではなく、右左を超えたリアリズムの路線として提示した。それこそ、枝野さんのおっしゃるような「リベラルな保守」の立場であり、現実主義というスタンスだと思います。
 
原発とリアリズム
憲法論議を二元論にしない
安倍政権の危ういゲーム
 
 
 
 
第4章 保守こそがリベラルである――なぜ立憲主義なのか
死者と共に生きる
無名の先祖たちがつないできたもの
原発は原罪か
安倍首相へ、本当に保守なのですか?
137 私たちが真に求めているものは自由ではない。私たちが欲するのは、事が起こるべくして起こっているということだ。そして、その中に登場して一定の役割をつとめ、なさねばならぬことをしているという実感だ。なにをしてもよく、なんでもできる状態など、私たちは欲してはいない。ある役を演じなければならず、その役を投げれば、他に支障が生じ、時間が停滞する。ほしいのは、そいういう実感だ。
福田恒存『人間、この劇的なるもの』
 
空気と忖度のポリティクス――問題は私たちの内側に存在する
154 以前から私は、この「空気」という言葉が少々気にはなっていた。そして気になり出すと、この言葉は一つの“絶対の権威”の如くに至る所に顔を出して、驚くべき力を振っているのに気づく。「ああいう決定になったことに非難はあるが、当時の会議の空気では……」「議場のあのときの空気からいって……」「あのころの社会全般の空気も知らずに批判されても……」「その場の空気も知らずに偉そうなことを言うな」「その場の空気は私が予想したものと全く違っていた」等々々、至る所で人びとは、何かの最終的決定者は「人でなく空気」である、と言っている。
山本七平『空気の研究』
 
158 きのうまで神州不滅とか、天皇帰一とか、夢のようなことをいっていた連中が、一夜にして日本を四等国と罵り、天皇ヒロヒトと呼びすてにしている。にがにがしいと思った。よろしい、みなさんがその料簡なら、こちらは反動ではないが、これからは、保守派でゆきましょうと思った。いい意味のブレーキをかけることなら、終局的には日本の進歩に対してよい結果をもたらすと思った。とにかく、メチャクチャの精神的混乱であった。人心の軽薄にして恃むべからざることを知るとともに、わたくしは当時、一種の無常感に陥ったことを告白しなければならない。
池島信平『雑誌記者』
    
空気によって私が変えられないために
「八紘一宇」というイデオロギーの顛末
170 「八紘一宇」とは『日本書紀』に記載された神武天皇の言葉「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)と為(せ)んこと、またよからずや」に由来する。これは全世界をひとつの家のようにする理想とされ、「天皇による世界統一」を称揚する言葉として使用された。
 
民主主義は暴走する
アメリカ追随という戦後レジューム
日本は「ごっこ」の世界にとどまり続けるのか
立憲主義の解体――安保法制強行採決
182 保守と言えば、一般には革新に対峙する存在という程度に受け止められがちだが、政治思想としての本来の保守とは、もう少し厳密なものだ。むずかしく言えば、懐疑主義的人間観の共有」。つまり、人は知的にも倫理的にも過ちを犯しやすい存在である。どんな頭のいい人でも、世界の全てを正しく把握することなどできず、どんな立派な人でも、エゴイズムや嫉妬から完全には自由に離れないという見方だ。
 そうしたいつの時代も不完全な人間の弱さを、本来の保守派は冷静に見つめる。革新を唱える近代主義者たちが理性を過信し、進歩を盲信するのに対し、保守は個人の能力の限界を直視し、個人の単独の理性ではなく、理性を超えたものに重きを置く。過去の人間の経験値や常識、伝統、慣習を大切にし、一気に社会を変えようとする態度をいさめる。ただし、保守はあらゆる変化を拒むわけではない。社会は常に時代の変化にさらされ、静止画のようにとどまり続けることは許されない。数十年前と今では社会の構成は大きく異なる。昔につくられた制度をそのまま引き継いでいるだけでは、否応なき変化に対応することができないからだ。
 その意味で保守は「保守するための改革」を積極的に容認する。ただし、改革は常に漸進的、「順を追って徐々に進んでいくこと」でなければならないと考える。一部の人間が一気に社会を変えてしまうあり方には、必ず理性に対する過信が潜んでいると考えるため、改革は常に丁寧に時間をかけて行う。
 保守の目指す改革は「永遠の微調整」である。無名の死者たちから継承した暗黙知を重視し、伝統と呼応しながら丁寧に調整を進めていくことこそ、保守の態度に他ならない。
 
なぜ立憲主義なのか――緊急事態条項
保守にとって憲法とは何か
188 ここで問題になるのは「国民とは誰か」である。保守思想における立憲主義では、国民は現在生きている人間だけでなく、過去の国民も含まれている。つまり、権力は今の国民の意思に縛られているだけでなく、死者が積み重ねてきた経験や努力にも縛られている。私はこれを「死者の立憲主義」と呼んできた。
 
保守と共産党の接近
勘ぐらせる政治
安倍昭恵論――ナチュラルとナショナル
198 スピリチュアルな活動が古来の神秘へと接続し、日本の精神性の称揚へと展開すると、その主張は国粋的な賛美を含むようになる。森友学園が開校を計画した「瑞穂の国記念小学校」の名誉好調になり、その教育方針を支持した
 
199 従来、スピリチュアリティと政治の結びつきは、1960年代後半から70年代のヒッピー文化を底流としてきたため、エコロジーやオーガニックという自然志向とともに、左派的な主張につながる傾向にあった。しかし、その近代批判が土着文化への回帰を促し、伝統礼賛論へと傾斜すると、時に「ニッポン凄い」という愛国的、右派的な言説へと合流する
 この傾向は、戦前期の超国家主義者の性質と似ている。人生の煩悶を抱え、自然回帰を志向した農本主義者たちが、次第に日本精神を礼賛し、国体論による世界の統合を志向していったことはよく知られる。かつてナチス・ドイツ有機農業を称揚し、独自のエコロジー思想を打ち出した。ヒトラーは「化学肥料がドイツの土壌を破壊する」と訴え、純粋な民族性と国土の繋がりを強調した。
 
権力を抑制するための改憲
保守政治の崩壊
 
 
 
 
第5章 思想とは態度である
今日、必要な古典
政治的正しさを超えた高貴な人間――竹内好
反転する正統――河上徹太郎『日本のアウトサイダー
222 佐幕系の旧士族たちは、近代的享楽や立身出世主義に溺れる新政府に反発した。その嫌悪感と屈辱の念は、アイデンティティの拠りどころとしての武士道精神を強化した。彼らは日本が近代化へと突き進めば進むほど、武士道への回帰によって自己を規定しようとした。武士道はアウトサイダーの精神的支柱となって再生された。
 武士道は、武士なき時代に幻影として出現する。世相が汚染されるほど、武士道は純粋性を獲得する。そこに美しい日本が集約される
 
思想的羅針盤――福田恆存『人間・この劇的なるもの』
226 福田は「私たちが真に求めているものは自由ではない。」と断言する。そして、人間が欲するのは「事が起こるべくして起こっているということ」であり、「その中に登場して一定の役割をつとめ、なさねばならぬことをしているという実感」こそ希求しているという。だから人間は普遍的に演劇的な存在だ。役割を演じることによって自己を確認する。その場所(トポス)こそが重要なのだ。
 
最後の吉本隆明
態度の思想家・吉本隆明
大切なものを捨ててはいまいか――鶴見俊輔関川夏央『日本人は何を捨ててきたのか 思想家・鶴見俊輔の肉声』
 
鶴見俊輔の岩床――『昭和を語る 鶴見俊輔座談』
244 鶴見は「保守的な立場からの平和思想、反戦思想というものがありうる」と主張する。その具体的な代表は田中正造である。
 田中は幕末に、御殿新築ために税金を多くとろうとする領主と衝突した。この時、田中は領主に対して昔からのしきたりを守るように訴えた。長年培ってきた慣習を踏み外し、自らの公理的欲望によって村民を苦しめることは、伝統に反すると訴えたのだ。鶴見はこの田中の「流儀」こそ、保守の精神だと強調する。
 この流儀の延長線上に、本来であれば日本の中国侵略を批判する言説が次々と出現するべきだった。日本が欲張りすぎるのは善くない。中国人の主体性を重んじるべきだ――。そのような声が、保守の側から一斉にあがるべきだった。しかし、その声は数少なかった
 
260 私は、保守主義者を重んじたいと思います(その心がけどおりに私が行動しているかどうかはわかりませんが)。その保守主義が、みずからのうちにうたがいをもっていることを、つよく希望したいのです。保守主義が、みずからの現在の思想にたいしてうたがいをもち、そのうたがいが自分のうしろだてとなっている国家に及ぶような保守的懐疑主義としての機能を何らかの仕方で保つことを希望します。そうであれば、保守的であるということが、そのまま、国家批判の権利を放棄することにならず、まして、現政府のきめた政策をそのままいつも支持するという立場をとることとかならずしもつながらなくなります。
 戦争中から戦後をとおって今にいたるまで、私が、こだわっているのは、保守主義がそのまま国家批判の権利の放棄につらなるありかたです
 
鶴見さんの態度