読んだ。 #目の見えない人は世界をどう見ているのか #伊藤亜紗

読んだ。 #目の見えない人は世界をどう見ているのか #伊藤亜紗
 
まえがき
本書に登場する主な人々
序章--見えない世界を見る方法
29 見える人が目をつぶることと、そもそも見えないこととはどう違うのか。見える人が目をつぶるのは、単なる視覚情報の遮断です。つまり引き算。そこで感じられるのは欠如です。しかし私がとらえたいのは、「見えている状態を基準として、そこから視覚情報を引いた状態」ではありません。視覚抜きで成立している体そのものに変身したいのです。そのような条件が生み出す体の特徴、見えてくる世界のあり方、その意味を実感したいのです
 
 それはいわば、4本脚の椅子と3本脚の椅子の違いのようなものです。もともと脚が4本ある椅子から1本取ってしまったら、その椅子は傾いてしまいます。壊れた、不完全な椅子です。でも、そもそも3本の脚で立っている椅子もある。脚の配置を変えれば、3本でも立てるのです。
 
31 「情報」は、客観的でニュートラルなものです。たとえば、「明日の午後の降水確率は60%である」。これは普通情報として受け止められます。友人の「明日の午後の降水確率は60%だよ」という発言に対して「ありがとう」と言ったら、それは「情報をありがとう」「大事な情報を教えてくれてありがとう」という意味です。
 それに対して、たとえば恋人の言う「あなたは石頭だ」を情報として受け取ってしまったら、きっと次に来るのは別れの言葉でしょう。これはむしろ感情の吐露です。ここであなたがすべきなのは、メモを取ることではなく、恋人の感情に対して、なだめるなり反論するなり、アクションを起こすことです。
 報告者が自分の主観を述べたものは情報ではありません。情報とは、報告者の主観を排した、客観的な内容のことを指します。
 しかし、この「明日の午後の降水確率は60%である」という「情報」は、受け手次第で、無数の「意味」を生み出します。明日運動会を控えた小学生なら、この情報は「運動会が延期になるかもしれない」ということを意味するでしょうし、傘屋なら「明日は儲かるな」、農家なら「朝の水やりは控えめにしよう」となるでしょう。
 つまり「意味」とは、「情報」が具体的な文脈に置かれたときに生まれるものなのです。
 
40 木下さんが対談の途中で叫んだ言葉が忘れられません。その時、私は見える人にとって想像力とは何かを説明していました。想像力とは、いま・ここにはないものや場所について頭の中で視覚的に思い浮かべることである、それは一種のイメージだけど、実際に見ているものとは違う、というような話をしていたのです。
 その話が、これまで木下さんが不可解だと思っていたことのひとつを理解するヒントになったようでした。そして木下さんは叫びました。「なるほど、そっちの見える世界も面白いねぇ!」
 福祉的な態度では、「見えない人はどうやったら見える人と同じように生活していくことができるか」ということに関心が向かいがちです。つまり、見える人の世界の中に見えない人が生きている。もちろん、現実にはさまざまな社会的インフラは見える人の体に合わせて作られていますから、それはそれで大切です。しかし、木下さんの言う「そっち」は、見える世界と見えない世界を隣りあう二つの家のようにとらえています。「うちはうち、よそはよそ」という、突き放すような気持ちよさがそこにはあります
 障害についての凝り固まった考え方を、これほどまでにほぐしてくれる言葉があるでしょうか。痛快なのは、木下さんが見える人の世界のことを、「そっちの世界」と言っていることです。「おたく最近調子どう?」「うん、ぼちぼちかな。そっちは?」まるでそんな感じの、軽いノリの「そっち」でした。
 手を差し伸べるのではなく、「うちはうち、よそはよそ」の距離感があるからこそ、「面白いねぇ!」という感想も生まれてきます。先に私は「好奇の目を向けること」が大切なのではないかと書きました。差異を尊重する、などと言うと妙に倫理的な響きがありますが、もう一歩踏み込んで、ちょっと不道徳な「好奇の目」くらいのほうが、この「面白いねぇ!」には必要なのではないかと思います(もちろんお互いの同意のもとで)。
 
第1章:空間―見える人は二次元、見えない人は三次元?
50 彼らは「道」から自由だと言えるのかもしれません。道は、人が進むべき方向を示します。もちろん視覚障害者だって、個人差はあるとしても、音の反響や白杖の感触を利用して道の幅や向きを把握しています。しかし、目が道のずっと先まで一瞬にして見通すことができるのに対し、音や感触で把握できる範囲は限定されている。道から自由であるとは、予測が立ちにくいという意味では特殊な慎重さを要しますが、だからこそ、道だけを特別視しない俯瞰的なビジョンを持つことができたのでしょう。
 
脳の中に余裕がある?
 
54 「見えない世界というのは情報量がすごく少ないんです」
 「見えない世界というのは情報量がすごく少ないんです。コンビニに入っても、見えたころはいろいろな美味しそうなものが目に止まったり、キャンペーン情報が入ってきた。でも見えないと、欲しいものを最初に決めてそれが欲しいと店員さんに言って、買って帰るというふうになるわけですね」
 
55 もちろん、難波さんも失明した当初は情報の少なさにかなりとまどったと言います。とまどったというより、それは「飢餓感」というべきものだったそうです
 「最初はとまどいがあったし、どうやったら情報を手に入れられるか、ということに必死でしたね。(・・・)そういった情報がなくてもいいやと思えるようになるには二、三年かかりました。これくらいの情報量でもなんとか過ごせるな、と。自分がたどり着ける限界の先にあるもの、意識の地平線より向こう側にあるものにはこだわる必要がない、と考えるようになりました。さっきのコンビニの話で言えば、キャンペーンの情報などは僕の意識には届かないものなので、特に欲しいとも思わない。認識しないものは欲しがらない。だから最初の頃、携帯を持つまでは、心が安定していましたね。見えていた頃はテレビだの携帯だのずっと頭の中に情報を流していたわけですが、それが途絶えたとき、情報に対する飢餓感もあったけど、落ち着いていました」。
 難波さんのこうした心理はもはや「悟り」にすら聞こえます。「意識にのぼってこない情報を追わない」という考えに至るまでの二、三年は、難波さんにとって、視覚を持たない新しい体が捉える「意味」を、納得して受け入れるまでの期間だったということができるでしょう。
 
57 視野を持たないゆえに視野が広がる
 
58 推論によって得られた大岡「山」のイメージは、「足元の傾斜」と「地名」という限られた情報を結びつけることによって得られたものです。つまり「推論」によって得られたもの。視覚的に見られたものではありません。
 それは幾何学的で抽象的な、図式化された空間です。視覚が個々の物の、とりわけ表面をなぞるのだとすれば、推論によって得られるのは、むしろ物の配置や物と物の関係です。見えない人は、情報量が減る代わりに配置や関係に特化したイメージで空間を捉えているのです。
 
58 こうした見えない人の空間把握の仕方がわかるのが、見えない人の住まいのインテリアです。人は、世界をとらえるよう世界を作ります。つまり、空間のとらえ方が幾何学的で抽象的であるということは、幾何学的で抽象的な仕方で空間を作るということです。もちろん個人差はありますが、全体的な傾向として、見えない人の住まいは幾何学的で抽象的な傾向があります。
 幾何学的で抽象的な住まいといっても、椅子が真っ白いキューブだったりカーペットが無地の円形だったりする、ということではありません。言ってみればエントロピーが低い、つまり乱雑さの度合いが低い、ということです。余計なものがなく、散らかっていない。きちんと整理されていて、片付いているのです。
 理由は簡単です。物がなくなると探すのが大変だからです。きれいに片付いているということは、言うまでもありませんが、使ったものは必ずもとの場所に戻されているということ。つまり、あらゆるものに「置き場所」があるということです。ハサミは引き出しの中、財布はテレビの横、醤油はトレイの奥から二番め云々。置き場所がきちんと指定されていれば、欲しいものがすぐに手に入ります。
 あるべきものが「定位置」にない場合は、それを探さなければならないわけですが、これは見えない人にとっては非常に労力がかかることです。部屋のすぺての場所を手で触ってくまなく探さなければならないからです。リモコンが見つからなくて友達に電話して来てもらう、なんてことになりかねません。
 
61 メモという形で情報をアウトソーシシグできないため、情報を効率よく蓄積しておく方法を身につけなければならなかったのです。
 
 
 見えない人のファッション
 
62 視覚の能力は思考法に影響を与える
 アメリカの神経生物学者、スーザン・バリーはその著書『視覚はよみがえる』で、48歳のときに、特殊な訓練によって初めて立体視能力を獲得したときの経験について語っています。
 通常、人間の脳は左右の目から届く情報の「ずれ」によって、対象までの距離や立体感を把握しています。しかしバリーは斜視で、長い間それができなかった。バリーの脳は、良く見えるほうの目からくる情報だけを「信用」して、もう片方の目からくる情報は「無視」していた。代わりに彼女は頭を細かく動かし、無理やり視覚に「ずれ」を作ることで、何とか距離感を把握していました。それでも車の運転だってこなしたし、研究者として膨大な量の文献を読み論文を発表していました。
 そんな彼女が、48歳にして初めて立体視ができるようになった。者の立体感あ、もとのものの位置関係が分かるようになったので、初めての部屋に入ってもとまどうことはありません。内装がどうなっているか、その全体を一瞬で把握することができるようになったからです。つまり「空間とは何か」が分かるようになったのです。それは「魅力的でうっとりする」感覚だったとバリーは言います。空間の中にテーブルや椅子があり、その同じ空間に自分もいる。「自分がちゃんと世界に存在している感じ」を、バリーは48歳にして初めて手に入れたのです。
 そんな大きな変化を経験した彼女において、情報を処理する仕方はどんなふうに変わったのでしょうか。彼女によれば、初めての部屋に入って空間の全体をぱっと把握できるようになったように、たとえば論文を読むときにも、全体を一気に読むときにも、全体を一気に把握することができるようになったそうです。それまでの彼女の情報処理の仕方は、「部分の積み重ねの結果、全体を獲得する」というものだった。ところが立体視ができるようになったことで、「まず全体を把握して、全体との関係で細部を検討する」という思考法ができるようになったのです。視覚の能力が思考法にも影響を与える、興味深い例です
 
67 私たちは、まっさらな目で対象を見るわけではありません。「過去に見たもの」を使って目の前の対象を見るのです。
 富士山についても同様です。風呂屋の絵に始まって、種々のカレンダーや絵本で、デフォルメされた「八の字」を目にしてきました。そして何より富士山も満月も縁起物です。その福々しい印象とあいまって、「まんまる」や「八の字」のイメージはますます強化されています。
 見えない人、とくに先天的に見えない人は、目の前にある物を視覚でとらえないだけでなく、私たちの文化を構成する視覚イメージをもとらえることがありません。見える人が物を見るときにおのずとそれを通してとらえてしまう、文化的なフィルターから自由なのです
 
68 見えない人の色彩感覚
 見えない人は、見える人よりも、物が実際にそうであるように理解しているということになります。模型を使って理解していることも大きいでしょう。その理解は概念的、と言ってもいいかもしれません。直接触ることのできないものについては、辞書に描いてある記述を覚えるように、対象を理解しているのです。
 定義通りに理解している、という点で興味深いのは、見えない人の色彩の理解です。
 個人差がありますが、物を見た経験を持たない全盲の人でも、「色」の概念を理解していることがあります。「私の好きな色は青」なんて言われるとかなりびっくりしてしまうのですが、聞いてみると、その色をしているものの集合を覚えることで、色の概念を獲得するらしい。たとえば赤は「りんご」「いちご」「トマト」「くちびる」が属していて「あたたかい気持ちになる色」、黄色は「バナナ」「踏切」「卵」が属していて「黒と組み合わせると警告を意味する色」といった具合です。
 ただ面白いのは、私が聞いたその人は、どうしても「混色」が理解できないと言っていたことでした。絵の具が混ざるところを目で見たことがある人なら、色は混ぜると別の色になる、ということを知っています。赤と黄色を混ぜると、中間色のオレンジ色ができあがることを知っています。ところが、その全盲の人にとっては、色を混ぜるのは、机と椅子を混ぜるような感じで、どうも納得がいかないそうです。赤+黄色=オレンジという法則は分かっても、感覚的にはどうも理解できないのだそうです
 
69 見える人には必ず「死角」がある
 
70 同じ空間でも、視点によって見え方がまったく異なります。同じ部屋でも上座から見たのと下座から見たのでは見えるものが正反対ですし、はたまたノミの視点で床から見たり、ハエの視点で天井から見下ろしたのではまったく違う風景が広がっているはずです。けれども、私たちが体を持っているかぎり、一度に複数の視点を持つことはできません。
 このことを考えれば、目が見えるものしか見ていないことを、つまり空間をそれが実際にそうであるとおりに三次元的にはとらえ得ないことは明らかです。それはあくまで「私の視点から見た空間」でしかありません
 
76 見えている人にとって、空間や面には価値のヒエラルキーがあります。まさに「正面」という言い方に価値の序列がダイレクトにあらわれています。その反対は機械的に「裏面」とされます。正当ではない、ときには反社会的ですらあるいかがわしさを醸し出す面です。「裏の顔」「裏口入学」「裏社会」などニュアンスもそうです。先天的に見えない人の場合、こうした表/裏にヒエラルキーをつける感覚がありません。すべての目を対等に「見て」いるので、表は裏だし裏は表なのです。決定的なのは「視点がないこと」です。視点に縛られないからこそ自分の立っている位置を離れて土地を俯瞰することができます。
 
79 決定的なのは、やはり「視点がないこと」です。視点に縛られないからこそ自分の立っている位置を離れて土地を俯瞰することができたり、月を実際にそうであるとおりに球形の天体として思い浮かべたり、表/裏の区別なく太陽の塔の三つの顔をすべて等価に「見る」ことができたわけです。
 すべての面、すべての点を等価に感じるというのは、視点にとらわれてしまう見える人にとってはなかなか難しいことで、見えない人との比較を通じて、いかに視覚を通して理解された空間や立体物が平面化されたものであるかも分かってきました。もちろん、情報量という点では見えない人は限られているわけですが、だからこそ、踊らされない生き方を体現できることをメリットと考えることもできます。
 
 
 
 
第2章:感覚―読む手、眺める耳
85 (あるいは、広瀬浩二郎さんは、自分の研究室にある壁一面の本の中から、背表紙の感触で目当てのタイトルを探し出すことができます。)
 まずひとつめの問題は、「すごい!」という驚嘆の背後には、見えない人を劣った存在と見なす蔑みの目線があることです。「すごい」は単なる「すごい」ではなくて、実は「見えないのにすごい」ということなのです
 もちろん、「すごい!」といった人は、さげすむような意図などまるっきりなしにそう言ったはずです。でも、無意識のレベルで「見えない人は見える人にできることができないはずだ」と考えていることを、見えない人は感じとっています。
 本棚から本を探し当てることは、見えている人にとっては「当たり前」の行為です。しかし、見えない人にとっても、それは同じように「当たり前」のことのです。自分にとって当たり前のことを「すごい」と言われたら、誰だって「おいおい、ナメないでおくれよ」と思うでしょう。
 だから私は、序章にも書いたように、「すごい!」ではなく「面白い!」と言うようにしています。本を探し当てるという同じ目的に対して、自分とは全然違うアプローチでそれを達成しているのですから。「へえ、そんなやり方もあるのか!」というヒラメキを得たような感触。「面白い」の立場にたつことで、お互いの違いについて対等に語り合えるような気がしています。
 
89 まず「見えない人=点字」の方程式について。少し古いデータですが、2006年に厚生労働省が行った調査によれば、日本の視覚障害者の点字識字率は、12.6%。つまり、見えない人の中で点字が読める人はわずか一割程度しかいないのです
 
90 さらに深刻なことに、こうした電子化の影響は、若い世代ほど強く受けています。見える世界でも若者の「活字離れ」が叫ばれて久しいですが、見えない世界でも同じように「点字離れ」が進んでいます。若い世代は電子化の波をダイレクトに受けていて、パソコンや携帯を駆使して見える人と同じように情報を収集します。スマートフォンを使いこなす視覚障害者も増えています。タッチパネルも、もちろん使いこなします。
 
91 このようなことを知らずに、「見えない人=点字=触覚」の方程式で状況を解こうとしてしまうと、「見えない人にとって、必要な情報は何でも触れるようにしてあげるのがいい」と杓子定規に考えがちです。たとえば、図形や絵の情報を伝えるために、それを立体コピーして見えない人に渡したとします。立体コピーとは線の部分が浮き出るように加工する印刷技法で、エンボスとも言われます。立体化された図形などを触って観察することを「触察」と言い、教育現場にも導入されるなど有用な場面もたくさんありますが、細かい図になってくると、見えない人であっても、理解するのは容易ではありません。線が混ざって模様のようになってしまう。
 けれどもこうしたケースでは、「分からない」とはなかなか言いだしにくいものです。「わざわざ立体コピーをしてくれたのに悪い」と感じてしまう人もいるでしょう。それではますますディスコミュニケーションが深まってしまいます。詳しくは第4章で紹介しますが、図形の「情報」そのものではなく、やわらかい、楽しそう、などその「意味」を伝える方法もあるはずです。
 
93 感覚のヒエラルキー
 これら2つの感覚(視覚・聴覚)が圧倒的に優位な上位感覚で、これに嗅覚、味覚、触覚が続きます。「視覚/聴覚」と「嗅覚/味覚/触覚」という2つのカテゴリーを分ける基準は、対象に接触しているかどうかです。視覚や聴覚においては、知覚している対象、たとえば見ている本や聴いているピアノと、目あるいは耳は接触していません。器官と対象のあいだには距離があり、離れています
 それに対して、嗅覚や味覚や触覚においては、対象との物理的な接触が生じます。触覚はまさに対象に触ることによって生じますし、味覚においては舌が食べ物に触れます。嗅覚は微妙ですが、対象から発せられた粒子が化学的に作用していることを考えれば、広義の接触と言えます。
 いずれにせよ、伝統的な考え方に従えば、序列の最高位に視覚が、そして最低位に触覚が位置しているのです。触覚を重視する思想家もいましたが、その場合にも触覚はあくまで「視覚に対するアンチ」の地位しか与えられていませんでした。
 
点字は「触る」ものではなく「読む」もの
99 生理学研究所の定藤規弘教授らによれば、見えない人が点字を読むときは、脳の視覚をつかさどる部分、すなわち視覚皮質野が発火しているのだそうです。つまり脳は「見るための場所」で点字の情報処理を行っているわけです。脳の可塑的な性格は近年注目を集めていますが、見えない人では視覚的な情報を処理する必要がなくなるため、視覚野が視覚以外の情報処理のために転用されるようになるのだそうです。(晴眼者ではこうしたことは起こりません)。
 
105 耳で「眺め」、状況を把握する
 これ(情報を集めること)は、いうまでもなく、視覚以外の器官を用いてもできることです。たとえばカフェにいてぼうっとしているとき。私たちは後ろの席の話し声や外の車の音をなんとなく耳に入れています。先の定義に従うなら、これはまさに「眺める」というべきでしょう。見えない人は、耳のみで「眺める」を行い、カフェの状況を把握しているのです。ベテランの視覚障害者だとこの能力が非常に鋭く、たとえば会話しながら周囲の様子を音によって「眺めて」いるので、教えなくてもトイレの場所がわかってしまうと言います。「眺める」は、すぐに必要のない情報をキャッチする働きだとしても、状況把握には必須の認識モードなのです。視覚障害者は、「特別な聴覚」を持っているわけではなくて、見える人が目でやっていることを耳でやっているだけなのです。
 
110 翼、羽、胸ビレ、と使っている器官は違うけれど、どれもが巧みに揚力を生み出し、飛ぶという目的を達成している。進化論的に考えれば、鳥の翼は「前脚」に由来します。でもそれは、もはや歩くことはない。つまり歩いたり走ったりすることだけが脚の能力ではないことを、鳥になる生物は発見したのです。脚は飛ぶことだってできた。進化とは、ある器官から思いもかけない能力を取り出すことです。進化のことを考えると、器官と能力の関係が決して固定的でないことがイメージできます。
(略)
 広瀬さんは、出口王仁三郎の詠んだある歌が、自分の活動を支えてきたと言います。「耳で見て目できき鼻でものくうて 口で嗅がねば神は判らず」王仁三郎は大本の教祖なので「神」という言い方をしていますが、ここを「真理」とでも言いかえれば、これは誰にでも当てはまることだろうと広瀬さんは言います。耳で「見る」こと、目で「聞く」こと、鼻で「食べる」こと、口で「嗅ぐ」こと。器官と能力の対応関係があべこべになってしまうこと様な状況こそ、むしろ、感じる器官の秘めた能力が最大限に発揮された状況でしょう。
 それは別の言い方をすれば、器官というものがそもそも明確に分けて考えられないものである、と言えるかもしれません。目で物の質感をとらえたり(触覚的な視覚)、耳で聞いた音からイメージを連想したり( 視覚的な聴覚)、甘い匂いを嗅いだり(味覚的な嗅覚)、といったことを感覚は自然に行っています。
 広瀬さんは言います。「もちろん人間の感覚を五つに分けて考えるというのは、アリストテレス以来の伝統があるんだけど、それほどスパッと聴覚は聴覚、視覚は視覚と分けて考えるようになったのは近代的な発想なのではないか」。
 もちろん、絶対に越えられない壁はあります。耳や手がどうがんばっても、目にしかできないこともあります。たとえば「目が合う」といった経験。あの親しみにも気まずさにも転じ得る質を、耳の経験に置き換えるとはおそらく不可能でしょう。他にも、青の青さや星のきらめきなど、目が見える人にしか経験できないことがたくさんあるのは重々承知です。逆に見えない人の世界観を、見える人が完全に理解することも不可能でしょう。
 「分かり合えないこと」はもちろん大切なのですが、でも、それは最後でいい。まずは想像力を働かせてみたいのです。見えない体に変身すること。4本脚ではない3本脚のバランスを感じてみること。そのためにはまず、器官と能力を結びつける発想を捨てなくてはなりません。器官にこだわるかぎり、際立つのは見えない人と見える人の差異ですが、器官から解放さてしまえば、見える人と見えない人の間の類似性が見えてきます
 
 
 
 
第3章:運動―見えない人の体の使い方
121 見える世界に生きていると、足は歩いたり走ったりするもの、つまりもっぱら運動器官ととらえがちです。しかしいったん視覚を遮断すると、それが目や耳と同じように感覚器官でもあることがわかる。足は、運動と感覚の両方の機能を持っているのです。地面の状況を触覚的に知覚しながら体重を支え、さらに全身を前や後ろに運ぶものである足。暗闇の経験は、「さぐる」「支える」「進む」といったマルチな役割を足が果たしていることに気づかせてくれます。
 そう、見えない体の使い方を解く最初の鍵は、「足」です。「触覚=手」のイメージを持っていると、見えない人が足を使っているというのは意外かもしれません。しかし言うまでもなく、触覚は全身に分布しています。
 
122 見えなくなってからかえって転ばなくなった
 
125 以前、難波さんと二人で初ボルダリングにチャレンジしました。そこで彼が意外な感想を口にしました。「マッサージに似ている! 」。思ってもみなかった視点にさすがマッサージのプロ、と驚きましたが、しかし言われてみるとわかるような気がします。
 マッサージ師が行うのは、患者の体を触って状態をサーチしつつ適切な向きと強さで体重をかける作業です。なるほど、ホールドに対してどうアプローチするかさぐる作業に通じるものがあります。
 
134 アメリカのダンサー、トリシャ・ブラウンは、「ノる」をこう定義しています。それは「動きの副産物に自然な進路を取らせること」であると、つまり思い通りにならない、偶然生まれてしまった動きを、「ノイズ」として消すのではなく、むしろキャッチして次の動きのきっかけとすること。興味深いことに、ブラウンは、「ノる」の可能性を追求するために視覚をなるべく排除したドローイングを行なっていました。
 電車の揺れという偶発事に一人対応できていたあの目の見えない男性は、電車に「乗る」と同時に「ノる」ことができていたのでしょう。難波さんも、電車の振動や揺れを楽しんでいる、と言っていました。もちろん、見えない人が常にハイテンションという意味ではありません。むしろ、常に注意力を要する生活にかかる労力は相当なものでしょう。
 しかし、だからこそ、見えない人は状況を対話的にやりくりする術に長けているのかもしれません。意志をかたくなに通そうとするのではなく、自分ではないものをうまく「乗りこなす」こと。そうしたスキルが、見えない人の運動神経には組み込まれているのかもしれません
 
139 合気道の原型は宗教団体大本の活動のひとつとして、大正期に植芝盛平によって始められました。
 
140 身体の本質─シンクロする力
 触覚面を通して相手の体や波、あるいは自転車のようなものと一つになる。完全に合体するわけではないけれど、ひとつになったように感じられる。よくよく考えると不思議なことです。触っただけで、自分の体の範囲が拡張されてように感じるわけですから。
 しかし、この曖昧さこそ身体の本質ではないかと私は考えています。確固とした輪郭を持たず、自分でないものと接続して大きくなったり小さくなったりすること。もちろん現実には瞬時に大きさが変化するわけではありませんが、感覚としてはそのように感じられます
(中略)
 たとえばペンを持ってペン先を紙につけると、紙の感触を感じます。ペンを握っている指ではなく紙と触れているペンの先で触覚を感じるわけです。まるでペンが体の一部になったようです。見えない人が使う白杖は、まさに体のこうした性質を利用したものです。
 あるいは、義足を使っている人なら、義足が自分の体の一部だと感じられなければ、使いこなすことができません。切断して存在しないはずの四肢を、まるであるかのように感じることを「幻肢」と言います。一説によれば、義足を使いこなすには適切な幻肢を持っていることが必要なのだそうです。「自分には足がある」というイメージがないと、義足を異物として感じてしまうのでしょう。中には、毎朝切断部分をピシャピシャたたいて幻肢を「起こす」人さえいることを、神経学者のオリバー・サックスは報告しています。
 このように、自分以外の物や人と同調していっしょに仕事を成し遂げる力が体にはあります。「シンクロ力」とでもいうべきこうした力がなかったら、人の体にできることはかなり限られてしまっていたでしょう。さまざまな物や人とシンクロする可能性を秘めていること。障害のある/なしにかかわらず、体が本来的に持っているこの開放性は、人間の活動を密かに支えています。
 
 
 
 
第4章:言葉―他人の目で見る
164 ソーシャル・ビューの面白さ
 情報化の時代にわざわざ集まってみんなで観賞する面白さは、見えないもの、つまり「意味」の部分を共有することにあります。もちろん、作品を見たその瞬間にぱっと意味が分かる人なんていません。しばらく眺め、場合によってはまわりをまわったりして、自分なりに気になった特徴を「入り口」として近づいてみる。 もやもやしていた印象を少しずつはっきりさせ、部分と部分をつなぎあわせて、自分なりの「意味」を、解釈を、手探りで見つけていく。鑑賞とは遅々とした歩みであり、ときに間違ったり、迂回したり、いくつもの分かれ道があったり、なかなか一筋縄ではいきません。しかし、この遠回りこそが実は重要なのです
 
166 印象派とは、「目の、目による、目のための絵画」
 現実の野原を湖と見間違える人はいません。この二つは全く別のものです。ではなぜ、野原が湖に見えてしまったのか? それは、その絵が印象派の手法で描かれていたからに他なりません。
 印象派というは、ご存知の通り、光を描くことをその特徴とします。初めてヨーロッパに行ったとき、太陽の光が妙にチカチカしていて、「これが印象派の光か」と思った記憶があります。日本ではおひまさまの光といえば「ぽかぽか」ですが、そのとき私が感じたヨーロッパの太陽は「チカチカ」でした。チカチカした光が風景や人にあたって私たちの目に飛び込み、その目の中までもチカチカさせる。そこを描こうとしたのが印象派です
 色を表現するにも、絵の具をあらかじめ混ぜて色を作ってからキャンバスにのせるのではなく、いろいろな色の細かい斑点を並べて描くことで、離れて見たときに目の中でそれが混ざって見えるように描いた。印象派とはまさに「目の、目による、目のための絵画」であったわけです。
 目のための絵画であるということは、印象派が、見えない人に伝えるのが最も難しい様式のひとつだ、ということを意味します。「目がチカチカする」というあの感じをいったいどう言語化すればよいのか。もちろん、見えない人は文字通りの視覚的な経験としてはそれを実感できないわけですが、なんとかしてそこを伝えなければ、印象派の絵画を理解したことになりません。
 そこで「意味」が生きてきます。野原が湖に見えてしまった、という美術館職員の間違いは、図らずも、印象派の本質を明かしています。野原の色とは何色でしょう。夏の昼間には緑色かもしれませんが、夕焼けに染まれればオレンジ色、夜の闇に沈めば黒紫、冬になれば茶褐色になります。「これが野原の色だ」という決まった色はない。
 湖だって同じです。青、緑、赤、黄色……季節と時間によって刻々と変化していきます。物の姿を固定的にとらえず、目に映る瞬間的な像に注目する。だからこそ、印象派にとっては、それが野原であるのか、果たして湖であるか、区別は曖昧なものになっていくのです。
 つまり、印象派とは、事実として「湖と野原が似てくるような絵」なのです。「湖っぽい野原」なんて現実には存在しませんが、にもかかわらず印象派を知る上では、この間違いこそむしろ正解です。ただの「野原」ではなく「湖っぽい野原」であること。印象派の定義と言っていいほど、これは本質を突いています。
 教科書には、絶対にそうは書いてありません。「この絵には野原が書かれています」という「情報」の説明があるだけ。それに対して、「湖っぽい野原」というのは、見た人の経験に根ざした「意味」です。物理的には同じだったものが、その人にとっての意味としては湖から野原に変化した。情報としては捨象されてしまうこの遠回りこそ、実は印象派の本質を明かすものであったのです
 
170 つまり、ソーシャル・ビューは、見えない人にとって新しいだけでなく、見える人にとっても新しい美術鑑賞なのです。いったいどんな意味に、どんな解釈に到達することができるのか。解釈には正解はありません。目的地を「目指す」のではなく「探し求める」この道行きは、筋書き無用のライブ感に満ちています。一回その楽しさを味わってしまうと、通常のお一人様単位での鑑賞が物足りなくなってしまう。見えない人にとっても、白鳥さんが言うように「このライブ感こそ最高! 」なのです。
 
176 「陶器だと言われた瞬間に陶器になる」
 難波さんは最初、そのコップをガラス製だと思っていました。確かにガラスと陶器は質感が似ていますし、そのような形ではガラスだと推測する方がむしろ自然です。しばらくお茶を楽しんだあと、ふとした話のはずみで、そのコップが話題にのぼりました。そして私の発言から、難波さんは自分が誤解していたことに気づきます。
 すると、難波さん曰く「陶器だと言われた瞬間に陶器になる」のだそうです。難波さんの頭の中で、目の前にあるものが魔法のように瞬時に変わるわけです。
 しかも難波さんの場合は中途失明ですから、頭の中のイメージもかなり視覚的です。今回の例でいえば、透明/不透明の区別を知っている。だから、「陶器になった瞬間、コップの中身も見えなくなる」のだそうです。誰しも頭の中のイメージを現実だと思って行動しているわけですから、これはものが突然変わったのに等しい変化です
 しかし、断片を積み重ねることに慣れている見えない人は、その都度得られる情報によってイメージを修正したり、解像度をあげたりすることに慣れっこなのでしょう。中には、「間違っていたらその都度更新すればいいや」くらいの感じで世界に臨んでいる人もいるように感じます。こうしたイメージの柔軟さは、見える人が頭の中のイメージに固執しがちなのとは対照的です。
 
177 ソーシャル・ビュー特有の矛盾や間違いをはらんだ、行ったり来たりの道行きは、見えない人がそもそも日常的に行なっている推理的・演繹的な情報処理に似ている、あるいは少なくとも親和性が高いのでしょう。見えない人は普段から断片的な情報を総合しつつ徐々に頭の中に対象を作り上げていきますが、ソーシャル・ビューもまた、直したり壊したりしながら、作品を頭の中に作り上げていくプロセスなのです。そう、鑑賞するとは、自分で作品を作り直すことなのです。
 
183 媒介としての障害
 つまりここでは、見えないという障害が、その場のコミュニケーションを変えたり、人と人の関係を深めたりする「触媒」になっているのです。触媒としての障害。見えることを基準に考えてしまうと、見えないことはネガティブな「壁」にしかなりません。
 でも見えないという特徴をみんなで引き受ければ、それは人々を結びつけ、生産的な活動を促すポジティブな要素になりえます。
 私自身、見えない人といると自分の性格が少し変わるのを感じます。一言で言うとおしゃべりになり、何でも言葉にするので不思議とリラックスしてきます。次章で触れるような見えない人のユーモアに助けられている部分も大きいですが、日常的な人間関係に比べると、「壁」がかえって低くなったような感じがします。まさに触媒の効果です。
 
185 見える人も盲目だ
 障害者が優れていると言いたいわけではありません。重要なのは障害が触媒として、人々との関係を変えることです。林さんは言います。
 「見えていることが優れているという先入観を覆して、見えないことが優れているというような意味が固定してしまったら、それはまたひとつの独善的な価値観を生むことになりかねない。そうではなく、お互いが影響しあい、関係が揺れ動く、そういう状況を作りたかったんです」
 「特別視」ではなく、「対等な関係」ですらなく、「揺れ動く関係」。ソーシャル・ビューが単なる意見交換ではなく、ああでもないこうでもないと行きつ戻りつする共同作業であるからこそ、お互いの違いが生きてくるわけです
 変化は見えない人の中でも起きます。白鳥さんは、美術鑑賞を通して「見る」ということについての考え方が変わったと言います。「それまでは、見えているのはいいことで、見えていないのは良くない、見えていることは正しくて、見えていないことは正しくない、という印象が子どもの頃からずっとあった。見えている人の言うことは絶対的な力があったんですよ。見えている人は強くて、見えていない人は弱い、と言うような。でも見えている人が湖と野原を間違うと言うような出来事があって、何か違うぞと思い始めたんですね(笑)」。
 つまり、「見る」が絶対的なものでないことを、白鳥さんは知った。そう思うことによって初めて、見えない人にとっても、見える人に対する関係が揺れ動き始めます。
 「見えていてもわからないんだったら、見えなくてもそこまで引け目に思わなくてもいいんだな、見えている人がしゃべることを全部信じることもなく、こっちのチョイスであてにしたりあてにしなかったりでいいのかな、と思い始めました」
 ある意味で、見える人も盲目であることを、白鳥さんは知った。障害が、「見るとは何かを問い直し、その気づきが人々の関係を揺り動かしたのです。福祉とは違う、「面白い」をベースとした障害との付き合い方のヒントが、ここにはあるように思います。
 
 本章では、私が「ソーシャル・ビュー」と呼ぶ美術鑑賞を例を取り上げながら、言葉を道具として「他人の目で見る」ことについて、お話ししてきました。
 見える人と見えない人が一緒になって、頭の中で作品を作り直していく過程は、「見るとは何か?」を問い直す作業でもありました。見える人が実は見えていないかもしれないこと、見えない人の方が実は柔軟に見えているかもしれないこと、そうしたことをお互いに感じることによって、関係が揺れ動きます。
 ソーシャル・ビュー以外にも、最近では障害を触媒と見なすような動きが生まれています。たとえば「インクルーシブデザイン」というデザインの手法は、障害者をものづくりのプロセスに積極的に巻き込んでいきます。健常者を「平均的なユーザー」とすれば障害者は「極端なユーザー」であり、極端だからこそ新しい視点を持っている可能性がある。それを創造につなげようとするのです。
 健常者が障害者をサポートするという福祉的な視点も重要ですが、それと同時に、「障害の使い道」をもっともっと開いていく必要があるのではないでしょうか。
 
 
 
 
第5章:ユーモア―生き抜くための武器
191 「不自由さの扱い方」
 見えない人にとって、社会は決して自分の体にフィットするようにはできていません。駅前は放置自転車だらけですし、画面はますますタッチパネルが増え、カードで買い物をすれば、サインを求められます。
 この不自由さに対して、とりうる方法はいくつかあります。もっともストレートな方法は、行政に異議申し立てを起こしたり権利を求めて街頭でデモを起こすことでしょう。これらはいわゆる「市民運動」と呼ばれるものです。こうした活動は大切ですし、地道な努力が世論や行政に揺さぶりをかけた前例もたくさんあります。
 でも、私がかかわった視覚障害者の中には、それとは別の戦略をとる人もいました。不自由な環境を物理的に変えようとするのではなく、その意味を変えることによって、生き抜こうとするのです
 そこで使われる武器が「ユーモア」です。ユーモアたっぷりに不自由な状況を読み替えることによって、社会に無理やり自分を合わせなければならないプレッシャーをかわしてしまう。それはもしかすると個人的で、単なる強がりにうつるかもしれません。でも決してそんなことはない、と私は思っています。その理由については最後に述べましょう。まずは具体的に例を見てみます。
 
193 今日食べるパスタは、ミートソース味か、クリームソース味か
 難波さんは、自宅でよくスパゲティを食べるのでレトルトのソースをまとめ買いしています。ソースにはミートソースやクリームソースなどいろいろな味がありますが、すべてのパックが同じ形状をしている。つまり一人暮らしの難波さんがパックの中身を知るには、基本的に開封してみるしかありません。ミートソースが食べたい気分のときに、クリームソースが当たってしまったりする。
 はたから考えれば、こうした状況は100パーセントネガティブなものです。でも難波さんは、これを単なるネガティブな状況とは受け取りません。食べたい味が出れば当たり、そうでなければハズレ。見方を変えて、それを「くじ引き」や「運試し」のような状況として楽しむのです。「残念」というのはあるけど、今日は何かなと思って食べた方が楽しいですよね。心の持っていき方なのかな」「『思い通りにならなくてはダメだ』『コントロールしよう』という気持ちさえなければ、楽しめるんじゃないかな」。
 つまり難波さんは、見えないことに由来する自由度の減少を、ハプニングの増大としてポジティブに解釈しているのです。「情報」の欠如を、だからこそ生まれる「意味」によってひっくり返しているのです。
 
199 第1章で、見えない人は「道」から相対的に自由だという話をしました。健常者は、製品やサービスに埋め込まれた使い方におのずとしたがってしまいます。そんな真面目なユーザーを尻目に、見えない人は決められた道をかわしていきます。「こっちの道もあるよ!」─何だか先を越されたような気分さえ感じます。
 「こっちの道もあるよ!」と先を越されるのが痛快なのは、健常者の社会や価値観そのものが障害者の使い道によって相対化されるからに他なりません。パスタソースや自動販売機の例は、笑いのジャンルとしては「自虐」に近いものです。ところが、自虐の攻撃対象がふつうはそれを口にする本人にあるのに対し、この場合はなぜか言われた方もチクっとやられたような気分になる。だからこそ「痛」快なのです。
 なぜ痛みがこちらに返ってくるのか。言うまでもなくそれは、笑いのネタに「障害」が関わっているからです。そして、それを聞いている私たちが、健常者だからです。
 しかし、それは単なる痛みではありません。「『痛』快」は「痛『快』」でもあるわけで、何か「つかえ」が取れたような気分にもなる。痛すぎると笑えなくなってしまいますが、快さがあるかぎり、その笑いは建設的なものです。ではいったい、どんな「つかえ」が取れたのでしょうか。
 
200 フロイトのユーモア論
 「つかえ」の正体を知るために、根本に戻ってみましょう。そもそもユーモアとは何でしょうか。
 ここで、有名なユーモア論を参照してみます。精神分析の父と言われる精神科医ジークムント・フロイトのそれです。
 フロイトが例に出すのは、ある死刑囚のエピソードです。死刑が確定したその囚人は、刑が執行されるのを待つばかりの生活を送っていました。そして、ついにその日が来ます。ある月曜日の朝に、今日が刑の執行日であることを伝えられるのです。とうとう迎えることになった人生最後の日。ところがそこで党の囚人が思いがけない一言を口にします。「おや、今週も幸先がいいぞ」。
 いかりや嘆きのかけらもない、実に拍子抜けする別れの辞です。「幸先がいい」と言う言い方もそうですが、もっと痛烈なのは「今週」という言葉です。今日を限りで死ぬ彼には、もはや月曜日しかない。にもかかわらず「今週」とはずいぶん悠長な時間感覚です。
 まるで、自分という視点を超越して、置かれた状況全体を俯瞰的に見下ろしているかのようです。フロイトは、ユーモアの秘密は視点の移動にあると言います。現実が、自分を苦しめようとしている。けれどもそんな状況をものともせず、超越した視点に立って「世の中そんなものさ」とユーモアは笑いとばすのです。ユーモアは、苦痛を強制されるような状況にあっても自己を守るための一つの防衛方法だとフロイトは言います
 これは言ってみれば非常にマゾヒスティックな視点です。マゾヒズムというと何やら性的なニュアンスが強いですが、その本質は、与えられたマイナスの状況をプラスに転化する価値転倒の力にあります。自分の置かれた状況をちょっと離れたところから眺めて、正反対の意味を与えてしまう。マゾヒズムとユーモアは密接な関係があります。
 面白いのは、このマゾヒスティックな視点によって、周囲の人々もユーモアの痛快さを感じることです。刑の執行と聞いて、私たちは当人の気持ちを想像します。「彼は怒りだすだろうか、嘆くだろうか、あるいは絶望したまま死んでいくのだろうか」。死の間際に人が感じそうな感情を思い描き、みている側もそれに感情移入して、我がことのように同情や哀れみを感じる準備をするのです。けれども、死刑囚のユーモラスな一言によって、こうした予期があっさりと裏切られます。感じるつもりだった感情が、行き場を失って的外れなものになる。この拍子抜けの状態を、フロイトは「感情の消費の節約」と言います
 「節約」というのは何だか奇妙な表現ですが、使われるはずのものが使われなかった、という意味でしょう。同情や哀れみが無効になり、囚人とともに私たちも自己を超越した視点に立ちます。そして「世の中そんなものさ」と現実の厳しさをかわす姿勢に驚きつつ、快楽を感じるのです。
 
208 フロイトが例に挙げた死刑囚について、「自分という視点を超越して、置かれた状況全体を俯瞰的に見下ろしているかのよう」だと述べました。自分という存在から距離をとることはユーモアの基本ですが、ここでも障害者の持つ距離感に健常者がハッとさせられている。自分が当事者である障害に対するクールな態度、あるいは障害というものに対する距離の取り方に、健常者が目を覚まされるのです。
 彼らにとっては、その距離感が「当たり前」であり「日常」です。私は見えない人と最初にかかわったときの状況が、見えない人がたくさんいて、そこに自分がまざっている、というものでした。つまり、彼らの自然な「日常」に触れることができた。今思えばそれはラッキーなことで、一対一で接していたら、ずいぶん印象が変わっていたかもしれない。
 もちろん、同じ障害を抱えているように見えても、障害の中身は一人ひとり違いますし、その中には考え方の違いや対立があります。しかし、そのような経験がない健常者にとっては、障害を抱えた人同士のコミュニケーション、そこでの「当たり前」や「日常」に触れるだけでも、思い込みを変えるのに十分なヒントを得ることができます。
 
209 障害とは何か
 最後に改めて考えてみたくなります。そもそも障害とは何でしょうか。
 「障害者」というと「障害を持っている人」だと、一般には思われています。つまり、「目が見えない」とか「足が不自由である」とか「注意が持続しない」とかいった、その人の身体的、知的、精神的特徴が「障害」だと思われている。
 しかし、実際に障害を抱えた人と接していると、いまだ根強いこの障害のイメージに対しては、強烈に違和感を覚えます。端的にいって、こうした意味での障害は、その人個人の「できなさ」「能力の欠如」を指し示すものです。「できなさ」や「能力の欠如」だから、触れてはいけないものと感じられる。
 何人もの研究者が指摘していますが、こうした個人の「できなさ」「能力の欠如」としての障害のイメージは、産業社会の発展とともに生まれたとされています。現代まで通じる大量生産、大量消費の時代が始まる時期、均一な製品をいかに速くいかに大量に製造できるかが求められるようになりました。その結果、労働の内容も画一化されていきます。車を作るのに、Aさんが作ったのとBさんが作ったので出来上がりが違うのでは困る。「誰が作っても同じ」であることが必要であり、それは「交換可能な労働力」を意味します。
 こうして労働が画一化したことで、障害者は「それができない人」ということになってしまった。それ以前の社会では、障害者には障害者にできる仕事が割り当てられていました。ところが「見えないからできること」ではなく「見えないからできないこと」に注目が集まるようになってしまったのです。
 こうした障害のイメージに対しては、1980年頃から、世界各国で疑問が突きつけられるようになります。さまざまな論争や事件の詳細な歴史はここでは記しませんが、「個人のできなさ」とは違う形で障害を捉える考え方が模索されました。こうした運動は「障害学」という新しい学問をも生み出しました。
 そして約30年を経て2011年に交付・施行されたわが国の改正障害者基本法では、障害者はこう定義されています。「障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」。つまり、社会の側にある壁によって日常生活や社会生活上の不自由さを強いられることが、障害者の定義に盛り込まれるようになったのです。
 
211 従来の考え方では、障害は個人に属していました。ところが、新しい考えでは、障害の原因は社会の側にあるとされた。見えないことが障害なのではなく、見えないから何かができなくなる、そのことが障害だと言うわけです。障害学の言葉でいえば、「個人モデル」から「社会モデル」の転換が起こったのです。
 「足が不自由である」ことが障害なのではなく、「足が不自由だからひとりで旅行にいけない」ことや「足が不自由なために望んだ職を得られず、経済的に余裕がない」ことが障害なのです。
 先に「しょうがいしゃ」の表記は、旧来どおりの「障害者」であるべきだ、と述べました。私がそう考える理由はもうお分かりでしょう。「障がい者」や「障碍者」と表記をずらすことは、問題の先送りにすぎません。そうした「配慮」の背後にあるのは、「個人モデル」でとらえられた障害であるように見えるからです。むしろ「障害」と表記してそのネガティブさを社会が自覚するほうが大切ではないか、というのが私の考えです。
 
 もっとも、法律の定義が変わったからといって、それはあくまでお題目にすぎません。障害の社会モデルがまだまだ浸透していないのは、障害を受け止めるアイディアや実践が不足しているからでしょう。第3章の終わりで述べたように、障害は高齢化と密接な関係があります。高齢になると、誰でも多かれ少なかれ障害を抱えるからです。障害を受け止める方法を開発することは、日本がこれから経験する前代未聞の超高齢化社会を生きるためのヒントを探すためにも必要です。
 ただ、注意しなければならないのは、社会の側に障害があるからといって、それを端から全部なくしていけばいいというものではない、ということです。「パスタソースを選べないこと」は社会モデルの定義にしたがえば「障害」です。しかしこの障害をなくすことは、見ない人のユーモラスな視点やそれが社会に与えたかもしれないメリットを奪うことでもあります。
 もちろん味を選べたほうがいいのは当然です。しかし、見えない人と見える人の経験が100パーセント同じになるとはありません。見える人がパックのビジュアルから想像する「味」と、見えない人がたとえばパックの切り込みで理解する「味」は、決して同じものにはならないでしょう。違いをなくそうとするのではなく、違いを生かしたり楽しんだりする知恵の方が大切である場合もあります。
 いずれにせよ、「味がわかるようにするのがいいだろう」と健常者が見えない人の価値観を一方的に決めつけるのが一番良くないことです。言葉による美術鑑賞の実践がそうであったように、「見えないこと」が触媒となるような、そういうアイディアに満ちた社会を目指す必要があるのではないでしょう。