読んだ。 #核兵器のない世界へ 勇気ある平和国家の志 #岸田文雄

読んだ。 #核兵器のない世界へ 勇気ある平和国家の志 #岸田文雄
 
 
はじめに
 
 
第1章   故郷・広島への想い
生い立ちと家族
ニューヨーク時代
四賢人のビジョン
27 もちろん、オバマは彼なりの「理想主義」だけではなく、「現実主義」に根差した言葉も演説の中に散りばめています。「世界に核兵器が存在する間、米国は安全な方法で核兵器を維持する。敵を抑止し、同盟国に安全を保障するためだ」という部分はその最たる例と言えるでしょう。これ以外にもオバマは「時間はかかるが、世界を変革できることを信じている」と述べています。つまり、「自分の生きている間に核全廃は難しい」という、極めて当然であり、かつ、リアリスティックなメッセージも伝えているのです。
 
29 オバマが朧げに示した核全廃に関する道筋に関連して、ペリーらはかつて「三つのステップ」という考え方も示しています。
 最初のステップはオバマ自身も強調していますが、米国とロシア両国が新しい核軍縮交渉を始めるということです。そして、第二のステップでは米ロ両国がその保有核弾頭数を現在の数千発レベルから数百発レベルまでに圧縮していくことを想定していました。
 これと並行して、米ロ以外の核保有国(P5)、つまり、英国、フランス、中国に対しても現状以上に保有核弾頭数を増やさないことや、独自の核軍縮プランの策定を求めるという考えもあったようです。さらに「新興核保有国」であるインド、パキスタンの両国にも核戦力の現状維持を促すことも必須条件とみていました。
 そして最後の第三ステップとなります。それは未来の人類社会が構築するであろう新しい国際政治環境・システムに応じて、核保有国が追加的な核削減努力を行い、核全廃に近づけていくというものです。
 
・「核不拡散・核軍縮に関する国際委員会」、通称「川口・エバンズ委員会」
 
・包括的核実験禁止条約(CTBT)
包括的核実験禁止条約は,宇宙空間,大気圏内水中,地下を含むあらゆる空間における核兵器の実験的爆発及び他の核爆発を禁止しています。2019年末の時点で184か国が署名,168か国が批准しています。条約の発効に必要な国として特定された44か国のうち,5か国(中国,エジプト,イラン,イスラエル,米国)の未批准並びに3か国(インド,パキスタン北朝鮮)の未署名が続いているため,条約は発効していません
一方,核兵器保有国のフランス,ロシア及び英国は条約に批准しており,フランスと英国は核実験場も閉鎖しています
 
・カットオフ条約 「核兵器核分裂性物質生産禁止条約」の通称
 
分断から協調へ
37 この時、オバマは「軍事紛争の犠牲に心を痛めながら(授賞式に)来た」とその心情を率直に吐露しています。当時、オバマは米軍の最高司令官として三万人の増派を柱にした対アフガニスタン新戦略を発表したばかりでした。そうした事情を背景に、米国内外はオバマによる受賞の是非について様々な意見が飛び交っていたのです。
 演説の中で、オバマはまず、今回の受賞理由である「核なき世界」の実現について「私の外交政策の中心を占めるものだ」と言明。核兵器の拡散防止と同時に、世界規模での核軍縮を推進していく意思を改めて示しています。
 同時に、オバマは自身と同じく平和賞を受賞した米国の黒人公民権運動指導者、マーティン・ルーサー・キング牧師がその受賞演説で「暴力は決して恒久的な平和をもたらさない」と語った言葉にふれながら「非暴力主義」だけで国家は指導できないという、現実的な見方も開陳して見せました。
 
38 米軍の最高指導者、言いかえれば世界で最もシビアなリアリストとしての「顔」も見せなければならないオバマは、演説の中で敢えて「時に軍事力が必要だと考えるのは、歴史や人間の不完全性、道理の限界を認識するからなのだ」と述べ、現実の国際政治が数多くの厳しい現実に向き合わなければならないことを言外ににじませています
 授賞式の後に開かれた晩餐会のスピーチでは、オバマは「持続的な平和を子どもたちの世代に残すためにすべての人々がすべきことがある」などと述べ、本来の理想主義的な決意も新たにしています。一方で、受賞演説では「戦争という手段には平和を維持するという役割もある」と言明し、「『核なき世界』を提唱する夢想家」というレッテル貼りには強く抵抗を示して見せました。アメリカ合衆国大統領という「機関」を体現する身として、おそらく、オバマはギリギリの均衡点を探っていたのでしょう
 
運命の訪問
42 オバマ大統領による広島訪問の実現について、最も貢献した人物は誰なのでしょうか――。
 そう問われれば、私は迷わず、最初にキャロライン・ケネディ駐日米大使の名前を挙げます。
(略)
 もう一人、私にとってだけでなく、日本にとってかけがえのない「援軍」となってくれたのが、ジョン・ケリー国務長官(当時)です。
(略)
 もう一人、オバマ大統領による広島訪問を実現させた功労者として、忘れてはならない人物がいます。それはほかならぬ、安倍晋三首相です。
 
53 「広島市民の多くは『謝って欲しい』とは言っていない。そうではなく、あの悲劇を繰り返してはならない。核廃絶を最大の核保有国である米国の現職大統領に訴えてほしい。未来に向けて、『核のない世界』を目指すための一歩として是非、オバマ大統領による訪問を実現させてほしい」
 
 沖縄県で発生した米軍族の男による日本人女性の死体遺棄事件。
 
58 こうした米国の意見に対して、私は水面下での外交交渉で真っ向から反論しました。その当時の思いは今も微動だにしていません。
 「資料館に展示されている貴重な資料を見て、被爆の実相にふれなければ、その後の演説も献花も意味合いは半減してしまう」
 私は何度となくそう主張し、米側を粘り強く説得しました。今、振り返ってみれば、オバマ大統領自らが資料館を訪れて、被爆の実相に触れることで「『核のない世界』を実現しなければならない」というより強いメッセージを世界に向けて発信してもらいたい、という衝動が私を強く突き動かしていたのだと思います。
 
 59 その思いが通じたのか、幸いにもオバマ大統領は最終的に資料館に足を運ぶことに同意してくれました。館内では事前に志賀賢治館長と相談して、特別に展示順を変えたいくつかの展示物をオバマ大統領に直接、見てもらいました。
 この時、私は広島出身の外務大臣として、オバマ大統領に対する「説明役」を安倍晋三首相から仰せつかっていました。ただ、誠に申し訳ないのですが、この際、オバマ大統領が、「何を見て、それらに対して、どのような反応を見せたか」といったことについては日米両国政府間の申し合わせにより、一切公開しないことになっています。ですから、ここでも詳細については残念ながら、紹介することはできません。
 約十分という短い滞在時間の中で、本当に伝えたいエッセンスを理解してもらうため、資料館のスタッフたちが特別に並べた展示品について、私は誠心誠意、英語で直接、オバマ大統領に説明しました。その際もできるだけ客観的な説明になるように細心の注意を払ったことは今でも記憶に鮮明です。
 唯一言えるのは、記念館でオバマ大統領が特に関心を寄せたのが、被爆後に闘病生活をつづけながら、わずか12歳で白血病を患い、この世を去った佐々木禎子さんがその短い間に紡いだ物語だったということです。
 
「71年前の雲一つない晴れた朝、空から死が降ってきて、世界は一変した。閃光(せんこう)と火の壁が街を破壊した。そして人類が自らを滅ぼす手段を持ったことを明示した。
 
 なぜわれわれはこの地、広島にやって来るのか。そう遠くない過去に放たれた恐ろしい力について思案するために来るのだ。10万人以上の日本人の男性、女性、子どもたち、数千人の朝鮮人、十数人の米国人捕虜を含む死者を悼むために来るのだ。彼らの魂は私たちに話し掛ける。そして彼らは私たちに内面を見つめるように求め、私たちは何者なのか、何者になるかもしれないのかを見定めるよう求めるのだ。
 
だから私たちはこの場所に来る。私たちはここ、この街の真ん中に立ち、原爆投下の瞬間を想像せずにはいられない。目の当たりにしたことに混乱した子供たちの恐怖を感じずにはいられない。われわれは声なき叫びに耳を傾ける。あのひどい戦争、これまで起きた戦争、そしてこれから起きる戦争で命を落とす全ての罪のない人々のことを忘れない。単なる言葉だけでこれらの苦しみを表すことはできない。しかし、私たちには歴史を直視し、こうした苦しみを食い止めるために何をしなければならないかを自問する共通の責任がある。
 
 いつの日か、ヒバクシャの証言の声は聞けなくなるだろう。しかし、1945年8月6日の朝の記憶は決して薄れさせてはならない。その記憶のおかげで、私たちは自己満足と戦うことができる。その記憶が私たちの道義的な想像力をたくましくしてくれる。その記憶が私たちに変化を促してくれる。
 
 そしてあの運命の日以来、私たちは希望を持てる選択をしてきた。米国と日本は同盟を構築しただけでなく、戦争を通して得られたものよりもはるかに多くのものを私たちにもたらした友情も築き上げた。~」
 
 
第2章 保守本流の矜持
67 「宏池会」の名は、後漢の学者・馬融の「高光の榭(うてな)に休息し、以て宏池に臨む」という一文(出典は『広成頌』)から、陽明学安岡正篤命名したものである。池田勇人の「池」の字、池田の出身地である広島の「ひろ」を「宏」に掛けているともいわれる。
 
 「悠然としていて、何ごとがあっても動じない様子」
 
 思想や生活にも、生命を重んじ自由を尊ぶ老荘的傾向→リベラル
 
1 池田勇人 池田派 1957年 - 1965年
2 前尾繁三郎 前尾派 1965年 - 1971年
3 大平正芳 大平派 1971年 - 1980年
4 鈴木善幸 鈴木派 1980年 - 1986年
5 宮澤喜一 宮澤派 1986年 - 1998年
6 加藤紘一 加藤派 1998年 - 2001年
 
- 分裂※1 加藤派→小里派谷垣派
 
7 堀内光雄 堀内派 2001年 - 2006年
8 古賀誠※2 古賀派 2006年 - 2012年
9 岸田文雄 岸田派 2012年 -
 
広島県というルーツ
 
70 ここからはかなり、ローカルな話になりますが、池田家といえば広島の竹原市、一方の宮澤家は広島の福山市というのが地元でのイメージです。それに対して、岸田家は広島市をホームタウンとしています。つまり、わたしは被爆広島市出身の国会議員としては史上、初めての外務大臣でもあったと自負しているわけです。
 
戦後保守の源流

派閥の変容

×は断絶、()は離脱、「」は正式名称、【 】は現存する通称である[3]
 
73 1955年、日本民主党自由党が合流して一つの政党になる、いわゆる「保守合同」が実現しました。戦後・日本にとって極めて重要な出来事となった、この保守合同が行われる前に吉田茂が率いた「吉田学校」といわれる人脈が宏池会の源流なのです。
 
74 サンフランシスコ講和条約の正式名称は「日本国との平和条約」です。その意味するところは、日本国と連合国との間で第二次世界大戦終結させるために結ばれた平和条約であるということです。
 
75 全面降伏を認め、ポツダム宣言を受け入れた日本にとって、その後の国家的彼岸は平和を希求する国際社会の一員として、正式のその場に復帰することでした。そして、前述しているように1952年春、吉田首相はそのグランド・デザインに沿う形で、サンフランシスコで世界との「講和条約」を発効させることに成功したのです。
 このように日本を取り巻く国際情勢が急速に変化するのに連動して、日本国内の政治風景・事情も徐々に変わり始めていました。具体的にいえば、GHQによって戦後、日本の政界から「公職追放」の名の下、遠ざけられていた保守政治家の多くがその解除処置を受け、政界に復帰してきたのです。
 その代表格こそ、この頃、日本民主党の総裁に返り咲いていた鳩山一郎でした。ちなみに、鳩山一郎は平成時代に自民党から政権奪取に成功した民主党(当時)の初代党首、鳩山由紀夫の祖父にあたります。
 戦後間もないころ、鳩山と吉田はともに日本自由党という政党に所属していた時期がありました。日本自由党を結党する際、その中核的だった鳩山は1946年の総選挙で日本自由党が第一党の座を確保すると、内閣総理大臣就任が確実視されました。ところが、鳩山はGHQ GHQによって公職追放処分になり、やむなく、元外交官の吉田を後継総裁に指名したのです。そうした経緯を経ながらも、やがて二人は思想・信条の違いからお互いに距離を置き、袂を分かっていくのです。
 その後、鳩山ら追放解除者、あるいは「戦前保守派」と吉田ら「戦後保守派」の政治対立は、やがて誰の目にもわかるほど激しくなりました。鳩山・吉田という二人の個性的なリーダーの間に生じた個人的な確執は、その両派の対立を象徴するものといえるでしょう。
 
77 大雑把に整理すると、現在の日本政界において、吉田・自由党の流れを汲むのは私が所属する自民党宏池会であり、鳩山・日本民主党系の流れを受け継いでいるのが安倍晋三首相を輩出した自民党・清和会と言えます。
 鳩山率いる政治勢力は「戦前保守」の主流であり、当時から、自主憲法の制定と再軍備を政治的課題に掲げていました。これに対して、吉田、池田らのグループは徹底した現実主義(リアリズム)に基づき、敗戦で疲弊していた日本を再起させるため、軍備の再増強は脇において、戦争で疲弊しきっていた経済再生を国家として最優先事項に据える戦略、いわゆる「吉田ドクトリン」を構築していくのです。
 
吉田ドクトリン
78 すると米外交のトップ、ディーン・アチソン国務長官はその二か月後、想定外の外交攻勢を仕掛けてきました。ソビエト連邦の「南下政策」や、中国共産党の勢力拡大を受け、アチソン長官は側近だったジョン・フォスター・ダレス特使を通じて、一度は徹底した非武装を求めていた日本に対して、突然、「再軍備」を要請してきたのです。これに対して、吉田・池田の指定コンビは真っ向から抵抗し、米国の要求を退けました。
 「そのとき、ダレス氏は、日本の安全保障の問題について、日本が軍備を持たない状況をつづけることは、当時の国際情勢からしてとうてい許されることではないから、講和独立の要件として、日本の再軍備を主張した」
 吉田はその著書「日本を決定した百年」の中で、当時の様子をこう回想しています。当時、米側の狙いを十分悟った上で吉田はこう続けています。
 「しかし、この再軍備に私は正面から反対した。なぜなら、日本はまだ経済的に復興していなかった。それどころか、すでに述べたように、当時の日本の経済自立のための対乏生活を国民にしいなければならない困難な時期にあった。そのようなときに、軍備という非生産的なものに巨額の金を使うことは日本経済の復興を極めて遅らせたであろう」
 
リベラル派の矜持
宏池会のリアリズム
90 実はこの頃、吉田茂岸信介に対して、少なくとも十一通の書簡を送り、安保条約改定に邁進する岸首相をかげながら応援していました。
 
91 プラグマティック - 〘形動〙 (pragmatic) プラグマティズムの性質をもつさま。実用的、実利的であるさま。
 
 宮澤喜一内閣 PKO協力法
 国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律は、国際連合の国連平和維持活動(英語: Peace Keeping Operation, PKO)等に協力するために作られた日本の法律である。1992年(平成4年)6月19日に公布された。
PKOは中立性で戦争の終わりを維持改善しようとするものであり、国連からの要請を踏まえて憲法前文の精神にも沿うものだ」
 このとき、国会での論戦で宮澤は共産党の質問に対して、毅然とこう述べています。ここにも私が言う宏池会のスピリット、言いかえれば「理想と現実のギリギリの調和」を図ろうとした精神の痕跡が窺えます
 「首相に就任した際に、国際連合平和維持活動(PKO)協力法案は成立させなければいけないという強い思いがあった。海部内閣の時の湾岸戦争への対応で、日本は人的貢献をしていないと厳しく批判された。その経緯を踏まえれば、日本もPKOならできるということをはっきりさせた方がいいと考えていた」
 
92 宏池会のリアリズム
 
93 焦点となった集団的自衛権の行使について、法案は
①日本の存率をおびやかす明白な危険がある(存立危険事態)
②他に適当な手段がない
③必要最小限の実力行使にとどめる――
の三つの要件を明記し、「厳格な歯止めを定めた。極めて限定的に行使する:(安倍首相)ことを内外に示しています。この「限定的な集団的自衛権」こそ、憲法の平和主義と厳しさを増しつつある安全保障環境への対応とをギリギリのところで両立させる重要なポイントであると私は考えています。
 
憲法改正について
97 安倍首相「自衛隊憲法上、合法的な存在にする」
 
98 「自衛隊違憲かも知れないけれども、何かあれば命を張って守ってくれというのはあまりにも無責任だ」
 安倍首相はそう指摘した上で、「私たちの世代のうちに、自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、違憲かもしれないなどの議論が生まれる余地をなくすべきだ」と呼びかけました。同時に「九条の平和主義の理念は未来に向けてしっかり固辞していかねばならない」とも強調し、「九条一項、二項を残しつつ、自衛隊を明文で書きこむという考え方は国民的な議論に値するだろう」と自ら手掛けた改憲案に一定の自信ものぞかせています。
 
99 この点で、安倍首相は私から見て、極めて実直な「リアリスト」であり、それは悲願とされている憲法改正問題における安倍首相の姿勢、一連の言動にも垣間見ることができます。
 
 自らの悲願である「憲法改正」問題だけではなく、安倍首相は第二次政権が発足して以来、在任中に数多くの場合で「ナショナリスト」ではなく、臨機応変な「リアリスト」としての顔を見せてきました。その実例としてここで挙げておきたいのは
①米議会での演説
②戦後70年談話
真珠湾訪問――
の三点です。
 
①米議会での演説
先の大戦への痛切な反省(Deep Remorese)」「アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目を背けてはならない」当時の日本による「加害責任」についても正面から言明しました。
②戦後70年談話
「我が国は痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきた」「こうした歴代内閣の立場は、今後も揺るぎないものだ」と表明しています。
「歴史に謙虚でなければならない。私はこれからも謙虚に歴史の声に耳を傾けながら未来への知恵を学んでいく」
真珠湾訪問
アリゾナ記念館。日米両国の首脳が真珠湾でともに慰霊するのは、これが初めてのことでした。
オバマ「首相の訪問は和解の力を示す歴史的行動だ」と高く評価しました。
 
104 第二次安倍政権が発足した当初も私は内閣の一員になれるとは思っていませんでした。というのも、その前段となった2012年9月の自由民主党総裁選において、私は安倍首相ではなく、先述した「加藤の乱」などで親交のあった石川伸晃候補に一票を投じていたからです。
 「外務大臣。岸田さんは何でもできるから、できるよね」
 この年の瀬、組閣にあたって私に電話をかけてきた安倍首相は明るい声でこう述べ、私に日本外交の舵取り役という大任を命じました。
 
第3章 核廃絶のリアリズム
米朝電撃会談
失われた三十年
CVIDを巡る応酬
超大国・中国
ロシアの核偏重
141 INF(中距離核戦力)全廃条約は冷戦時代末期の1987年に当時のレーガン米大統領ゴルバチョフソ連共産党書記長が調印、翌年に発効しました。その骨子は射程500キロから5500キロメートルの地上配備型ミサイルの開発や配備を禁じるものです。これにより、当時の米ソ関係は大幅に緊張緩和が進み、その後の冷戦終結に大きく寄与したことでも知られています。
 INF締結の底流にあったのは、レーガンゴルバチョフという二人の政治指導者が共に「核兵器」という存在に嫌悪感を抱き、「この地球上から無くせないものか」と極秘裏に議論した事実があったことも書きました。
 
142 プーチン発言から遡ること半年前の2019年2月1日、トランプ米政権は1987年に旧ソビエト連邦(現・ロシア)と結んだINF全廃条約の破棄を正式に表明しました。その半年前の2018年10月に表明した破棄の方針を着実に実行して見せたのです。よく2日には条約締結相手であるロシアに通告、条約の履行義務を停止すると宣言するという電光石火の早業でした。
 
 「米国だけが一方的に条約に規制されてはならない」
 2016年の米大統領選挙で「米国第一主義」を掲げて当選したトランプ大統領は、この日に発表した声明でこう主張しました。同じ日、ポンぺオ米国務長官は記者会見に臨み、「ロシアは米国の安全保障上の国益を危険にさらしている。我々は適切に対応する責務がある」と大統領の言葉を補強しています。
 トランプ政権がINF全廃条約からの一方的脱退を主張した表面的な理由は、ロシアが新たに開発し、発射実験を行った巡航ミサイルの射程が500キロメートルを超えるというものでした。 皮肉なことに、この「条約違反」を2014年7月に指摘していたのは、トランプ大統領の前任であるバラク・オバマ米大統領です。
 しかし、トランプ政権の狙いは単にロシアの新型ミサイルを封じ込めるだけではありませんでした。
 「皆が入ることのできる、非常に大きく、美しい枠組みが望ましい」
 
 「現在の世界情勢では、合意に中国が加わることが必要だ」ポンぺオ
 「(軍縮枠組みに)中国を巻き込むのなら、英仏、さらに世界中が核を保有していると知っているような国々も参加させよう」プーチン
 
147 「使える核」 射程500キロメートル以下の核弾頭・ミサイルなどで、
ICBM大陸間弾道ミサイル(Inter Continental Ballistic Missile)などが「戦略的な抑止力」として「使えない核」と位置付けられているのに対して、これらは実際に戦場で「使える核」と見なされているのです。
 
変わるNPR
151 2018年2月2日、トランプ政権は向こう5年から10年間にかけて、安全保障政策の根幹をなす核戦略の指針となる「核態勢の見直し(Nuclear Posture Review=NPR)」を発表しました。その骨子はオバマ前政権が進めてきた「核軍縮戦略」を抜本的に見直し、核兵器による「総合的な抑止力」を強めることでした。
 具体的には、核兵器の使用条件を従来からの「核攻撃への抑止」と「反撃」に限定せず、通常兵器を使った攻撃にも場合によっては「核の使用」を排除しない方針に打ち出したのです。
 
154 しかし、「小型」とはいっても、そこはやはり核兵器です。米メディアなどによれば、この時、米国が開発しようとしていた「小型核」の爆発力はTNT火薬換算で20キロトン以下と見られています。ちなみに、広島に投下された原子爆弾は約15キロトンです。
 
ブッシュ・ドクトリンの影
ブッシュ・ドクトリン(Bush Doctrine)とは、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件を受けて登場した新戦略思想の通称。 テロリストおよび大量破壊兵器を拡散させかねない「ならず者国家」に対し、必要に応じて先制的自衛権を行い得るというもの。
 
159 「我々は脅威が現実となる前に抑止し、防御しなければならない。米国はもはや、これまでのような単に受動的な態度に依存することはできない」
 
 
核の先制不使用
核の「先制使用(first use)」とは、核兵器以外の手段で武力攻撃を加えてきた敵 対国に対し、先んじて核兵器を使用することを意味する。
他方、核の「先制不使用(no first use)」とは、核兵器を相手より先に使用することはないが、相手の核使用に対 しては報復使用の選択肢を留保するというものである。
 
174 リチャード・アーミテージ元国務副長官は「核の先制不使用(no first use)」「核の非先制攻撃(No First Strike)」という言葉の「使い分け」の重要性も指摘しています。
 アーミテージによれば、「核の非先制攻撃」とは、自らが先に核兵器の「引き金」を退くことはしないが、仮に敵国が核ミサイルを自国に対して発射した場合、そのミサイルが自国や同盟国に着弾する前に、核による報復攻撃を相手側に先んじて加える――ということです。西部劇の一シーンでよくある、ガンマン同士の早打ちの血統を思い浮かべれば、イメージしやすいかもしれません。
 
核の傘」を巡る葛藤
179 北朝鮮や中国、そしてロシアが示す「核兵器」への執着心を見れば、米国が差し出す「核の傘」を今すぐ「要らない」とはなかなか言えない。かといって、広島・長崎での惨劇を二度とくり返してはならないという被爆国・日本の国民感情に照らせれば、いずれはどこかの時点で「核の傘」との付き合い方も考えなければならない――。
 
180 オバマ大統領が一時は考えたとされる「核の先制不使用」は「核兵器のない世界」を後押しする意味で貴重な一歩ではありますが、一方で「核の傘」の強度を弱めかねない側面もあるからです。それだけ、「核の傘」の是非については戦後・日本が心と頭を痛め続け、今も悩み続けているのです。
 
 佐藤栄作首相。非核三原則「持たず、作らず、持ち込まず」
 
181 実際、1960年に両国が調印した改訂版の「日米安全保障条約」では米国が日本に対して、その防衛義務を負っていることを明記してはいますが、「核の傘」については触れていません。そして、米国が「その核戦力をもって日本を守る」という合意が両国間で正式に成立したのは、それから5年近くも経った1965年1月12日のことでした。
 「日本が核抑止を必要とするなら、米国はそれを提供する」
 この日、米国の首都・ワシントンDCにあるホワイトハウスで行われた日米首脳会談で、リンドン・ジョンソン大統領がそう明言すると、向かい合っていた佐藤栄作首相は「それを聞きたいと思っていた」と即座に応じました。その瞬間、南は九州・沖縄から北は北海道まで日本列島すべてを包む大きな「核の傘」が私たちの頭の上で開くことになったのです。
 
182 前述したように、後に「非核三原則」を提唱し、これをもってノーベル平和賞まで受賞する佐藤はこの頃、じつは、水面下で自主核武装が可能かどうかを密かに国内で研究させていました。実兄である岸信介譲りの保守・反共思想に基づき、日本の更なる「自立」を目指そうとしていた佐藤にとって、「核」は一時、その強力な「促進剤」になると映っていたのかもしれません。
 
密約外交の功罪
大平正芳「イントロダクション、イントロダクション、イントロダクション・・・・・・」
大平正芳 理念と外交(増補版)」
 
184 いわゆる「日米核密約」とは1960年1月6日、当時の藤山愛一郎外相とダグラス・マッカーサー二世駐米日本大使が日米安全保障条約改定に合わせて著名した「討議記録」のことを指します。このなかで、日米両国は核兵器を搭載した潜水艦や空母など米軍艦船による日本への寄港や日本領海の通過について、日米政府間で「事前協議」が必要とされている「核持ち込み」には当たらないと確認している、とされていました
 それが事実だとすれば、後に佐藤栄作ノーベル平和賞を受賞した理由となった「非核三原則」にも抵触しかねません。もちろん、当時はまだ、「非核三原則」という国是は定まっていませんでしたが、広島・長崎の惨禍を経て、日本国民が抱いていた核に対するネガティブな感情を考えれば、日本政府が水面下で米核戦力を日本に「持ち込む」ことを黙認していたことは国民の目を欺くことであり、それだけで大きな政治スキャンダルにもなりうる重大事でした。
 
186 この時、米側は一時的な寄港や、領海通過などは「事前協議の対象ではない」と解釈し、日本側は後に定める「非核三原則」における三番目の項目である「核を日本に持ち込ませない」という観点から、これを容認できないという立場を堅持していました
 最終的な妥協策として、日本は「事前協議がない限り、米国は核兵器を日本に持ち込んでいない」という独自の「虚構」を創り上げ、その上で「暗黙の了解」を米側に与えていた、というが今では日米関係に詳しい両国の専門家の間では通説となっています。
 
 「核弾頭を持った船は、日本に寄港はしてもらわないということを常に言っております」池田勇人
 
 ライシャワー大使は「大平外相は『討議記録』の存在も解釈も知らなかった」と指摘したうえで、自分が「核持ち込み(イントロダクション)に「核積載艦船の寄港は含まれない」と説明すると、大平は「日本はこれまで、この言葉をこのような限定された意味で使ったことはなかったが、今後はそうする」と応じた、とされています。
 
 核兵器を「持ち込む」とは「日本領土への配備・貯蔵」との解釈を提示しました。これに対して、大平外相も同意したとされています。
 ライシャワー大使は席上、「(日本に)事前協議なしに核兵器を持ち込む(イントロデュース)ことをしないし、持ち込んだこともない」と説明する一方で「イントロデュース」の意味については「日本の領土への配備・貯蔵」を意味するものであり、日本語の「持ち込む」はこれにあたる、との解釈を開陳し、大平に理解を求めたということです。
 その説明を受けて、大平は「核搭載艦の日本への寄港・通過は(イントロデュースに)含まれない」と確認したとされています。
 
「日本核武装論」の虚実
793 春原剛「核がなくならない7つの理由」
 
脱・密約の時代
谷垣禎一「日本再興」という報告書。全49ページ
 
201 宏池会の重鎮でもあった谷垣総裁の下、自民党がこの政策提言を発表した背景の一つには、当時政権・与党の座にあった民主党政権による「密約調査」の公約がありました。ここからはその経緯と概要に若干、触れておこうと思います。
2009年9月16日、民主党(当時)・鳩山由紀夫政権で外務大臣に就任した岡田克也は、1960年の日米安全保障条約改定時、米国による日本への核持ち込みを認めていたとされる「密約問題」などについて藪中三十二外務次官(当時)に同年11月末をメドに調査報告を報告するよう、大臣命令を発しました。
 
①1960年1月の日米安全保障条約改定時の核持ち込みに関する密約
朝鮮半島有事の際の戦闘作戦行動に関する密約
③1972年の沖縄返還時の有事の際の核持ち込みに関する密約
④1972年の沖縄返還時の原状回復補償費の肩代わりに関する密約--
の四つです。
 
204 しかしながら、その大平の苦悩は実のところ、1980年代後半の冷戦終結と共に完全に解消されています。言い換えれば、冷戦終結以来、過去30年近くにわたって、日本は「密約の影」におびえることなく、「非核三原則」を名実共にしっかりと堅持していたのです。
 1991年9月27日、当時のジョージ・H・W・ブッシュ大統領が冷戦終結を踏まえ、「核巡航ミサイル(SLCM)を含め、艦艇と攻撃潜水艦からすべての戦術核を撤去する」と宣言しました。それ以降、近年の核戦略に基づいて米国が日本防衛のために提供している「核の傘」の主体は、太平洋の深海に潜んでいる原子力潜水艦から発射される「潜水艦発射弾道ミサイルSLBM)」になっています。
 つまり、それ以降、21世紀の今日にいたるまで、米国の戦術核兵器を搭載した米軍艦船が日本に寄港する、あるいは了解を無断で通過することは現実としてありえないのです。ですから、自民党による「政策提言」も現時点では実際の政治の現場で大きな意味を持つことはありませんでした。
 
爆弾発言の底流
206 「(日栄安全保障条約の破棄)は全く考えていない。不公平な条約だと言っているだけだ。私は彼(安倍晋三首相)にそれを、この6か月間、言ってきた」
 2016年の米大統領選以来、断続的に続く「トランプ発言」の理屈はある意味、単純なものです。まず、トランプ大統領は「もし、日本が攻撃されたら、米国は全力で戦う。戦闘に入らざるを得ず、日本のために戦うことを約束している」と指摘します。そのうえで「もし、米国が攻撃されても、日本はそうする必要はない」と指摘し、日米安保条約の性格上、日本側に「米国防衛」の義務がないことをあげつらうのです。
 
207 もちろん、日本は国民の幅広い理解と支援を背景にして、総勢5万人を超える在日米軍に基地を提供しています。その上、基地労働者の給料や、その基地の維持経費など必要な駐留経費を日本国民の税金で賄っています。
 米国防衛相によれば、2018年9月末時点の在日米軍は約5万4000人で、2019年度予算では駐留経費は3888億円と見込んでいました。このうち、基地の従業員人件費など本来、米側が支払うべき費用を日本が負担する「思いやり予算(Host Nation Support=HNS)」は1603億円とされています。
 日米同盟体制の要点を単純に表現すれば、「世界最強の軍隊」と「世界随一の核戦力」を保有する米国が専ら「矛」の役割を任じ、戦後以来、専守防衛を貫いてきた日本が「盾」の任務に徹するという、ユニークな相互支援のスキームということになります。その点において、戦後、吉田茂が残した「制度設計」は今も基本的に変わっていないのです。
 その設計思想に沿って、現代の日米安保条約でも第五条では日本が攻撃を受けた場合、米国に日本防衛の義務を課しています。一方、第六条は日本が米国に基地や施設を提供する義務も定めているのです。
 ただ、そのユニークさゆえ、日米力国ではこの同盟関係を「双務的ではない」とか、「片務的であり、純粋な意味で同盟とは言えない」などとする声も少なからずあったのは否定できません。
 第二章で述べたように、安倍政権において成立させた「平和安全法制」において、現行の平和憲法の下で日本が「集団的自衛権」を限定的に行使できる環境を整えた背景には、こうした日米同盟に対する的外れな批判を和らげたいという思いもありました
 それだけに一連の「トランプ発言」に見られるような、一方的な物言いは極めて危険なことだと私は思います。今まで説明してきた通り、米国が「日本の利益」のためだけに日米同盟を維持しているわけではないからです
 
208 何ごともそうですが、一方的な決めつけ、議論は物事の本質を見誤ることになりかねません。繰り返しになりますが、日米同盟体制は日本だけでなく、米国の「アジア戦略」にとっても大きなメリットをもたらすものです。
 仮に、米国がすべての在日米軍経費を自前で負担するとなれば、そのコストはゆうに2倍以上に膨れ上がることでしょう。それはただちに米国の国防予算を逼迫させ、いずれはアジア・太平洋地域から米軍が部分的にせよ、撤収せざるを得なくなるかもしれません。それはすなわち、世界における米国の影響力が低下することを意味するのです。
 
210 米外交誌、「フォーリン・ポリシー(電子版)」は同日、2019年7月当時、まだトランプ大統領の側近だったジョン・ボルトン大統領補佐官(国家安全保障担当)が来日した際、在日米軍駐留経費の日本負担額を現行の4倍に増やすよう、求めていた、と報じました。~同誌によれば、ボルトン補佐官は日本の次に訪れた韓国に対して、米軍駐留経費の負担額を5倍に増額することも要求したとされています。
 この時点で在日米軍駐留経費の日本負担額は2019年度予算の歳出ベースで1974億円と見込まれていました。この4倍ということはざっと計算して、じつに8000億円前後の負担を日本に強いることになります。
 在日米軍駐留経費の負担に関する日米韓の特別協定は2021年3月に期限切れを迎えます。このため当初、日本政府内にはトランプ大統領の態度について、2020年春から本格的な第2ラウンド交渉が始まる「日米貿易協定」を有利に進めるための高等戦術ではないか、という見方もありました。
 しかし、現在では「思いより予算」の増額を求めるトランプ政権お本気度を疑う声は次第に少なくなっているようにも思えます。同じような要求を韓国や欧州の同盟諸国に対しても、トランプ大統領は執拗に繰り返していることが、そうした受け止め方を後押ししているのです。
 
211 これはあくまでも「頭の体操」的な話になりますが、これまでの駐留経費負担額は米軍が提供する「通常戦力」に必要なコストを分母として計算したものでした。仮に「核の傘」の経費負担までを視野に入れた場合、その母数は劇的に変わる事は間違いなく、日本の負担額も大幅に増えることでしょう。
 そうなれば、ボルトン全補佐官らが言い残したとされる「8000億円」という金額ですら、あながち「非現実的」という一言では片づけられなくなってしまいます。もちろん、それを日本がそのまま鵜呑みにして受け入れることなどあり得ません。
 
 
第5章 岸田イニシアティブ
核兵器禁止条約を巡る逡巡
2016年10月28日(日本時間)、国連総会第一委員会(軍縮)において、多国間の核武装撤廃交渉を来年から開始する決議案“Taking forward multilateral nuclear disarmament negotiations”(document A/C.1/71/L.41)が、賛成123、反対38、棄権16で可決された。アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、日本は反対票を投じ、北朝鮮は賛成、中国は棄権した
 
2017年7月7日に国連本部で開催中の核兵器禁止条約交渉会議にて賛成122票、反対1票(オランダ)、棄権1票(シンガポール)の賛成多数により採択された。
核兵器保有国(NTP上のアメリカ合衆国・中国・イギリス・フランス・ロシア、およびインド・パキスタン朝鮮民主主義人民共和国)は不参加。なお北朝鮮は前年の決議からこの条約の採択の間に不参加に転換した[22]。
アメリカ軍の核の傘の下にあるカナダやドイツなどNATO加盟国(オランダのみ参加し反対票)や、アメリカ合衆国との軍事同盟を結ぶ日本・オーストラリア・大韓民国なども不参加
MNNA諸国の多く、東南アジア諸国連合(棄権のシンガポール以外)、ヨーロッパではNATO非加盟のスウェーデン・スイス・オーストリアアイルランドなどは賛成した
 
224 いつかは必ず訪れる、次なるピークに狙いを定めて「最小限ポイント」を定める。その時、唯一の被爆国として日本が手にしている「伝家の宝刀」とも呼ぶべき、「道義的権威(Moral Authority)」を最大限に活用して、保有国と非保有国の仲を取り持ち、国際的な核軍縮の道を拓いていく――それが私の核廃絶に向けた長期戦力なのです。
 
NPTの守護神として
核不拡散条約」NPTは、正式名称を「核兵器の不拡散に関する条約」(Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons)と言い、核兵器保有国の増加を防ぐこと(核兵器の拡散を防ぐこと)を主な目的とした条約です。
 
234 先述したように「核不拡散条約」について、日本は参加を見送るという政治決断をしました。その姿勢について、「核廃絶に逆行する」などと国内外から厳しい批判を受けたことは記憶に新しいと思います。
 しかし、じつはこの決断の背景には、核保有国と非保有国の対立がこれ以上、激化した場合、NPT体制そのものが崩壊してしまうのではないか、という危惧もあったのです。
 仮に、唯一の被爆国である日本が非保有国の先頭に立って、核保有国を批判するような印象を持たれたとすれば、それは「核の傘」を提供する米国の不信感を招くばかりでなく、他の核保有国の反発も誘発し、結局は核保有国と非保有国の溝を深めるだけで、その「橋渡し役」すらできなくなるという結論に達したのです
 
日米拡大抑止協議
李下の冠
《スモモの木の下で冠をかぶりなおそうとして手を上げると、実を盗むのかと疑われるから、そこでは直すべきではないという意の、古楽府「君子行」から》
 
※日本が保有するプルトニウムは約47トン。軍事用も含めた全世界のプルトニウム約500トンの10%近くを占め、核兵器保有国以外では圧倒的に多い。うち約10トンは国内の原発などに保管され、残り37トンは再処理を頼んだイギリスとフランスにある。
 
246 旧協議が発効した1988年当時、日本のプルトニウム保有量はわずかなものでした。さらに、次世代型の原子炉と期待された高速減速炉「もんじゅ」の建設も進行していたため、日本のプルトニウム利用計画は現在よりも現実味がありました。
 しかし、「もんじゅ」が事故を起こした1995年から雲行きが怪しくなり、以降、2016年までの21年間で、日本のプルトニウム保有量は約3倍に膨れ上がってしまいました。この結果、日本が国内外に保有するプルトニウムの総量は各弾頭6000発にあたる約47トンを超えています。
 こうした日本の実情に水面下で最も懸念を示していたのが米国でした。もっとも、この間にホワイトハウスの主は、バラク・オバマ大統領からドナルド・トランプ大統領に替わっており、第3章で論じた通り、トランプ政権は「使える核」を重視した新たな核戦力も打ち出しています。そうしたこともあって、原子力協定の自動延長については米側も表立っては大きな異論を唱えませんでした。
 それでも核拡散の防止戦略を自らの安全保障政策の支柱の一つと位置付けている米国から見て、各弾頭6000発分にも達する日本のプルトニウム保有量は看過できるものではありませんでした。このため、すでに述べているように日米間の原子力協定を自動延長する「条件」として、非核保有国としては異例のプルトニウム保有量となった日本に自発的なプルトニウム削減プランの策定を求めていたのです。
 
 確かに、日本は一貫して「余剰プルトニウムは持たない」という立場を示してきましたが、残念ながら現状はそれを証明するどころか、否定しているようでもあります。今も核保有に野心を燃やしている北朝鮮がこうした実情を「ダブル・スタンダードだ」と突発的に非難したり、イランが「我々は『ジャパン・モデル』を目指している」と公言する理由もここにあるのです。
 イランが時折、口にする「ジャパン・モデル」についてはわたし自身、外務大時代にイランの代表団から何度か直接、聞いたこともあります。その都度、私は正しい「ジャパン・モデル」の在り方について、「非核の誓いを守り、NPTの参加国として核廃絶に取り組んでいることが肝要なのだ」と説くことを忘れませんでした。
 
248 その「意思」を内外に広く示すため、日本はエネルギー政策についても大きな政策転換を決断しています。2018年7月3日、日米原子力協定の自動延長に先駆ける形で、4年ぶりに策定し直した「エネルギー基本計画」閣議決定がそれです。
  この決定における最大の目玉は、原子力発電所で定期的に排出される「使用済み核燃料」を再処理する際に生み出されるプルトニウムについて、「核保有量の削減に取り組む」と初めて明記したことでした
 実際、日本のプルトニウム保有量は、先述したように2011年3月11日の東日本大震災以降、増え続けています。大震災に伴う東京電力福島第一原子力発電所での事故を受け、原発の再稼働が全般的に停滞したことで、プルトニウムは再利用されることなく貯まり続けているのです。
 核軍縮などに関する国際的な非営利団体組織「国際核物質専門家パネル(IPFM)」によれば、世界主要各国のプルトニウム保有量(民生用のみ)は英国の約116トンを筆頭にフランスの約68トン、露西亜の約61トンに続き、日本は世界第4位の水準となっています。これに対して、米国は約8トンであり、中国は小数点以下のレベルにとどまっています。
 日本が国策としている「核燃料サイクル」に則れば、プルトニウムの削減には原子力発電所での活用がカギになります。余剰プルトニウムMOX燃料として原発で燃やして発電する「プルサーマル発電」で減らすためです
 しかし、東日本大震災以降、「高止まり」を続けている日本の余剰プルトニウムの削減にはなお、決定的な解決策が見出せていません。例えば、かつてプルトニウム利用の主軸になると期待された「もんじゅ」は前述したように1995年に事故を起こして以来、ほとんど稼働できないまま2016年に廃炉が決まっています。それに加えて、福島県での原発事故以降、全国の原発はほとんどが稼働を停止しているため、プルトニウムを燃やすプルサーマル事業も計画通りには進んでいないのです。

 
 こうした実情を受けて、政府が策定する「エネルギー基本計画」に沿って具体策などを示す役割を持つ原子力委員会は2018年7月31日、余剰プルトニウムの削減に向けた新しい指針をまとめました。15年ぶりに改定した指針の中で、同委員会はまず、プルトニウムについて「保有量を減少させる」と削減方針を初めて明記しました。
 その具体策としては、原発で消費するメドが立たないプルトニウムについて「2021年完成予定の青森県六ケ所村の再処理施設では製造しない」という方針を盛り込みました。青森県六ケ所村の使用済み燃料再処理工場では最大、年間4トンのプルトニウムが排出される見込みでしたから、今後の増量には一定の歯止めをかけたことになります。
 同時に、プルトニウムを燃料に混ぜて原発で消費するプルサーマル事業の推進に向け、電力会社間の連携を促すことも打ち出しています。日本の電力業界はプルサーマル事業を16基から18基の原子力発電所で実施する計画を立てていますが、現状は4基が稼働しているにすぎません。因みに、一機あたりで年間に消費するプルトニウムの総量は0.4トンにとどまります。

 
 
核兵器のない世界」に向けて
①NPT(核不拡散条約)体制の強化とCTBT(包括的核実験禁止条約)、カットオフ条約(核兵器核分裂性物質生産禁止条約)の推進
②余剰プルトニウムの大幅削減と新しい「核の平和利用」の推進
258 日本経済の成長や国民生活の維持という観点からすれば、いきなり「脱・原発」というスローガンを打ち出すことは現実的ではない一方、長期的なスパンで将来的には再生エネルギーの比率をさまざまな技術革新で高めながら、原発への依存比率を段階的に下げていくという長期的な議論は避けて通れません。
③『日米拡大抑止協議』の政治レベルへの格上げ
④「核兵器のない世界のための国際賢人会議」の創立
⑤「核の平和利用のための国際会議」の新設
 
ローマ教皇のメッセージ
 
おわりに
あとがき