読んだ。 #性と芸術 #会田誠

読んだ。 #性と芸術 #会田誠
 
①芸術 『犬』全解説
②性 「色ざんげ」が書けなくて
 
 
・①芸術 
 
20 河口湖曼陀羅

 そのようなものを自分なりに思い詰めて考えていた時期だったからだと思うが、ある夜、友達の運転で河口湖方面にドライブした時、自分にとって驚くべき神秘体験をした。「何か奇異なものが現われて、それを見た」といったオカルト的な話ではなく、まったく私の精神の中だけの出来事なのだが。
 そこに至る経緯は省くが、ともかく最終的に私は「宇宙のすべてが分かった」のである。あれは仏教でいう所の「悟り」に近いものだったのだろう。記述は難しいのだが、以下少しやってみる。
 我々人間が見させられているこの世――この地球――この宇宙は、全体の中のほんの一部の表面に過ぎない。膨大な<本質>は我々の能力では認識できない――そういう風になっている。
 神はいない。しかし人間の認知力と<本質>のあまりに絶望的なギャップの間に、「神」と呼ぶものを想定しておくのは、致し方ないことではあろう。
 死はまったく悲しくも怖くもないものだ。死にそのような感情を抱くことこそ、人間の無明そのものである・・・など
 河口湖付近の真っ暗な山道を走り続ける車の後部座席で、私は持っていた文庫本をメモ帳代わりにして、乱雑に言葉を書き殴った。その分かった<本質>をなんとか定着させたかったのだが、最初から絶望的だった。人間の認識の外にあることを、人間の言葉で表現するのは不可能だったからだ。なので近似の言葉で妥協するしかなかった。比喩的な飛躍が必要で、いちいち「本当はこれじゃないのだが!」と心で叫びながら書かざるを得なかった・・・
 私が「悟り」の状態にあったのは、せいぜい30分ぐらいのことである。それを過ぎるとそのメモの言葉たちは、見る見るうちに輝きを失っていった。数日たったら、言葉はただの形骸になった。私は遺骨を並べるように、残された言葉を曼陀羅の形式の中に配置した――多くの葬式がそうであるように、ただ無感動に、粛々と。
 そうしてできた『河口湖曼陀羅』という作品は、「自分にとってこの方面での最大限のものは作れただろう」という達成感はあった。と同時に「ここは行き止まりだ」という直感も働いた。この先に本気で進んでしまったら、もう二度と他者とコミュニケーションができなくなるような気がした。
 
36 ちなみに、2012年に東京の森美術館で開催した私の個展タイトル「天才でごめんなさい」は、この「宣言文」にルーツがある。1989年に「宣言文」を書いた時から、2012年に森美術館で個展をするまでの23年間、私は「宣言文」に書かれた「物言わぬ職人」たり得たか?否、なりきれなかった――あるいはぜんぜんなれなかった。フェイクをやる演技に疲れ、しばしば自分の「地」を見せてしまった。天才性(個性、エゴ、自由、インスピレーション等)を原理的に志向する、近代以降の芸術家象の呪縛から、けっきょくは解放されなかった。失敗しました。ごめんなさい――という意味だ
 この展覧会名の真意はほぼ誰にも伝わらなかった。ただ自分を天才と自称している不遜な、あるいはバカな奴だと思われただけだった。だがまあ、私のやることは「確信的な誤解作り」みたいなところがあるので、自業自得としておこう。そもそもそのスタートが『犬』だったわけっだし。
 
53 さっき「確信的な無目的」「確信的な駄作」と書いた時期のことである。そうした約1年間の迷走ののち、私は決然と踵を返すことに決めた。「人間が認識できない宇宙の本質」などというものと、ともに生きていくことは、自分には不可能と見切りをつけるしかなかったのである
 ならばどう生きるのか。「宇宙の本質」がそういう取りつく島もないようなものならば、なおさら地球の、人間の、その表面に徹底的に留まろうじゃないか。要するに形而上に対する形而下という話なのだろうが、地球の人間が今も実際に更新し続けているこの社会――この現世に対応したものを、これからは作っていこうじゃないか。それは字義通りの「浮世絵」ということになるだろう
 そもそも私に河口湖での神秘体験をさせた、その主原因は何となくわかっていた。
 「私自身の意識」へのあまりに高まった関心だった。「私!」「私!」「私!」という、青春の自家中毒的傾向だった。
 しかし「私自身の意識」などというものは、考え方のチャンネルを少し変えるだけで、まるでどうでもよくなるものだった。すなわち「もし私がこの世にいなくても、やはりこの世はほぼ変わらずあり、社会は動き続けているだろう」と考えること。自分の内面の実感を棚上げし、自分の外にある、いわゆる「社会通念」の方を信じること。これは恐らく世界を認識するためにどちらか一方を選択できる、2つの道なのだろう
 私は「自分語り」に惑溺する青春をやめることにした。そしてこの世で実際的な仕事をする大人になることに決めた。そして卒業制作『死んでも命のある薬』を作り、わざとらしい文体の「宣言文」を書いた。次に何をやるべきか。作品の素材は豊富なはずである。なぜならこれからは、この世から「私の意識」を抜かしたものすべて――森羅万象が作品の素材になるのだから。
 これが『犬』を作る直前の1989年の春に私が抱いた、新しい方針だった。
 
55 「宇宙の本質」から見ればすべて虚ろだとしても、現世は一人の人間の許容量をはるかに超える情報とイメージで溢れていた。そのうち美術や芸術が担っているものなど雀の涙、たかが知れていた。報道、広告、テレビ、雑誌、映画、ポピュラー・ミュージック、ファッション、マンガ、アニメ、ゲーム・・・圧倒的多数は美術や芸術以外のものだった。頭の良い人が20世紀前半に<複製技術時代>と予見した通り――あるいはそれ以上の状況が人類に進行していた。
 もちろん多くの美術・芸術愛好者は、昔から続くその孤独を――その固有のアウラを守ることに命を賭けていた。私はその人々に共感はできた。できたのだが、別の道を歩もうと考え始めていた。
 すなわち、このような20世紀の人類の現実を前に、逃げずに「がっぷり四つ」で対峙すること――それが私の「ポップ・アート」の定義である。たぶん一般的な定義とはちょっと違うだろう。別に元気に弾けていなくてもよい、私が定義する「広い意味でのポップ・アート」だ。
 一般的な意味で芸術とは、くだらない現世――目の前に現実に生きている程度の低い人間どもが作っているこの世界――を忘れ、そこから離脱し、まったく別の高い次元に自分の魂をもっていくために存在する。――それは確かにそうなのだろうが、あるきっかけで反動が生まれ、それとは180度逆のベクトルに――つまり元の<くだらない現世>に――猛然とダイブせずにはおれない衝動を生むことがある。このアートであるがゆえに生ずる特有の反作用が――「毒を食らわば皿まで」の狂おしい覚悟が――ポップ・アートの精髄と私は考える
 
66 「それに比べて我々日本人はなんと枯れていることか・・・」と私は思った。深いレベルでの異質さを感じずにはおれなかった。そして「この種類の性欲を持ったピカソがああ描くなら、私は――私たちはどう描くべきか?」と頭の中で問いを立てることが多くなった。要は自分の志向を促進させるための触媒として、ピカソをよく使うようになったという話なのだが。
 ピカソの絵の対局としての、我々の特徴とは何なのか。まず思い浮かぶのは、やはり日本画だ。それも面相筆によってシャープな輪郭線が引かれた、繊細なタイプの日本画。そして画家ではないが、なんとなく思い浮かぶ一人の人物がいた。川端康成である。
 永徳を見て当初胸中に抱いたのが「女体盆栽」のようなイメージだったわけだが、その盆栽の手入れ――ハサミで先端を剪定したり、針金で幹(胴?)をグルグル巻きにして形を矯めたり――を誰がしているかと言うと、ズバリ、晩年の川端康成のイメージだった(逆に若いころの写真は印象が薄い)。元々虚弱だった肉体はさらに痩せ萎み、唇はこの世への不平と軽蔑で「への字」に曲がったまま閉ざされ、ただ眼光だけが猛禽類のようにギラギラ光っている、知的ではあろうが陰気で偏屈な老人。そんな人物が板塀で囲まれた坪庭で、神経質な手つきで――あるいは変態的な執着心で――黙々とお人形のような樹木を弄っている――。
 
68 「この犬は今度が初潮で、体がまだ十分女にはなっていなかった。したがってその眼差は、分娩というものの実感が分からぬげに見えた」
 例えばこんな、犬をかなり擬人的に書いた部分などだ。
 それで私はこのような仮説を立てることにした。――私は永徳を見て「女体盆栽」のようなイメージを抱き、そこから川端康成を連想した。そこから無意識に埋もれていた『禽獣』の雌犬のイメージが喚起され、それがインドの見世物小屋の都市伝説に繋がった――と。無意識の話なので何も確証はないが
 調べてみると川端康成が『禽獣』を書いたのは34歳の時だった。写真でよく見る、白髪をオールバックにしているような時期よりずっと前だが、厭人(えんじん)に染まった物語の読後感は、やはり老人的と言ってよい。鬱屈した性格は相当根深いものがあるのだろう。例えば最近もテレビのトーク番組で、若い時は妖精のように可愛かった加賀まりこが、最晩年の川端康成としたデートについて、次のように語っていた。
「要するに私を見ていたいというだけのこと。手を出すとかないわけだから。らんらんとした目でじっと私を見ているというだけのデートなの」
 陰湿な変態性――しかし無害。私が「ピカソと真逆」と感じる人格をけして裏切らないエピソードである。そんな彼が、日本の文化・芸術を代表して初めて国際的に顕彰されたのである。ノーベル文学賞の選考委員は作家個人を通して、各国の文化的蓄積を見る目がさすがに肥えていると言うべきだろう。
 
71 日本固有のエロティシズムを示したいと思ったとき、私には川端康成というキーパーソンが浮かんだ。そしてもう一つ、浮かんだキーワードがある。「薄曇り」である。
 私にとって、川端康成のような気難しいご隠居が女体のような盆栽を弄っている変態的シチュエーションの天候は、薄曇りと決まっているのである。眩しくも暗くもない。暑くも寒くもない。どこに太陽があるかよくわからないが、世界はぼんやりと明るく平坦に照らされている。そんな柔らかな乳白色の光のもと、のどかな住宅地にある庭で、隠すでも見せるでもなく、日常的に淡々と変態行為が行われている
 この雰囲気は「女体盆栽」のイメージから『犬』が踏襲した、最も大切な要素である。だから『犬』の少女は穏やかな表情をしているのである(もちろん本当には存在しない、「仮想的な日本」の中の話ではあるが)。
 これと真逆の世界観が、私がイメージする西洋キリスト教における悪や変態である。かの宗教が最も大切にしている本は、もともとこの世は完全な闇で、そこに光が生まれるところから始まるらしいが、まったくもって科学的に正しい。憎らしいほど正しい。そういう厳密な光と闇の二元論から始まっているから、闇のアレゴリーである悪や変態も本格的にドス黒いんだと思う。なんと言うか…重厚な石造りの不快地下室で繰り広げられる秘密のミサ・・・絶対的な禁忌から突如翻る悪への狂奔!俺は悪魔に魂を売ったのだ!みたいな・・・(まあ数冊読んだマルキ・ド・サド、あとは映画なんかから得たイメージに過ぎないが)。
 それに比べて日本の悪や変態は「なあなあ」な気がするのだ。真綿で包まれたような悪や変態。罪悪感の呵責がない。ましてや原罪なんてなんのことやら。
 
72 とはいえもっと一般的な話なら教科書にも書いてあるだろう――日本の「風土」は湿潤なモンスーン地帯に属している、と。
 これは私にも、海外から日本に戻るたびに実感する機会がある。飛行機がそろそろ着陸態勢に入るとアナウンスがあり、巡航高度から徐々に高度を下げていくとき、必ず薄い雲の膜を一枚潜る(私には窓に顔を押し付けてそれを毎回確認する趣味がある)。これが日本列島が厳密にいえばほぼ一年中曇っている原因だ。砂漠の国のように、宇宙までダイレクトに抜けたような濃い群青色の青空は、日本では「天高く馬肥ゆる秋」と言われる秋の数日しかないのではないか。
 そういえばキリスト教は砂漠の国で生まれたのだった。あるいはピカソやダリがインクなんかでササッとドローイングする、白昼の闘牛場の地面に落ちた影、生と死を思わせる、そのメランコリックな白と黒の強烈な対比、いずれも日本には基本的に縁のない視覚文化だと思う。なので私は女体盆栽から発展した『犬』で、その対極にある「薄曇りの視覚文化」を表したいと思ったのだ。
 
78 当時から明らかに日本の文化や精神は「可愛い少女趣味」の方に偏っていた。それを男側の性的趣向にのみフォーカスして呼ぶと「ロリコン」となるだろうが、それでは現象の半分しか語っていないことになる。現代の(地下)アイドルのイベント会場全体を俯瞰して見ればわかる通り、日本では女性側の「いつまでも幼く可愛くありたい」という自発的な願望と、男性側の好色な視線が、妙な形で相互補完し均衡状態を保っている場合が多い
 
79 (ついでに言えば、ここら辺の系譜には、死後かもしれないが「むっつりスケベ」的なものを感じる――サイボーグ003やしずかちゃんのことを想像してもらえばいいのだが。それに対して、少年の私がなんとなく苦手意識を抱いた『キューティーハニー』や『ハレンチ学園』の永井豪は「はっきりスケベ」と言えるだろう)。
 
81 その理由について、私はだいたいの目星はついていた。私個人が23年生きた体感からしても、勉強して得た歴史的知識に照らしても、それが1945年に大日本帝国が太平洋戦争で負けたことに遡る話であることは明らかだった。つまりその後の、進駐軍占領から日米安全保障条約、名目上の軍隊の放棄、米ソ冷戦下においてアメリカの核の傘に守られるということ、事実上のアメリカの属国化、レーガン・中曽根時代の「不沈空母」発言・・・といった一連の流れのことである
 これによって日本の「男性性」「父性」は根本的に弱体化させられた。戦後日本は人類史上かつてないほどのアンチ・マッチョな社会となった。弱い父の物、かつてはやけに安定的とも見えた日本の家族は、恐らく都市部から先に内部腐食が始まった。父親は家庭における確固とした居場所を失い、海外から軽蔑の目で見られても職場で「エコノミック・アニマル」に邁進するほかなくなった。そちらが自民党的だとしたら、もう一方に社会党的な「ソフト左翼」があり、2つは相互補完的であり、何なら相似と言えた。私の家庭が後者だったことは前に述べた。
 威厳に満ちた父親からの影響が善かれ悪しかれゼロに近くなった家庭の息子・娘たちは、どのような精神世界に生きていくことになるか。それが、いかに激しいバトルをしても本物の血は流れない、いかに男女が激しく愛し合ってもリアルな体臭はしない、人工的な色彩に満ちた、フラットな絵柄の、ファンタジー・ワールドだったのではないか?
 三島由紀夫が1970年の死の直前にサンケイ新聞に寄稿した、事実上の公開遺書のような随筆「果たし得ていない約束――私の中の二十五年間」の中の文言は、このような当時の息子・娘たちがその後作ることになる日本のオタク・カルチャーを考える上でも、なかなか示唆に富んでいると思う。
「このまま行ったら(中略)日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう」
 
三島由紀夫 果たし得ていない約束-私の中の二十五年 全文
(昭和45年7月7日 産経)
 
私の中の二十五年間を考えると、その空虚に今さらびっくりする。私はほとんど「生きた」とはいえない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ。
 
二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきバチルス(つきまとって害するもの)である。
 
 こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。政治も、経済も、社会も、文化ですら。
 
 私は昭和二十年から三十二年ごろまで、大人しい芸術至上主義者だと思われていた。私はただ冷笑していたのだ。或る種のひよわな青年は、抵抗の方法として冷笑しか知らないのである。そのうちに私は、自分の冷笑・自分のシニシズムに対してこそ戦わなければならない、と感じるようになった。
 
 この二十五年間、認識は私に不幸をしかもたらさなかった。私の幸福はすべて別の源泉から汲まれたものである。
 
 なるほど私は小説を書きつづけてきた。戯曲もたくさん書いた。しかし作品をいくら積み重ねても、作者にとっては、排泄物を積み重ねたのと同じことである。その結果賢明になることは断じてない。そうかと云って、美しいほど愚かになれるわけではない。
 
 この二十五年間、思想的節操を保ったという自負は多少あるけれども、そのこと自体は大して自慢にならない。思想的節操を保ったために投獄されたこともなければ大怪我をしたこともないからである。又、一面から見れば、思想的に変節しないということは、幾分鈍感な意固地な頭の証明にこそなれ、鋭敏、柔軟な感受性の証明にはならぬであろう。つきつめてみれば、「男の意地」ということを多く出ないのである。それはそれでいいと内心思ってはいるけれども。
 
 それよりも気にかかるのは、私が果たして「約束」を果たして来たか、ということである。否定により、批判により、私は何事かを約束して来た筈だ。政治家ではないから実際的利益を与えて約束を果たすわけではないが、政治家の与えうるよりも、もっともっと大きな、もっともっと重要な約束を、私はまだ果たしていないという思いに日夜責められるのである。その約束を果たすためなら文学なんかどうでもいい、という考えが時折頭をかすめる。これも「男の意地」であろうが、それほど否定してきた戦後民主主義の時代二十五年間、否定しながらそこから利益を得、のうのうと暮らして来たということは、私の久しい心の傷になっている。
 
 
 ◆からっぽな経済大国に
 
 個人的な問題に戻ると、この二十五年間、私のやってきたことは、ずいぶん奇矯な企てであった。まだそれはほとんど十分に理解されていない。もともと理解を求めてはじめたことではないから、それはそれでいいが、私は何とか、私の肉体と精神を等価のものとすることによって、その実践によって、文学に対する近代主義的妄信を根底から破壊してやろうと思って来たのである。
 
 肉体のはかなさと文学の強靱との、又、文学のほのかさと肉体の剛毅との、極度のコントラストと無理強いの結合とは、私のむかしからの夢であり、これは多分ヨーロッパのどんな作家もかつて企てなかったことであり、もしそれが完全に成就されれば、作る者と作られる者の一致、ボードレエル流にいえば、「死刑囚たり且つ死刑執行人」たることが可能になるのだ。作る者と作られる者との乖離(かいり)に、芸術家の孤独と倒錯した矜持を発見したときに、近代がはじまったのではなかろうか。私のこの「近代」という意味は、古代についても妥当するのであり、万葉集でいえば大伴家持ギリシア悲劇でいえばエウリピデスが、すでにこの種の「近代」を代表しているのである。
 
 私はこの二十五年間に多くの友を得、多くの友を失った。原因はすべて私のわがままに拠る。私には寛厚という徳が欠けており、果ては上田秋成や平賀源内のようになるのがオチであろう。
 
 自分では十分俗悪で、山気もありすぎるほどあるのに、どうして「俗に遊ぶ」という境地になれないものか、われとわが心を疑っている。私は人生をほとんど愛さない。いつも風車を相手に戦っているのが、一体、人生を愛するということであるかどうか。
 
 二十五年間に希望を一つ一つ失って、もはや行き着く先が見えてしまったような今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大(ぼうだい)であったかに唖然とする。これだけのエネルギーを絶望に使っていたら、もう少しどうにかなっていたのではないか。
 
 私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。(作家)
             ◆◇◆◇◆◇◆
 みしま・ゆきお 本名・平岡公威(きみたけ)。大正14年、東京生まれ。昭和24年の「仮面の告白」で作家としての地位を確立。代表作に「金閣寺」「豊饒の海」など。戦後社会の甘えを憂い、44年の「文化防衛論」で文化天皇制の理念を示す。45年11月、「楯の会」メンバーと自衛隊市ケ谷駐屯地で自衛隊の決起を促したが果たせず、割腹自殺した。
             ◆◇◆◇◆◇◆
 この随筆は、昭和四十五年七月七日付産経新聞夕刊に掲載されたテーマ随想「私の中の25年」の一回目を再掲載したものです。
 
110 繰り返すが、私の『犬』も似た構造にある。冒頭に紹介したTwitterで私は、『犬』にはマルチな方向性の抗議があると書いたが、広義は少し語気を弱めて批判や批評とも言い換えられるだろう。そのマルチナ方向性の批評対象とは、すべて私自身の属性にベッタリと張り付いていたものである。
 すなわち1989年当時――私は現代の日本人で、美術の道を志し始めたばかりの者であった。日本には日本画という独自の強固な絵画ジャンルがあり、また西洋美術にはヌードがというジャンルがほぼ無批判のまま存続していた。一方、現代日本は敗戦の影響が隠然と残る社会であり、それが諸外国とは違う「偏り」を優位に生んでいた。特に性的な方向に関して――特有の家族観――日本的ロリコン――として一般流通される直前だった言葉「オタク」――。これらは私にとって、まったく他人事ではない、逃れることのできない、ヒリヒリとした現実そのものであった
 
112 そして私には日本の悪い面に着目する傾向があることも分かる。しかも国際的なアート・ワールドの美意識、価値観、倫理観など――それは進歩的な方向に偏っているのだが――と相容れない部分の日本の悪い面に、ことさら反応していることも分かる。
 その自嘲・自虐的傾向を具体的に示せば――オタク、サブカルロリコン、下種な制欲、男尊女卑、日本的キッチュ、民主主義や人権思想への根本的な無理解、天皇制、保守思想、ネトウヨ、文化的内向、ガラパゴス、排外主義、英語ができないこと、ムラ社会、百姓根性・・・などと言ったキーワードになるだろう
 これら「国際的なアートの基準に照らしたら恥ずべきもの」は、すべて私の中にあるのだ。ものによってはわずかだとしても、目を皿のようにして自己の中を探れば、あるにはあるのだ。そこを隠さない――むしろ拡大して示し、人々の避難を集めることが、私の芸術家としての半ば倫理観になっているようだ。
 もちろんそのような自己解剖は、身を切る痛みを伴う。しかし自分の身から流れる血だけが重要なのだ。他人の血では意味がない。
 
115 書いてきたとおり、私にとって芸術は「社会をより良くしようとする運動」ではなく、「あわよくばナンセンスの高みに至れることを夢見て精進する個人的営為」だ。こう書くとSNS全盛の昨今、こう反論する人が現れることになる。
「それは社会の現状に対する<追認> >で、結果的に悪に手を貸す行為となる」
「それでは<美術に(音楽に、映画に・・・etc.)政治を持ち込むな!>と言っている、自民党政権の安泰のみを画策している連中と同じじゃないか」
 こういってくる人々は私の同業者に多い。仲の良い人だっている。だから私は複雑な立場に立たされることになるのだが、それでも23歳頃に確立した人生の基本中の基本である方針は容易に改変できないのだ。私は最後までこれで行くと決めている。
 
118 もう一点。私が自作にジレンマを求めるのは「運動と静止」の問題でもあるように思う。
 ジレンマとは(あるいはそれに近い概念だと思うが、パラドックスも)、相反する複数の要素が絡まって、一つの方向に素直に進むことがかなわなくなり、膠着状態に陥ったことである。「ひたすら美しい夕焼け」とか「ひたすら禍々しい悪」といった、一つの方向に素直に進む表現がお望みの方は、私でなく他をあたって欲しいと思う。実際現代美術にもそういう「ひたすら進む系」の作り手はたくさんおり、それ自体別に悪いことではない。ただ私のやりたいこととは違うだけである。
 私がやりたいことは限定的だ。力が漲っているのに、うんともすんとも動かない状態――こればかりがどうにもこうにも好きなのである。タイガー&ドラゴンのような両雄対立タイプもあるだろうし、ジャンケンのように同じところをグルグル回り続ける三つ巴タイプもあるだろう。いや、実際のこの世のジレンマとは、もっと不定形でこんがらがった状態のものが多いだろう。私は出来れば自分の作品を、そのような均衡の力学を作動させることによって、永遠に「静止」させたいのだ
 どうしてかと言うと――あえてバカっぽく言うが――その方が作品っぽいからである。止まっている方が、万人が平等に、平常心のまま、その作品に近づいて触れられるからである。作品が動いていたら、その動き(ノリ、グルーヴ)にシンクロできた人しかアクセスできない――客を限定してしまう――と私は思うのだ。
 
128 まあしかし私だって分かっている――『犬』シリーズは今後日本であれ海外であれ、美術館では展示できないかもしれないことは。
 ただしそれは描いた1989年の時点ではまったく思いもよらなかった事態――ではなかったことは書いておきたい。当時日本ではフェミニズムジェンダーポリティカル・コレクトネスと言った言葉は、今日のように日常的に頻繁には聞かれなかった。しかし近い将来その様な時代が来ることは「美術手帳」などを通じて国際的な現代美術の動向を垣間見ているものには、ある程度予感されていた。現代美術は「善」であれ「偽善」であれ、「善がつく最新のもの」が昔から大好物な業界なのである。少なくとも「欧米では少女や幼女を性的に表現するのは一発でアウトらしいぜ」くらいの話はよく聞いていた。
 日本のサブカルにどっぷり浸かっていて、愚鈍にも世界が見えてなかった――残念ながら私はそういう朴訥とした人物ではない。分かっているからこそあえてやる、神経が不必要に尖った不幸な人物なのである。私は国際的な(とはいえなんだかんだ言って、今だに欧米中心だと思うが)現代美術という業界の末席に座っているつもりだが、だからこそ、この業界のことを完全には信用していない。それこそ最大限に厳しい「批評的」眼差しを向け続けるべき対象は、この業界自体だと思っている
 
 
 
・②性
 
153 「セックス」とは男にとって、「男になることを自らに強要する行為」です。ボーヴォワールの有名な言葉に「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」というのがあります。その詳しい意味や主張は分かりませんが、僕は初めてそれを聞いた時、「男だって人生のある時期、社会によって無理やり”男になれ”と強要されるのになあ……」と体験的に思ってしまいました。
「お姉さんが教えてあ・げ・る 」とか「男を食い物にするカマキリ女」みたいな例外もあるでしょうが、やはりセックスとは一般的には、男側がイニシアティブを取って能動的に相手をリードしなければ何も始まらないもの。つまり人間の男女には能動/受動という力関係におけるアンバランスさがあらかじめ存在しています。そしてそれは男性器と女性器の機能と形態に由来する、生物学的に根の深い問題です。かたや勃起して硬くならないと使い物にならない棒状のもの、かたや相手への信頼がなければ容易に開かない穴状のもの。そしてその性質が極端な形で現れたものが、フェミニストのみなさんを永らく苦しめてきた「男尊女卑」や「性暴力」といったものなんだろうと僕は考えています。
 男性不信に囚われたハードなフェミニストさんの中には、男という生き物はみんな、
「女という他者を力で支配できる側の運命に生まれ落ちた俺って、超ラッキーだぜ 」
 と思っていると考えている人がいるかもしれませんが、はっきりと「それは違う」と申し上げておきます。逆に「能動が義務」という自らの運命を嘆き、自分に男性性を押し付けた天を呪い、股間にぶら下がったチンポコを持て余したまま虚しく立ちすくんでいる男性は、存外多く存在しているはずです。−−ここまで書けば多くの読者はお察しかと思いますが、思春期から青年期にかけての僕は、まさにそんな哀れな人間のオスの一匹でした。
 男なのに能動ではなく受動しかピンとこない。それならばウケの−−つまり肛門に入れられるタイプの男色家になればよかったじゃないか−−そう言われるかもしれません。そう、理屈の上ではそれがベストアンサーでしょう。時代や環境が違えばそうなって、人生はハッピーエンドだったかもしれません。しかしそうはならなかった/なれなかった。なぜなら、相手がいなかったから。その相手とは「同性愛のタブー意識」という固い鎖を引き千切ってくれる、かなり強引で魅力的な誘惑者でなければなりません。欲望渦巻く大都会の怪しげな裏路地ならいざ知らず(テキトーなイメージですが)、地方の退屈な新興住宅地で育った少年は、どうやってそんな年長の男性と出会えるのでしょうか?
 というわけで、もはやオナニーしかないのです。社会の「男になれ」という隠然たる要求をボイコットしたい「男未満の者たち」は深夜自室に籠り、オナニーで「女になる」しかないのです。
 
163 最近の日本の問題――生涯童貞である男性の増加、生身の女性を必要としないと宣言する非リア充の開き直り、未婚・晩婚の増加、それらの結果として将来ますます加速すると予測される少子高齢化――これらはすべて一つに繋がる話です。僕に言わせれば、男が男になることに拒絶反応を示し始めているのです(もちろん女性側も、男性側との時代的シンクロニシティや、あるいは別個の問題もあるでしょうが、書き手である僕は男なので不明なことはあえて書かず、男性視点に統一させてもらいます)。だから「エッチなマンガなどを規制しないとレイプ事件が増える」なんて的外れな意見を目や耳にする度に、「やれやれ、物事や時代の本質を全く理解していない人って相変わらず多いんだな」とつくづく思い、溜息が出てしまいます
 
169 それなら「オナニージャパン」と名乗ればいいと思うのです。その方が結果的に「クール」ですし、実体にも見合っています。「食やファッションも含む」と言ったエクスキューズがあったとしても、「クールジャパン」のイメージを代表しているのは、やはり日本のアニメ的な絵柄であることは認めるべきだし、そこで欠かせないのが、特有のデフォルメ表現を加えた美少女(や女性ファン向けの美青年頭)であることは周知の事実です。
 そしてその妄想の産物であるアイコン――萌え少女と言っても非実在二次元美少女と言ってもいいですが――は、原理的にいってセックスとは一切関係なく、オナニーとのみ密接な関係にあります。実際にそれをオカズにオナニーしなくても、オナニー的なる(別の言い方をすればアンチ・リアル・セックス的なる)象徴性を必ず宿している、という意味において。
 海外に輸出すべき現代日本文化の真のエッセンスはそれなのです。海の向こうの方々に<眼球が病的に肥大し、鼻腔が退化して無くなり、頬骨に不自然な陵角が現れ・・・etc.>といったアニメ顔美少女に慣れ親しんでもらい、あわよくば金を落としてもらおうなんて、表面的な話に過ぎません。大切な目的はその奥にある「ジャパニーズ・コンテンポラリー・オナニー・スピリット」の世界的伝播です。
 日本一国だけを見れば少子高齢化は、年金などとのからみで深刻な問題でしょうし、同じような悩みを抱えた先進国は他にも多いようです。しかし人類全体を見れば、歯止めの利かない人口増加が続いている超深刻な現状があります。部分の問題と全体の問題、どちらが大切かは言うまでもないでしょう。そこで現代日本の叡智が役立たないだろうか――ということです。目先の小金を儲けることだけに汲々とせず、もっと人類史レベルの貢献を目指すべきではないでしょうか
 僕は時々夢想します(とはいえよっぽどヒマな時に限りますが)――いつの日か、アフリカの男たちが非実在二次元美少女にハアハアして、ついでに日本から伝播したコミュ障や引きこもりにもなり、気がつけば人口増加は抑止され、血なまぐさい部族間抗争をやる闘争心も消え失せ・・・とにかくそんなこんなでいろいろとあった末、地球全体が現代日本のような腑抜けた平和に包まれる日が来ることを。あるいはもっと未来――火星移住や惑星間移動が現実になった時、人類の「生」という厄介な問題を解決するヒントが、20世紀から21世紀にかけての日本の大衆文化にあったことを誰もが認め、ちょうど現在におけるルネサンス人のように、我々が未来の人類からリスペクトの目で見られる日が来ることを――。
 その時代の(つまり現代の)日本人の叡智とは、煎じ詰めれば意外と単純なものです。繰り返しになりますが「オナニーとはセックスの前段階になる代替品ではなく、独立した価値をもつ人生の目的そのものである」――このワンフレーズに収まるのですから。
 
171 せっかく人畜無害なオナニー至上主義がこの温室国家で育ち、市民権を得出したこのタイミングで、「児童ポルノ禁止法」って一体何ですか。バカも休み休みにしなさい。内容?いたいけな幼女が体中の穴という穴から触手モンスターに侵入され八つ裂きにされていますが、それが何か?んなもん”描いてるだけ”でしょうが。妄想が荒唐無稽になればなるほど、リアル空間から隔絶されてゆくという、純粋オナニー妄想の基本原理も知らないんですか?そんないらぬ規制をすることで、どうなるか分かっています?竹を割ったような爽やかな性格によって男尊女卑を選ぶ、マッチョなレイプ魔予備軍が跋扈する世の中に逆行させたいんですか――想像力の欠如した近頃のフェミニストの皆さんは!
 
172 などとわざとらしいことを書くのは、「47歳のいい歳こいたオッサンなんだから、セックス知ってて当り前でしょう」という前提がもしあったとしたら、それはおかしいと思うからです。ハイティーンの頃僕は「自分にはセックスは一生無理だろう」と本気で――しかし慌てふためきながらというよりは、冷徹に――考えていました。「まさかあんなバカげてクレイジーなことを、しかもまったく赤の他人の、しかも何考えてるかこれっぽっちも予測のつかない女という異性と、獣ならぬ人間である僕ができるわけないじゃん」と。
 
173 ――、と、そんなことを口走るような男が頼りにするのは、大体「酒」と相場は決まっています。酒の勢いを借りて自意識を摩滅させないことには、セックスはおろか、その前段階の諸々にも着手することができません。なんせ相手はごろから「異星人」という連想さえしてしまうくらい距離を感じる「異性」。僕は初めての相手に対して、ノンアルコールで挑んだことは一度もなかったと記憶しています(念のため言っておくと、もてない僕のデータ量はそれほど多くないので、この記憶は正確なはず)。
 
175 話を戻すと、とにかく”ハレとケ”で言えば、セックスはハレ、オナニーはケだと思うのです。つまりセックスとは、オナニーというルーティンな日常の中に、突然差し挟まれるハプニングみたいなもの。ほんとうは恥ずかしいことだけど、始まっちゃったら羞恥心などぶっちぎって踊り狂うしかない、一夜限りの奇祭。洋楽の歌詞にもよく「メイク・ミー・クレイジー」というのがあるけれど、(英語は苦手ながら)あの言い回しはよくわかる気がします。
 翌朝(それ以降はなおさら)、自分がやったセックスの細部を思い出そうとするのだけれど、なかなかうまく思い出せなくて呆然とする――というのが毎度のことなのですが、これは僕だけの変な癖でしょうか?「本当にアレをやったのは自分なんだろうか?」という実感の希薄さ、狐に包まれたような感覚――。別に自分の行為の責任逃れがしたいわけではないのです。なぜなら「アレ」というのは「あんな恥ずかしくて醜いこと」と「あんな素晴らしく自然なこと」という、2つの意味がミックスしたものなので。
 何処かで聞いた話によると、性や恋愛にはドーパミンという神経伝達物質、いわゆる脳内麻薬が深く関与しているとの事。そういうものがドバドバ出てハイになり、普段は主役である思考中枢などがパッパラパーになり、微妙な記憶喪失を生んでいるらしいのですが、この説明なら、自分の実感にかなり合致します(オナニー時だってそういうものは出ているのでしょうが、量が全然違う気がします。まあ僕のオナニーがあまりにカジュアルすぎるのかもしれませんが)。肉体関係を持った女スパイに決して背中を見せないゴルゴ13とか、引っ張りダコのAV男優とかは、そんな不随意なホルモンの分泌も自在にコントロールできるのかもしれないけれど、素人の僕にはとてもできる芸当ではありません。前後不覚にのめり込み、翌朝には呆然――を繰り返すしかありません
 そういう脳内麻薬の分泌は、多分幼い日の初恋の瞬間から少しずつ始まっているんでしょうね。世間では昔から「愛」と「性欲」を別のものとして考える、いわば心身二元論のようなものが多いと思うのですが、僕はずっと違和感を持っていました。
 それよりは、わりと最近になって出てきた「ドーパミン一元論(この命名自体は僕が今したものですが)」の方が、いろいろと腑に落ちることが多く、人間の真相に近いんじゃないかと(科学的論証は専門外なのでやりませんが、ただの一恋愛体験者として)思っています。
 例えば肉体関係を伴わない純愛にだって、ドーパミンによる精神的恍惚は訪れ、それは肉体的恍惚を凌駕することもあり得るでしょう。また恋愛遍歴が過剰に多い男女は、人生全体が幸せそうではない場合が多いですが、それも「極度の禁断症状に苦しむドーパミン中毒患者」と捉えれば納得がいきやすいです。恋愛を扱った美しくも悲しい伝説や文学作品の数々も、そんな単純な生理現象に還元しかねない殺伐とした考え方――。若い時は絶対に認めなかった類のものですが、この年になって自分の来し方を振り返ると、それも一理ありと思ってしまうほどに、僕も糞オヤジになったということでしょうか。
 
182 レイプについて僕の考えをまず一言で表明すれば、「レイプする男の気が知れない」ということです。「肉体的に気持ち良いわけないし、精神的にも後味悪いだけだろう」としか思えません。
(略)
 それで思うのが、「レイプは多すぎる性欲の爆発のように語られることが多いけど、本当にそうなんだろうか?」ということです。「ドーパミン一元論」を実感している僕としては、正欲とは本来恋愛の幸福感と結びつきやすい、平和志向が強いものと思われるので、どうも納得いかないのです。
 だからこう考えます――レイプの主原因は、男側の「暴力衝動や強すぎる支配欲」であり、性欲は「ダシ」に使われているだけなんじゃないか――性欲は「暴力衝動や強すぎる支配欲」という凶悪な主犯に引きずり込まれると、抵抗できなくなって手を貸してしまう、意志薄弱なボンボンーーちょうどジャイアンスネ夫みたいな関係で――。これこそ僕がイメージするレイプのメカニズムです。
 
192 とはいえ自分のやっている芸術活動に限定すれば、その条件付けをいくつかピックアップすることは可能です。まず、「お笑い」なら「笑わせる」、「政治演説」なら「特定の政治的主張を広める」、「ポルノ」なら「欲情させる」といった「単線的な目標や実用性を作品に持たせない」というルールを課しています。
 また「この世にある様々な表現様式(たとえば書道であり、テロリストの犯行声明ビデオであり、ポルノであり・・・etc.)に対し、それと同一化せず、客観視できる距離を保ち、その様式が存在するそもそもの理由や意味を吟味しつつ、こちらの考えによるオリジナルな変質をそれらに加える」という方法をしばしば採用します。
 さらに「芸術作品の制作は(性的であれ何であれ)自分の趣味嗜好を開陳する、アマチュアリズムの場ではない――表現すべきものは自分を含む”我々” 、あるいは”他者”であるべきだ」という戒めも抱いています。
 えらそうな言葉なので僕個人はあまり使いませんが、これらの態度は要するに「批評的」と言われるものかもしれません。自分が実感できる言葉で言えば、「確固たる文化的地番に立って安定/安心しないこと」「様々な文化的地番を等価に観察し、つねに疑いの気持ちを持ち続けること」「そういう態度からくる自分の空虚さに耐え、その代償として手に入る、自由やフレキシブルさや実験精神という武器を手放さない事」などが、現代における芸術の条件だと僕は思います。ちなみにこういう話は「18~19世紀あたりのヨーロッパ芸術こそ芸術」と強く思い込んでいる”自称芸術愛好家”にこそ、説明してもなかなか理解してもらえないのが悩みのタネです。
 
195 もちろん世界には「貧困を原因とした幼女の人身売買と、それに結びついたポルノ」など、具体的な被害者がいて、即座に断罪されるべき明確な悪はあります。しかしその悪はポルノ性というような曖昧なものに付随しているのではなく、児童虐待や人権侵害と言った明白な罪過に付随しているはずだと思います
 一方児童の時期を過ぎた、第二次性徴期からの数年間というもの(思春期/青春)は、男女ともに心身がアンバランスになりがちで、しかもそれは個人差が非常に大きいものです。簡単に言えば、「オマセもオクテもいる」というようなことです。この時期の人間の性というヒドく”柔らかいもの”を、言葉でできた法律という”硬い枠”に嵌めることには、根本的な困難(あるいは不可能性)が付き纏います。万人を満足させる絶対的な解答なんてあるわけない――だから議論なんて不毛と言えば不毛――と分かった上で、例えば「児童ポルノ禁止法における『児童』の定義を18歳未満とするのは妥当か否か」といった議論を重ねていくしかないわけです
 結論を先取りしていってしまえば、大切なのは「曖昧な領域の維持、あるいは創出」であることは分かっているのです。柔らかい言葉で言えば――なんとなく、ちょうどいい塩梅で、ほったらかすところはほったらかすこと――。けれどその「一見楽そうな手抜き」をやるために、この現代の民主主義に基づく法治国家では、立場がまったく異なる人々を集めた「厳密な議論」を延々と続けてゆくしかありません。曖昧を作るための方法としての厳密――何とも逆説的で難儀な話ですが――やはりやるしかないのでしょう