読んだ。 #「空気」の研究 #山本七平

読んだ。 #「空気」の研究 #山本七平
 
 
大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確な根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら「空気」なのである。従ってここでも、あらゆる議論は最後には「空気」できめられる。最終的決定を下し、「そうせざるを得なくしている」力をもっているのは一に「空気」であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。というのは、おそらくわれわれのすべてを、あらゆる議論や主張を超えて拘束している「何か」があるという証拠であって、その「何か」は、大問題から日常の問題、あるいは不意に当面した突発事故への対処に至るまで、われわれを支配している何らかの基準のはずだからである。
 
・こうなると「軍には抗命罪があり、命令には抵抗できないから」という議論は少々あやしい。むしろ日本には「抗空気罪」という罪があり、これに反すると最も軽くて「村八分」刑に処せられるからであって、これは軍人・非軍人、戦前・戦後に無関係のように思われる
 
・空気に支配された例
戦艦大和の出撃
日本版マスキー法をめぐる、車に対するバッシング
イタイイタイ病をめぐる、反公害の世論の盛り上がり
ユダヤ人と日本人で毎日人骨を運んでいたら日本人だけが病気になった
 
 
明治の啓蒙家たちは、「石ころは物質にすぎない。この物質を拝むことは迷信であり、野蛮である。文明開化の科学的態度とはそれを否定棄却すること、そのため啓蒙的科学的教育をすべきだ、そしてそれで十分だ」と考えても、「日本人が、なぜ、物質の背後に何かが臨在すると考えるのか、またなぜ何か臨在すると感じて身体的影響を受けるほど強くその影響を受けるのか。まずそれを解明すべきだ」とは考えなかった
(略)
従ってこの態度は、啓蒙的といえるが、科学的とは言いがたい
 
臨在感の支配により人間が言論・行動等を規定される第一歩は、対象の臨在感的な把握にはじまり、これは感情移入を前提とする。感情移入はすべての民族にあるが、この把握が成り立つには、感情移入を絶対化して、それを感情移入だと考えない状態にならねばならない。従ってその前提となるのは、感情移入の日常化・無意識化乃至は生活化であり、一言でいえば、それをしないと、「生きている」という実感がなくなる世界、すなわち日本的世界であらねばならないのである。
 
・一体、臨在感的把握は何によって生ずるのであろうか。一口にいえば臨在感は当然の歴史的所産であり、その存在はその存在なりに意義を持つが、それは常に歴史観的把握で再把握しないと絶対化される。そして絶対化されると、自分が逆に対象に支配されてしまう、いわば「空気」の支配が起ってしまうのである。
 
元来日本の農民は、戦争は武士のやることで自分たちは無関係の態度(日清戦争時にすらこれがあった)だったのだが、農民徴募の兵士を使う官軍側は、この無関心層を、戦争に「心理的参加」させる必要があった
 
さてここで、空気支配のもう一つの原則が明らかになったはずである。それは「対立概念で対象を把握すること」を排除することである。対立概念で対象を把握すれば、たとえそれが臨在感的把握であっても、絶対化し得ないから、対象に支配されることはありえない。それを排除しなければ、空気で人びとを支配することは不可能だからである。
 
従ってこの"KUKI"とは、プネウマ、ルーア、またはアニマに相当するものといえば、ほぼ理解されるのではないかと思う
 
私は、日本人が宗教的に寛容だという人に、この例を話す。これはどうみても寛容ではなく、ある「一点」に触れた場合は、おそるべき不寛容を示し、その人の人権も法的・基本的権利も、一切無視して当然だとするのであるそれは寛容だと見えるものも寛容ではなく、不寛容の基準が違うにすぎないことを示している
 
対象の相対性を排してこれを絶対化すると、人間は逆にその対象に支配されてしまうので、その対象を解決する自由を失ってしまう、簡単にいえば、公害を絶対化すると公害という問題は解決できなくなるのである。
 
・「やると言ったら必ずやるサ、やった以上はどこまでもやるサ」で玉砕するまでやる例も、また臨在感的把握の対象を絶えずとりかえ、その場その場の"空気"に支配されて、「時代先取り」とかいって右へ左へと一目散につっぱしるのも、結局は同じく「言必信、行必果」的「小人」だということになるであろう。大人とはおそらく、対象を相対的に把握することによって、大局をつかんでこうならない人間のことであり、ものごとの解決は、対象の相対化によって、対象から自己を自由にすることだと、知っている人間のことであろう。
 
・だが非常に困ったことに、われわれは、対象を臨在感的に把握してこれを絶対化し「言必信、行必果」なものを、純粋な立派な人間、対象を相対化するものを不純な人間と見るのである。そして、純粋と規定された人間をまた臨在感的に把握してこれを絶対化して称揚し、不純と規定された人間をもまた同じように絶対化してこれを排撃するのである。
 
一言でいえばこれが一神教の世界である。「絶対」といえる対象は一神だけだから、他のすべては徹底的に相対化され、すべては、対立概念で把握しなければ罪なのである。この世界では、相対化されない対象の存在は、原則として許されない
 
・一方われわれの世界は、一言でいえばアニミズムの世界である。この言葉は物神論(?)と訳されていると思うが、前に記したようにアニマの意味は″空気″に近い。従ってアニミズムとは″空気″主義といえる。この世界には原則的にいえば相対化はないただ絶対化の対象が無数にあり、従ってある対象を臨在感的に把握しても、その対象が次から次へと変りうるから、絶対的対象が時間的経過によって相対化できる――ただし、うまくやれば――世界なのである。
それが絶えず対象から対象へと目移りがして、しかも移った一時期はこれに呪縛されたようになり、次に別の対象に移れば前の対象はケロリと忘れるという形になるから、確かに「おっちょこちょい」に見える。だがこの世界では「おっちょこちょい」に見える状態でないと大変な事になってしまう筈である。簡単にいえば、経済成長と公害問題は相対的に把握されず、ある一時期は「成長」が絶対化され、次の瞬間には「公害」が絶対化され、少し経って「資源」が絶対化されるという形は、「熱しやすくさめやすい」とも「すぐ空気(ムード)に支配される」とも「軽佻浮薄」ともいえるであろうが、後でふりかえってその過程を見れば、結構「相対化」したような形になりうる世界である
 
われわれの社会は、常に、絶対的命題をもつ社会である。「忠君愛国」から「正直ものがバカを見ない世界であれ」に至るまで、常に何らかの命題を絶対化し、その命題を臨在感的に把握し、その“空気”で支配されてきた。そしてそれらの命題たとえば「正義は最後に勝つ」「正しいものはむくわれる」といったものは絶対であり、この絶対性にだれも疑いをもたず、そうならない社会は悪いと、戦前も戦後も信じつづけてきた。そのため、これらの命題まで対立的命題として把握して相対化している世界というものが理解できない。だがそういう世界が現実に存在するのである。否、それが日本以外の大部分の世界なのである
 
・「天皇制」とは何かを短く定義すれば、「偶像的対象への臨在感的把握に基づく感情移入によって生ずる空気的支配体制
 
偶像の存在を許さないと言うならば、その世界では、言葉の偶像化も許されず、ある言葉乃至はある命題も、相対化され、対立概念で把握されねばならない。そして絶対に相対化が許されない「神の名」は、その名が臨在感的に把握されて偶像化し、その偶像化によって偶像崇拝を招来し、逆に「神」を冒瀆する結果になる事を防ぐため、絶対に口にしてはならない筈である。確かにそうなった。ユダヤ人は神だけを絶対視するが故に、神の名を口にすることを禁じた。この禁止は絶対的であった
 
だが中東や西欧のような、滅ぼしたり滅ぼされたりが当然の国々、その決断が、常に自らと自らの集団の存在をかけたものとならざるを得ない国々およびそこに住む人びとは、「空気の支配」を当然のことのように受けいれていれば、到底存立できなかったであろう。そしておそらくこのことが、対象をも自らをも対立概念で把握することによって虚構化を防ぎ、またそれによって対象に支配されず、対象から独立して逆に対象を支配するという生き方を生んだものと思われる。そして彼らにとって、その最良の教科書はおそらく旧約聖書――すなわちその徹底的相対化の世界――だったはずである。聖書とアリストテレスで一千年鍛練するとアングロ・サクソン型民族ができるといわれるが、その最も大きな特徴は、体質的ともいえるその相対的把握であろう。
 
・だがこの相対化の原則は、人間が人間である限り、二千数百年前も現代も変らないのである。一つの命題、たとえば「公害」という命題を絶対化すれば、自分がその命題に支配されてしまうから、公害問題が解決できなくなる。「差別」という命題を絶対化すれば、自分がその命題に支配されてしまうから、差別という問題を解決できなくなる。これが最もはっきり出てきているのが太平洋戦争で「敵」という言葉が絶対化されると、その「敵」に支配されて、終始相手に振り回されているだけで、相手と自分とを自らの内に対立概念として把握して、相手と自分の双方から自由な位置に立って解決を図るということができなくなって、結局は、一億玉砕という発想になる。そしてそれは、公害をなくすため工場を絶滅し、日本を自滅さすという発想と基本的には同じ型の発想なのである。そして空気の支配がつづく限り、この発想は、手を替え品を替えて、次々に出てくるであろう。
 
 
 
 
「水=通常性」の研究
・ある一言が「水を差す」と、一瞬にしてその場の「空気」が崩壊するわけだが、その場合の「水」は通常、最も具体的な目前の障害を意味し、それを口にすることによって、即座に人びとを現実に引きもどすことを意味している
 
・われわれの通常性とは、一言で言えばこの「水」の連続、すなわち一種の「雨」なのであり、この「雨」がいわば”現実”であって、しとしと降りつづく”現実雨”に、「水を差し」つづけられることによって、現実を保持しているわけである。したがってこれが口にできないと”空気”決定だけになる。先日日銀を退職した先輩によると、太平洋戦争の前にすでに日本は「先立つもの」がなかったそうである。また石油という「先立つもの」もなかった。だが誰もそれを口にしなかった。差す「水」はあった。だが差せなかったわけで、ここで”空気”が全体を拘束する。したがって「全体空気拘束主義者」は「水を差す者」を罵言で沈黙させるのが普通である。
 
情況倫理:「あの情況ではああするのが正しいが、この情況ではこうするのが正しい」「当時の情況も知らず、その情況を欠落させ、いまの(情況下の)基準でとやかく言うのは見当違いだ、当時の情況ではああせざるを得なかった。従って非難さるべきは、ああせざるを得ない情況をつくり出した者だ」といった種類の一連の倫理観とその基準である。この論理は、「当時の空気では・・・・・・」「あの時代の空気も知らずに・・・・・・」と同じ論理だが、言っている内容はその逆で、当時の実情すなわち、対応すべき現実のことである。従って空気の拘束でなく、客観的情況乃至は、客観的情況と称する状態の拘束である。従って"空気"と違って、その状態を論理的に説明できるわけである。
 
・「情況に対する自分の対応の仕方は正しかった」従ってその対応の結果自動的に生じた自分の行為は正しかった、それを正しくないというなら、その責任は「自分が正しく対応しなければならなかった」苛烈な情況を生み出した者にあるのだから、責任を追及されるべきはその者であって、自分ではない、という論理である。
 そしてこの考え方の背後にあるものは実は一種の「自己無謬性」乃至は「無責任性」の主張であり、情況の創出には自己もまた参加したのだという最小限の意識さえ完全に欠如している状態なのである。そしてこれは自己の意志の否定であり、従って自己の行為への責任の否定である。そのため、この考え方をする者は、同じ情況に置かれても、それへの対応は個人個人でみな違う、その違いは、各個人の自らの意志に基づく決断であることを、絶対に認めようとせず、人間は一定の情況に対して、平等かつ等質に反応するものと規定してしまう。これは後述する「日本的平等主義」に起因しているであろう。
 
固定的規範というものは、人間を規定する尺度でありながら、実は、人間がこれに関与してはならないのが原則であり、従って、きわめて「非人間的」であり、また非人間的であることを要請される。もちろん、尺度というものは、常に非人間的であり、人間が自分の方からこれに触れることが不可能であるがゆえに人間が使用できる尺度となりえて、平等に人間を規制しうる。これがその考え方の基本であって、この基礎は、古代における「計り」の神聖視や神授による倫理的規範の絶対化――たとえばモーセ十戒――から、メートル法やさまざまの必然論にまで一貫している考え方である。
 
われわれはこの行き方を、明治以降、さまざまな言葉で本能的に拒否してきた確かにわれわれはメートル法ぐらいなら耐えられる。しかしメートル法を造り出した精神には耐え得ない。それは「なぜ、センチとキロとリットルの間に関連がなければならないのか、尺・貫・升の間にはそういった関連はないが、生活を尺度の基準にすれば、いわば『人間』を基準にすれば、それで十分であって、そういう関連を一つの『宇宙的・超越的基準』から算出していきそれで人間を規制する必要はないではないか」と問われれば、これに対してその理由を明確に答えうる者はいない点から見ても明らかであろう。ましてこれが人間の倫理的規範になった場合、「なぜそれが必要か」と問われれば、それを答えうる日本人はいないはずである。事実われわれは、まるでバベルの塔のように構築された体系という名の言葉の構築物を見た場合、また、生活の最末端まで際なく律したユダヤ教の律法を見た場合、見ただけで一種の拒否反応を起すのが普通である。
 
情況倫理は情況を設定しうる一定の基盤がないと成り立たない。一君万民の原則、簡単にいえば、一教師・オール3生徒であれ、一委員長・オール3党員であれ、一会長・オール3会員であれ、一つの固定集団が一定の情況を創造しなければ成立し得ないわけである。この点、情況倫理とは、集団倫理であっても個人倫理ではなく、この考え方は、基本的には自由主義とも個別主義とも相いれない。そしてそういう意味では、一種の「滅私的平等」の倫理であり、そのことは「オール3」という評価法にそのまま表われている。
 
孔子は確かに相手に対して誠実であった。諸侯の一人に仕えた以上、彼はそれに対して、忠誠であったが、しかしこの関係はあくまでも相対的な「君君たらずんば、臣臣たらず」といった関係で、いわば両者の関係は信義誠実を基にすべきことであるといった契約的な意味の誠実さで、これがおそらく「忠」という概念であろう。彼にとって、この「忠」という概念と、血縁といういかんともしがたい非契約的な秩序の基本である「孝」とは、あくまでも別概念であったろう。別概念だからこそ、別々の言葉で表現され、この二つを同一視すれば、とんでもない社会を招来してしまうと考えたはずである。従って前述のように、父子ではない会社や組合といった組織にまで父子の倫理を拡大してこれを儒教と呼べば、彼自身が激怒して反対したかもしれぬ。もっともこの点には複雑な問題があると思うので、以上の規定は一応、変形された「日本的儒教」と呼ぶべきものと考えよう。
 言うまでもなく、三十年前までの日本は、「忠孝一致」で「孝」を組織へと拡大化した状態を「忠」と呼び、「君、君たらずとも臣は臣たれ」を当然とした社会であった。これは徳川時代には封建諸侯への臣従を絶対化するイデオロギーであったが、明治以降はこれが極限まで拡大され、その極限におかれたのが天皇であった
 
・三十年前、一学期に黒板に「大和魂」と書いた教師が二学期に黒板に「民主主義」と書いたからといって、何かの変化が起るはずはない。教師も生徒も、その通常性(日常性)においては数カ月前のままであるのが当然である。変ったものは、この通常性の上に立っていた一つの虚構、孔子における「父と子」の間のような「直きこと」、簡単にいえば虚構の応酬の中の一世界のタイプの変更だけである。古い虚構も新しい虚構もともに虚構だから、黒板の文字を書きかえればそれですむ。だが、もしわれわれが、本当に「通常性の規範を変えろ」と言われたら、到底、そんな簡単なわけにはいかない
 
アメリカが「民主」を棄却して「自由」だけをもたらし、全く自由のままに日本を放置しておいたならば、数百年の伝統をもつ規範がそのまま社会秩序となって行ったであろう。言うまでもなくそれは日本的儒教的規範の世界――いわば一君万民の情況倫理の世界である。そしてこの世界は、エレミヤ的伝統をもつ世界と、その文化的規範が違って当然だから、自由にしておけば自分で自由を失うという結果になって不思議ではない。そのため、自由にしていて自由を失うまいとすれば、「一君万民・オール3的、事実を口にしないことが真実」というすべての組織から脱落する以外になくなるが、脱落とはいわば勘当であり、勘当されたものは一切の権利を実質的に失うから、また自由を失ってしまうわけであるそのため戦後三十年、いまの日本人にとって、全く扱いづらい概念になってしまったのが、実は「自由」という概念なのである
 
・戦前の日本の軍部と右翼が、絶対に許すべからざる存在と考えたのはむしろ「自由主義者」であって、必ずしも「社会主義者」ではない社会主義は、ただ方向を誤っただけで、彼らの意図そのものは必ずしも誤りでないから、方向さえ変えさせれば、いわば転向さえすれば有能な「国士」になると彼らは考えていた。
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だが彼らは、自由主義者は、箸にも棒にもかからぬ存在と考えていた。この考え方は、青年将校などにも明確にあり、自由主義者とは「転向のさせようがない人間」いわば、彼らにとっては、「救いがたい連中」だったわけである。では彼らはどういう人間を「自由主義者」と規定したのか。簡単にいえば、あった事実をあったといい、見たことを見たといい、それが真実だと信じている、きわめて単純率直な人間のことである。なぜ、彼らはそれを嫌ったか。それは、今までのべてきた「父と子の相互隠蔽」の規範を、組織の規範とした場合、上記の原則が逆用されて、それが忠誠への尺度となるからである。従って、彼らは”自由主義者"を何事に対しても「不忠」な「一切の組織に不適合」な人間だから、信頼できかねると感じたわけである。
 
・「水を差す」通常性がもたらす情況倫理の世界は、最終的にはこの「空気支配」に到達するのである
 
言うまでもないが、天皇がただの人にすぎないことは、当時の日本人は全員がそれを知っていた。知っていたが、それを口にしないことに正義と信実があり、それを口にすれば、正義と信実がないことになる、と言うことも知っていた。一言でいえば、それを口にする者は非国民すなわち「日本人ではない」ということなのである。
 
事実を相互に隠し合うことの中に真実がある」という原則
 
ただ問題は、この秩序を維持しようとするなら、すべての集団は「劇場の如き閉鎖性」をもたねばならず、従って集団は閉鎖集団となり、そして全日本をこの秩序でおおうつもりなら、必然的に鎖国とならざるを得ないという点である。鎖国は最近ではいろいろと論じられているが、その最大の眼目は、情報統制であり、この点では現在の日本と、基本的には差はない
 
そしてその時にそれから脱却しうる唯一の道は、前述のあらゆる拘束を自らの意志で断ち切った「思考の自由」と、それに基づく模索だけである。まず〝空気"から脱却し、通常性的規範から脱し、「自由」になること。この結論は、だれが「思わず笑い出そう」と、それしか方法はないそしてそれを行ないうる前提は、一体全体、自分の精神を拘束しているものが何なのか、それを徹底的に探究することであり、すべてはここに始まる
 
「空気」も「水」も、情況論理と情況倫理の日本的世界で生れてきたわれわれの精神生活の「糧(かて)」と言えるのである。空気と水、これは実にすばらしい表現と言わねばならない。というのは、空気と水なしに人間が生活できないように「空気」と「水」なしには、われわれの精神は生きて行くことができないからである。
 その証拠に戦争直後、「自由」について語った多くの人の言葉は結局「いつでも水が差せる自由」を行使しうる「空気」を醸成することに専念しているからである。そしてその「空気」にも「水」が差せることは忘れているという点で、結局は空気と水しかないからである
 
 
 
 
われわれは情況を提示され、それを臨在感的に把握すればその情況に対応して「頭を切替えてしまう」から、進化論の講義など必要ない
 
ピルグリム父祖が神政制(セオクラシ―)を求めたのか民主制(デモクラシー)を求めたのか、といった質問自体が、ミュンツァーへのその質問同様、無意味なものとなってくるであろう。いわば彼らにとって、一つの合理性追求と聖書絶対は一体になっているのであって、それを一体化し合理的組織的思考体系となしうるために神学が要請されているわけである。従って合理性と聖書的神政制とは、宗教と科学という形で必ずしも対立しているのでなく、一方の追求は究極的には一方の成就という発想になる。これは科学者のファンダメンタリストにほぼ共通しており、これはピューリタンのものの考え方に起因しているように思われる。
 
合理性追求の“力”は非合理性であり、その非合理を去勢すれば合理性の追求は結局「言葉の遊戯」になり、その遊戯において「言葉の辻褄」は合ってもそれが現実に作動しないことは、宗教改革以来の原則ではなかったのか?もし合理性の論理的追求だけで十分なら、ミュンツァーは存在し得ないし、それは、ピルグリムを、ロビンソンの「神勅」をもってアメリカに押し出す力もなかったであろう。彼らのこの力を、新約聖書以来のゼロータイ(熱心党)的要素――それはエズラに起因するであろう――と考えるなら、合理性なるものは所詮これへの制御装置にすぎず、合理性自体は、何かを説明はし得ても、何も動かしうるはずがない。従って動かそうという「改革」なら、彼らが「ファンディ」にそれを求めて不思議ではあるまい。
 
・「法」は、ミュンツァーを生み出さず、千年至福的エネルギーで市民革命を追求するという衝動を起させない。というのは「法」はいわば合理性の象徴であり、それは非合理性の"制御”とはなり得ても、それ自体が、何かを改革さすか、あるいは自らを破滅さかの“力”とはなり得ないからである。従って「不磨の大典」あるいは「平和憲法」を守るという意識自体が、その制御装置がある"力"に破られるか、一部破られているか、いまに全部破られそうだという意識ではあっても、一つの新しい合理性への追求に、一つの非合理性が“力”として作用しているから、その"力”には新しい合理性という新しい制御装置が必要だという意識ではない。
 おそらくこの辺が、われわれの「ファンディ」であろう。
 
・空気を醸成し、水を差し、水という雨が体系的思想を全部腐食して解体し、それぞれを自らの通常性の中に解体吸収しつつ、その表面に出ている「言葉」は相矛盾するものを平然と併存させておける状態なのである。これが恐らくわれわれのあらゆる体制の背後にある神政制だが、この神政制の基礎はおそらく汎神論(パンテイズム)であり、従ってそれは汎神論的神政制と呼ばれるべきものである。
 そしてわれわれは、そういう形の併存において矛盾を感じないわけである。これがわれわれの根本主義であろう。
 
・日本人は「情況を臨在感的に把握し、それによってその情況に逆に支配されることによって動き、これが起る以前にその情況の到来を論理的体系的に論証してもそれでは動かないが、瞬間的に情況に対応できる点では天才的」という意味のことを、中根千枝氏は大変に面白い言葉で要約している。「熱いものにさわって、ジュッといって反射的にとびのくまでは、それが熱いといくら説明しても受けつけない。しかし、ジュッといったときの対応は実に巧みで、大けがはしない」と。
 
・簡単にいえば原子力発電について三、四時間かけて正確な情報を提供し、相手の質問にも応じ、相手は完全に納得したはずなのに、相手はそれで態度は変えない。そして、いまの説明を否定するかの如く見える一枚の写真を見せられると、その方に反応してしまうという
 
・「人は未来に触れられず、未来は言葉でしか構成できない。しかしわれわれは、この言葉で構成された未来を、一つの実感をもって把握し、これに現実的に対処すべく心的転換を行なうことができない」ということになるであろう。臨在感的把握は、それが臨在しない限り把握できないから、これは当然のことと言わねばならない。
 同時にわれわれは、自らの手で、このような形で言葉を構成したことはなかった。言葉は常に黙示的伝達の手段であった。これは、日本の批評にも現われており、論争の際でも相手の言葉の内容を批評せずに、相手に対するある種の描写の積み重ねで、何らかの印象を読者すなわち第三者に与え、その印象に相手を対応さすことによって、その論争に決着をつけてしまおうとする。この結果生じたのが「世界で最も罵詈讒謗(ばりざんぼう)に弱い」という批評をうける状態であった。いわばある種の情況を創出されることを極端に恐れ、その情況による人びとの心的転換を恐れるという態度である。ただこれも「空気」が消えれば消え、従って、論証によってより正確な未来を言葉で構成することを不可能にしている。それがさらに、人びとが「言葉による未来の構成」を実感しないという悪循環を生んだ。一方、これではどうにもならぬということに気づいて「否応なく未来の予測を必要とする集団」たとえば企業などは、自らを一種の鎖国状態におき、その密室内だけで、自らの内で通用する言葉だけで自己の未来を構成し、その構成された未来と現状との間で事を処理するという傾向も生んだ。それがまたその閉鎖集団内部の私的信義に基づく忠誠を醸成し、「父と子の隠し合い」の倫理をますます強固にしていく。
 
・「全工場をストップすれば一体どんなことになるか、小学生でもわかることがなぜわからなかったのか
 
・「空気支配」の歴史は、いつごろから始まったのであろうか?もちろんその根は臨在感的把握そのものにあったのだが、猛威を振い出したのはおそらく近代化進行期で、徳川時代と明治初期には、少なくとも指導者には「空気」に支配されることを「恥」とする一面があったと思われる。「いやしくも男子たるものが、その場の空気に支配されて軽挙妄動するとは」といった言葉に表われているように、人間とは「空気」に支配されてはならない存在であっても「いまの空気では仕方がない」と言ってよい存在ではなかったはずである。ところが昭和期に入るとともに「空気」の拘束力はしだいに強くなり、いつしか「その場の空気」「あの時代の空気」を、一種の不可抗力的拘束と考えるようになり、同時にそれに拘束されたことの証明が、個人の責任を免除するとさえ考えられるに至った。
 
・現代でも抵抗がないわけではない。だが「水を差す」という通常性的空気排除の原則は結局、同根の別作用による空気の転位であっても抵抗ではない。従って別「空気」への転位への抵抗が、現「空気」の維持・持続の強要という形で表われ、それが逆に空気支配の正当化を生むという悪循環を招来した。従って今では空気への抵抗そのものが罪悪視されるに至っている。これはロッキード事件で絶えず言われた「うやむやにするな」という言葉にも表われている。これはロッキード糾弾の「空気」をあくまでも維持せよとの主張と思うが、それでも結局「うやむや」になる。では一体なぜ「うやむや」になるのかは、稿を新たにして「うやむやの研究」として取り組むべき問題だが、この「うやむや化の原則」は、もちろん「空気と水」の関係に基づいている。
ロッキード徹底追究」という「空気」には、否応なく「通常性の水」を差される。これはだれかが意識的に「水」を差そうとしなくても、「徹底追究」を叫ぶ人の通常性自体がその叫びに「水」を差しているのだから、その人が日本の通常性に生きている限り、その「空気」を「追究完了」まで持続さすことはできない。それは今太閤ブームを持続さすことができないのと同じである。
 
一体なぜ、キリシタンがいけないのか。その結論は一言でいえば、儒教を基にした日本的序列的集団主義に反するからであろう。個人が「天」と直結することは許されず、個人は常に自己の所属する集団を「天」とし、その集団はさらに上層の集団を「天」とし、人には「二尊」があってはならない、もしそれを認めれば一切の秩序が崩壊するから、キリシタンはいけない。これが彼の結論である
 これから見れば、西欧には常に「二尊」があったといえる。個人は「天」に直結するのが当然であり、人は常に個人として神と対面しているものとして規定されていた。「ヤハウェの顔は避けることはできない」で、人は神との対面を避けることができないわけである。と同時にこのことは、白石がシドチの中に「二人の言」を聞く結果でもあり、同時にわれわれが根本主義者の中に、「二人の言」を聞く理由である。
 そして彼らは常にこの「二人の言」を意識し、それをいかに自らの人格の中に結合さすかを考え、絶えずその緊張関係に生きてきた。これはミュンツァーにもルターにもピューリタンにも、二千年前のゼロータイにもあった。一方われわれの中にも「二人の言」はあったし、今もあるはずなのである。ただ常にそれを意識せず「現人神と進化論」と言われた途端に、この白石的な「天」と「西欧近代思想」との「二人の言」を全く意識していなかったことに気づくわけである。なぜ意識しないか。それが実は臨在感的把握の基本的な問題である。いわば対象に面した瞬間にそれに感情移入することによって、対象に完全に支配されるから、その時々その方向において「一人の言」しかその心にもっていないわけである。そしてそれはまた集団の中でも「二人の言」をもち得ず、完全に空気に拘束されてしまう理由であり、同時に、その体制化として「隠し合い」の倫理があるわけである。
 ただ過去において日本は、儒教的道徳体系が、少なくとも精神的体系としては、存在する国であった。人びとは基本的にはこの体系に生き、この体系の中で自己を位置づけていたから、集団がこの体系にそくしている限り、「二人の言」はあり得なかった。しかし集団が「空気」に支配されて、自己の道徳的体系とは相いれぬ決定をしたとき、その人は「その場の空気に動かされず」に自己の内なる体系の定められた場所に自己を位置づけるという形で、一種の「二人の人」であり得た。そしてその体系を維持しつつ「賢なる部分」を導入することが明治以来の一貫した行き方になり、この点で日本は未だに「白石路線」の延長線上にある。だがこの「賢なる部分」と「愚なる部分」は実は一人格であり、白石が排除した「愚なる部分」は、文字通りに「愚」に形を変えて混入して来ることは、所詮避けられないことであった。西欧文明を積極的に導入しながら「西洋かぶれ」を戒め、白石が「形而上・形而下」と分けたような形で「日本の精神文明・西欧の物質文明」といった奇妙な分け方で、「物質文明では彼らに劣るが、精神文明では彼らに優る」と規定することによって、「愚なる部分」を排除しようとしても、「一人格内の賢愚分別」は、もともと無理な命題である。それはシドチはあくまでシドチという一人間として日本にやって来た以上、当然のことであろう。
 この辺がわれわれの根本(ファンド)で、われわれがもし本当に「進歩」を考えるなら、この点の再把握を出発点とすべきであろう。もちろん「白石にもどれ」と言ったところで、それは、現在のアメリカがピルグリム父祖の時代にもどると同様に、それ以上に不可能なことである。われわれは戦後、自らの内なる儒教的精神的体系を「伝統的な愚の部分」としてすでに表面的には一掃したから、残っているのは「空気」だけ。「現人神と進化論」といった形で自己を検証することはすでにできず、そのため、自らが従っている規範がいかなる伝統に基づいているかさえ把握できない。従ってそれが現実にわれわれにどう作用し、どう拘束しているかさえ、明らかでないから、何かに拘束されてもその対象は空気の如くに捉え得ず、あるときはまるで「本能」のように各人の身についているという形で人びとを拘束している。これは公害問題などで、"科学上の問題”の最終的決定が別の基準で決定されていることにも表われているであろう。
 結局、民主主義の名の下に「消した」ものが、一応は消えてみえても、実体は目に見えぬ空気と透明の水に化してわれわれを拘束している。いかにしてその呪縛を解き、それから脱却するか。それにはそれを再把握すること。それだけが、それからの脱却の道である。人は、何かを把握したとき、今まで自己を拘束していたものを逆に自分で拘束し得て、すでに別の位置へと一歩進んでいるのである。人が「空気」を本当に把握し得たとき、その人は空気の拘束から脱却している
 人間の進歩は常にこのように遅々たる一歩の積み重ねであり、それ以外に進歩はあり得ない。本書によって人びとが自己を拘束している「空気」を把握し得、それによってその拘束から脱却したならば、この奇妙な研究の目的への第一歩が踏み出されたわけである。どうか本書が、そのために役立ってほしいと思う。
 
 
一年三百六十五日、太陽が照りつける砂漠に住む人々は、神と自分の関係をこのように実感する筈で、それがイスラエルやアラブにおけるエホバや中国における天の思想になっているに違いない
 しかし、一年中雨が多く曇天つづきの日本では天から見られているという実感は少ない。中国からの輸入思想である「天知る、地知る、我知る」とか、「お天道様に相すまない」とかの考えは何時しか風化し、カビが生えて、自分一人位は何をしていても分るまいという土着の考えに吸収されてしまう。多分山が多く森林がすべての動物をおおいかくしてしまう日本の風土がそう考えさせるのである
 一神教多神教の差は「髪の毛まで算えられている」と思うか否かの差なのだろう。
 一神教を信じる人からみると、日本人はいつも仲間に付和雷同して互いの「空気」の中に生きることを何とも思わないらしいが、そんなことで最後の審判の時には何と言って神に申し開きするのか、と心配であるに違いない。
 しかし我々にそんな心配は分らない。魚が水を意識しないように我々は日本の「空気」を意識しない。