読んだ。 #生きのびるための建築 #石山修武
>世田谷美術館で開催された『建築がみる夢石山修武と12の物語』(2008年6月28~8月17日)の会期中におこなわれた「石山修武・真夏の夜の夢の又夢・連続21講」の第1夜から第12夜を収録し、加筆・修正を加えて再構成したもの
石山さんのお話を聞いてる感じで、出てくる建物の写真をネットで探しながら楽しめた。311以降、コロナ以降の話も聞いてみたい。
2010年発行。
川合健二さんの「コルゲートハウス」。
佐渡宿根木集落の船大工がつくった建物。
オウムのサティアン。
コンラッド・ワックスマンの「スペースフレーム」
リチャード・ロジャーズの「ポンピドゥー・センター」、「ロイズ・オブ・ロンドン本社ビル」
ヤニス・クセナキスの「フィリップス館」というパビリオン
フィリップ・ジョンソンの「ガラスの家」
・アポロ13号も情報のベースがあって、後は手仕事でやって地球に帰ってきたということが、僕は非常に重要な事件だったと考えます。。
・伴野さんは漁師でしたが、海が埋め立てられて漁ができない状態になりました。だからこの住宅は表現主義的に船に似せています。
・バックミンスター・フラーのものの考え方は、シェルターをすべて球形にして、その構成単位も、すべてのジョイントも標準化する。要するに、最小物質量で組み立てて最大体積に近づけるということです。
・原理というものには非常に危険な側面があります。純粋な理論に忠実であろうとすると、生活と軋瞬を起こします。人間はそんなに論理的な生物でも、高等な生物でもないんです。地球の資源やそういうことから考えると、フラーが言うようにぜんぶ丸くすればいいというのは本当です。でも人間は丸い家には住みづらい。我々はこういうものに住めるほどにはまだ進化してない、そういう風に考えたほうがいまは賢いでしょう。
・バウハウス以来のモダンデザインというのは教育の産物です。あれはヨーロッパの内発的なものではありません。
・消費社会というのは、一途に生産することより使うことのほうが力を持っている時代なんです。
・ヒマラヤへ行くと6000クラスの峠はざらにあります。ここをアジアの子どもたちは裸足で越えていきます。そういうだだっ広い、価値基準の違う可能性がアジアにはある。それを信じたい。
・そしてオウム真理教の人たちは、ビル・ゲイツと同じように、建築に価値をぜんぜん認めていませんでした。「パッケージであればいい」、これが彼らの先見性です。しかもグローバリズとよく似ている。現代建築の突き詰めたものがここに表現されています。何の本質的な価値もないパッケージであるということが価値であるという、これはシニシズムです。いい悪いはいっさい言っていませんよ。
・重要なのは、古代と中世、奈良時代と鎌倉時代がぶつかり合うとどういった表現になるか、革命というものがどのような造形を生み出すのかということです。そこには非常にプリミティブなものが出現します。奈良時代と鎌倉時代の建築が、ここでいきなりぶつかります。そうするととんでもない造形が生まれます。これが転形期に特有の造形です。2つの性格が融合せぬまま、露出して、しかも合体している。
・でもその頃は、疫病やアクシデントがとても怖くて、彼らは死の恐怖から逃れようとしてバーチャル世界へ逃亡します。貴族たちは極楽浄土をイメージして、それを擬似的に体験したいと願いました。その産物が浄土式庭園です。
また、そのバーチャル世界の凝縮としての御堂を作り、それで観念上、つまりパーチャルに浄土というものを仮構し、観念遊戯のようなことをしていました。このような時代に現れる建築というのが、俗にいうきわめて持続的でもある日本的なスタイルなのかなと思います。
・ゴシック建築の様式というのは、当時のグローバリゼーションです。より正しく言えばグローバリゼションのツールです。発祥は南フランス。ゴシック建築の出現する前のヨーロッパは、うっそうたる森林でした。ゴシック建築とは、キリスト教がヨーロッパ圏を一律のキリスト教的システムの下に置こうとした建築装置です。
・無名というのは、際限のない可能性と際限のない不安のあいだで揺れるということなんだ。
・本当にいいモノを作ろうと思ったら、絶対に長生きしなければダメです。
・なぜ東京に人が集まるかというと、みなお金が欲しいからです。それが資本主義のよいところですが、他には何もありません。そしてそれが限界です。でも、この島には水もないし、お金もない。東京とは違う人種が住み着き始めた。つまり、絵のような神話的風景のなかに暮らしたいと思う人々がいた。それをパンや水よりも上位に置いたとしか考えようがない。
・このエーゲ海の光は、ヨーロッパの視覚芸術を創り出した中心です。光が燦々と真上から降り注いで、明晰な光と影を作り出します。ここでは、フォルムというものは光と影が生み出すものだということが、実感できます。しかもギリシア神話の真っ只中の風景です。そのことはさらに深く重要です。フォルムが人間の想像力のなかで神話的な位相に直結されることもあったでしょう。
・ル・コルビュジエの言っていた「エスプリ・ヌーヴォー(新しい精神)」は、白という色に含みを持たされ、ある意味では神話化され、いまでも受け継がれて模倣の対象になっています。この白という色、青空との対比、光と影。フォルムとはそれらを含めた総合性のなかでの光と影の輪郭のことをいうのです。
この光は日本にはありません。日本の青空は空の輝度がぜんぜん違います。我々が住んでいるのは、アジア・モンスーン気候です。モヤーっとして輪郭がはっきりしません。だから日本ではフォルムというもの、明晰でロジカルな形がなかなか生み出せなかった。でも悲観的になる必要はなくて、そこにはメリットも持っているのです。モヤーっとしたあいまいな、だからこそファンタジックな光のなかで暮らしているのですから。
東アジアには東アジアのファンタジーがある。物語ですね。つまり我々には、一神教につながる明晰さとは少々異なる、多神教のあいまいさに原点を持つ特質がある。それは我々の近代においては、模倣という折衷的態度を生み出しました。我々には近代的な模倣というもう1つの原点があります。これは嫌みではなくそう言っています。「模倣につく模倣」、それをル・コルビュジエとは違うやり方で考えなければいけない時代になっているのです。それこそが情報時代の建築の基本でしょう。
・クセナキスの新しい、前の文化から進化した頭脳は、たとえば波のパターンのなかに数学を見ようとしています。なんだかざわめいていていい感じだな、という文学的なものではなく、波の運動のパターンの連続にルールを見つけようとします。それが数学者の頭脳です。若い人たちは、その数理を獲得できなくとも、そこの可能性に着目していけばいい。
・2001年9月11日に起きたテロによって、ワールドトレードセンタービルが崩壊しました。この事件によって、象徴的にオフイスビルの時代は終わりました。
・彼の設計はたしかにミースと比較したら下手です。なぜ下手かというと、本物のディテールというものに、彼は関心がないからです。一方で、ミースの建築は、恐ろしいくらいのディテールの宝庫なのです。ミースは、何が本物か、ということだけを追求しすぎた。ただ、ジョンソンは“本物”ではなく“まがい”でいいと自覚していました。
・千利休の「待庵」、小堀遠州の「孤篷庵(こほうあん)」、あるいはあらゆる超一流の茶室の本質的な意味というのは、床の間に何が飾ってあるのか、今日はどんな花を生けてあるか、どんな茶碗でどんなお茶を入れるのか、それらのすべてにメッセージがあるということです。ですから、それをいま風に解釈すれば、茶室は情報時代の建築なのです。堀口捨巳の天才的直観はそれをとらえていました。堀口の半端ではない茶室研究はそのためになされたといっても過言ではない。
・自分がニセモノであること、自分がその本物の一流性に対してセカンドクラスであるということを、とことんわかった人は、一流になります。つまらないプライドや知性では、それはなかなか獲得できません。
・「シーグラムビルは、ニューヨークのグリッドから来ている」と言いました。グリッドというのは、都市を枠づける格子です。ニューヨークの土地柄をもっとも表しているのはグリッドです。それでミースの建築というのは、ニューヨークのエキス、つまり精霊がすべて入っている、と鈴木さんは言ったわけです。
これは、日本でいうと宮澤賢治の物語や、詩のなかに使っている擬音、ドンドンドンとか、ビリビリゴロゴロとか、そういう世界です。ある具体的なモノへの感性を極度に抽象的に表現したい気持ちの代弁のようなコト、アニミズムなのですね。宮澤賢治は、日本でもっともコスモポリタニズムを獲得している作家でしょうが、それは彼の表現が音声としての性格を持っているからだとも思います。音の響きは万国共通でしょう。それとよく似た感じなのです。