読んだ。 #生物から見た世界 #ユクスキュル #クリサート #日高敏隆 #羽田節子

読んだ。 #生物から見た世界 #ユクスキュル #クリサート #日高敏隆 #羽田節子
 
 
目次
まえがき
 
 
序章 環境と環世界
13 生理学者にとってはどんな生物も自分の人間世界にある客体である。生理学者は、技術者が自分の知らない機械を調べるように、生物の諸器官とそれらの共同作用を研究する。それにたいして生物学者は、いかなる生物もそれ自身が中心をなす独自の世界に生きる一つの主体である、という観点から説明を試みる。したがって生物は、機械にではなく機械をあやつる機械操作係にたとえるほかはないのである
要するに問題は、ダニは機械なのか機械操作係なのか、単なる客体なのかそれとも主体なのか、ということである。
 生理学は、ダニは機会だと断言し、ダニには受容器すなわち感覚器官と実行器すなわち行為器官が区別され、それらは中枢神経系にある制御装置によって互いにつながっていると言うだろう。全体が一つの機械であって、操作係に当たるものは何一つないのである。
「まさにそこに誤りがあるのだ。ダニの体のどこをとっても機械の性格はなく、いたるところで機械操作係が働いている」。こう生物学者は答えるであろう。
 だが生理学者は動ずることなくこう続けるだろう。「まさにダニの場合、すべての行為はもっぱら反射だけに基づいている。そして反射弓がそれぞれの動物機械の基盤となっている。

それは受容器、すなわち酪酸や温度など特定の外部刺激だけを受け入れ他はすべて遮断する装置ではじまり、歩行装置や穿孔装置といった実行器を動かす筋肉で終わる。
 感覚的興奮を引き起こす「知覚」神経細胞と運動インパルスを引き起こす「運動」神経細胞には、外部刺激に応じて受容器が神経内に生み出す完全に身体的な興奮の波を実行器の筋肉に伝えるための接続部分としての役目しかない。反射弓全体はあらゆる機械と同様に運動の伝達によって働く。一人であれ複数であれ機械操作係のような主体的な要因はこの現象のどこにも見られない」。
 「事態はまるで反対だ」と生物学者は答えるだろう。「われわれに関りがあるのは、すべて機械操作係であって、機械の部分ではない。なぜなら、反射弓の個々の細胞はすべて、運動の伝達によってではなく刺激の伝達によって働いている。だが刺激は主体によって感じ取られるものであって、客体に生じるものではない」。
 たとえば鐘の舌がそうであるように、機械のどの部分も、きまったやりかたで左右にゆすられたら機械的に働くだけである。暑さ、寒さ、酸、アルカリ、電流といったほかのあらゆる干渉に対しては、ただ一枚の金属片としての反応を示すだけだ。一方、筋肉がまったく別の振る舞いをすることは、ヨハネス・ミュラー以来知られている。どんな外的干渉もすべて同じ刺激に変えて、その筋肉細胞に収縮を引き起こす同じインパルスで答えるのである。
 ヨハネス・ミュラーはさらに、われわれの視神経が出会うあらゆる外部作用は、エーテル波であれ圧力であれ電流であれ、同じように光感覚をよびおこすこと、つまり、われわれの視神経は同じ「知覚記号(Merkzeichen)」で答えることを示している。
 
16 そこで、それぞれの生きた細胞は感知し作用する機械操作係であり、したがってそれに固有の(特異的な)知覚記号と、インパルスすなわち「作用記号(Wirkzeichen)」をもっているのだと結論できよう。それゆえに、動物主体全体の多様な知覚と作用は、小さな細胞という機械操作係の共同作業によるものであって、それぞれは個々の知覚記号ないし作用記号を操っているだけなのである。
 秩序ある共同作業を可能にするために、生物体は脳細胞(これも基本的な機械操作係である)を利用し、その半分を脳の刺激受容部分すなわち「知覚器官(Merkorgan)」「知覚細胞群(Merkzellen)」として大小の集団に分けている。これらの集団は、外部から動物主体に迫ってくる問いかけの刺激のグループに対応している。残り半分の脳細胞を生物体は、「作用細胞群(Wirkzeichen)」あるいはインパルス細胞群として用い、それらを、動物主体の答えを外界に与える実行器の運動を制御する集団としてまとめている。
 知覚細胞の集団は脳の「知覚器官(Wirkorgan)」を構成し作用細胞の集団は脳の「作用器官」の中身をなしている
 もしこのことから、知覚器官とはいろいろな特異的な知覚記号の担い手である細胞機械操作係の集団が働いたり休んだりする場であると想像してもよいのなら、それらの機械操作係はやはり空間的に切り離された個別の存在であると言える。それらがもつ知覚記号も、もしそれらが空聞的に固定された知覚器官以外のところで融合して新しい単位になるという可能性をもたないとすれば、それぞれが孤立したままでいるだろう。しかし実際その可能性は存在するのである。一グループの知覚細胞の知覚記号は、その知覚器官の外で、いや動物の体の外で、集まって一つになり、そのまとまりが動物主体の外にある客体の特性になる。これはわれわれすべてによく知られた事実である。われわれ人間に感じられる感覚のすべて、つまりわれわれに特異的な知覚記号のすべてが一つにまとまって、われわれの行為のための知覚標識として役立つ外界事物の特性となるのである。「青い」という感じが空の「青さ」になり、「緑色」という感じが芝生の「緑」になる。われわれは青いという知覚標識で空を認識し、緑色という知覚標識で芝生を認識するのである。
 
19 たとえていうなら、各動物主体はピンセットの二本の脚、すなわち知覚の脚と作用の脚で客体を掴んでいるようなものである。片方の脚で客体に知覚標識を与え、もう片方の脚で作用標識を与えるのである。それによって、客体のある特性が知覚標識の担い手になり、別の特性が作用標識の担い手になる。ある客体の特性はすべて、その客体の構造を通じて互いに結びついているので、作用標識によってとらえられた特性は、知覚標識を担う特性に客体を通じて影響をおよぼすとともに、知覚標識自体がみずからを変化させるように作用しなくてはならない。これを手短かに表現するなら、作用標識は知覚標識を消去するということになる
 すべての動物主体の一つ一つの行動の過程にとって重要なものとして、受容器が通過させる刺激の選択と、実行器にある特定の活動の可能性を与える筋肉の配置があるが、それらとならんでとりわけ重要なのが、知覚記号をつかって環世界の客体に知覚標識を認める知覚細胞の数と配置、および、作用記号によって同じ客体に作用標識をつける作用細胞の数と配置である。
 客体が主体の行動に関われるのは、それが一方では知覚標識の担い手になり、他方では作用標識の担い手になれる(この二つは対立構造によってつながっている)という欠くことのできない特性をそなえている限りにおいてである。

20 主体の客体に対する関係は、前頁の機能環(Funktionskreis)の図でたいへんわかりやすく説明されている。この図は主体と客体がいかにぴったりはめこまれており、ひとつの組織だった全体を形成しているかを示している。さらに、一つの主体が多くの機能環によって同じあるいはさまざまな客体と結ばれていると想像してみれば、環世界説の第一の基本法則を見抜くことができるつまり、動物主体は最も単純なものも最も複雑なものもすべて、それぞれの環世界に同じように完全にはめこまれている。単純な動物には単純な環世界が、複雑な動物にはそれに見合った豊かな構造の環世界が対応しているのである
 
21 われわれに関係があるのは二つの客体の間の力の交換ではない。問題は生きている主体とその客体との間の関係であり、この関係はまったく異なるレベルで、つまり、主体の知覚記号と客体の刺激との間でおこるということである。
 
22 ダニを取り囲む豊かな世界は崩れ去り、重要なものとしてはわずか三つの知覚標識を三つの作用標識からなる貧弱な姿に、つまりダニの環世界に変わる。だが環世界のこの貧弱さはまさに行動の確実さの前提であり、確実さは豊かさより重要なのである。
 
 
※・主体と客体の関係は機能環という図式で表される。
客体のもつある性質は知覚標識の担い手になる。
知覚標識を受容器(感覚器官)が受け取り、脳内の知覚器官が刺激を受けるのが知覚世界である。
一方、脳内の作用器官は、外界に対する動物主体の応答を与える実行器(筋肉)の動きを制御するのが作用世界である。
実行器は客体に対して作用標識を刻みつける。
作用標識によって与えられた性質は、知覚標識の担い手である性質に対し、客体を通して必然的に影響を及ぼし、知覚標識そのものを変化させるように働きかける。
この知覚世界と作用世界が共同で一つのまとまりのある統一体を作り上げたのが環世界である。
この図式に従って、具体的な動物の環境世界、例えばダニが哺乳類に落下して血を吸う一連の流れなどが説明される。
 
 
※2.ダニの行動の生物学的詳細
 ダニの感覚機能
①八本の足
②目がない。その代わりに全身光感覚。
③耳もないが、嗅覚:酪酸:知覚標識。
④温度感覚
⑤触覚
1.ほ乳類の皮膚腺は、第一の環の知覚標識(メルクマール)の担い手
2.酪酸の刺激は、知覚器官の中で、特異的な知覚信号を触発(原訳:解発)し、それを③嗅覚標識として外界に移される。
3.知覚器官の中のこの出来事は、誘導によって作用器官の中に適当なインパンルスを生じさせ、それが①足をはなして落下することを引き起こす。
4.落下したダニは、突き当たったほ乳類の毛に、⑤衝突という作用標識を与える。
5.その標識は、ダニの側に⑤接触(触角)という知覚標識を触発する。
6.この新しい知覚標識は、はいまわるという行為①を触発し、その結果ついにダニは毛のないところにたどり着く。
7.この知覚標識は、暖かい④という知覚標識にとって代わられ、それに続いて穴をあけるという行為⑦が始まり、味覚がないが、⑥液体が適当な温度であれば吸い込む(最後の晩餐)。血を吸った後は、地面に落ちて卵を産んで死ぬ。
8.おのおのの作用標識は、知覚標識を拭い去る
 
 生物・動物を単なる客体(物・部品の集まり)としてではなく、
知覚の行為
作用の行為
をその本質的な活動として保持するものを主体と見なす
 主体が知覚するすべての物がその知覚世界となり、主体が行う作用のすべてがその作用世界となる。知覚世界と作用世界が共同で一つのまとまりある統一体、つまり環境世界を作り上げるのである
 一つのグループの知覚細胞が担当する知覚標識は、知覚器官の外部、いや生物体の外部において統一されてまとまった単位となり、それが生物主体の外に存在する対象の特性となる。
 生きた主体が存在しなければ、いかなる時間・空間も存在しない
 
生物の環境世界
 生物の環境世界は、その周囲に広がって見える環境の単なる一片に過ぎない。
そして、この環境というものは、われわれ自身の、つまり人間の環境世界に他ならない。
 
 
 
23 ダニのとまっている枝の下を哺乳類が通りかかるという幸運な偶然がめったにないことはいうまでもない。茂みで待ち伏せるダニの数がどんなに多くても、この不利益を十分埋め合わせて種の存続を確保することはできない。ダニが獲物に偶然出合う確率を高めるには、食物なしで長期間生きられる能力もそなえていなければならない。もちろんダニのこの能力は抜群である。ロストックの動物学研究所では、それまですでに18年間絶食をしているダニが生きたまま保存されていた。ダニはわれわれ人間には不可能な18年という歳月を待つことができる。われわれ人間の時間は、瞬間、つまりその間に世界が何の変化も示さないような最短の時間の断片が連なったものである。一瞬が過ぎゆく間、世界は静止している。人間の一瞬は18分の1秒である。後に述べるように、瞬間の長さは動物によって異なるが、ダニにどんな数値を当てようと、まったく変化のない環世界に18年間耐えるという能力は、到底ありうるものとは思われない。このことから、ダニはその待機期間中は一種の睡眠に似た状態にあるものと仮定しよう。そのような状態ではわれわれ人間でも何時間化の間、時間が中断される。ダニの環世界の時間は待機期間中、何時間どころか何年にもわたって停止しており、酪酸の信号がダニを新たな活動によびさますにおよんで、ようやく再び動きはじめるのである。
 
 この認識から何が得られたであろうか。それはたいへん重要なことである。時間はあらゆる出来事を枠内に入れてしまうので、出来事の内容が様々に変わるのに対して、時間こそは客観的に固定したものであるかのように見える。だがいまやわれわれは、主体がその環世界の時間を支配していることを見るのである。これまでは、時間なしに生きている主体はありえないと言われてきたが、いまや生きた主体無しに時間はありえないと言わねばならないだろう。
 
 
 
※・ユクスキュルは、動物は知覚道具と作業道具とそれをまとめる制御装置からなる機械であるという機械論には反対する。そこには知覚したり、作用したりする主体がないからだという。生命を有する主体がなければ、空間も時間も存在しえないとし、それはカントの学説と結びつくとしている。
 
※3.運動の伝達と刺激の伝達
・運動の伝達
機械としての鐘:左右に振られる場合のみ答える。
・刺激の伝達
生物の筋肉:あらゆる外的干渉(熱・寒さ・アルカリ・電熱)などに対し収縮をもつて答える。
我々の視神経:すべての外的作用は、光波であれ、圧力であれ、また電流であれ、すべて光の感覚を呼び起こす。
 
 
※知覚器官においては、刺激源から発した、化学的=物理学的な作用が、ある感覚(知覚標識)へと変えられ、作用器官においては、別の感覚(作用標識)があらためて化学的=物理学的な作用へと変えられる。これは生理学者が考えているような単なる反射ではない。鏡面における単なる反映のようなものではない。
そこには(知覚標識と作用標識の間には)、ある中枢的な出来事が介在しているのであって、この出来事が一方の知覚器官と他方の作用器官の二つの局面を互いに結び合わせている。
そして、両者を媒介するこの中枢的な過程が、まさに意味の創造ということなのだ。あらゆる生物は、それぞれその定められた環世界に固有の、意味の原像を持っている。生物学者は、もっぱら《原因》を求めて、生物をその周囲の事物の反射体と見なすのではなく、《理由》を探って、生物をその環世界の事物に対する意味の付与者と見なすものである。
[この【12】は、「生命の劇場」(2012・講談社学術文庫)の記述から抜粋・引用して再構成しました。]
 
 
 
一章 環世界の諸空間
28 ここでわれわれが研究しようとする動物の環世界(Umwelt)とは、われわれが動物の周囲に広がっていると思っている環境(Umgebung)から切り出されたものにすぎない。そしてこの環境はわれわれに固有の人間の環世界に他ならない。環世界の研究の第一の課題は、動物の環境の中の諸知覚標識からその動物の知覚標識を探り出し、それでその動物の環世界を組み立てることである。
 
 レーズンという知覚標識はダニをまったく動かさないが、酪酸という知覚標識はダニの環世界で著しい役割を演ずる。一方、美食家の環世界で重要性が強調されるのは、酪酸ではなくてレーズンという知覚標識である。
 どの主体も、事物のある特性と自分との関係をクモの糸のように紡ぎ出し、自分の存在を支えるしっかりした網に織り上げるのである。
 
 主体とその環境の客体との間の関係がどのようなものであろうとも、その関係はつねに主体の外に生じるので、われわれはまさにそこで知覚標識を探さねばならない。主体の外にあるこれら知覚標識どうしはそれゆえつねに何らかの形で空間的に結びついており、そしてまた一定の順序で交代していくので、時間的にも結びついている
 
 われわれはともすれば、人間以外の主体とその環世界の事物との関係が、われわれ人間と人間世界の事物とを結びつけている関係と同じ空間、同じ時間に生じるという幻想にとらわれがちである。この幻想は、世界は一つしかなく、そこにあらゆる生物がつめこまれている、という信念によって培われている。すべての生物には同じ空間、同じ時間しかないはずだという一般に抱かれている核心はここから生まれる。最近になってようやく、すべての生物に通用する空間を持つ宇宙の存在への疑いが物理学者たちの間に生じてきた。そのような空間がありえないことは、一人一人の人間が、お互いに見た試合補い合うがなお部分的には相容れない三つの空間に生きているという事実からすでに明らかである。
 
37 触空間(Tastraum)の基本的構成要素は方向歩尺のような運動の大きさではなくて、何か確固としたもの、つまり場所(Ort)である。場所もまた主体の知覚標識のおかげで存在するもので、環境の物質に結び付いた形成物ではない。~、われわれは触覚の知覚記号のほかに場所感覚のための知覚記号ももっていることがわかる。これを局所記号(Lokalzeichen)という。
 
38 触空間は多くの動物でたいへん顕著な役割と果たしている。ネズミやネコは視力を失ってしまっても、触毛がある限りその運動に全く支障がない。夜行性の動物や洞窟に住む動物はすべて、おもに蝕空間に生きているが、これは場所と方向歩尺の融合から成り立ったものである。
 
39 目のある動物においてはじめて、視空間(Sehraum)と、触空間(Tastraum)がはっきり分離する。目の網膜にはごく小さな基本領域、すなわち視覚エレメントがぎっしり並んでいる。それぞれの視覚エレメントには環世界の場所が一つずつ対応している。というのは、それぞれの視覚エレメントに局所記号が一つずつ届くことが分かっているからである。
 
40 触空間では対象物が小さくなるということはおこらない。そしてこれが、視空間と蝕空間が競争になる点である。手を伸ばして茶碗をつかみ、口のほうへ持ってくるとき、視空間では茶碗は大きくなるが、触空間ではその大きさは変わらない。この場合、触空間のほうが優勢である。なぜならば公正な第三者には茶碗が大きくなることは感じられないからである。
 
41 同じ絵をどんどん縮小して同じ網をかけ、それを写真に撮り直してからふたたび拡大すればいいのだ。そうすると、その絵はどんどんきめの粗いモザイクに変わる。一緒に写っている編みは邪魔になるので、粗くなった絵を編みなしの水彩画として再現した。
 
 
※4.種々の生物の環境世界と環境
「環境(Umgebung:ドイツ語)」
「環境世界(Umwelt:ドイツ語)」
「環境」の中に、その一部として、ダニ(主体)にとっての「環境世界」があり、ダニ(主体)の行為によって有意味となるものが、その主体(ここでは、ダニ)の環境世界である。つまり、環境一般というものはなく、我々が、「環境」と呼んでいるもののうち、ダニにとっては、その一部のみが、有意味であり、それを、ユクスキュルは「環境世界」と呼んでいます。
 そうすると、我々がダニの環境世界を見ているように、誰かが我々の環境世界を見ていることはないのでしょうか
 我々がより良い環境を構築しようとする営みは、あたかもダニが木の枝でじっと待つことに似て、それを見ている誰かにとっては、些細なことであり、丸でも四角でも六角形でも大した違いはないということなのでしょうか。
 我々が、考え、信じて行うことに意味があまりないという悲観主義(ペシミズム)に陥る道しか残されていないのでしょうか。
 
 シェーラーによると、生物が「環境」に縛られている(「環境緊縛性」)のに対し、人間は「環境」に縛られず、むしろ開かれた「世界」に自由な態度がとれると考え、このような事態を「世界開在性(Weltoffenheit)」と呼んだ(『宇宙における人間の地位』1928年)
 
 人間以外の主体と、その環境世界の事物との関係が演じられる時間や空間と、我々人間と人間世界の事物との間をつなぐ関係が展開される空間と時間とが、まったく同一のものであるとする妄想にふけることが簡単に行われている。
 さらにこの妄想は、世界というものはただ一つしか存在しないもので、その中にあらゆる生物主体が一様にはめこまれているという信仰によって培われている。ここからすべての生物に対して、ただ一つの空間と時間しか存在しないはずだという、ごく一般的な確信が生まれてくる。それが間違いであるとユクスキュルによれば言えることになる。
 
 
 
※a) 作用空間(Wirkraum)
・運動の活動空間:無数の交差する方向歩尺からなる運動空間であるだけでなく、座標系をもち、それがあらゆる空間規定の基盤となるもの
・人間の空間の三次元性は内耳の三半規管に由来する by ツィーオン
方向歩尺(Richtungsschitte):道筋を測る歩幅尺度
 
b) 触空間(Tastraum)
・場所(Ort):主体の知覚標識により存在するものであり、環境の物質に結びついた形成物ではない by ヴェーバー
局所記号(Lokalzeichen):人間の触覚の知覚記号とは別にもつ場所感覚のための知覚記号
・場所のモザイク(Ortemosaik):主体がその環世界の事物に与えるもの
・触れて調べる際には場所と方向歩尺が結びついてはじめて形を与える働きをする
 
c) 視空間(Sehraum)
・ダニのように皮膚で光を感じる動物は視空間と触空間が重なっている
・場所と場所の結びつけは触空間同様、方向歩尺による
・視空間では対象の大小が変化する
 
 
 
二章 最遠平面
46 周囲十メートル以内では、われわれの環世界の中の物体は筋肉運動によって遠近を判断される。この範囲外では、本来、対象物は大きくなったり小さくなったりするだけである。乳児の場合、視空間は、そこであらゆるものを取り囲んだ最遠平面となって終わっている。われわれがその後しだいに、距離記号を利用して最遠平面を遠くに広げていくことを学習することによってはじめて、おとなでは六キロから八キロの距離で視空間が終わりそこから地平線がはじまるようになるのである。
 
48 イエバエを捕まえようとするとわかるように、人間の手がおよそ50cmの距離まで近づいたときに初めて、ハエの飛び立ち画引き起こされる。このことから、ハエの最遠平面はほぼこの距離にありそうだと推測してよかろう。
 しかし、イエバエに関する別の観察から、彼らの環世界では最遠平面がまた別の様相を呈しているらしいことが分かった。ハエは下がった電灯やシャンデリアの周りとただぐるぐる回るのではなく、それから50cm離れてしまうとかならず突然その飛行を中止して、シャンデリアのすぐ脇か下を通るように飛ぶことが分かったのだ。ハエは、島を見失わぬようにヨットを操る船乗りのように振る舞っているのである。
 
50 われわれの世界にも一人一人を包み込んでいるシャボン玉があることを認識する。そうすると、わが隣人もみなシャボン玉に包まれているのが見えてくるだろう。それらのシャボン玉は主観的な知覚記号から作られているのだから、何の摩擦もなく接し合っている。
 
 
三章 知覚時間
53 時間は主体が生みだしたものだとはっきり述べたことは、カール・エルンスト・フォン・ベーアの功績である。瞬間の連続である時間は、同じタイム・スパン内に主体が体験する瞬間の数に応じて、それぞれの環世界ごとに異なっている。
瞬間は、分類できない最小の時間の器である。なぜなら、それは分類できない基本的知覚、いわゆる瞬間記号を表したものだからである
すでに述べたように、人間にとって一瞬の長さは18分の1秒である。しかも、あらゆる感覚に同じ瞬間記号が伴うので、どの感覚領域でも瞬間は同じである。
 1秒に18回以上の空気振動は聞き分けられず、単一の音として聞こえる。
 1秒に18回以上皮膚をつつくと、一様な圧迫として感じることもわかった。
 
54 ベタという闘魚が自分の映像に対してどのように反応するかを、別の研究者と共同で研究した。闘魚は自分の映像を1秒に18回示されたのでは、それと見分けられない。1秒に30回以上映写しなければ見分けられないのである。
(中略)
 このことから、活発なすばしこい獲物を食物にしているこの魚では、明らかにその環世界の中であらゆる運動過程が高速撮影の場合のようにゆっくり進んでいることが分かる。
 
56
足元に小さな棒を差し出すと、カタツムリはその上に這い上がってくる。この棒で一秒に一―三回カタツムリを叩くと、カタツムリは上がろうとしなくなる。だが、叩くのを一秒に四回以上くりかえすと、カタツムリは棒に上がってこようとし始める。
タツムリの環世界では一秒に四回振動する棒はすでに静止した棒になっているのである。
このことからカタツムリの知覚時間は1秒に瞬間が3つか4つという速度で流れていると推論できよう。
 
 
 
四章 単純な環世界
59 空間と時間は主体にとって直接の利益はまったくない。それらは、多数の知覚標識を区別しなければならないときにはじめて意義をもつようになる。なぜならこれらの知覚標識は、環世界の時間的・空間的骨組みがなければ、ごちゃごちゃになってしまうだろうからである。しかし、たった一つの知覚標識しか含まれていないごく単純な環世界では、そのような骨組みは必要がない。
 
※ゾウリムシは、どこかで何らかの刺激を受けると、逃避運動をおこす。まず後方へ退き、次に向きを変え、さらに前進運動を始める。このようにして障害物は遠ざけられる。この場合、同一の知覚標識は、つねに同一の作用標識によって消去される。
 ただ一つだけゾウリムシに刺激を与えないもの、つまり餌である腐敗バクテリアにゆき当たったときに、はじめて静止する。この事実はわれわれに、自然がただ一つの機能環(Funktionskreis)を用いて生命をいかに目的的に作り上げることができるかを示すものである。
 
クラゲ
63 運動を確実に持続するために、傘の縁に八個の釣鐘形をした縁弁器官がついていて、釣鐘の舌にあたる部分が傘の動きのたびに神経の集まった部分にぶつかる。それによって発生した刺激が次の傘の動きを引き起こす。こうしてクラゲは自分自身に作用標識を与え、これが同じ知覚標識を引き起こし、それがさらに同じ作用標識を呼び起こす。これが無限に続くのである。
このクラゲの環世界ではいつも同じ鐘の音が鳴り響き、それが生命のリズムを支配している。その他の刺激はすべて遮断されている。
 
64 「イヌが歩くときは、この動物が足を動かすが、ウニが歩くときは、その足がこの動物を動かす」
ウニはハリネズミと同様に多数の棘をもっているが、ハリネズミの棘とは違って、その棘はそれぞれが独立した反射係となっている。
 
65 すべての反射係がまったく独立しているにもかかわらず、完全な国内平和を維持している「反射共和国」だといえよう。なぜなら、掴むための叉棘は本来なら近づいてくるあらゆる物体を引っ掴むのだが、ウニの柔らかい管足がこの叉棘に襲われることはけっしてないからだ。
この国内平和はわれわれの場合と違って、中枢部から指図を受けているのではない。われわれの舌は鋭い歯にたえず脅かされているが、その危険は中枢器官に痛みと言う知覚記号が発生することによってのみ避けられている。痛みは痛みを引き起こす行動を抑制するからである。
 
 
 
五章 知覚標識としての形と運動
69 もし仮にウニの環世界について、異なる反射係のすべての知覚標識に局所記号が与えられており、それゆえそれぞれの知覚標識は別々の場所に存在していると仮定したとしても、これらの場所が一つにつながる可能性はけっしてないであろう。したがってこの環世界には、多数の場所の合体を前提とする、形と運動という知覚標識が必然的に欠けているはずである――そして事実そのとおりなのである。
 形と運動はもっと高等な知覚世界ではじめて登場する。ただし、われわれは自分自身の環世界での経験から、物体の形は本来のしかるべき知覚標識であるが、運動は単なる付随的現象として、二次的知覚標識として、たまたま加わるのだと考えることに慣れている。しかしこれは、動物の環世界にはあてはまらないことが多い。動物の環世界では、静止した形と動いている形は二つのまったく独立した知覚標識であるだけでなく、運動は形なしに独立した知覚標識として現れることもあるからである。
 
 コクマルガラスには、じっとしているキリギリスはまったく見えない。キリギリスが跳ねて移動するときにはじめてぱくっと食いつくのである。
 
75 咲いた花とつぼみがいりまじっている野原という環境にミツバチがいる、
 ミツバチをその環世界におき、花をその形に応じた星形や十字型に置き換えてみると、つぼみは円という開いていない形と見なされる。
 このことから、この新たに発見されたミツバチの特性の生物学的意味はすぐに分かる。ミツバチにとって意味があるのは花だけであって、つぼみには意味がないのである。
 
77 形の問題
パターンが出現すると、それらからまったく一般的に通用する「知覚像(Merkbild)」が生まれる。最近の見事な研究からわかるように、蜜蜂の知覚像は色と匂いに満ち満ちている。
 ミミズやイタヤガイもダニも、このようなパターンを持っていない。つまり、彼らの環世界には真の知覚像というものがまったく欠けているのである。
 
 
 
六章 目的と設計
79 われわれ人間は、ある目的から次の目的へと、苦労しながら自分の生活を進めていくことに慣れているので、ほかの動物も同じような生きかたをしていると信じて疑わない。
これは基本的な思い違いであって、このために従来の研究が再三誤った方向に導かれたのであった。
たしかに、ウニやミミズが目的をもっていると主張する人はいまい。しかし、われわれはダニの生活を描写した際に、彼らが獲物を待ち伏せると書いた。この表現によってすでに、無意識にではあるが、純粋な自然の設計(プラン Naturplan)に支配されているダニの生活に人間の日常的些事をもちこんでしまっている。
 
 こういうわけで、環世界を観察する際、われわれは目的という幻想を捨てることがなにより大切である。れは、設計という観点から動物の生命現象を整理することによってのみ可能である。高等哺乳類のある種の行動は目的にかなった行動であることがいずれ実証されるかもしれないが、目的にかなった行動自体がやはり全体としての自然設計に組み込まれているのである。
 それ以外のあらゆる動物では、ある目的に向けられた行動というものは全く見られない。
 
81 これについては、キリギリスとコオロギとでおこなわれた研究が示唆に富んでいる。
一方の部屋には受信用のマイクロフォンの前で元気よく鳴いている一匹の雄がいる。隣の部屋ではこのマイクとつながったスピーカーの前に召す達が集まっているが、その知覚の鐘形ガラスの中でむなしく泣いている雄には目もくれない。その声が外に聞こえないからだ。雌達の接近はまったくおこらない。視覚的な像にはなんの作用もないのである。
 
83 マイクロフォンを用いたキリギリスの実験
 ある知覚標識によって機能環が働き始めたが、正常な客体が締め出されているため、最初の知覚標識の消去に必要とされるはずの適切な作用標識が生まれないのである。
 
 
 
七章 知覚像と作用像
87 主体の目的と自然の設計とを比較してみると、だれも正しい扱いが出来ずにいる本能の問題を切り抜けることができる
 ドングリはカシワの木になるのに本能を必要としているだろうか。一群の骨形成細胞は骨を造るために本能的に働いているだろうか。もしそんなことはないと否定して、本能の代わりに自然の設計というものを秩序立ての要因として取り入れるなら、クモの巣網張りや鳥の巣作りにも自然の設計の支配が認められるであろう。どちらの場合も各個体の目的というものは論外なのだから。
 本能は、個体を超えた自然の設計というものを否定するためにもちだされる窮余の産物にすぎない。自然の設計が否定されるのは、設計が物質でも力でもないので、設計とは何かということについて正しい概念を形成できないためである。
 しかし具体的な例に頼れば、設計を見る目を持つとは難しいことではない。
 
88 設計がなければ、つまり、あらゆるものを支配する自然の秩序の条件がなければ、秩序ある自然でなく、単なる混沌になってしまうにちがいない。すべての結晶は自然の設計の産物であり、そして物理学者たちがボーアのみごとな原子モデルを披露するとき、彼らはそれによって、みずからが探りだした非生物的自然の設計を解説しているのである。
 生物界がいかに自然の設計の支配を受けているかは、環世界を研究するときにいちばんよくわかる。
 
90 ヤドカリの家についたイソギンチャクはいかの攻撃を防ぐのに役立つが、家にイソギンチャクの覆いがついていない最初の例では、イソギンチャクの知覚像は「保護のトーン」になる。
 
92 私が彼(アフリカの奥地に住んでいる人)に短いはしごに上るようにいうと、彼はこう訪ねた。
「支柱と隙間しか見えないけど、いったいどうすればいいんですか」
もう一人の黒人がかれの前で上って見せたところ、彼はそれを難なくまねることができた。
 
93 作用トーン
 知覚像にどの作用像がトーンを与えるかについては、主体の気分が非常に重要である。ただし複数の作用像を仮定することが出来るのは、動物の行動を支配する中枢的な作用器官がある場合だけである。ウニのように完全に反射で動いている動物はこの限りではない。しかし、ヤドカリの例でもわかるように、それ以外の場合には作用像の影響は動物界に広くおよんでいる。
 
94 われわれが作用トーンを考慮にいれたとき初めて、環世界は動物にとってわれわれが驚嘆するような大きな確実性を獲得する。ある動物が実行できる行為が多いほど、その動物は環世界で多数の対象物を識別することが出来ると言ってよいだろう。実行できる行為が少なく作用像も少なければ、その環世界は少ない対象物からなる。このためその環世界はたしかに貧しいものではあるが、それだけ確実なものになっている
 
96 ある動物の行為の数が増すとともに、その環世界に存在する対象物の数も増える。その数は体験を積み重ねることのできる動物では、各個体が生きていく過程で増加していく。なぜなら、それぞれの新しい体験は、新たな印象に対する新たな態度を引き起こすからだ。その際、新しい作用トーンをもった新しい知覚像が作られるのである。
 これはとりわけイヌで観察することができる。イヌはある種の人間の日用品の扱いかたをおぼえるが、その場合イヌは人間の日用品をイヌの日用品にしているからである。
 とはいえ、イヌの対象物の数はわれわれの対象物の数より格段に少ない。
 
98 テーブルはハエにとって歩行のトーンを持っているので、彼らはその上を歩き回る。
ハエの足には味覚器官があり、それが刺激されると口吻を突き出す行動が触発されるので、食物はハエを引き留めるが、ほかのあらゆるものは彼らを歩き回らせる
ハエの環境からハエの環世界を取り出すのは意図も容易である。
 
※・対象物への行為によって作り上げる作用像と感覚器官によって与えられる知覚像は、緊密に融合され、対象物は新しい性質を付与され、我々はその対象物の意味を知ることができる。その意味を、作用のトーンと呼ぶ。
 
 
 
八章 なじみの道
100 きまった距離を何度も通る場合、歩くときに与えられた運動量が方向記号として記憶に残るので、われわれは視覚標識にまったく注意を払っていなくても、意識せずとも同じ場所で止まる。このため、なじみの道では方向記号がたいへん有効な働きをするのである。動物の環世界でなじみの道の問題がどのような影響をおよぼしているかを突き止めることは、たいへん興味深い。いろいろな動物の環世界でなじみの道が構築される際、嗅覚標識触覚標識は決定的な役割を担っているに違いない。
 
 
 
九章 家と故郷(ハイマート)
109 モグラはよく発達した嗅覚器官のおかげで、トンネルの中でうまく食物を見つけるだけでなく、トンネルの外の硬い土の中の食物を5~6cmの距離からかぎつけることが証明されている。
 
111 おそらく、非常に多くの動物が自分の狩場を同種の仲間から防衛し、それによってそこを故郷にしていることがわかるだろう。任意の地域を選んでそこに故郷領域を描きいれてみると、それはそれぞれの種について、攻撃と防御によって境界線がきまる一種の政治地図のようなものになる。しかも多くの場合、空いた土地は一つもなく、いたるところで故郷と故郷がぶつかり合っていることが明らかになるであろう。
 
 猛禽の巣と猟場の間には中立地帯があり、彼らはそこではふつう一切獲物を襲わないという、たいへん注目すべき観察がある。
この環世界の区分は、猛禽が自分のひなを襲うのを防ぐために自然によって与えられたものだと鳥類学者は考えており、おそらくこの推測は正しいだろう。
 
 
 
一〇章 仲間
121 ローレンツはこう書いている。「母親という仲間の個々の場合について、母親記号のどれが生得的なものでどれが個々に獲得されるものであるかを明らかにしなくてはなるまい。とんでもないことに、獲得された母親の記号は、生後数日いや数時間(ハイイロガンの例)後にはしっかり刻み込まれている。このため、この段階で子供を母親から引き離した場合には、われわれはその記号が生得的なものだと確信してしまうにちがいない。」
 
 愛の仲間を選ぶ際にも同じことが起こる。この場合も、最初の取り違えが起こると、代理仲間として獲得された記号がしっかり刻み込まれてしまうので、もはや取り違えようのない代理仲間の知覚像が生じるのである。その結果、同種の動物すら愛の仲間として受け入れられないことになる。
 
122 目の前にぶら下げられた水泳パンツがコクマルガラスにとって攻撃できる敵になること、つまり「敵」という作用トーンをもつこと、を考えると、ここでは代理的というものが問題なのだといえよう。コクマルガラスの環世界にはたくさんの敵がいるので、代理敵が現れても、それが一度だけならなおのこと、本物の敵の知覚像には何の影響も与えない。だが、仲間の場合は違う。仲間と言うものは環世界に一度しか存在しない。それで、ある代理仲間に作用トーンが付与されてしまうと、それよりのちに本物の仲間が現れることはもはや不可能になるに違いない。「チョック」の環世界ではお手伝いさんの知覚像が独占的な「愛のトーン」を持ってしまったので、その後は他のあらゆる知覚像は働かなくなってしまったのである。
 コクマルガラスの環世界では、あらゆる生物すなわち動く物体がコクマルガラスコクマルガラスでないものとに分かれており、しかも各個体の経験次第でその境界が異なっている(原始人でも似たことがないではない)と想像すれば、今述べたような、ひじょうに奇妙な誤りが起こることも理解できよう。そのとき相手がコクマルガラスであるかそうでないかということについて、決定的役割を果たすのは知覚像だけでなく、自分の立場での作用像もまた重要なのである。どの知覚像がそのときの仲間のトーンをもっているのかをきめるのは、この作用像だけなのである
 
 
 
一一章 探索像と探索トーン
126 ある友人の家にしばらく滞在したときのことである。
毎日昼食のときに私の席の前には私のための陶器の水差しが置かれていた。
ある日、召使いがこの陶器の壺を壊してしまったため、代わりにガラスのデカンタが置かれていた。
食事のとき私は水差しを探したが、ガラスのデカンタは目に入らなかった。
友人に、水ならいつものところにあるじゃないかと指摘されてはじめて、皿やナイフの上に散らばっていたさまざまな光が突然大気の中を突進して一つになり、ガラスのデカンタを築きあげたのだった。
探索像(Suchbild)は知覚像を破壊するのである。
 
128 ヒキガエルについて次のような報告がある。長い間空腹だったあとミミズを食べたヒキガエルは、ある程度形の似ているマッチ棒に即座に跳びかかる。このことから今しがた食べたばかりのミミズが探索像として役立っていると考えてよかろう。
 これとは反対に、このヒキガエルが最初蜘蛛で空腹を満たすと、別の探索像をもつことになる。今度は、コケのかけらやアリに食いつこうとするからである。もちろん、これはヒキガエルにとってたいへん不都合なことである。
 
 ところで、われわれはいつも、ただ一つの知覚像をもったなんらかの対象物を探しているのではけっしてなく、ある特定の作用像に対応する対象物を探すことのほうがはるかに多い。たいていの場合、われわれはきまった椅子を探すのではなく、なにか座るためのもの、つまり、特定の行為トーンと結びつきうるものを探す。ここで論じうるのは探索像ではなく探索トーン(Suchton)である。
 
動物の環世界において探索トーンの果たしている役割がいかに大きいかは、前述のヤドカリとイソギンチャクの例を見ればよくわかる。あのときヤドカリの異なる気分と呼んだものは、ここではより厳密に、異なる探索トーンと呼ぶことができる。ヤドカリは探索トーンをもって同じ知覚像に歩みより、ついでそれに対してときには保護のトーンを、ときには住居のトーンを、またときには食物のトーンを与えた。
 空腹なヒキガエルは最初はただおおまかな摂食のトーンをもって食物探しに歩きまわる。ミミズかクモを食べたのちにはじめて、そこに一定の探索像が加わるのである。
 
 
 
一二章 魔術的環世界
133 われわれ人間が動物たちのまわりに広がっていると思っている環境と、動物自身がつくりあげ彼らの知覚物で埋めつくされた環世界との間に、あらゆる点で根本的な対立があることは明らかである。これまでのところでは、原則として環世界とは外部刺激によって呼び起こされた知覚記号の産物だとされていた。しかし、探索像なるものや、なじみの道をたどること、そして故郷(ハイマート)を限定するということは、すでにこの原則の例外であった。それらはいかなる外的刺激にも期することのできない、自由な主観的産物なのだ
これらの主観的産物は、主体の個人的体験が繰り返されるにつれえて形成されていくものである。
 さらに進むと、われわれは、たいへん強力だが主体にしか見えない現象が現われるような環世界に足を踏み入れることになる。それらの現象はいかなる経験とも関係がないか、あるいはせいぜい一度の体験にしか結びついていない。このような環世界を魔術的環世界と呼ぼう。
 
140 なじみの道と生得的道
 両者の唯一の違いは、なじみの道の場合はそれ以前の体験によって確立された一連の知覚記号作用記号が交代に現れてくるのに対し、生得的な道の場合は同じ一連の記号が魔術的現象としていきなり与えられる点である。
 他者の環世界の中のなじみの道は、生得的な道と同様、部外者である観察者にはまったく見えない。自分以外の主体にとってなじみに道がその環世界に現れるのだとすれば(このことは疑いない)、生得的な道が出現することを否定する理由はない。なぜなら、この現象も同じ要素、すなわち環世界から抽出された知覚記号と作用記号、によって成り立っているのだからである。これらの記号は前者の場合には感覚記号によってよびおこされたものであり、後者の場合には生得的な鳴き声のように次つぎ想起されるものなのであろう。
 
142 環世界の研究に深くかかわればかかわるほど、われわれには客観的現実性があるとはとうてい思えないのに何らかの効力をもついろいろな要素が、環世界の中には現れるのだということを、ますます納得せざるをえなくなっていく。まず場所のモザイクである。
これは主体の目が環世界の事物に刻印するものであるから、客観的な環境においては、環世界空間を支える方向平面と同じく、ないに等しい。同様に、客観的な環境には、主体にとってのなじみの道に相当するような要素を見つけることはできなかった。また故郷と猟場の分割ということは、客観的な環境にはない。環世界では重要な要素である探索像は、環境においてはその形跡すらない。そして最後にわれわれは、客観性とは無縁なのに設計どおりに環世界に入りこんでくる生得的な道という魔術的な現象にぶつかった。
 したがって、環世界には純粋に主観的な現実がある。しかし環境の客観的現実がそのままの形で環世界に登場することはけっしてない。それはかならず知覚標識か知覚像に変えられ、刺激の中には作用トーンに関するものが何一つ存在しないのにある作用卜ーンを与えられる。それによってはじめて客観的現実は現実の対象物になるのである。
 そして最後に、単純な機能環が教えてくれるように、知覚標識も作用標識も主体の表出であり、機能環が含む客体の諸特性は単にそれらの標識の担い手にすぎないと見なすことができる。
 こういうわけで、いずれの主体も主観的現実だけが存在する世界に生きており、環世界自体が主観的現実にほかならない、という結論になる。
 主観的現実の存在を否定する者は、自分自身の環世界の基盤を見抜いていないのである。
 
 
※・人間が観察した結果、主体だけにしか見えないような現象の起こる環世界がある。これは、外的な刺激や体験とも関連付けられない。こうした環世界を魔術的環世界と呼んでいる。(これらは、遺伝的にプログラムされたものを言っていると思われる)
 
 
 
一三章 同じ主体が異なる環世界で客体となる場合
145 環世界の研究にとって個々の問題の追及はたいへん重要であるが、環世界相互の関係を展望するにはそれではあまりにも不十分である
 ある限られた領域で次のような問題を追求するならば、そのつど次のような展望ができるだろう。つまり、同じ一つの主体が、それが重要な役割を演じている異なった環世界において客体としてどのように振舞っているか、という問題である。
 
150 これらさまざまな作用トーンに対応して、カシワの木の多数の住人たちの知覚像もさまざまな形をとっている。それぞれの環世界はカシワの木から特定の部分を、すなわちその環世界の機能環知覚標識の担い手と作用標識の担い手の両方を形作るのに適した特性をもつ部分を、切りとっているのである。アリの環世界では、山あり谷ありの猟場になるひび割れた樹皮の背後に、カシワのほかの部分はすっかり姿を消してしまっている。
 カミキリムシはこじ開けた樹皮の下で餌をあさり、ここに卵を産む。その幼虫たちは樹皮の下にトンネルを掘り、そこで外界の危険から守られて、餌の中を食べ進む。
とはいえ彼らは、完全に守られているわけではない。なぜなら、強力なくちばしで樹皮を穿つキツツキが追いかけてくるばかりでなく、(他の動物の環世界においては)とても堅いカシワの材に、細い産卵管をまるでバターに刺すように突き刺して自分の卵を産みこむヒメバチも、彼らを亡きものにする。その卵からはヒメバチの幼虫が孵(かえ)り、自分の犠牲者の肉を貪るのだ。
 
 その居住者たちの何百という多種多様な環世界のすべてにおいて、カシワの木は客体として、ときにはこの部分でときにはあの部分で、きわめて変化に富んだ役割を果たしている。同じ部分があるときには大きく、またあるときには小さい。その材はあるときは堅く、あるときはやわらかい。あるときには保護に役立ち、あるときには攻撃に役立つのである
 カシワの木が客体として示す相矛盾する特性を全部まとめようとするなら、そこからは混沌しか生まれてこないであろう。とはいえ、それらの特性はすべて、環世界というものを担い守っている一つの主体の部分部分にすぎない。これらの環世界の主体たちは、いずれもそれらの特性を認識することはないし、そもそも認識しえないのである。
 
 
 
一四章 結び
158 このような例[天文学者や深海研究者や化学者や原子物理学者や感覚生理学者や音波研究者や音楽研究者の環世界がそれぞれに異なること]はいくらでもある。行動主義心理学者の見る自然という環世界においては肉体が精神を生み、心理学者の世界では精神が肉体をつくる。
 自然研究者のさまざまな環世界で自然が客体として果たしている役割は、きわめて矛盾に満ちている。それらの客観的な特性をまとめてみようとしたら、生まれるのは混沌ばかりだろう。とはいえこの多様な環世界はすべて、あらゆる環世界に対して永遠に閉ざされたままのある一つのものによって育まれ、支えられている。そのあるものによって生みだされたその世界のすべての背後に、永遠に認識されないままに隠されているのは、自然という主体なのである
 
 
訳者あとがき 日高敏隆
161 昆虫が好きだったぼくは思わず手にとって開いてみた。戦時中のうすい粗末な紙だったが、何だかおもしろそうな絵がついている。ついひきこまれてしまってページを繰っていった。そのときぼくは中学二年生。説明はとてもむずかしかったが、とにかく動物には世界がどう見えているのかということではなくて、彼らが世界をどう見ているかを述べていることはわかった
 本の中で述べられていた「環境世界」というものが実に新鮮なものに感じられて、その後ずっとぼくの心に残ることになった。
 
163 客観的に記述されうる環境(英語のnvironment、ドイツ語でこれに相当する語はUmgebung)というものはあるかもしれないが、その中にいるそれぞれの主体にとってみれば、そこに「現実に」存在しているのは、その主体が主観的につくりあげた世界なのであり、客観的な「環境」ではないのである。
 それぞれの主体が環境の中の諸物に意味を与えて構築している世界のことを、ユクスキュルはUmwelt(ウムヴェルト)と呼んだ。それは客観的な「環境(Umgebung)」とはまったく異なるものである
 実はドイツ語では昔から、客観的な「環境」のことをUmweltとといっている。いわゆる環境問題は、Umweltproblemである。その一方、英語にはユクスキュルのいうUmweltに相当する語はない。
 
 
 
※・トゥーレ・フォン・ユクスキュルが、ヤーコプ・フォン・ユクスキュルの環境世界理論を解説している。その締めの文章で、人間同士の理解について述べている。「他の人間を理解するためにまずわれわれは、自分の主体的世界がすべての人間にとっても同じであるという世界や意見を捨てなければならない。他の生物を理解しようとする努力の中から、ヤーコプ・フォン・ユクスキュルは、動物の環境世界の研究の科学的方法を発展させた。たしかに、それはすぐに人間相互の理解の問題に応用するには不十分である。しかし、そこにその手がかりがないかどうか――たぶん重要な手がかりがあると思うのだが――調べてみなければなるまいと

読んだ。 #村上春樹、河合隼雄に会いにいく  #村上春樹 #河合隼雄

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前書き/村上春樹
 
第一夜 「物語」で人間は何を癒すのか
○コミットメントということ
15 とくにアメリカに行って思ったのは、そこにいると、もう個人として逃げ出す必要はないということですね。もともと個人として生きていかなくちゃいけないところだから、そうすると、ぼくの求めたものでは意味を持たないというわけです。
 
19 コミットメント(関わり)ということについて最近よく考えるんです。例えば、小説を書くときでも、コミットメントということがぼくにとってはものすごく大事になってきた。以前はデタッチメント(関わりのなさ)というのがぼくにとっては大事なことだったんですが。
 
 それがいつごろからかなぁ、少しずつ変わってくるんですね。
 
 アメリカにいるあいだ、何にコミットすればいいのか、これからどうすればいいんだろうってぼくはずいぶん考えてきたつもりなのです。ところが、日本に帰ってくると、やっぱり何にコミットしていいのか分からないんです。それがものすごく大きい問題なんです。考えてみると、ここ(※日本)では何かにコミットするルールというのがあまりできていないんじゃないかなという気がします。
 
 考えてみると、68~69年の学生紛争、あのころからぼくにとっては個人的に、何にコミットするかということは大きな問題だったんです。あの頃はっきりした政治的意思があったわけではないんですが、ところが、その必ずしもはっきりしない意思をどうコミットするかという方法論になると、選択肢はものすごく少なかったんですね。あれは悲劇だという気がするんですよ。
 結局あの頃は、ぼくらのの世代にとってはコミットメントの時代だったんですよね。ところが、それがたたきつぶされるべくしてたたきつぶされて、それから一瞬のうちにデタッチメントに行ってしまうのですね。
 
 ただ、95年はオウムの事件と阪神の大地震がありました。あれはまさにコミットメントの問題ですよね。
 
 そうです。そこにものすごい反動のようなものが出たんですよ。ふだんデタッチの状態でいるような若者たちが、ものすごくコミットしたんです
 
 
 
阪神大震災と心の傷
○言語かイメージか
36 ぼくはアメリカ人に強調しているんですが, すべて分析して言語化しないと治らないというのはおかしい。 また,言語で分析する方法は, 下手をすると, 傷を深くするときだってあるのです
 たとえば、「自分はノドに何か詰まっている」と言うと、「何か言いたいことがあるでしょう、思い切って言いなさい」と言うと、「いや、じつは父親を殺したいと思う」と言うとしますね。そうすると、それを言ってしまったことで傷つくのです。自分は何も意識してそんなこと思っていなかった、と思っても、自分は父親殺しの意思を持っていたということで、また辛くなるわけでしょう。
 
○「理屈」で回答するか、「人情で」答えるか
○小説家になってびっくりしたこと
○日本的「個」と歴史という縦糸
56 ぼくが思ったのは、日本における個人を追求していくと、歴史に行くしかないんじゃないかという気がするのです、うまく言えないんだけど。
 というのは、現代、同時代における個人というのをもし描こうとしても、おっしゃるように日本における個人というものの定義がすごくあいまいなのですね。ところが、歴史という縦の意図を持ってくることで、日本という国の中で生きる個人というのは、もっとわかりやすくなるのではないかという気が、なぜかしたのです。
 
○「言語の違い」の深層
59 翻訳の話に戻りますが、英語を日本語に翻訳するときに、なにがむずかしいかというと、代名詞がいちばんむずかしいのです。代名詞をどう処理するかということに翻訳は尽きるのではないかという気がぼくはするのです。代名詞とは何かといったら、個のディフィニション(定義・定置)ですよね。 
 翻訳を十年以上続けてきて、だんだんディフィニションの扱いがこなれていくのですね。ときどきふと、ここまでこなしちゃっていいもんだろうか、どうしてこんなにこなれてくるんだろうか、と思う。それと同時に、そういうディフィニションというのは、ぼくの中でこっちと向こうというのではなくて、一種のあいまいな、アンビギュアスなものになってくる。
 
63 ぼくの小説も英語に訳されて、アメリカでそれを読んだ学生と話をするのですが、やはりどこかうまく合っていないという感じがある。そのかわり、意外なところで感心したり、おもしろがったりするんです。でも、アジア人の読者はだいたい日本人の読者に似ていますね。
 英語で読んでも?
 英語で読んでも、それから中国語や韓国語で読んでも。それで、おもしろいのですが、彼らが求めているのはデタッチメントなんですよね。つまり、自分が社会とは別の生き方をすること、親とは別の生き方をすること、そういうものをぼくの小説の中から読み取って、そこにある程度思い入れをするというところがあるみたいですね
 
 それはおもしろいですね。韓国や中国の場合は、デタッチメントというのはこれからすごく大きな課題になると思いますね。韓国、中国の場合は家族、一門のつながりというのがものすごく大事な意味を持っていますから、そこからデタッチするというのは命がけの仕事ですからね。
 それは精神的に、病理的にかなり問題になってきそうなのですか。
 ものすごく問題になると思います。
 話は少しそれるようですが、韓国の人たちは日本にくらべてもあまりに急速に西洋化しすぎて、みんながすごく利己主義になっていると、ある韓国人が言うのです。個人主義がひどすぎて、全体のことを考えずに、自分の利益だけ追求しようとする。日本人は不思議なことに、西洋化しながら、あんがい、いつもみんなのことを考えていることが多い、そこのところをわれわれは見習わなければならない、と言われるのです。
 それで、いや、ぼくはそう思いませんよ、韓国の方は個人主義ではなくて、ファミリーにアイデンティティーを持って、いわばファミリー・エゴなのではないか、と。それは個人と個人の関係の持ち方、その危険性ということをつねに考慮に入れながらできてきた西洋の個人主義とは違う。韓国の場合は、ファミリー・エゴの外へ出るときには、ほんとうにエゴイズムになってしまうので、それが問題になっているのではないか、と言ったんです。
 日本人は(韓国などの)ファミリー・エゴともまた違って、フィールド・アイデンティティで、その場その場をアイデンティティの基礎にしてしまうという、非常におもしろい性質をもっているから、会社をフィールドにしたり、家庭をフィールドにしたりで、その都度うまくやっているのですね
 ですから、韓国の方で、ほんとうの意味の個人主義に目覚めてきた人は、ファミリーからデタッチしたいのだと思うのです。これはものすごい起爆力がいります。そういうことを考えているときに、村上さんの小説のデタッチする面を読み取って、心動かされる人が多いんじゃないですか。
 
○いまは発熱の途上
70 結局、日本人の世界の理屈と、日本以外の世界の理屈は、まったくかみ合っていないというのがひしひしと分かるんですね。ぼくもアメリカ人に何も説明できない。なぜ日本は軍隊を送らないのかというのは、ぼくは日本人の考えていることはわかるから、説明しようと思うんだけれど、まったくだめなんですね。
 自衛隊は軍隊ですよね。それが現実にそこに存在するのに、平和憲法でわれわれは戦争放棄をしているから兵隊は送れないんだと、これは全くの自己矛盾で、そんなのどう転んだって説明できないですよ。そこからいろいろなことがだんだんぼくのなかでグシャグシャになっていくんですよ。
 そうすると、ぼくらの世代が60年代の末に闘った大儀、英語で言うと「コーズ」は、いったいなんだったのか、それは結局のところは内なる偽善性を追求するだけのことではなかったのか、というふうに、どんどんさかのぼって、自分の存在意義そのものが問われてくるんですね。すると、自分そのものを、何十年もさかのぼって洗い直していかざるをえないということになります。 
 これはやはり日本にいたら気づけなかったことだと思うのです。理屈ではわかっていても、ひしひしとは肌身に迫ってこなかったんじゃないかと。
 
72 湾岸戦争と日本の関わりをどう説明すればいいのか、ぼくは今でも考えているのですが、まったくできないですね。
 
 日本は、まあ、非常にずるい方法をとっているのですね。でも、武力で世界が血を流さないようにするためには、世界中がもっとずるくなったらいいんじゃないかという気がしているんですよ(笑)。
 ずるさの加減はどうなのかとか、ずるくなることの弊害はないかとかもっと研究して、ずるさを洗練しなければいかんのですね。それを日本人は、自分たちはずるいやり方でやっているんだと言わずにずるいことをしているから、非難されても防戦一方になっているんですね
 ぼくがずるさと言っているのは、もうすこし違う言い方をすると、人間の思想とか、政治的立場とか、そういうものを論理的整合性だけで守ろうとするのはもう終わりだ、というのがぼくの考え方なのです。人間はすごく矛盾しているんだから、いかなる矛盾を自分が抱えているかということを基礎に据えてものを言っていく、それは外見的に見るとやっぱりずるいわけですね。
 ところが、湾岸戦争での日本の行動を非難するアメリカ人の場合は、矛盾を許容せずにくるでしょう。そうすると、絶対に不戦憲法が悪いことになるわけです。ただ、不戦憲法の論理でいうと、アメリカは、絶対に悪いのですね。そのとき日本流だと、「まあ、どっちもええやないか」ということで一応すましてしまう。そして、戦争に使うカネで別のことをすればよい、というふうになってくる。こちらのほうがいいわけでしょう。
 ただ、そういうずるさの哲学を英語で説明しようとすると、どんなにむずかしいか。
 
○自己治療と小説
79 小説を書くというのは、ここでも述べているように、多くの部分で自己治療的な行為であると僕は思います。「何かのメッセージがあってそれを小説に書く」という方もおられるかもしれないけれど、少なくとも僕の場合はそうではない。僕はむしろ、自分の中にはどのようなメッセージがあるのかを探し出すために小説を書いているような気がしています
 
84 コミットメントというのは何かというと、人と人とのかかわり合いだと思うのだけれど、これまでにあるような、「あなたの言っていることはわかるわかる、じゃ、手をつなごう」というのではなくて、「井戸」を掘って掘って掘っていくと、そこでまったくつながるはずのない壁を越えてつながる、というコミットメントのありように、ぼくは非常に惹かれたのだと思うのです
 しかし、それがこの現実世界、実際的な生活の面で、ぼくに何をもたらすかというのは、ぼくにもまだよくわからないのです。いまぼくは日本に帰ってきて、じつにそれを探している途上なのです。小説のなかではぼくはそれを解決しているのだけれど、小説の方が先へ行ってしまって、ぼく自身がついていけないわけですが、ただ、感じるんですよね、世の中がいま変わりつつあるし、変わらなくてはいけないというのは。
 
86 コミットメントという点で言うと、いま何かにコミットメントしなくちゃならない、ということに気がついた青年たちを、オウムが引き込んだのですね、「ここにコミットしなさい」「答えはありますよ」と。
 ただ、あの人たちの提示したイメージというのか、物語は非常に稚拙なものですね。
 ものすごく稚拙ですよ。それはなぜかというと、イメージにかかわる訓練がなさ過ぎたということです。つまりオウムに入った人たちが習ってきたのはお勉強でしょう。お勉強ではイメージは離れるものなのです。イメージを豊富に持っている人は、お勉強ができないんですよ。
 
 オウムの物語りの稚拙さについて
 でもそれと同時にぼくはこの事件に関して、やはり「稚拙なものの力」というものをひしひしと感じないわけにはいかないのです。乱暴な言い方をすれば、それは「青春」とか「純愛」とか「正義」といったものごとがかつて機能したのと同じレベルで、人々に機能したのではあるまいか。だからこそそれは人の心をひきつけたのではあるまいか。だとしたら「これは稚拙だ無意味だ」というふうに簡単に切って落としてしまうことはできないのではないかと思うようになりました。
 ある意味では「物語」というもの(小説的物語にせよ、個人的物語にせよ、社会的物語にせよ)が僕らのまわりで――つまりこの高度資本主義社会の中で――あまりにも専門化し、複雑化しすぎてしまったのかもしれない。ソフィスティケートされすぎてしまっていたのかもしれない。人々は根本ではもっと稚拙な物語を求めていたのかもしれない。僕らはそのような物語のあり方をもう一回考え直してみなくてはならないのではないかとも思います。そうしないとまた同じようなことは起こるかもしれない。
 
○物語をつくる・物語を生きる
89 村上さんが「物語」というものが現在、「あまりにも専門化し、複雑化しすぎてしまったのかもしれない。ソフィスティケートされすぎてしまっていたのかもしれない」と言われているところは大賛成です。「人々は根本ではもっと稚拙な物語を求めていたのかもしれない」というところは、「稚拙」というより「素朴」と言ったほうがいいでしょうか。
「複雑さ」「専門性(つまり難解さ)」「ソフィスティケート」の程度を、評価の基準とする、という誤りを現代人は犯しているのだと思います。しかし、「素朴」というのも、素朴であるほどいい、というわけでもありません。素朴な話を評価する基準は何なのかが問題なのだと思います。これを言いかえると、「稚拙だから無意味だ」という考えは、村上さんの言われるとおり、性急すぎます。
 私は「オウムの物語」の問題点は、素朴な物語に、現代のテクノロジーという、まったく異質なものを組み込んで物語を作ろうとしたことだと思っています。
 
○結婚と「井戸掘り」
97 ぼくもいま、ある原稿で夫婦のことを書いているのですが、愛し合っているふたりが結婚したら幸福になるという、そんなばかな話はない。そんなことを思って結婚するから憂鬱になるんですね。なんのために結婚して夫婦になるのかといったら、苦しむために、「井戸掘り」をするためなんだ、というのがぼくの結論なのです。井戸掘りは大変なことです。だから、べつにしなくてもいいのじゃないかと思ったりするんですよ。
 
 夫婦というのは「こんなおもろいことないんじゃないか」とも、後で言っていますので、その点はわかってくださると思います。ほんとうに「おもろい」ことで苦しみをともなわないものはないと思います。
 
○夫婦と他人
105 西洋の場合は、どうしてもロマンチック・ラブというのを下敷きに敷いていますね。ロマンチック・ラブというのは長続きしないんです。もしロマンチック・ラブを長続きさせようと思ったら性的関係を持ってはならないんです。性的関係を持ちながらロマンチック・ラブの考えを永続させようというのは、不可能なんだとぼくは思うんです。もし夫婦の関係を続けていこうと思ったら、違う次元に入っていかないとだめですね。
 
 ロマンチック・ラブと日本人
日本では結婚はむしろ社会的、集団的な意味が強かった。したがって恋愛は、秩序を破ると悪とさえ見なされることもあった。ロマンチック・ラブは、あくまで個人を中心に考えるところから出てきたものである。
 しかし、もともと、その背後にある宗教的とさえいえる、個人の人格の完成への意図が、世俗的な結婚と結びついたために、アメリカに見られるような困難な状況が生じてきた。
 日本人は欧米の真似をしようとするが、ロマンチック・ラブの本質を理解するのは極めて困難である。いいかげんな真似をしているので、その危険性の方も日本ではいい加減になり、夫婦の平和を保つのに役立っているともいえる。
 
 
 
第二夜  無意識を掘る”からだ”と”こころ”
○物語と身体
115 たとえば、昔のいわゆる文士という人たちは、自分たちは言葉、精神の仕事をしているのだから体なんか関係ないというか、体を無視する、あるいは体を軽蔑するのですね。暴飲したりするというのは自分の体を軽蔑しているわけです。そういうところから生まれてくる文体と、村上さんのように体を鍛えてつくる文体とは、絶対に変わってくると思います。
 
 近代というのはそもそも、デカルトじゃないですが、心と体と分けてアプローチしようとしたのですね。だから、心が大事だということは、体が大事でない、という非常に単純な考え方があったのではないでしょうか。
 最近の若い人は、そういうふうに精神性と身体性をはっきり分けて考えるという考え方は、随分希薄になってきていると思うんですが。
 
 若い世代の身体観について
 ひとつ言えるのは、身体的な感覚価値がそのまま精神的な感覚価値に結びつく傾向が、時を追うごとに強くなっているということでしょう。つまり頭でっかちから、「気持ち良ければそれでいいじゃん」という方向へのシフトですね。1960年代のカウンターカルチャーとかドラッグ体験とかから一貫して続いている傾向だと思います。それはそれで間違ったことじゃないというか、ひとつの精神の在り方だと僕は思う
 でも僕はそれなりの年になっているからわかるんだけれど、「気持ちよくあり続ける」と一言で言っても、そんなに簡単な事じゃないんですよね。ただごろんと芝生に寝転んでいても、なかなかリンゴは勝手に落ちてこない。気持ちよくあり続けるためには、やはりそれなりの努力を払わなくてはならない。そのへんを簡単に手軽にすませようと思うと、結局たとえばドラッグとか、売春とか、そっちの方に流れてしまいそうな気がします。ですから、あんまり七面倒くさいことをいいたくはないけれど、新しい時代のethics(倫理性)みたいなのはどうしてもある程度必要になってくるんじゃないでしょうか。それは身体性というものを基調にした、より柔軟な哲学のようなものになるでしょうが、この場合妄想的な暴力性(たとえばオウムのような)をきっぱりと排除する力を持つことが一番大きな問題になるだろうという気がします。
 
122 ええ。病のある人はまた別なのですよ。病いのある人はやはり迫力あるのです。
 それぞれに迫力がある・・・・・・。
 ええ、やはり表現しなければならないものを持っているのでしょう。ただし、病いのある人に「箱庭をつくってください」といっても怖かったらつくらないですよ。
 
126 芸術家、クリエートする人間というのも、人はだれでも病んでいるという意味においては、病んでいるということは言えますか?
 もちろんです。
 それにプラスして、健常でなくてはならないのですね。
 それは表現という形にする力を持っていないとだめだ、ということになるでしょうね。それと、芸術家の人は、時代の病いとか文化の病いを引き受ける力を持っているということでしょう。
 ですから、それは個人的に病みつつも、個人的な病いをちょっと越えるということでしょう。個人的な病いを越えた、時代の病いとか文化の病いというものを引き受けていることで、その人の表現が普遍性を持ってくるのです。
 
○作品と作者の関わり
131 「私小説」をめぐって
 日本では自と他の区別は西洋のように明確ではなく、「私」といってもそれは「世界」と同一とさえ言える。このようなあいまいさを巧妙に用いた私小説は、欧米人が「自分自身」のことを語っているのとは全く異なる。それが成功した際は身辺の雑事が「世界」と等価となる、というような狙いをもって書かれている。ただ、これが国際性をもつことは極めて困難であるだろう。
 
134 もちろん、終わってからほかの人が読んだり、批評家読んだりするのと同じレベルでテキストとして読んで、自分で考えることは可能なんですね。ただ、いちばん困るのは、ぼくが一人の読者としてテキストを読んで意見を発表すると、それが作者の意見としてとらえられることなんですね。
 作者の言っているのがいちばん正しいと、思う人がいるということですね。そんなばかなことはないのですよ。
 でも、ぼくがアメリカ人の学生にそれを言うと、みんな怒るのですよ。たとえば、ゼミみたいなものをやって、ぼくの短編をテキストにしてみんなで読んで、「村上さんはどう思いますか?」と言うから、「ぼくはこう思うけど、それはきみたちが持つのと同じように、意見のひとつにしかすぎない」と言っても、「でも、それはあなたが書いたんでしょう」って彼らは言うんですよね。
 アメリカ人はやはりそういう傾向はあるんでしょうか。
 アメリカ人は、とくにいわゆる西洋流のエゴをものすごく大事にしているから、自分の意思とか自分の考えとか、そういうのにすごく寄っかかっているんですね。だから、作者が書いて、作者が言ったら、それは正しいものだと、そういう考え方をするのではないでしょうか。
 ヨーロッパへ行ったら、ちょっと違うと思います。ヨーロッパの方が長い歴史を持っていて、いろいろ変なことをたくさん経験してきているから。
 
○結びつけるものとしての物語
137 物語というのが力を失った時代があって、今また物語が復権しようとしているということがありますが、昔は、物語というのは、身体性とかいうことともまた関係なく、ただ自然にあったものではないかとぼくはおもうのですが。
 昔はそんな難しいこと言わなくても、身体性も精神性もみんなこみでありまっせ、という格好だったんじゃないですか。物語と小説の違いとか、そんなことを言う必要もなかったのです、もうそれしかないんだから。
 ところが、そこから歴史を経て、いっぺん否定したところでまた物語の問題が出てきたから、いろいろ意識化しなくちゃならなくなって、いま言っているような身体性の論理なんかが出てくるんだと思います。
 いまわれわれがポスト・モダンというのでいろいろと手探りしていることが、昔はひょいひょいと平気でありました。だから、ぼくは昔の物語とか説話とかが大好きなのです。
 ぼくの仮説ですが、物語というのはいろんな意味で結ぶ力を持っているんですね、いま言われた身体と精神とか、内界と外界とか、男と女とか、ものすごく結びつける力を持っている。というより、それらをいったん分けて、あらためて結びつけるというような意識を持つのはわれわれ現代人であって、あの当時はそれらがいまのように分かれていないところに、物語があったのです
 その後、物語なんて言うのは現実と違うじゃないかというので、評判が悪くなるのですね。ところが、昔だったら、物語も現実も、はっきり分かれていなかったと思います。
 ところが、西洋の場合、特にキリスト教文化圏の場合は、神と人をつなぐものとしての物語は聖書に書いてある。これはもう絶対にオーソドックスなもの、バイブル、すなわち本ですから、それ以外のものは許されなかったと思うのです。それ以外の物語をもしつくったら、それはもう冒瀆の行為だった。それでおそらく西洋には物語がなかなかできなくって、とうとう人間が神に対してちょっと力を持ってきたころになって、『デカメロン』なんていうのをついにつくるんですよ。
 ルネサンスの頃ですよね。
 
141 紫式部
 そうですね。物語はやはりつくらなければいけませんから、つくるということは、そこに個人というのが存在しないとできないのですね。その点、あのころの女性には、そういう意味で個人でありうる環境があったのではないかなとおもいます。
 つまり、男の方は組織に全部組み込まれているでしょう。女性のほうも、身分の高い人はその中に組み込まれているのですが、そこに仕えている紫式部やらはものすごい自由人でしょう。だから、ぼくの考えは、あのころの物語はほとんど女性が書いていると思うのです、まず男性が書いているのはないのじゃないか。
 というのは、彼女たちが社会的システムからひとつ身を退いたところにところにいたということですね。
 ある程度離れていて、そして時間もある。ある程度カネもある、みんなある程度ある。そして、がんばれば自分の地位が上がるということは絶対にない。そういうところにいて、すごく頭もいいわけだから、物語のほうへ力を注ぐことができたのではないかと思いますね
 
因果律を超えて
147 現実にはおもしろい偶然はそうそう起こらない、という前提の上に現代の小説が書かれているとすると、それはみんなSFなのです、ぼくに言わせれば。近代小説にはほんとのリアリティーなんか書いてなくて、あれは空想科学小説みたいなものです。科学に縛られて、つまり、因果律に説明可能な事しか起こってはならないとか、そんなばかなことはないんです。実際にぼくが遭遇している現実では偶然ということが多いんですよ
 ぼくはときどき冗談半分で「あなたは絶対に治らないだろう」と患者さんに言う。しかし、「偶然ということがあるから、ぼくはそれに賭けているからやりましょう」と言う。そして実際にそうなるんです。
 ぼくは何をしているかというと、偶然待ちの商売をしているのです。みんな偶然を待つ力がないから、何か必然的な方法で治そうとして、全部失敗するのです。ぼくは治そうとなんかせずに、ただずっと偶然を待っているんです。
 でも、偶然を待つというのはつらいですよね。
 そりゃつらいですよ、なんにもしないんだから。待っていて、うまいこと偶然が起こったら、そのときにはやっぱりパッパッとがんばらなくてはいけないんですけれどもね
 
148 フィクションについて
 最近小説が力を失ったというようなことが巷間よく言われるわけですが、ここでも言っているように、僕は決してそうは思っていません。小説以外のメディアが小説を越えているように見えるのは、それらのメディアの提供する情報の総量が、圧倒的に小説を越えているからじゃないかと僕は思っています。それから伝達のスピードが、小説なんかに比べたら、もうとんでもなく早いですね。おまけにそれらのメディアの多くは、小説というフィクションをも、自己のフィクションの一部としてどん欲に呑み込んでしまおうとする。だから何が小説か、小説の役割とは何か、という本来的な認識が、一見して不明瞭になってしまっているわけです。それは確かです。
 でも僕は小説の本当の意味とメリットは、むしろその対応性の遅さと、情報量の少なさと、手工業的しんどさ(あるいはつたない個人的営為)にあると思うのです。それを保っている限り、小説は力を失わないのではあるまいか。時間が経過して、そのような大量の直接的な情報が潮が引くように引いて消えていったとき、あとに何が残っているかが初めてわかるのだと思います
 だいたい、巨大な妄想を抱えただけの一人の貧しい青年が(あるいは少女が)徒手空拳で世界に向かって誠実に叫ぼうとするとき、それをそのまま――もちろん彼・彼女が幸運であればということですが――受け入れてくれるような媒体は、小説以外にそれほどたくさんはないはずです。
 相対的に力を失っているのは、文学という既成のメディア認識によって成立してきた産業体質と、それに寄り掛かって生きてきた人々に過ぎないのではないか、と僕は思います。フィクションは決して力を失ってはいない。何かを叫びたいという人にとっては、むしろ道は大きく広がっているのではないでしょうか。
 
150 紫式部だって、やっぱり自分を癒すためでしょう、そう思いますね。
 というのは、あれだけ長いものを書くというからには、よほどの業を抱え込んでいたのでしょうか。
 そうそう、ものすごく業の深い女性だったろうと思います。
 それは現代の一読者として河合先生がお読みになって、やはりそれをお感じになりますか。
 感じます。癒されるためというか、癒すためというか、あれだけのことをやったんだから、すごいと僕は思いますけど。
 
151 フィクションについて
 村上さんが小説のメリットについて、「その対応性の遅さと、情報量の少なさと、手工業的しんどさ」をあげておられるところ、大変嬉しく思いました。何でも自分のことに引きつけて申し訳ありませんが、これこそわたしのしている心理療法のメリットそのものと思うからです。そして、わたしが自分の仕事を、相談に来られた人が「自分の物語を見出していく」のを援助することがと思っているのが、それほど間違っていない、と傍証してもらっているように感じるのです。
 現代の一般的風潮は、村上さんの書かれたことのまったく逆の、「できるだけ、早い対応、多い情報の獲得、大量生産」を目ざして動いています。そして、この傾向が人間のたましいに傷をつけ、その癒しを求めている人たちに対して、われわれは一般的風潮のまったく逆のことをするのに意義を見出すことになるのです。このように考えると、心理療法家の仕事と作家の仕事の間に共通点が感じられて嬉しく思います
 それにしても、一人ひとりのたましいを深く傷つける前述のような傾向が、個人主義を唱える欧米から生じてきたというアイロニーについて、ゆっくり考えてみなくてはならないと思います。個人をもっとも大切と考える生き方が、個人をもっとも深く傷つける傾向を生み出しているのです
 
○治ることと生きること
163 そういう人(患者)にお会いすることによって、僕の病も癒されているということがたいへん多いと思いますね。この仕事をしなかったらぼくはおかしくなっていると思います。
 
○個性と普遍性
164 映画『ガイアシンフォニー
 
167 殺すことによって癒される人
 そんな人はいると思います。しかし、それはあくまで「その人にとっての真実」であって、そこから一般的ルールや結論などは取り出せないと思います。そして、心理療法家としては――オプティミスティックすぎると言われそうですが――そのような運命を背負った人が、どのような「物語」を生み出すことによって、この世に生きながらえていくか、ということに最大限の力をつくすべきだと思っています。
 
『心臓を貫かれて』マイケル ギルモア(著),, 村上 春樹(翻訳)
 
○宗教と心理療法
172 たとえば、麻原彰晃という人はその善悪の「基準線」という意味においてはかなり病んでいる人ではないかとぼくは思うのですが、ああいう人は治癒される可能性というのはあるんでしょうか。
 それは会う人によるでしょうね。
 しかし、結局は、まあ、言ってみれば、器の勝負みたいなもので、彼よりもぼくが大きい器を持っていたら彼に会えるし、彼の器のほうが大きかったらもうだめですね。だから本当に人間と人間の勝負です。それはもう不思議なことに、6歳の子でも、ぼくより器が大きかったらこっちは負けるわけです。
 ということは、宗教家と心理療法家、あるいは精神科医というのは非常にむずかしい勝負になるということですか。
 ものすごくむずかしいです。ところが、精神科医となると、その人たちはむしろ科学で守っているわけだから、「これは異常である」というふうにして、「なんとか薬を飲ませて・・・・・・」というふうにも考えますからね、ぼくらのやり方とはちょっと違うのです。
 ぼくらのようなやり方は、宗教家の方法に近いとも言えますね。ただ、ドグマを持っていないのです。「念仏を唱えたら救われますよ」というようなことは絶対に言わない。むしろその人が自分で見つけるものを尊重する。ただし、その人が見つけるものが現代社会と共存できるかどうかについては、一緒に考えていくわけですね。だから、相手から教えられる場合がすごく多いですよ、ほんとうに。
 
ノモンハンでの出来事
179 ただ、このあいだ非常に奇妙な経験をしました。ぼくはノモンハンに行ったんです。モンゴル軍の人に頼んで、昔のノモンハンの戦場跡に連れて行ってもらったのです。そこは砂漠の真ん中で、ほとんど誰も行ったことがないところで、全部戦争の時そのままに残っているんですよ。戦車、砲弾、飯盒とか水筒とか、本当にこの前戦闘が終わったばっかりみたいに残っている。ぼくはほんとうにびっくりしました。空気が乾燥しているからほとんど錆びていないのですよ。また、あまりにも遠くて、持って行ってくず鉄として使うにも費用がかかるので、ほったらかしにしてるのですね
 それで、いちおう慰霊という意味もあって、ぼくは迫撃砲弾の破片と銃弾を持って帰ってきたのです。えんえんまた半日かけて町に戻って、ホテルの部屋にそれを置いて、なんかいやだなと思ったんですよ、それがあまりにも生生しかったから。
 夜中にパッと目が覚めたら、部屋が大揺れに揺れているんです。ぼくは完全に目は覚めていたんですよ。もう歩けないぐらいに部屋中がガタガタガタガタ揺れていて、ぼくははじめ地震だと思ったのですね。それで真っ暗な中を這うようにしていって、ドアを開けて廊下に出たら、ピタッと静まるんです。何が起こったのか全然わからなかったですよ。
 これはぼくは、一種の精神的な波長が合ったみたいなものだろうと思ったのです。それだけ自分が物語のなかでノモンハンということにコミットメントしているから起こったと思ったのですね。それは超常現象だとかいうふうに思ったわけではないですけれども、なにかそういう作用、つながりを感じたのです。
 そういうのをなんていう名前で呼ぶのか非常にむずかしいのですが、ぼくはそんなのありだと思っているのです。
 まさにあるというだけの話で、ただ下手な説明はしない。下手な説明というのはニセ科学になるんですよ。ニセ科学というのは、たとえば、砲弾の破片がエネルギーを持っていたからとか、そういうふうに説明するでしょう。
 極端に言うと、治療者として人に会うときは、その人に会うときに雨が降っているか? 偶然風が吹いたか? とかいうようなことも全部考慮に入れます。
 要するに、ふつうの常識だけで考えて治る人はぼくのところへは来られないのですよ。だから、こちらもそういうすべてのことに心を開いていないとだめで、そういう中では、いま言われたようなことはやはり起こりますよ。
 ぼくは夢というのもぜんぜん見ないのですが・・・・・・。
 それは小説を書いておられるからですよ。
 
○暴力性と表現
193 ぼくは、読者が同一化してシンパシーを感じている主人公こそが、暴力に深くかかわることに意味があると思うのですよ。
 それはどういうことかというと、私はそういう暴力性を持っていますよ、ということなんです。みんな持っているのですよね。
 暴力というか、腕力、人間はそういうものを持っていたから生き延びてきたのです。狩猟にしろ、採集にしろ、農耕にしろ、全部そうでしょう。
 しかもそれだけではなくて、共同体をつくって、他のところへ攻め込むということになったら、まさに暴力がなかったらできない。そういうふうにして人間はずっと生きてきたのですね。そのなかで、欧米の国々はそういうものはルールの中に取り込んだんですね。つまり戦争でも、彼らはフェアな戦争だったらやってもいいと考えたのでしょう。それからいろいろなスポーツも全部そうです。
 それは、たとえば、キリストに基づく暴力であれば正しいということですね。
 ええ。日本の場合は、そういうルールがなかなかつくりにくいのだけれども、まあ、それでも、ある程度みんなが共存できるような格好でやってきた。
 そして、日本の場合、とくに不幸なのは、あの大戦争ということがあったから、ものすごく急進的な暴力否定ということになったのですね。平和が大切だからと言って、子どもに兵隊ごっことかチャンバラとかまで全部禁止したりした。つまり自分の持っている暴力性を一度も体験せずに育ったりする
 そして、思春期になったらもうワーッと荒れますからね、なんかむちゃくちゃなことがしたくなって、たとえば、いじめをやる。いじめなんて昔からあったので、いじめそのものはそんなに憂うべきことではないとも言えます。それは全世界、全歴史にわたってあったわけですで、いまは相手を殺すまでやってしまうというところに問題がある。
 その大きい原因のひとつは、やはり小さい時から経験がなさすぎるということではないでしょうか。昆虫を殺すのもいけないとかね。昔ぼくらだったらカエルを殺したりなんかしているうちに、動物を殺すのはよくないことだとかふと思ったりしたものだけれど。とにかく現代の日本のわれわれは和という点に妙にこだわりすぎたのと、精神と肉体の乖離のために、暴力に対してはすごい仰圧を持っているのです。だから、作品(村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』)の中で突発してくるのではないか、というふうにぼくは思っているのです。「平和の時代」とわれわれが呼んでいるちょっと前は、もう、めちゃくちゃやっていた。日本の文化、日本の現代は、そういうのをものすごく潜在的に背負っていると思うのです。そのことはどうしても出てくると思うし、みんなすごく自覚すべきだと思うのですね。
 
○日本社会の中の暴力
200 結局、日本のいちばんの問題点は、戦争が終わって、その戦争の圧倒的な暴力を相対化できなかったということですね。みんなが被害者みたいになっちゃって、「このあやまちはもう二度とくり返しません」という非常にあいまいな言辞に置き換えられて、だれもその暴力装置に対する内的な責任を取らなかったんじゃないか
 われわれの世代的な問題というのも、そこに帰属するのではないかと思います。ぼくらは平和憲法で育った世代で「平和がいちばんである」、「あやまちは二度とくり返しません」、「戦争は放棄しました」、この三つで育ってきた。子どもの頃はそれでよかったのです、それ自体は非常に立派なことであるわけですから。でも、成長するにつれて、その矛盾、齟齬は非常に大きくなる。それで1968年、69年の騒動があって、しかし、何にも解決しなくて、ということがえんえんとあるのですね。
 あのときの若者たちも、自分の中の暴力という認識はつくれなかったとぼくは思います。自分らは正しいことをやっているから、やらざるをえないんだというふうに単純に思っていたのだけれど、やっぱりそんなことをもっと超えて働いている本質的な暴力性、そういうことの認識がないものだから、どうしてもあれは最終的にうまくいかないのですね。
 それまでの日本人の持っている文化のパターンをこわそうと思ったら、いろんな意味でものすごい暴力が要るんです。ところが、彼らも文化のパターンの中に入ってやっているから、こわれようがないんですよ。ものすごく単純でプリミティブな暴力だから、機動隊が出てきたら終わりになる。
 そうですね、結局、暴力の実力の比較で行けば、向こうのほうがプロですからね。
 結局、ぼくがそれだけ長い年月欠けて暴力性に行きついたというのは、そういう曖昧なものへの決算じゃないかなという気もしなくはないのです。
 ですから、結局、これからのぼくの課題は、歴史に均衡すべき暴力性というものを、どこに持っていくかという問題なのでしょうね。それはわれわれの世代的責任じゃないかなという気もするのです。
 そうですね。暴力性をどういう表現に持っていけばいいのか、いまの若者がそこまで気がついてくれるといいんですけれどもね。
 
○痛みと自然
207 ぼくが日本の社会を見て思うのは、痛みというか、苦痛のない正しさは意味のない正しさだということです。たとえば、フランスの核実験にみんなで反対する。たしかに言っていることは正しいのですが、誰も痛みをひきうけていないですね。文学者の反核宣言というのがありましたね。あれは確かにムーヴメントとしては文句のつけようもなく正しいのですが、誰も世界の仕組みに対して最終的な痛みを背負っていないという面に関しては、正しくないと思うのです。そういう意味では、ぼくは村上龍というのは非常に鋭い感覚を持った作家だと思っているのです。彼は最初から暴力というものを、はっきりと予見的に書いている。ただ、ぼくの場合はあそこへ行くまでに時間がかかるというか、彼とぼくとは社会に対するアプローチが違うということはありますが。
 
○われわれはこれからどこへいくのか
 
後書き/河合隼雄
223 日本は今なかなか大変なところにきている。今までは欧米文化の上澄みを上手にすくって取り入れていたが、とうとう根っこのところでぶつからねばならぬときが来ている、と思われる。このような認識の点ではわれわれは共通していると思う。
 日本文化が革新を強いられている中で、困難な状況のひとつとして生じているのが、人間関係のことだ、とわたしは思っている。人間関係をどのようにして持つのか、新旧の間でゆれ動いている。そのことがもっとも典型的にあらわれているのが夫婦関係である。これまでの日本的夫婦関係では、うまくいかない。さりとて、アメリカをお手本にすると、離婚率は急上昇するだろう。別に離婚がいけないことはないが、アメリカ人の夫婦関係が模範的とは言い難い。こんな状況の中で、新しい夫婦関係をまさぐっていく間に、いろいろな摩擦が生じてくる。それは単純にどちらかが「悪い」からだとは言い難い。もっとも、夫婦のどちらかが相手を「悪い」と非難していることが多いが。

読んだ。 苫野一徳特別授業 #社会契約論 別冊NHK #100分de名著 読書の学校 #苫野一徳

読んだ。 苫野一徳特別授業 #社会契約論 別冊NHK #100分de名著 読書の学校 #苫野一徳
 
第1講 ルソーの読み方 その人生と思想
人はどうすれば自由になれるか
10 人間は自由なものとして生まれた、しかもいたるところで鎖につながれている。自分が他人の主人であると思っているようなものも、実はその人々以上にドレイなのだ。どうしてこの変化が生じたのか?わたしは知らない。何がそれを正当なものとしうるか?わたしはこの問題は解きうると信じる。
Man is born free, and everywhere he is in chains. Those who think themselves the masters of others are indeed greater slaves than they.
 
12 『孤独な散歩者の夢想』
 私よりも博学な哲学者はたくさんいる。だが、彼らの思想は自らの血肉となっていない。彼らは、ただ他人よりも物知りになりたいと思い、まるでそこらにある機械の仕組みを調べるように、好奇心だけで宇宙を研究しているのである。人間について研究するにしても、単に学者ぶって話をするためにそうしているだけであり、 本気で自分自身について知ろうとしているわけではないのだ。彼らは、ただ他人に知識を教えたいから学ぶのであり、 自らの内側を解明しようとして学ぶ のではない。何でもいいからとにかく本を出して、世間に認められたいだけの者も少なからずいる。
 
いっぽう、私の場合、自分自身に知りたいという思いがあるからこそ、学ぶのであり、他人に教えるためではない。他人に教える前に、まず自分のために学ぶことが必要だと常々思ってきた
 
哲学者と思想家
14 よく、哲学(者)と思想(者)は何が違うのか、と訊かれます。
 わたし自身は、これら二つの言葉を、ある程度意識して使い分けています。
 哲学とは何か?わたしの考えを一言でいうと、その本質は「本質洞察に基づく原理の提示」です。様々な問題や物事の本質を洞察すること。そのことで、それにまつわるさまざまな問題を力強く解き明かしていくこと。それが哲学の一番重要な仕事です。
 『社会契約論』についていえば、「よい社会」の本質を洞察し、ではそれはいかに可能かについての原理(考え方)を提示すること。
 その明確な”答え”を明らかにした点において、ルソーはまぎれもない”哲学者”でした。
 むろん、本質とはいっても、どこかに絶対正しい本質が転がっているわけではありません。哲学は、そんな絶対の真理としての本質を見つけ出す営みではなく、誰もができるだけ「なぁるほど、それは確かに本質的な考えだ!」とうなってしまうような考えを追いつめ明らかにするものなのです。
 他方の”思想”は、いってみれば「わたしはこう考える」と表明するものです。それは確かに、ユニークな考えかもしれません。でも、それはどちらかといえば、誰もが納得できる普遍的な原理というよりも、「わたしはこう考える」という自らの”信念”を表明しているにすぎないのです。少し極端ないい方かもしれませんが、私はこのように哲学と思想という言葉を使い分けています。
 さて、しかしほんとうにすぐれた”哲学者”は、同時にすぐれた、”思想家”でもなければならない。そんな思いが、わたしの中には強くあります。 
 19世紀アメリカの哲学者エマソンの言葉に、「最も内的なものは、時至れば最も外的(普遍的)なものになる」という一節があります。
 
「哲学がわかったぞ!」という体験か
万能の天才にして、変人
絶対王政化の危険な思想書
ルソーの幸福論
27 『孤独な散歩者の夢想』
 この世にたったひとり。もう兄弟も、隣人も、友人も世間との付き合いもなく、天涯孤独の身。 私ほど人付き合いが好きで、人間を愛する者はいないというのに、そんな私が、満場一致で皆から追放されたのだ
 
※こうして諦めてみると、これまでの苦痛がすべて埋め合わされるほどの平穏を見つけ出すことができた。この平穏こそ、諦めが私にもたらしたものであり、つらく報われることのない抵抗を続けていたときには、得られなかったものである。
 
哲学書の読み方
30 どんな哲学書も、シンプルな次の三つのポイントを決して手放さないことが重要です。
 「問いは何か?」
 「どのような方法でその問いを考えたか?」
 「たどり着いた答えは何か?」
 
 原理的な問い、原理的な方法、原理的な答え。これら三つが哲学が常に目指すべきものなのです。
 いま、「原理的に」といいました。この言葉を「原理主義」と混同する方もいらっしゃるかもしれませんので、少し補足しておきたいと思います。
 哲学でいう「原理的」は、誰もが納得できる力強い考え方、ということを意味します。「なるほど、それは確かにそうとしかいえない」と、誰もが唸ってしまうほど鍛え抜かれた思考、それが原理的な思考です。
 むろん、それは絶対に正しい考えではありませんし、その正しさを強弁するものでもありません。むしろ哲学者は、「この考えは本当に原理的なものになっているか、みなさん、ぜひ確かめてください」と、丸裸になってまな板の上に乗り、自らの思考を人びとの吟味にさらすのです。もしその考えにみんなが納得できたとするなら、そのとき初めて、それは「原理」と呼べることになるのです。
 その意味で、哲学は誰かの思想をありがたく押し頂くようなものでは決してありません。前にも言ったように、思考のリレーを通して「原理」をつねに更新し続けることをめざすものなのです。
 それに対して「原理主義」は、「この考えしか認めない」という態度のことです。例えば宗教原理主義者は、自分が信じるところの宗教のみが絶対であるとして、そのほかの信仰を認めません。その意味で、哲学原理と原理主義は、相反するものというべきです。
 
『社会契約論』 の問いは何か
34 ただし、ホッブズとルソーの「自然状態」には大きな違いがあります。
 ホッブズにとって、「自然状態」とは「万人の万人に対する戦争状態」を意味するものでした。「自然状態」は、きわめて野蛮で暴力的な世界だったのです
 それに対してルソーの「自然状態」は、もっと原始的な時代の人類がイメージされています。個々人が独立し、己の自己保存を最優先のこととしながら、お互いにほとんど不干渉であった時代です。現生人類の誕生期がイメージされているといっていいかもしれません
 そんな自然状態における野生人は、「自己保存」だけでなく、お互いに対する「あわれみ」の情もまた持っていたとルソーはいいます。人は本来的に、他者が苦しむのを見たくはない生き物です(それは他の動物にも見られるきわめて自然な感情だとルソーはいいます)。「自己保存」と「あわれみ」。これが野生人の二大原理だったのです。
 ルソーはホッブズの「自然状態」を批判しています。それは「自然状態」ではなく、すでに「社会状態」なのだ、と。ホッブズは、戦争が絶えない今日の社会の感覚から野生時代を照射することで、本来の自然状態を見誤ってしまったとルソーはいうのです。
 しかしこの批判自体は、あまり本質的なものではないように私は思います。両者の「自然状態」の違いは、次のように考えればむしろお互いに補い合う理論になります。ホッブズのいう「自然状態」は、約1万年前の定住・農耕・蓄財から始まった、大規模な戦争状態のこと。対して、ルソーのいう「自然状態」は、それより数十万年前の現生人類の誕生期から、長く見積もれば約1万年前までの狩猟採集時代までのこと、と。
 
『人間不平等起源論』の方法
36 その意味で、『人間不平等起源論』は、不平等の「起源」を明らかにするというより、むしろ人間の本質を見きわめ、そこからあるべき社会のあり方を考える道を開こうとしたものだったとわたしは考えています。
 実際、ルソーも、人類の起源や不平等の真の起源など、本当はどうでもいいのだと言っています。
 「よい社会」の本質を明らかにするにあたって、「過去はこうだった」という歴史的事実(起源)は、直接的にはあまり意味を持たないからです。過去において、人類はみんな自由で平等に生きていた。だから、現代のわたしたちもそうあるべきだ。このような主張は、何の説得力も持ちません。過去がそうだったからといって、現代もそうでなければならない必然性はどこにもないからです。
『人類不平等起源論』で、ルソーは次のようにいっています。
 だからすべての事実から離れることから始めよう。事実では問題の核心に触れることはできないからだ。(中略)真の起源を明らかにするのではなく、事態の本性を解明することがふさわしいのである。
 事実ではなく、「事態の本性を解明する」。つまり、人間の本性を見きわめ、そこから社会の変容を理解する。そうして、来るべき社会のあり方を問う。それが『人間不平等起源論』におけるルソーの方法でした。
 
38 ルソーの答えは簡明です。「ある広さの土地に囲いを作って、これはわたしのものだと宣言することを思いつき、それを信じてしまうほど素朴な人々をみいだした最初の人」が現われたこと、すなわち「王」の登場が、人類社会に不平等をもたらしたのです。
 なぜ、王は生まれたのでしょう。というより、なぜ王はそれほどの権力を握る事が出来たのでしょう?
 その背景には、冶金術と農業、つまり農耕があったとルソーはいいます。農耕が、それまで共有されていた土地の私有化を生み出したのです
 本来であれば、そうした土地私有者は、そのほかの人びとから責められてしかるべきです。みんなで共有すべき土地を、「ここは俺のものだ」などと突然主張し始めたのですから。
 しかし彼らは、ここで恐ろしい奸計を思いつきました。そうルソーはいいます。
 「よその土地のやつらが、俺たちの土地を奪いにくるぞ!さあ、このわたしに至高の権力を与えよ。そうすればお前たちを守ってやる」。
 ルソーはいいます。こうして「すべての人は、自分の自由を確保するつもりで、自分を縛る鎖に飛びついたのである」と。
 
『社会契約論』 の方法
41 「自由」というのは難しい言葉ですが、『エミール』におけるルソーの言葉を借りるなら、ほんとうに自由な人間は自分ができることだけを欲し、自分の気に入ったことをする。これを砕いて、「自由」とは「生きたいように生きられること」であると考えておくと分かりやすいのではないかと思います。
 
答えは何か
43 社会契約」と「一般意志。端的には、この二つが答えです。両者のそこにある原理が、「人民主権」。そういっていいだろうと思います。
 まずルソーは、「国家は社会契約によって成立したものと考えよう」と提案します。
 これも、かつてそのような契約が歴史的にあったのだという仮説を主張するものではないことに注意が必要です。「社会契約」、それは国家のあるべき本質についての”考え方”なのです。
 ではこの「社会契約」の内容は、具体的にどのようなものになるでしょうか?
 その答えが「一般意志」です。
 
 「みんなの意思を持ち寄って見出された、みんなの利益になる合意」
 
 
 
第2講/社会契約論の核心
ホッブズ「万人の万人に対する戦争」
自然権」の相互譲渡とは?
人間は命を守るためならなんだってするというより、自由を手に入れるためならむしろ命をとしてでも戦うのだと言いました。奴隷にされ、自由を一生奪われるくらいなら、むしろ命をかけて戦いを挑むのだ、と。
 
ホッブズが出した答えはシンプルです。みんなで一斉に、おのれの「自然権」を放棄すること。そしてこれを、ある個人、あるいは合議体に譲り渡し、統治社会をつくること。これ以外に、平和を実現する道はない。
 「自然権」の相互譲渡。これが、ホッブズの考えた「社会契約」の内実なのです
 この考えは、内戦の果てに王政復古を遂げた、当時のステュアート王朝を理論的に擁護するものであったとよくいわれます。あるいは逆にリヴァイアサンは、革命の指導者にして独裁者クロムウェルに気に入られるために書かれたものだったという解釈もあります。しかしいずれにしても、ホッブズは単なる日和見主義の御用学者などではなく、透徹した洞察力を持った一流の哲学者だったとわたしは思います。
 
ロックの「天賦人権論」
57 ホッブズの問題。
 せっかく平和が訪れても、その後、統治者に逆らうものが現われたなら、結局また内乱(戦争)が続くことになってしまいます。
 だから人民は、一度できた政治権力には常に従わなければならない。ホッブズはそう主張したのです。
 しかしそうすると、大多数の人びとは、自己保存を果たせるとしても、いつまでたっても支配のくびきから逃れることができません
 
リヴァイアサンから38年後の1689年、ロックは『統治二論』を出版します。ここで彼はホッブズが認めなかった「抵抗権」を打ち出します。君主からいわれのない暴力にさらされ、これを法に訴えることで回避することが不可能な時、人民は君主に対する抵抗権を持つ。ロックはそう主張したのです。
 
「天賦人権論」神がそもそも与えてくださっているもの
当時のキリスト教社会では、いくらか通用したかもしれません。でも現代では、とてもじゃないけど通用しない。近代ヨーロッパローカルの思想というべきでしょう。その意味で、ロックの思想は、残念ながら哲学「原理」とは言えないものだと私は思います。
 
 ロックとルソーの問い自体は、それほど異なるわけではありません。ずばり、「よい社会」とは何か。でも、「どのような方法でその問いを考えたか」という点において、両者は天と地ほどの差があるのです。
 ロックの方法は、人間がもともと神に与えられている人権(所有権)を見定め、そこから社会のあり方を構想するというものです。それに対してルソーの方法は、「よい社会」とは誰もが望む「自由」を実現する社会であると見定め、ではそれを可能にする条件はなにかと問うものなのです
 
人民主権の原理
61 ルソー
 どうすれば共同の力のすべてをもって、それぞれの成員の人格と財産を守り、保護できる結合の形式をみいだすことができるだろうか。この結合において、各人はすべての人々と結びつきながら、しかも自分にしか服従せず、それ以前と同じように自由であり続けることができなければならない」。
これが根本的な問題であり、これを解決するのが社会契約である。
 
「一般意志」とは何か
62 社会のすべての構成員は、みずからと、自らのすべての権利を、共同体の全体に譲渡するものである。
 
ここれいう「共同体」とは、ホッブズがいうような統治者(王)ではなく、「一般意志」にほかならない。
 
「みんなの意思を持ち寄って見出された、みんなの利益になる合意」
 
一般意志は、どこかにあらかじめ転がっているものではなく、人々の対話・議論を通して浮かび上がってくるもの
 
一般意志はつねに異議申し立てに開かれていることが重要です。一度これが一般意志だとされたからといって、未来永劫、それが絶対に正しいと言えるわけではない
 
社会の正当性をはかる基準として
66 「一般意志」の最も重要なポイント、それは、これのみが、統治の、そして法の「正当性」の原理であるということです。ルソーの最初の問いを思い出しましょう。何が統治を正当なものとしうるか?「私はこの問題は解きうると信じる」。
 この問いの答えこそ、一般意志に他ならないのです。つまり一般意志は、民主主義社会がめがけ続けなければならない、政治権力や法の正当性をはかる基準原理なのです
 別の言い方をすると、わたしたちは、この一般意志の観点からしか社会の「よさ」をはかれないということです。いま、わたしたちは「よい社会」に暮らしているか?そう問うたとき、わたしたちは、この社会は全ての人の利益になる合意をちゃんと目指しているかと考えるほか基準を持ちません。
 つまり一般意志は、絶対に実現しなければ意味のない原理ではなく、社会の正当性をはかる基準として意味を持つ原理なのです
 ですから、政府や法を批判するときの根拠も、最終的にはこの一般意志にあります。「この政府は私の利益を実現してくれない」。そんな批判は、政治議論において正当性を持ちません。「この政府は一般意志をめざそうとしていない」。これが正当な批判の仕方なのです
 
 ルソーの一般意志には、もう一つ繰り返されてきた批判があります。
 一般意志は全体主義の思想である、という批判です。
 
 この批判の一つの背景には、おそらく、フランス革命期における独裁者、ロベスピエールの存在がありました。王侯貴族のみならず、内ゲバも含めて何千人もの人を断頭台に送り込んだ、恐怖政治の独裁者ロベスピエール。彼はルソーの熱心な信奉者だったのです。
 しかし一般意志は、すべての人を絶対的な意志のもとに服従させよという全体主義とは全く違うものです。繰り返し言ってきたように、すべての人の意思を持ち寄って見出された、すべての人の利益になる合意。それが一般意志です。一般意志は全ての人の利益を目指すのですから、誰かの自由を犠牲にすることを正当化する全体主義と同一視するのは、やはり大きな間違いなのです
 
一般意志は徐々に実現している
68 かつて人類は、宗教や人種、身分が違えば、お互いを同じ人間と思うことさえありませんでした。それは文字通りの意味で同じ人間とは思わなかったということで、人々はお互いに、異なる宗教や人種や身分の人たちを”ウジ虫”だとか”虫けら”だとか平気でいったいたのです。そしてひとたび戦争になれば、残酷な仕方で殺したり、奴隷にしたりするのも当然とされていたのです。
 
69 一般意志は、確かに完全に実現することは不可能でしょう。しかし人類は、長い目で見れば一般意志をめざしてこれまで努力しつづけてきたといっていいのです。そしてそれは、確実に前進してきたのです。
 これこそ、思想の力、「原理」の力です。哲学なんて”役に立たない”という批判が、どれだけ現実を見ていないものであるか、改めてご理解いただけるのではないかと思います。
 
「自然」とは何か?
70 ルソーは別に、あの太古の「自然状態」に戻ることをといたわけではない。
ヴォルテール「あなたの本を読むと四つ足で歩きたくなってしまいます」
 
 ここでいう「自然」は、ルソーが描いたあの仮説としての「自然状態」のことではなく、むしろ人間の自然、つまり人間本性(ヒューマンネイチャー)のことと理解すべきものです。『エミール』では、自然とは人間の「本来の傾向」のことであるとも言われています。
 
 人間は「自由」に行きたいと願うのが「自然」なことだ。
 
「自然な成長」とは?
 
 
 
第3講/「よい社会」の根拠は「一般意志」にあり
「合意」だけが正当性の根拠
78 だから人々のうちに正当な権威が成立しうるとすれば、それは合意によるものだけである
 
自由であるよう強制される?
79 政治体はそれを構成するいかなる個人も害することができない。
 
 ただこれは、各人が自由であるよう強制されるということを意味するにすぎない。それぞれの市民はこのことを強制されることで、祖国にすべてを与えるのであり、これによって他人に依存することから保護されるのである。
 
 「自然状態」において、人間は自己保存のためなら何でもしていいという「自由」を持っていました。これをルソーは「自然的自由」と呼びます。しかしこれは、非常に脆い自由です。か弱い人間が、「自分だけで自由になる」のは至難のことだからです。
 だから、わたしたちは社会契約によって共同体(国家)をつくり出しました。
 このことによって得られたのが「社会的自由」です。この社会契約によって、私たちはひとりでいるときよりずっと強固な「社会的自由」を手に入れることができるのです。というより、社会契約とはそのようなものでなければならないのです。
 ひとたびそのような社会契約がなされた以上、わたしたちはもはや「自然的自由」を主張することはできません。自己保存のためには何をしてもいいというわけにはいかないのです。
 これが、「自由であるように強制される」ということの意味です。つまりわたしたちは、「自然的自由」ではなく「社会的自由」を追求するよう強制されているのです。むろん、ここで「強制されている」というからといって、それは望まないことを強いられているという意味ではありません。私たちは、自ら望んで社会性契約を結び、「社会的自由」を手に入れたのですから。
 
81 人間はそれまでは本能的な欲動によって行動していたが、これからは正義に基づいて行動することになり、人間の行動にそれまで欠けていた道徳性が与えられるのである。そして初めて肉体の衝動ではなく、義務の声が語り掛けるようになり、人間は欲望ではなく、権利に基づいて行動するようになる。それまで自分のことばかりを考えていた人間が、それとは異なる原則に基づいてふるまわなければならないことを理解するのであり、自分の好みに耳を傾ける前に、自分の理性に問わねばならないことを知るのである
 
所有権の獲得
83 人間が社会契約によって獲得したもの、それは社会的な自由であり、彼が所有しているすべてのものに対する所有権である。
 
 人権の哲学者、金泰明さんは、このようなルソー(およびヘーゲル)の思想を「ルール的人権原理」と呼んでいます。人権、それは、「みんながみんなの中で自由になる」ために、ルールとしてともに作りあったものである。「ルール的人権原理」は、人権の本質をそう洞察するのです。
 他方、ロックのような天賦人権論を、金さんは「価値的人権原理」と呼びます。これは人権を、それ自体において不可侵の価値を持ったものだると主張する考えです。
 「価値的人権原理」は、歴史的には確かに大きな役割を果たしました。しかし哲学的には、「ルール的人権原理」のほうがやはり原理的であるというべきでしょう。ルソーの人権概念は、今日なお、つねに立ち返るべき思想の土台なのです
 
みんなの利益を目指す「一般意志」
85 こうして確立された原則から生まれる最初の帰結、そしてもっとも重要な帰結は、国家は公益を目的として設立されたものであり、この国家のさまざまな力を指導できるのは、一般意志だけだということである。
 
社会を統治するには、この共通の利益だけを目指すべきなのだ。
 
 これまで述べたことから、一般意志はつねに正しく、つねに公益を目指すことになる
 
 この箇所、ルソーの意を汲むなら、次のように解釈するとよいのではないかと思います。一般意志は、それが皆の利益を目指すものであるというその概念の定義上、常に正しいものである、と。
 もう少しいうと、こんな感じです。
 政治的な正しさとは、それがみんなの利益を目指すところにある。みんなの利益を目指すものを一般意志という。だから一般意志は、定義上、政治的な正しさそのものである
 いわばこれは、トートロジー(同語反復)のようなものなのです。
 
 
一般意志と全体意志の違い
87 ルソーが「全体意志」と呼ぶもの
 
 一般意志は、全体意志とは異なるものであることが多い。一般意志は共同の利益だけを目的とするが、全体意志は私的な利益を目指すものに過ぎず、たんに全員の個別意志が一致したに過ぎない。あるいはこれらの個別意志から、[一般意志との違いである]過不足分を相殺すると、差の総和が残るが、これが一般意志である
 
 右の引用では、全体意志は「全員の個別意志が一致した」ものと訳されていますが、岩波文庫の桑原・前川訳では、個別意志の「総和」を訳されています。原文もsomme 英訳もsumですので、やはり、個別意志の「一致」というより「総和」と考えたほうがよいのではないかと思います。
 この「個別意志の総和」から、「相殺しあう過不足をのぞくと、相違の総和として、一般意志がのこることになる」(桑原・前川訳)とルソーはいいます。これはいったいどういう意味なのでしょう?
 ルソーがこれ以上言葉を尽くして説明してくれていないので、ある程度推測するしかないのですが、ここでいわれる「相殺しあう過不足」(les plus et les moins qui s'entre-detriuisent/お互いに打ち消し合うプラスとマイナス)とは、「他者の利益と衝突しあう私的な利益」のことと考えるとよいのではないかと思います。
 前にお話しした、修学旅行の例で考えてみましょう。
 
 旅行の行き先を決めるとき、わたしたちはまず、ハワイ、北海道、九州、ヨーロッパ、など、それぞれの個別意志を持ち寄ります。その「総和」、つまり個別意志の単なる寄せ集めが全体意志です。
 この総和から、「他者の利益と衝突しあう私的な利益」を差し引きます。たとえば、「俺の家にはお金があるから、修学旅行は絶対ヨーロッパだ!それも一国ではなく、いくつかの国の歴史的遺跡を訪問したい!」なんていうのがそうかもしれません。「我が家にはヨーロッパに行くお金なんてないから絶対無理」という、別の私的な利益と衝突するかもしれないからです。
 その結果、ヨーロッパ行の案が”相殺”されたとしましょう。でも、この案の中に含まれていた「歴史的遺跡を訪問する」は、差し引かれずに残るかもしれません。「一か所に留まるのではなく、近県にも足を伸ばす」という案も合意されるかもしれません。
 こうして差し引かれずに残った、それぞれの考えの総和が「一般意志」である。そうルソーはいうのです。
 その結果、修学旅行は、例えば九州の歴史的遺跡を巡る旅に決まるかもしれません。奈良と京都を巡る旅という、それまでになかったアイデアが合意されることになるかもしれません。
 以上のように、一般意志とは、全体意志から「衝突しあう私的な利益」を差し引いて、みんなの利益になるものとして見出された合意のことだとルソーはいうのです。
 ここで重要なのは、こうした私的な利益(個別意志)を、私たちはまずお互いにちゃんと表明しあう必要があるということです。そうでなければ、それが本当に他者の利益と衝突するかどうかわからないからです。
 
 すべての人の利益が一致するのは、各人の利益と対立した場合である。利益の違いがなければ、共同の利益はいかなる障害物にもであわない。すべては自然に進行し、政治は技芸(アート)ではなくなる。
 
 誰もが、お互いに異なる利益を持っています。だからまずは、それらをテーブルの上において吟味しあわなければなりません。そしてそのうえで、「みんなの利益になる合意」を見つけ出す必要があるのです。
 その意味で、政治とは一般意志を見つけ出すアート(技芸)に他ならないのです。
 ところで、このアートとしての政治を十分に機能させるためには、次の二点が重要になるとルソーはいいます。
 一つは、すべての人に情報が行き届いていること。もう一つは、人々が前もって根回しをしない仕組みを整えることです。
 
 人民が十分な情報を持って議論を尽くし、互いに前もって根回ししていなければ、わずかな意見の違いが多く集まって、そこに一般意志が生まれるのであり、その決議は常に善いものであるだろう。しかし人びとが徒党を組み、この部分的な結社が[政治体という]大きな結社を犠牲にするときには、こうした結社のそれぞれの意志は、結社の成員にとっては一般意志であろうが、国家にとっては個別意志となる
 
みんながつくった国だからみんなで守る
92 だから統治者が市民に、「汝は国家のために死なねばならぬ」というときには、市民は死ななければならないのである。なぜならこのことを条件としてのみ、市民は安全に生きてこられたからである。
 
 人々は、自らの自由を確かなものとするために国家をつくりました。しかし、この国家は常に他国からの攻撃の危機にさらされています。もし、国が侵略されたり滅ぼされたりしてしまったら、私たちはせっかく手に入れた安全や自由を根こそぎ奪われてしまうことになります。
 ならば私たちは、国家が他国からの攻撃や侵略にさらされたとき、これを守るために命をかける必要がある。というより、自分たち以外に、この国を守ってくれる人はどこにもいないのです。
 
 ここでのルソーの主張を、現代の私たちの感覚から断罪することは慎まねばなりません。ルソーの時代と現代とでは、置かれている状況がまったく違っているのです。
 
94 ちなみに、このような戦争ばかり続けていたヨーロッパの現状を憂えて、ルソーからも大きな影響を受けたドイツの哲学者カントが、『永遠平和のために』を書いたことはよく知られています。このカントの著作は、その百数十年後の国際連盟(現在の国際連合の前身)の設立に大きな影響を与えました。
 
法は一般意志の具現である
96 法をつくる権限は誰にあるのかと、問うまでもない。法は一般意志の行為だからである。統治者は法律よりも上位に立つのかと、問うまでもない。統治者も国家の[構成員の]一因だからだ。
 
 公衆が啓蒙されると、社会の知性と意志が一致するようになり、様々な部分がきちんと調和するようになり、ついには全体が最大の力を発揮するようになる。
 
 立法者はあらゆる点において、国家における<異例な人>である。その天分においても、その任務においても、異例な人でなければならないのである。
 
 こうした理由から建国者はいかなる時代にあっても天の助けに頼ったのであり、自分たちの叡智は神々から受け取ったものだと、神々を褒めたたえたのである。
 
政府は人民の召使い
99 政府が主権者と混同されることが多いが、これは間違いである。政府は主権者ではなく、主権者の召使い[執行人]にすぎない。
 
 真の民主政はこれまで存在したことはなく、これからも存在することはないだろう
 
 ここでルソーが言っている民主政とは、あくまでも統治の仕方(政府の形態)のことであって、今日の民主主義の概念とは少しずれがあるのです。
 ルソーが目指したのは、「人民主権」の国家です。本書では、この人民主権に基づく社会を民主主義社会と呼ぶと言いました。
 他方、ルソーの用語では、「人民主権」に基づく国家は「共和国」と呼ばれます。一部の支配者の意志ではなく、みんなの意志(法)基づいてつくっていく国家、と考えておくとわかりやすいでしょう。
 それに対して民主政は、すべての人民が、いわば政府の役人を務める政治形態のことです。
 しかしそんな純粋な民主政は、さすがに非現実的です。ルソーも、きわめて小さな国であり、あまり議論をしなくてもいいくらい習俗が似通っていて、富もある程度平等な人々からなる社会でないと、真の民主政は不可能だろうといっています。
 非現実的であるばかりではありません。ルソーは、そのような民主政は好ましくないとさえ言います。法のつくり手が法の執行人にもなってしまうと、法が恣意的に運用される危険があるからです。
 立法権と行政権は区別しなければならない。そして司法権も。この三権分立の原則は、モンテスキューによって打ち立てられたものですが、ルソーも基本的にはこれを踏襲しています。
 
人民の集会をつくれ!
民集会=一般意志に基づいて法をつくる集会
この集会は定期的に開かれることが重要
毎回、開会にあたって必ず次の二つの議題を採決しなければならない
 
第一議案 主権者は政府の現在の形態を保持したいと思うか。
第二議案 人民は、いま行政を委託されている人々に、今後も委託したいと思うか。
 
「政府の現在の形態」→民主政、貴族政、君主政、またその混合政体のこと
(現代の日本でいうなら、このまま議院内閣制を続けるか、それとも大統領制に変更するか、といったことを決議するもの)
 
「行政を委託されている人々」
(現代の日本でいうなら、総理大臣をはじめ、国務大臣らの信任/不信任決議のこと)
 
キリスト教」から「公民宗教」へ
108 公民宗教の教義
①神は存在する。
②来世は存在する。
③正しきものが幸福になる。
④社会契約と法が神聖である。
⑤不寛容を退ける。
 
 
 
第4講/若者たちと考える『社会契約論』の可能性
Q1.スクールカーストの解決方法、『社会契約論』で見出せますか?
クラスで「社会契約」を
116 まあ、社会契約なんて言うと大げさに聞こえるかもしれないけど、言いたいことはシンプルです。「お互いを対等な人間としてリスペクトし合う」。それだけをルールとして明示し、相互に確認しようというだけです。
 
学校を自分たちの手でつくる
119 加えて私の考えを言うと、学校の細かなルールでがんじがらめにされている子どもたちは、何かにつけてお互いを「ずるい」といって責め合う傾向があります。窮屈な枠の中で生活することを強いられると、その枠をちょっとでもはみ出た人を見ると、すぐに「ずるい」と感じる感性が育まれてしまうのです。
 こんな不寛容な心を、学校が育ててしまってはダメですよね。学校は本来、子どもたちがお互いの自由を認め合う感度をこそ育まなければならないのに。
 
120 学校って、多かれ少なかれ”空気”を読みあう場になってしまいやすいものですよね。
 その最大の理由は、同質性の高さだと思います。もちろん、学校には多様な子供たちが通ってはいるけれど、例えば同じ年生まれの人たちだけからなるコミュニティって、学校以外にはまずないですよね。
 スクールカーストが生み出される背景にも、やっぱり学校の同質性があると思います。同質性が高い空間では、容姿だとか、勉強やスポーツの得手不得手、ノリのよさ、面白さなど、いくつかの限られた指標で人間が評価されやすくなってしまうからです。 
 
Q2.「自由」だからこそ、じつは私たちは苦しんでいるのでは?
自由であることの苦しみ
125 言論の自由も、職業選択の自由も、幸福を追求する自由もない、絶対支配の社会。そんな社会に戻ることを、私たちはやっぱり欲しはしないよね。
 だから「自由な社会」それ自体が問題じゃないんです。問題は、この「自由な社会」のなかで、多くの人たちが、いまなお、失敗したら二度と復活できないとか、貧困の連鎖などのために、そもそも自由に生きるためのスタートラインに立てないとか言った理由で、大きな「不自由」を感じてしまっていることなのです。
 
「自由な社会」を先に進める
 
Q3.世界的な格差の問題に、ルソーの思想を役立てることはできますか?
グローバルな社会契約
128 世界政府は、非現実的なだけでなく危険性もあるんです。もし現実すれば、巨大な権力を握るわけですからね。その一方で、国民国家とは違って、世界政府は市民によるコントロールが非常に難しい。いま、世界には約70億人もの人がいますからね。一般意志を見いだすのは国民国家の何十倍も難しい。
 
民主主義の危機
130 ヘーゲル自由経済を、文字通り各人の自由を下支えするために重要なものだと考えました。農民の子は農民、職人の子は職人、ではなくて、自分の力ひとつで自由をめがけていくことができる。それが市場経済のよさですね。
 でもヘーゲルは次の問題も見落としませんでした。市場経済においては、どうしても貧富の差が拡大してしまう傾向がある。生まれの差が、結果の差をもたらしてしまうこともある。運不運などもあって、突然転落してしまうこともある。
 そんな時に、最後に必ず人々を下支えしなければならないのが国家であるとヘーゲルは言いました。国家こそが、すべての人の自由を実現するものでなければならないのです。
 
 これはルソーにはまだあまりなかった観点で、ヘーゲルがルソーを批判しながらはっきりと打ち出しました。
 
 為政者の責任を問う必要はもちろんあります。でも同時に、やはりここには構造的な問題がある。グローバルな経済競争、つまりは不安競合においては、すべての人の自由を考えている余裕なんてなくなってしまうのです。
 これは戦争共同体に似ています。よその共同体との戦争の可能性、つまり不安競合の中では、すべての人の自由が大事だなんて言っている余裕はありません。誰か強いやつに富と力を集中させないと、共同体自体が滅ぼされてしまう可能性があるのです。
 
教育の力

読んだ。 #U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面 #森達也

読んだ。 #U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面 #森達也
 
序章 面会室
22 19人の障害者を殺害した理由を、植松は「彼らは心を失った存在だから」と説明した。社会に対して何の貢献もしないし、その家族や施設の職員たちに迷惑をかけている。だから存在を消すべきなのだ。この主張は事件直後から現在に至るまで、ほぼぶれていない。ところが弁護団は、過度の大麻と薬物接種による心神喪失状態時の犯行であり、責任能力は失われていたとの弁護方針を展開した。
 事実関係はほぼ争われていない。この裁判をワンフレーズに要約するならば、責任能力をめぐる裁判だったということになる。
 弁護団のこの主張に、自分には責任能力があると植松は強く反駁した。弁護人の主張を被告人が真っ向から否定する。極めて異例な事態だ。ただし確かに彼の立場からすれば、心がない(心神喪失)状態であることを理由に命を奪ったのに、その自分が心神喪失状態だったから罪を軽減してほしいとの主張は筋が通らない。
 
27 拘置所にいるのは、死刑確定囚以外はみな被告人、と少し前に僕は書いた。多くの被告人は裁判が終わって懲役などの刑罰が確定すれば刑務所に移送されるが、死刑囚は刑罰が確定しても移送されない。なぜなら彼らの刑罰は処刑されることだ。もしも刑務所に移送すれば、死刑以外に自由を束縛される有期刑が科せられることになる。ならば一事不再理と二重処罰を禁じた憲法39条に抵触する。
 
 
第1章 宮﨑、麻原、植松
吉岡忍との対話(『M/世界の、憂鬱な先端』著者)
61 宮崎勤に出た3つの精神鑑定
 宮崎勤の第一精神鑑定は慶応大学医学部の保崎秀夫教授など6人が1年4カ月かけて行い、責任能力はあると結論づけた。その後に帝京大と東大医学部の3名の教授によって行われた二次鑑定は2年の月日をかけたが、途中で意見が割れ、東大の中安信夫鑑定人は精神分裂病の初期段階と鑑定し、帝京大の内沼幸雄教授と東大の関根義夫教授は解離性同一性障害(多重人格)の状態にあると診断した。
 つまり4名の鑑定によって、正常、分裂病、多重人格、という3つの判定が下されたのだ。特に後者の2つは、責任能力は失われていたとする結論に結びつく可能性が高い。この事態について吉岡は、皮肉をにじませながらこう嘆息する。
 ある医者は、いささか疲れ気味ですが健康ですよと言い、別の医者は進行性ガンだと言い、もう一人の医者は複雑骨折と診断したようなものである。
 
93 「なんだっけ。メディアの視点か。ずっと思っていることがある。宮崎が事件を起こしたあの時代がちょうど境目だったのかな。報道が加害者よりも被害者への取材にどんどん傾いていった」
 そう言ってから吉岡は、「20年以上も前に書いた本(『M/世界の、憂鬱な先端』)だから細かいことは忘れていたけど、話しながらいろいろ思いだしてきたよ」とつぶやいた。
 「あの本を書きながら、自分はとても怒っていた。本当に怒っていた。宮崎に対してじゃないよ。裁判所と社会とメディアに対して。宮崎は4人の幼女を殺害したことや匿名の犯行告白文を被害者の母親に送ったことを、一度も否定していない。つまり事実関係には争う余地はほとんどない。だから僕の関心は、なぜ彼のような人間が生まれたのか、その一点だけだった。人間って結局は器だと思うんだ。そこに盛りつける何かによって人は人になっていく。だから宮崎という器について、これは手首の障害とか祖父への過剰すぎる愛着とかいろいろあったけれど、それをまずは地元に行って徹底して調べて、次にその器に盛られたものを取材したのだけれど、やっぱり時代性をものすごく感じるわけ」
 「えーと、つまり80年代」
 「そう。この国の80年代。時代と社会が宮崎をつくった、というのが僕の理解。ということは、同じ時代に日本社会にいた僕たちだって加害者になっていたかもしれない。事件があるたびに僕はそう考える。でも多くの凶悪犯罪報道において、これを発信する記者やディレクターたちは、ひょっとしたら自分も加害者になっていたかもしれない、ということを考えない。多くの人は自分が被害者になるかもしれない、ということばかり考えている。でも僕は事件現場に立つとき、自分が被害者になる可能性よりも、加害者になる可能性のほうが絶対に大きいと思っている。
 ならばなぜ、あの本を書きながら僕は怒っていたのか。精神鑑定書が果たしている役割は、『性格の偏りはあったけれど、理非弁別をする能力は失われておらず、従って責任能力もあった』として極刑を科すことです。つまり、普通人であったと認定すること。
 でもさ、ならば次に、なぜ普通人があれほどの凶悪事件を起こしたのか、という問いに答えなければならない。でも鑑定書は答えていない。答える気が最初からない。悪いやつが悪いことをやった。それは同義反復だよ。こうして彼や彼女を世の中から切り離して処刑して、世の中はいっさい免責される、というわけ。世はなべてこともなし、めでたしめでたし。これでおしまい。
 ……何ていうかな、こうした現実を疑わない社会に、僕は怒っていたと思う」
 「そうした状況を醸成しているのはメディアですよね」
 「もちろん。なぜこんな犯罪を彼らは起こしたのか、なぜこんな集団が生まれたのか、というところに僕たちは、……それは森さんの『A』や『A2』、あと書籍なら『A3』も同じだと思うけれど、強い関心があるわけだよね。それを解明したいと思うわけ。ところが、マスコミの多くは、特に宮崎以降だと思うけれど、被害者の悲しみとか、あるいは被害者遺族が抱く加害者への怒りとか憎しみとか喪失感とか、そちらのほうに急激にシフトしていった。だから加害者への取材が薄くなる」
 そこまで言ってから、吉岡は次の言葉を探すように沈黙する。僕も考える。自分のこれまでを。そして現在を。
 
 
 
第2章 発達障害
郡司真子との対話(ASDADHD、知的障害のある子どもと保護者への支援)
106 「今この段階で、相模原事件や裁判について僕が考えていることを言葉にします。日本には死刑制度があります。現行の法制度においては、例えば3人以上殺したら、まず死刑になる。永山基準です。でもオウム以降は厳罰化が進んで、犠牲者が1人か2人の場合でも、死刑になる事件が増えてきた。ただ唯一、被害者が3人だろうが5人だろうが10人だろうが、死刑を免れる方法があります。刑法39条。責任能力がないと認定されれば、死刑を回避できる。
 だから凶悪で大きな事件になればなるほど、絶対に加害者をそちらに逃がしちゃいけないという圧力みたいなものが、刑事司法やメディアに対して、もちろん社会全体でも働いているような気がしています。何が何でも責任能力ありにする。多少の矛盾や疑問はスルーする。裁判全体がこうして進む。ならば加害者の内面や事件の骨格がわからなくなって当たり前です。
 一昔前に比べれば、明らかに動機が不明瞭な事件が増えてきた。それは相模原事件だけではなく秋葉原通り魔事件の加藤智大とか附属池田小事件の宅間守とか土浦連続殺傷事件の金川真大とか、何といっても麻原彰晃とか宮崎勤とかも、この系譜に入ります。これらはすべて、事件発生時には新聞一面を飾った大事件です。そして必ずのように、終わってみると動機がよくわからない。ある程度はわかる。でもある程度です。必ず曖昧なまま終わる。もちろん人の内面は簡単にわかるはずがない。動機も同様です。カミュが『異邦人』で示したように、人の意識は不条理である。すべてを明確に説明できるはずがない。でも少なくとも以前は、一つひとつの事件に対して僕たちは、もっと理解できたという感覚を持てたような気がするし、メディアはこれほどに『闇』という言葉を濫用していなかったと思うんです」
 
109 発達障害者支援法が施行された2005年以降、この概念は急激に広がった。言い換えればそれまで、発達障害は名前のない存在だった。つまり認められていない。小学生時代、授業中にじっとしていられない子供はクラスに何人かいた。学期末にはほぼ必ず、通知表の備考欄に「落ち着きがない」「注意力が散漫」「みんなと協調できない」などと記載される。しばらく見つめてから母親がため息をつく。なぜおまえはみんなと同じことができないの?なぜ授業中にイスの後脚だけでバランスをとることに熱中するの?なぜ遠足の時は必ずのようにみんなとはぐれるの?なぜ玄関に置いてある体操服を毎回忘れるの?そういわれても自分でもわからない。できればみんなと同じようにしたいのだ。でも気がついたら違うことをしている。これが脳の障害に由来しているとは、当時は誰も思わなかった。真摯さが足りないからだと思われていたし、自分でもそう思っていた。
 
112 「何を危惧しているのですか」
 「今の社会の流れです。悪いことをしたら死刑。その傾向がとても強くなっている」
 「えーとつまり」と僕は言った。「その危惧は、障害のある自分の子供が相模原事件のように危害を加えられたら、ということではなくて」
 「もちろんそれもあります。でも発達障害とか軽度知的障害など境界的な知能障害を持つ子供を育てている親の中には、もしこの子が罪を犯したら、と脅えている人はたくさんいます。ちゃんと裁いてくださいって覚悟はしていると思うけれど、でも最近の裁判については、なぜ彼らが犯罪を起こしてしまうのかについての考察がまったく抜け落ちていて、しかも社会の前提は自己責任で、それはどうにかしないといけないと思っています。スクールバスを襲撃して2人を刺殺してから自殺した登戸の通り魔事件も、犯人は同じようなタイプです」
(略)
 「彼らの責任能力について郡司さんは・・・・・・」
 「その議論以前に、このまま死刑で殺してしまっていいのだろうかと思っています。植松には自分の考えを変えるきっかけや出会いがなかった。だからとても急進的に、自分が正義だと思って行動を起こしてしまった。いろんな人が面会しているけれど、誰も彼と話ができていない。もちろん、彼の認知のゆがみとか理解力のなさもあるけれど、彼の心を引き出す対話ができていない。許せないみたいな論理で対峙してしまっては、重度障害者を殺害した彼の心の闇が理解できない、殺してはいけない理由を気づかせることができない。
 植松は今も自分のやったことは正しいと思っているし、反省もしていない。このまま死なれてしまったら困ると私は思っていて・・・・・・
 
115 「本や映画に対する理解が普通とは違う。そして浅いんです。例えば『アップルパイがあるね』と誰かに言われたら、『くれ』と言われたように思っちゃうとか、廊下で誰かとぶつかったら、わざとぶつかってきたと思いこむとか、そういった認知の歪みがあって、その積み重ねでいろんな社会経験がものすごくつらいものになって、その結果として、自分の生きづらさをカバーするためのコーピング(ストレスへの対処法)として、アルコール依存になったり薬物に手を出したりする。そういうタイプだと思うんです。
 私自身は大麻はやったことがないけれど、周囲にはけっこういます。彼ほどの歪みはないですね。もともとの彼の特性的なものかしら。境界知能にある人は実生活でいろいろ困難があって、ストレスから抑うつ状態になって、しかも思考の幅が狭いので、自分は低賃金で頑張って仕事をしながら怠けているとか叱責されて社会的なストレスにさらされているのに、重度障害の人たちは何も生産しなくても食べられるし怒られないし、このまま生き永らえるのかって、・・・・・・抑うつ状態による思考の狭さも働いて、どうしても許せなくなる人はすごく多い」
 「つまり植松に特異な感覚ではない」
 「そういう子は思春期ぐらいから目立ち始めて、周囲との軋轢の結果としてドロップアウトして、・・・・・・日本っていったんドロップアウトしてしまうとリカバリーがすごく難しいから、社会に対する不満や怒りが強まるばかりで、これは安倍政権を支持しているネトウヨ自民党ネットサポーターでバイトしている人たちなんかにも共通するけれど、自分たちが抑圧されている原因は現政権にあるはずなのに、自分を攻撃者である政権と同一化して、リベラルな人や政権に対して抗議の声をあげている人を攻撃するという倒錯した現象が起きています。それと非常に近いです
 
118 「ようやく関心を持たれ始めたけど、スペクトラムにいる子どもたちに対する教育のリソースは今もとても少ない。教師たちも知識がないし、認知の歪みを是正することについて意識的な医師も少ない。
 だから、今まで植松みたいなタイプの子供たちは、学校や社会で、なぜこれが理解できないのかとか、なぜ他の人と同じようにできないのかとか、起こられたりバカにされたり、とてもつらい思いをしていたはずなんです。結局は自己責任。努力しないから自分はダメなんだって思いこまされている」
 「そうした障害を持つ人たちについては」と僕は言った。「責任能力や訴訟能力だけではなく、処罰能力についても考えなければいけないと思っています。つまり罰を与える意味があるのかどうか無期懲役で万歳三唱した小島一郎とか、死刑になるために行きずりの人を殺したと主張する土浦連続殺傷事件の金川真大や付属池田小事件の宅間守も、植松と同じく一審だけで控訴を取り下げて死刑を確定させました。もちろん、それが彼らの本当の望みだったのかどうかについては慎重に考えねばならないけれど、彼らに望み通りの刑を執行することの意味について、本当はもっと考えなければいけないはずです」
 言いながら考える。小島の精神鑑定の結果は猜疑性パーソナリティ障害だった。金川は(植松と同じ)自己愛性パーソナリティ障害。2つとも要するに人格障害だ。性格の歪み。傲慢で極度の権力志向。自分が大好き。平気で嘘をつく。他人の命への尊厳はない。狡猾で冷酷。人間として大切なことが欠けている。だから責任能力に影響はしない。思い起こしてほしい。正金の大きな事件の加害者のほとんどは、ほぼこの人格障害のパターンに押し込められている。もちろん植松も。それも極めて早い段階で。
 
123 「被害者からすると死刑にしたいと思うことは当然です。でも私は自分の子供とか担当している子供たちが、悪意がないままに事件を起こすかもしれない子どもたちなので、死刑ではなく彼らを治療していく方向性を真剣に模索しないと、事件は今後もなくならないと思っています。彼らの命は不要であるという思想を、死刑によって社会と国家が実践しているわけで、ならば人を殺すことを肯定していることになる。
 
 発達障害の治療は可能か
 
127 弁護人 (やまゆり園で)働いていくうちに考え方が変わってきたのですか?
 植松 (重度障害者は)必要ないと思いました。
 弁護人 安楽死させるべきなのは、障害のある人すべてではないのですね。
 植松 意思疎通がとれない人です。
 つまり殺害するかどうかの基準は「役に立つか立たないか」ではなく、「人としての意識を保持しているかどうか」だ。ところが彼の主張に対して、(かつての僕も含めて)社会は、「役に立たない人は殺していいのか」と短絡しながら反発した。
 
129 そしてこの発想そのものは、決して植松のオリジナルではない。この国は1996年に改定された母体保護法によって、障害を持つ胎児に対する人工妊娠中絶を認めている。かつての名称は「優生保護法」。母体保護と名称を変えたけれど、(意識がない胎児)ならば殺害して劣生を駆逐する(優生を保護する)という本質は変わっていない。障碍者に対する強制断種も合法的に行われていた
 
 
 
第3章 裁判員裁判
篠田博之との対話(月刊「創」編集長)
 
136 死刑にするためのセレモニー
 Zoom画面の中で顔をあげた篠田は、「相模原事件の裁判の問題点はもうひとつあります」と言った。「裁判員裁判の影響は大きいと思う」
 やはりそうだよね。そうおもいながら「公判前整理手続きですね」と僕は同意した。刑事裁判において、裁判官、検察官、弁護人の三社が公判前に協議して争点を絞り込む公判前整理手続きは、市民から選ばれた裁判員の負担を軽減することを主目的に、2005年の改正刑事訴訟法施行で導入された。この手続きの際に三者は綿密な審理計画も立てる。ならば公判は短くできる。理屈はそうだ。相模原事件の初公判は2020年1月8日で結審は2月19日。審理期間は2カ月もない。宮崎勤の一審の審理期間はほぼ7年で、死刑判決の基準となった永山則雄の一審は(途中で弁護団の解任などがあったこともあり)10年。麻原彰晃の一審は8年弱で、和歌山カレー事件は3年半だ。
 そして植松の一審は1カ月強。
 
138 その結果として、責任能力以外の論点、例えば障害者への差別の現状について、あるいはやまゆり園も含めて福祉のありかた、何よりも植松の動機の解明とか、そんな要素が全部抜け落ちてしまった
 
141 ・・・・・・教育や勤労はともかく納税がなぜ権利なのかと首をひねる人がいるかもしれないが、英語では税は「支払う(PAY)」もの。つまり対価があることが前提だ。だからこそTaxpayerとして国民一人ひとりが、政府や行政に対して奉仕することを、胸を張って要請できる。
 ところが日本では、税は「支払う」ものではなく「納める」もの。要するに年貢だ。一方的に収奪されるもの。あるいは見返りを求めず提供するもの。しかも国民主権という概念も薄い。統治者への無自覚な従属。お上には逆らわない。近代以降もそうしたメンタリティが駆動しているからこそ、この国では国民主権という感覚が馴染まない。
 確かに国民の司法への参加は、(義務ではなく権利として)近代司法国家の潮流になっている。アメリカやイギリスは陪審制で他のヨーロッパの多くの国々は参審制を導入して、国民の司法参加を前提にしている。ただし日本の場合は国民の司法参加について、他の国とは異なる要素がある。ヨーロッパでは欧州最後の独裁国家と呼ばれるベラルーシを除いたすべての国が死刑を廃止しているし、州によって死刑制度が残るアメリカの陪審員は有罪か無罪かを決めるだけで、量刑は裁判官が決めることが原則だ。
 つまり日本は世界で唯一、罪人として起訴された人を処刑(殺害)するかどうかの判断を、無作為に選んだ国民に(ある意味で)委ねる国なのだ。ならばもしも処刑後に冤罪であることが分かった時、その評議に参加して死刑に賛同した裁判員は、どれほどの心的ダメージを受けるのか。しかも守秘義務が課せられている。悩みは家族にすら打ち明けられない
 
146 「・・・・・・そのうえで思うけれど、明らかに彼の精神は、何らかの病気だなという感情を抱いています」
 「つまり精神耗弱?」
 「法廷で争われる刑事責任能力とは少し違う。法廷における精神鑑定は、あくまでも刑事責任能力があるかどうかの結論を導くための素材としてのみ使われるので、本当の意味で植松の精神状況についてはわからない。仮に精神的な障害があったとしても、現場でその行動を自分で理解する力があったかどうかなどを考慮しながら刑事責任能力は判定されるので、すぐに責任能力の否定とはならない。そもそも裁判では、責任能力があるかないかについては、絶対にどちらかに結論を出さなければいけない。つまり二者択一。ならば国民感情が前提になる」
 「その前提は、こんな凶悪な事件を起こした男への刑罰は死刑以外にありえない、ということですね」
 
148 しかし日本の大麻取締法第24条の8には、「刑法第2条の例に従う」と記載されている。そして刑法第2条は、日本国外において日本の方で規定される罪を犯した場合にも同じように警報を適用するとの条項だ。ならばオランダで大麻を吸ったことを公開する僕は、今後処罰されるのだろうか。
 よくわからない。結論から書けばグレイゾーンだ。刑法第2条で規定される犯罪は、内乱罪や通貨偽造罪など相当に重大な犯罪だ。そのまま適用されるとは思えない。でも条項の描き方は不気味だ。
(略)
 オランダで使用したことが帰国後にとがめられるのなら、日本人はラスベガスやマカオのカジノにだって行けなくなる。アメリカの射撃場で銃をうつツアーに参加したら、帰国して罰されることになる。さすがにそれはおかしいと多くの人は思うはずだが、大麻に関しては何となく微妙だ。そもそものグレイゾーンの領域が大きすぎるのだろう。
 
152 「大麻精神病の境界線はどこにあるのか、それは刑事責任能力とどのように結びつくのか、そのあたりはよくわからない。とにかく今の裁判所は、大きな事件の場合には特に、責任能力ありに持っていくという感じですよね。つまり国家意思を体現しようとする傾向が強くなった」
 国家意思だけではなくて、社会の多数派の意向も大きなバイアスになっていると思う。そういう僕に、篠田はこっくりとうなずいた。
 「その結果として法廷が、本来の意味で機能しなくなる。解明しなければいけないことが解明されない。その傾向は明らかに進んでいます。要するに裁判所は、鑑定医に死刑判決の論拠のひとつを求めている」
 「つまり客観的な診断ではなく、人を処刑することへの助力を求めている」
 「ならば司法において、精神医学が本来のあり方でなくねじ曲げられていることになる。その意味では措置入院も同じです。自傷他害の恐れが強いから緊急避難的に拘束して治療することが目的なのに、明らかに予防拘束になってしまっている。結果としてあの措置入院が、植松の背中を押してしまった可能性は高い
 篠田のこの指摘は重要だ。措置入院はこれまで、実際に自傷他害行為を起こした後の緊急避難として決断されることが大半だった。だって強制的に拘束する人権侵害なのだ。ハードルは高くて当然だ。植松の場合は犯行予告の手紙を書いて衆院議長に渡そうとしたことが理由になったが、これだけで措置入院という経緯はこの事件についての特異点のひとつであり、この体験が犯行の呼び水になったとの見方は多い。つまりこれもまた過剰なセキュリティ。その帰結として、従来はありえなかったことが起きる事例が増えている。
 「鑑定依頼される精神科医たちは、みんなやる気をなくして投げやりになっているんじゃないかと吉岡忍さんは言っていました。だから指名される医師は、全部とは言わないけれど、御用学者が多くなる」
 
157 人の視点はこれほどに違う。生物学者のユクスキュルは、生き物それぞれが知覚する世界の総体が、その生き物にとっての環境であるとする環世界説を提唱した。つまり種によって知覚する世界は異なる。カタツムリが見る世界はイヌが感知する世界とは違うし、オジロワシが俯瞰する世界とも異なれば、ジンベエザメが認識する世界とも違う。なぜなら可視光線の範囲は種によって違うし、音や匂いで世界を認識する生き物もいる。多くの脊椎動物は目が2つだから、複眼をもつ昆虫とでは世界の在り方が違って見えることは当然だ。さらに人の場合は、一人ひとりの可視光線の範囲はほぼ同じではあっても、一人ひとりの視点がある。コップは下から見れば円だけど、横から見ればほぼ台形だ。どこから見るかで世界は変わる。ニーチェが残した箴言「事実はない。あるのは解釈だけだ」は、メディア・リテラシーの本質でもある
 
171 「恐縮ですが、3つあります」と陳述を始めた。
 「一つ目に、ヤクザはお祭りやラブホテル、タピオカ、芸能界など様々な仕事をしています。ヤクザは気合の入った実業家なので罪を重くすれば犯罪ができなくなります。しかし、捕まるのは下っ端なので、司法取引で、終身刑にします。刑務所の中で幸せを追求できれば問題ないし、その方が生産性も上がるのではないでしょうか。
 2つ目に、私はどんな判決でも控訴致しません。1審だけでも長いと思いました。これは文句ではなく、裁判はとても疲れるので負の感情が生まれます。皆様の貴重なお時間をいただき大変申し訳なく思いました。
 3つ目に、重度障害者の親はすぐに死ぬことがわかりました。寝たきりなら楽ですが、手に負えない人もいます。病は気からなので、人生に疲れて死んでしまいます。日本は世界から吸血国家と呼ばれており、借金は1110兆円になったと、2月11日に報道されました。もはや知らなかったで済まされる範囲をとっくに超えています。文句を言わず、我慢された33(43の言い間違いと思われる)名のご家族と親を尊敬致します」
 
 「最後になりますが、この裁判の本当の争点は、自分が意思疎通がとれなくなった時を考えることだと思います。長い間皆様にお付き合いいただき、厚くお礼を申し上げます。ご静聴、誠にありがとうございました」
 
180 ※T4作戦(テーフィアさくせん、独: Aktion T4)は、ナチス・ドイツ精神障害者身体障害者に対して行われた強制的な安楽死政策である。
1939年10月から開始され、1941年8月に中止されたが、安楽死政策自体は継続された。「T4」は安楽死管理局の所在地、ベルリンの「ティーガルテン通り4番地[# 1]」(現在同地にはベルリン・フィルハーモニーがある)を略して[1]第二次世界大戦後に付けられた組織の名称である[2]。
 
181 「わかりやすさ」の罠
 「イントレランスの時代」(RKB毎日放送)のディレクターは、自閉症の息子を持つ神戸金文記者だ。イントレランス(不寛容)をタイトルに掲げたこの作品は、神戸と植松との面会を縦軸にしながら、在日朝鮮・韓国人や中国人に対するヘイトスピーチや沖縄差別、かつてこの国で起きた朝鮮人虐殺などを取り上げている。
 確かに力作だ。メッセージにも強く同意する。でも違和感がいくつかある。そのひとつは不寛容という言葉を差別する側に使ったこと。差別する側が求められることは寛容であることではない。差別する側にいる自分の意識を客体化しながら凝視し、される側にいる誰かの心情を主体的に想像し、差別と迫害の歴史をしっかりとまなんで心に刻むことだ。黒人を差別する白人や障害者を蔑視する健常者に呼びかける言葉は、絶対に「寛容になろう」ではない。
 
184 何度でも補足するが、意思疎通がとれないことと内面の意識活動がないことは、決してイコールではない。その意味で植松の論理はあまりにも乱暴で粗雑だ。そして仮に意識活動がないとしても、その人の命の価値が家族にとって重要であるならば、それは尊重されるべき命だ。
 ・・・・・・と書きながら考える。もしも意識活動がないことが医学的に100%証明されたとして、さらにその人への介護やケアが周囲に過度な負荷をかけて家族を不幸にしているのであれば、安楽死という選択は認められるのだろうか。
 この問いに対して、僕はまだ答えることができない。これから先に答えることができるかどうかもわからない。
 
187 元少年Aが書いた『絶歌』騒動について、テレビと新聞からコメントを求められた。
(略)
 出版前に被害者遺族の了承を得るべきだったと多くの人は主張する。了承を得ることができないのなら出すべきではないという人もいる。
 これも確かに知らせるべきだったと僕も思う。何も聞かされていなければ、遺族としては だまし討ちにあったような気分になることは当然だ。了承を取れるかどうかは別にして その努力はすべきだった。ただしこれを出版の条件にするならば違う。
 被害者や遺族の思いを可能な限り配慮することは当然だ。でも遺族を傷つけないことを最優先するならば(つまり被害者や遺族を絶対的な聖域においてしまうと)、戦争や災害などもすべて描けなくなる。報道すらできなくなる。
 これはテレビと新聞のインタビューでも何度も言った。でもテレビも新聞も、この部分は編集で落としてしまう。
(略)
 ホロコーストに加担したナチス兵士の証言は黙殺すべきなのか。エノラ・ゲイ乗務員の今の思いは報道すべきではないのか。中国で民間人を虐殺した日本兵の告白は無視すべきなのか。ならば歴史修正と何が違うのか。
 内容に批判はあって当然だ。でも出版すべきではないとか回収せよなどの主張は違う。それは多数派の民意を理由にした焚書なのだから
 
192 職員が利用者に暴力をふるい、食事を与えるというよりも流し込むような感じで利用者を人として扱っていないように感じたことなどから、重度障害者は不幸であり、その家族や周囲も不幸にする不要な存在であると考えるようになった。
 
 
 
第4章 精神鑑定
松本俊彦との対話(国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部部長 兼 薬物依存症センターセンター長)
 
197 「そもそも僕はオウム真理教のドキュメンタリーを撮る過程で、帰属していたテレビ業界から排除されて一人になりました。だからこそ撮影を続けながら、社会や政治、あるいは組織と個の相克に対する見方、メディアへの批評性、そうした意識が内面化されたという自覚があります。特に、意識をほぼ喪失した状態の麻原彰晃を被告席に座らせたまま進行していた裁判を傍聴したときの衝撃は大きくて、あれは大きな原点になったと思います。
 麻原法廷は一審だけで打ち切られて、2018年7月に12人の弟子たちと共に彼は処刑されました。何も語らないまま。そして、その後も多くの注目される事件の裁判が、同じようなパターンをくりかえしていることに気がつきました。
 それをひと言にすれば、責任能力を巡る議論です。事件が大きくて社会からの注目が高まれば高まるほど、責任能力を認定するために被告人の意識状態は正常だったとする前提が強くなり、この前提に辻褄を合わせようとするから裁判そのものに大きな無理が生じている。・・・・・・相模原事件の裁判は、まさしくそうした流れの集大成だったと思っています。
 何よりも、命を選別して不要だと宣言しながら殺害したことで罪に問われた彼に対して、おまえの命は不要であると宣言して死刑に処することの矛盾について、社会はあまりに無自覚です。しかも裁判は重要な議論がほとんどなされないまま、これも最近の大きな事件の傾向だけど、一審だけで確定してしまった。法廷が死刑を正当化するためのセレモニーと化しています
 
199 「・・・・・・それが大きな事件であればあるほど」と松本は話し始めた。
 「犯人はどのような精神状態にあったのか、それがどのように変容して事件につながったのか、そうしたメカニズムの解明や分析についての知見が、特に近年は全く集積されていない。だから教訓にできない。同じことがまた起きるかもしれない。特に相模原事件の法廷は、責任能力の一点だけに論点が集約されてしまった。これは本当にもったいないことだと思っています。『後医は名医』という格言があります。後から診た医者ほど正しいい診断を下せる。医学領域全般に当てはまる経験値ですが、精神医学はそれが最も当てはまるジャンルです。すぐに死刑にして口を封じてしまうのではなく、時間経過の中で加害者の精神状態や語りがどう変化するのかを観察し、そこからわかってくる真相を社会全体でシェアする。これはとても意義のあることです
 
204 「あらためて訊きます。弁護団が主張した大麻精神病による心神耗弱、もしくは喪失という論理について、松本さんはどう考えますか」
「僕からすると全くナンセンスだと思います。大麻であのようになる人は本当にいない。というか、もしいたのなら、それは絶対にもともとあった精神医学的な問題が働いているとして考えなければいけない。国際的にはそれがコンセンサスです。
 実際に違法薬物の障害使用経験率としては、どの国でも大麻が最も多いと思います。日本でも多くの方たちが経験しているけれど、大麻の問題で医療機関を訪れる人は極めて少ない、というか稀です。来るとするならば、もともとほかの病気がある方が、大麻を使うことによってさらにもともとの病気が悪くなった場合かな。事件の原因を大麻に規定することには絶対に無理がある。だから、依頼された時点でもう全然、弁護団とは方針が食い違っていた」
 
207 「人格障害」という言葉
 
211 人の意識は再現できない
 被写体の一人である秋山眞人は、「超能力は近代科学と相性が悪いんです」と僕に言った。「だって心は動いているから。自分で思うようにコントロールできない。同じことを繰り返せない。そうするとやっぱりインチキだと言われる。仮にできたとしても、こんどはトリックだといわれる」
 いつだれがやっても同じ結果になる。このテーゼは定量性や測定可能性などと合わせて、近代科学として認定されるためには大前提だ(だからこそSTAP細胞は存在を否定された)。
 でも人の意識は物理現象とは違う。常に同じような反応はできない。沈黙する僕に秋山は言った。「すべての打席でホームランを打てないからと言って、たまたま打ったホームランをトリックだという人はいませんよね。でもスプーン曲げとかと透視とか予知とかは、100%じゃないとトリックだと言われます。むしろ超能力や心霊現象が物理現象のように完全な再現性を満たすのなら、その方がトリックなんです
 
213 人の意識活動は物理現象とは違う。1000億個近い脳細胞におけるシナプス間の神経伝達物質や活動電位のやりとりなどがそのメカニズムの根幹だが、最新のスパコンを使っても、一人の脳内における感情の動きや喜怒哀楽を分析して描写することは不可能だ。つまり法廷の場で、意識を「異常なのか正常なのか」「精神障害なのか人格障害なのか」と二分することがそもそも無理なのだ。
 
223 「精神障害者の方が正常な人よりも犯罪率は低いというデータを見たことがあります」と僕は言った。
 「有名なデータです。ただ、それを否定するデータもあって」
 「そもそも正常と異常はグレイゾーンです。区分けすることが無理なのに」
 「頻度は少なくても、あまりに多くの人が短時間に殺されたりというような、ちょっと普通では考えづらい事件に限ると、(犯人が)精神障害者である割合が多くなってしまうような気もします」
 
227 松本は「刑罰とは何か」とつぶやいた。
 「遺族や社会の応報感情に応えるためにあると決めてくれれば、考えずに済むから楽かもしれない。覚せい剤取締法違反による受刑者の中には、少数ではあるけれど、覚せい剤の後遺症として深刻な精神新病症状を呈している人たちがいます。そういった人たちは刑務作業の向上などで働けないんです。被害妄想が常に働いているから、今俺の悪口言っただろうみたいな感じで暴力沙汰を起こしてしまう。だから独房です。重度の場合は満期まで他者と交流しない。そのために妄想が固定してしまって」
 「重症化するのですか」
 「出所してから幻覚妄想を治療する薬を投与してもよくならなくなってしまう。そういう意味で刑務所は、薬物で収容された人にとっては、精神を破壊する場所だと思います。
 2019年に、千葉大の研究者が法務省の膨大なデータを使って分析した研究によれば、刑務所に長く入れば入るほど、回数が多ければ多いほど、覚せい剤再犯率が高くなるんです。つまり覚せい剤依存症からの回復や覚せい剤の乱用防止という観点でも、現状のこの国の刑事施設は役に立ってないどころか、下手をすると足を引っ張っている可能性もある」
 
 
 
第5章 新聞報道
石川泰大との対話(神奈川新聞記者。植松聖死刑囚と37回接見し、50通の手紙をやりとりした)
 
239 「これまで事件取材が多かったので、多くの被告と会ってきたけれど、今回はこれだけの凶悪事件だったので、最初はちょっと身構えました。でも実際にあってみる、森さんも書いているように、イメージよりずっと小柄で、礼儀正しく、本当にこの男にあんな事件が起こせるのかと衝撃を受けるぐらいの佇まいでした。最初のその印象は、最後までほぼ変わらなかった。普通なんです。ただ、普通って何だろうって考えたとき、この社会に漂っている空気というか、それをそのまま彼が吸い込んで体現している。まさに彼自体が、今の社会を映しているというか、社会からつくられた存在であるという意味では、それこそ彼は電車で隣に座っている人かもしれないし、もしかしたら自分も同じかもしれない」
 植松は今のこの社会に漂っている何か(空気)を凝縮した存在。これは松本俊彦の視点と重なる。でも隣に座っていたかもしれない植松が、なぜこれほど凶悪な事件を起こすことができたのかについては、まだ答えはない。
 
240 社会に漂っている空気のような何かって何だと思いますか、と質問した。石川はしばらく考え込んだ。
 「・・・・・・いろいろあるとは思いますが、彼にとって最も影響が大きいのは、社会にとって役に立つか立たないかという基準、個人なのにその存在価値が社会によって決められてしまう空気、それがいちばん大きいような気がします。僕たちも友人との会話で、あいつ使えるとか使えないとか、つい口走ってしまうことがあるじゃないですか。そうした雰囲気が蔓延している。もう一つは、いわゆる同調圧力だと思います。取材を続けながら思ったんです。障害者は不幸しか生まないとか社会にとって不要な存在だとか、彼のこれらの言葉は、口には出さないけれど多くの人が心のうちに多かれ少なかれ仄かに持っている感覚なのかもしれないと。それを感じ取ったからこそ彼は、これを主張すれば多くの人から受け入れられる、と思ったんじゃないでしょうか。彼なりのそういった算段もあったような気がします」
 口には出さないけど多くの人が心の裡に持っている感覚。建前ではなく本音。つまりトランプが体現した「ポリティカル・コレクトネスに対する違和感」だ。だからきっと自分も支持される。でも仮にその算段があったとしても、なぜ19人を殺害する行為にまでエスカレートしたのか。
 
244 福祉施設の実態
 
254 「社会の関心が急激に冷えた理由は何でしょうか」
 「被害者が障害者だったということが大きいと思います。でも逆にこの4年、障害者だからこそ報道が持続していたともいえる。あとはやはり、当事者が不在だったということはあると思います」
 「この場合の当事者は被害者と遺族ですね」
 「語ってくれる人が少なかった。その結果として露出が減って、そうなると関心がさらに薄れる。社会の受け止め方も、被害者は障害者だから自分たちとは関係ない、とどこかで思ってしまった。被害者や遺族、あるいはやまゆり園に近い人たちが事件を忘れたいと思うことあある意味で当然だけど、結果的にはその流れに沿うようになってしまって、報道する立場としては本当に悔いが残ります」
 
256 かつてテレビ業界にいたころ、なぜ今のテレビはあんなくだらない番組をゴールデンタイムで放送しているのか、とよく質問された。どちらかと言えば詰問だ。本音としてはこう答えたい。あんたたちが観るからだよ。
 
262 ニューヨーク・タイムズワシントン・ポストペンタゴン・ペーパーズをスクープしてニクソン政権による米国民への背信行為をあばいた1971年、日本でもほぼ同様の骨格をもつ事件が起きた。沖縄返還に絡んで佐藤栄作政権が、アメリカ政府に対して資金援助するなどの密約を結んでいたことを、毎日新聞西山太吉記者がスクープしかけたのだ。でも、2つのスクープは全く正反対の帰結となった。アメリカでは(ペンタゴン・ペーパーズに続くウォーターゲート事件の報道もあって)ニクソンは任期途中に退陣したが、沖縄密約報道は結局のところ立ち消えになった。
 同じ時期に政権の不正行為を暴きながらこれほどに大きな差が生じた最大の理由は、アメリカの場合は国民が知る権利を主張してメディアを指示したが、日本の場合は西山記者の(情報入手する際の)不倫行為に国民の関心が集まり、結果として密約問題への関心が薄くなったからだ。
 この差異は大きい。絶望的なほど大きい。
 
266 「植松の言葉なんて報道する必要はないとまでいう大学教授もいたし、僕も同僚に批判されたことがありました。植松の言い分を垂れ流すだけでいいのかと。それが二次被害を生む。植松にあれだけ傷つけられた遺族が、それを読んだらまた傷つくだろう。もう植松の言葉なんか報道しなくていいんじゃないですか、だって言ってることめちゃくちゃなんだから、と言われました。でもそうして切り捨ててしまったら、異常な人間が起こした異常な事件という短絡的な結論で終わってしまう。この事件はそうじゃない。
 それに決して垂れ流しているつもりはないし、逡巡しながら言葉を選んで社会が考えるための材料として、植松の言葉を伝えてきたつもりです。
 確かに障害者や被害者サイドを傷つける言葉を彼は発するけれど、それを読んだ読者が、自分もそういう風に思っていたところがあったな、完璧に否定できないけれど、犯罪を肯定できるはずがない、じゃあどうすればいいんだろう、などと考えるきっかけになると信じて取材していました。きれいごとに聞こえるかもしれないけれど、そういったものがなければ社会は変わらないし、事件を教訓にもできない。
 結果として、遺族の方には大分嫌われてしまったけれど、それは僕の記者としての役割だと思いながら取材していました。同時に、僕自身もすごく試されているというか、植松に問われているような気持ちになったんです。お前のやったことも言っていることも絶対に間違っている、と言い返したい。だけど僕は障害者を介助した経験もないし、家族や友人に障害者はいない。だから間違っているとは言えるけれど、植松の考えを改めさせるだけの言葉を持っていない。僕は取材者でありながら、自分の中に潜む差別意識とか蔑視感情とか、そうしたことを試されていると感じながら接見を続けてきました。・・・・・・とても苦しかったです。

読んだ。 #沈黙 #遠藤周作

読んだ。 #沈黙 #遠藤周作
 
>島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編。
 
55 その夜、山にイチゾウがマゴイチという「とっさま」に属する男をつれて登ってきました。私たちが今日の夕暮、起こった出来事を話すと、イチゾウは細い眼でじっと小屋の一点を見つめ、やがてだまったまま立ちあがると、マゴイチに何か言いつけて二人は床の板を剝がしはじめました。魚油の灯に蛾がまわっています。板戸にかけた鍬をとって彼は地面を掘りはじめました。彼等が鍬をふるう姿が壁に浮かびあがりました。我々二人の体を入れるほどの穴を掘ると彼等はその下に藁を敷き、上を板で覆いました。今後はこの穴をいざという場合、我々のかくれる場所とするのだそうです。
 
64 私の長い間の想像はまちがっていませんでした。日本人の百姓たちは私を通して何に飢えていたのか。牛馬のように働かされ牛馬のように死んで行かねばならぬ、この連中ははじめてその足枷を棄てるひとすじの路を我々の教えに見つけたのです。仏教の坊主たちは彼等を牛のように扱う者たちの味方でした。長い間、彼らはこの生がただ諦めるためにあると思っているのです。
 
170 「正というものは、我々の考えでは、普遍なのです」司祭はその老人のほうにやっと微笑をかえしながら、「さきほど、お役人衆は、我が苦労にいたわりの言葉をくださいました。万里の波濤ををこえ、長い歳月かかって、御国に参ったことに暖かい慰めをくださった。だがしかし、もし正が普遍でないという気持ちがあれば、どうしてこの苦しみに多くの宣教師たちが耐えられたでしょう。正はいかなる国、いかなる時代にも通ずるものだから正と申します。ポルトガルで正しい教えはまた、日本国にも正しいのでなければ正とは申せません」
 
178 「パードレよオ。パードレよオ」
 まるで母親にまとわりつく幼児のように、哀願の声が続いて、
 「俺(おい)あ、パードレばずうっとだましたくりました。聞いてくれんとですか。パードレがもし俺ば蔑(みこな)されましたけん……俺あ、パードレも門徒衆も憎たらしゅう思うとりました。俺あ、踏絵ば踏みましたとも。モキチやイチゾウは強か。俺あ、あげん強うなれまっせんもん」
 番人がたまりかねて棒を持ったまま外に出ていくと、キチジローは逃げながら叫び続けた。
 「じゃが、俺にゃあ俺の言い分があっと。踏絵ば踏んだ者には、踏んだ者の言い分があっと。踏絵をば俺が悦んで踏んだとでも思っとっとか。踏んだこの足は痛か。痛かよオ。俺を弱か者に生れさせておきながら、強か者の真似ばせろとデウス様は仰せ出される。それは無理無法と言うもんじゃい」
 怒鳴り声は時々途切れ途切れては、哀訴の声に変り、哀訴の声は泣き声となり、
 「パードレ。なあ、俺のような弱虫あ、どげんしたら良かとでしょうか。金が欲しゅうてあの時、パードレを訴人したじゃあなか。俺あ、ただ役人衆におどかされたけん……」
(略)
 「聞いてつかわさい、パードレ」キチジローは信徒たちに聞えるような声でわめいた。
 「この俺は転び者だとも。だとて一昔前に生れあわせていたならば、善かあ切支丹としてハライソに参ったかも知れん。こげんに転び者よと信徒衆に蔑されずすんだでありましょうに。禁制の時に生れあわされたばっかりに……
恨めしか。俺は恨めしか」
 
231 「二十年間、私は布教してきた」フェレイラは感情のない声で同じ言葉を繰りかえしつづけた。
 「知ったことはただこの国にはお前や私たちの宗教は所詮、根をおろさぬということだけだ」
 「根をおろさぬのではありませぬ」司祭は首をふって大声で叫んだ。「根が切りとられたのです」
 だがフェレイラは司祭の大声に顔さえあげず眼を伏せたきり、意思も感情もない人形のように、
 「この国は沼地だ。やがてお前にもわかるだろうな。この国は考えていたより、もっと恐ろしい沼地だった。どんな苗もその沼地に植えられれば、根が腐りはじめる。葉が黄ばみ枯れていく。我々はこの沼地に基督教という苗を植えてしまった」
 
232 「だが、日本人がその時信仰したものは基督教の教える神でなかったとすれば・・・・・・」
 
「そうではない。この国の者たちがあの頃信じたものは我々の神ではない。彼等の神だった。それを私たちは長い長い間知らず、日本人が基督教徒になったと思いこんでいた」フェレイラは疲れたように床に腰をおろした。
 
233 「お前には何もわからぬ。澳門やゴアの修道院からこの国の布教を見物している連中には何も理解できぬ。デウスと大日と混同した日本人はその時から我々の神を彼等流に屈折させ変化させ、そして別のものを作り上げはじめたのだ。言葉の混乱がなくなったあとも、この屈折と変化とはひそかに続けられ、お前がさっき口に出した布教が最も華やかな時でさえも日本人たちは基督教の神ではなく、彼らが屈折させたものを信じていたのだ」
 
236 「日本人は人間とは全く隔絶した神を考える能力をもっていない。日本人は人間を超えた存在を考える力も持っていない」
 
「日本人は人間を美化したり拡張したりしたものを神とよぶ。人間と同じ存在を神とよぶ。だがそれは教会の神ではない」
 
「あなたが20年間、この国でつかんだものはそれだけですか」
「それだけだ」フェレイラは寂しそうにうなずいた。
 
257 おや、鼾がまた聞こえはじめた。まるでそれは風車が風で廻っているようだ。尿でぬれた床に尻をおろし、司祭は馬鹿のように嗤った。人間とは何とふしぎなものだろう。あの高く低く唸っている愚鈍な鼾、無知なものは死の恐怖を感じない。ああして豚のようによく眠り、大きな口をあけて鼾をかくことができる。眠りこけている番人の顔が目に見えるようである。それは酒やけがして、肥ってよく食べて、健康そのもので、そのくせ犠牲者にだけはひどく残忍な顔だろう。貴族的な残忍さではなく、人間が家畜や動物に持つ残忍さをその番人も持っているに違いない。自分はそんな男たちをポルトガルの田舎でもよく見て知っている。この番人も、自分がこれからやる行為がどんな辛さを他人に与えるか、毛の先ほども考えぬだろう。あの人を――人間の夢の中で最も美しいものと善いものの結晶であるあの人を殺戮したのもこの種の人間たちだった。
 だが、自分の人生にとって最も大事なこの夜、こんな俗悪な不協和音がまじっているのが不意に腹立たしくなってきた。司祭はまるで自分の人生が愚弄されているような気さえして、嗤うのをやめると、壁を拳で叩きはじめた。番人たちはゲッセマネの園であの人の苦悩にまったく無関心に眠りこけていた弟子たちのように起きなかった。司祭はさらに激しく壁をうち始めた。
 閂をはずす音がする。誰かが遠くから急ぎ足でこちらに近づいてくる。
 「どうしたな。どうしたな。パードレ」
 通辞だった。あの獲物を弄ぶ猫のような声で、
 「怖ろしゅうなったな。さあさあ、もう強情を張らずともよいぞ。ただ転ぶと一言申せばすべてが楽になる。張りつめていた心がほれ、ゆるんで・・・楽に・・・楽に・・・楽になっていく」
 「私はただ、あのいびきを」と司祭は闇の中で答えた。
 突然、通辞は驚いたように黙ったが、
 「あれをいびきだと。あれをな。きかれたか沢野殿、パードレはあれをいびきと申しておる」
 司祭はフェレイラが通辞のうしろに立っているとは知らなかった。
 「沢野殿、教えてやるがいい」
 ずっと昔、司祭が毎日耳にしたあのフェレイラの声が小さく、哀しくやっと聞えた。
 「あれは、いびきではない。穴吊りにかけられた信徒たちの呻いている声だ」
 
265 「基督は、人々のために、たしかに転んだだろう」
「そんなことはない」
「基督は転んだだろう。愛のために。自分のすべてを犠牲にしても」
「これ以上、私を苦しめないでくれ。去ってくれ。遠くに行ってくれ」
 
288 「そこもとは転んだあと、フェレイラに、踏絵の中の基督が転べと言うたから転んだと申したそうだが、それは己が弱さを偽るための言葉ではないのか。その言葉、まことの切支丹とは、この井上には思えぬ」
 「奉行さまが、どのようにお考えになられてもかまいませぬ」
 司祭は両手を膝の上にのせてうつむいた。
 「他の者は欺けてもこの余は欺けぬぞ」筑後守はつめたい声で言った。
 「かつて余はそこもとと同じ切支丹パードレに訊ねたことがある。仏の慈悲と切支丹デウスの慈悲とはいかに違うかと。どうにもならぬ己の弱さに、衆生がすがる仏の慈悲、これを救いと日本では教えておる。だがそのパードレは、はっきりと申した。切支丹の申す救いは、それとは違うとな。切支丹の救いとはデウスにすがるだけのものではなく、信徒が力の限り守る心の強さがそれに伴わねばならぬと。してみるとそこもと、やはり切支丹の教えを、この日本と申す泥沼の中でいつしか曲げてしまったのであろう」
 
290 「やがてパードレたちが運んだ切支丹は、その元から離れて得体の知れぬものとなっていこう」
 そして筑後守は胸の底から吐き出すように溜息を洩らした。
 「日本とはこういう国だ。どうにもならぬ。なあ、パードレ」
 奉行の溜息には真実、苦しげな諦めの声があった。
 
293 その踏絵に私も足をかけた。あの時、この足はへこんだあの人の顔の上にあった。私が幾百回となく思い出した顔の上に。山中で、放浪の時、牢舎でそれを考えださぬことのなかった彼の上に。その顔は今、踏絵の木のなかで摩滅しへこみ、哀しそうな眼をしてこちらを向いている。(踏むがいい)と哀しそうな眼差しは私に言った。
踏むがいい。お前の足は今、痛いだろう。今日まで私の顔を踏んだ人間たちと同じように痛むだろう。だがその足の痛さだけでもう充分だ。私はお前たちのその痛さと苦しみをわかちあう。そのために私はいるのだから
「主よ。あなたがいつも沈黙していられるのを恨んでいました」
「私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのに」
「しかし、あなたはユダに去れとおっしゃった。去って、なすことをなせと言われた。ユダはどうなるのですか」
「私はそう言わなかった。今、お前に踏絵を踏むがいいと言っているようにユダにもなすがいいと言ったのだ。お前の足が痛むようにユダの心も痛んだのだから」
 その時彼は踏絵に血と埃(ほこり)とでよごれた足をおろした。五本の足指は愛するものの顔の真上を覆った。この烈しい喜びと感情とをキチジローに説明することはできなかった。

読んだ。 #さいごの色街 飛田 #井上理津子

読んだ。 #さいごの色街 飛田 #井上理津子
 
 
はじめに
第一章 飛田に行きましたか
ある日の飛田/普通の男/「神技」のよう/二十分間の疑似恋愛/「不倫するより健全」/エリートサラリーマン/百五十回行った男/「当たり前」だった時代/無礼講OK/男友達に上がってもらう/老人ホームの車を見た
 
 
第二章 飛田を歩く
飛田への道/抱きつきスリ/大門と嘆きの壁/「料亭」と「鯛よし百番」/飛田の“外”意識/「おかめ」のマスター/深夜の「おかめ」にて/語ってくれたおねえさん/飛田料理組合/菩提寺
 
 
第三章 飛田のはじまり
市会議員の汚職/反対運動と、知事の「置き土産」/大門と開廓当初の街/「居稼」の仕組み/飛田の特徴と花代/娼妓は売られてきた/前借と阿部定/娼妓の暮らし/難波病院と篠原無然/楼主たち/飛田会館/戦前の最盛期
 
83 飛田は、いつから存在したのか。
1912年(明治45年)1月16日に消失した遊郭・難波新地乙部の代替地として、設置されたというのが通説である。
 
84 「同じ場所に復興できないなら、代替地を」と、難波新地乙部の楼主たちは大阪府に陳情書を提出する。市会議員でもあった楼主代表、上田忠三郎らが府庁に日参、上京して内務省に掛け合うなど「尽力」を重ねた。代替地は阿倍野付近か大阪築港付近か淀川北岸かと噂が飛ぶ中、大阪府は、4年後の1916年(大正5年)4月15日、「布告示107号」で、突然、飛田の知を遊郭に指定したのだ。
 第一の理由に挙げられたのが、「失業した難波新地遊郭業者の救済」で、「なぜ飛田の地が選ばれたか」についての説明はなかった。もしや、これには利権がからんでいるのではないかーー。布告が出た5日後、大阪朝日新聞が、立憲同志会系の水野與兵衛府会議員によって飛田の土地の一部が購入されていた事実をスクープした。
 遊郭地に指定されたのは、2万2630坪もの広大な土地だ。それまで一坪1円相当だった地価が、一夜明ければ30円に高騰していた。これを買収して開発し、100戸余りの建物を建てたのは、1916年(大正5)8月に資本金150万円で設立された阪南土地建物という会社で、先述の上田忠三郎が代表者だったのだから、その経緯は明らかにグレーだったのだ
 ましてや、難波新地の楼主たちの変わり身は早く、大火から4年の間に、焼失した党の難波新地乙部の楼126軒のうち76軒は京阪神の他の遊郭にすでに移り、25件は他業に就き、また出身地など地方に移転済みの人も少なくなく、飛田の地が指定されるときには、代替地を必要とするものはほとんどいなかったというから、何をか言わんやである。
 
94 飛田遊郭の営業形態は「居稼(てらし)」だった
 「居稼」は、妓楼に自分の部屋を与えられ、そこで客をとる形態のこと。芸者のように、置屋でスタンバイし、お呼びがかかって座敷に出向く形態「送り」に対して、こう呼ばれた。座敷には、従来に面して太い格子が巡らされ、本来、娼妓はその格子の中で、外向きに並ぶ。東京の「張り見世」と同じ、この形態のことも、大阪では合わせて「居稼」と呼んだ。客は外から覗き込んで、娼妓の品定めをする。娼妓がお客に顔を「照らす」を、当て字にしたもので、「稼ぐ」者が「居る」と書くとは、なんともストレートだ。
 
97 これは、1956年(昭和31年)の直木賞候補となった西口克己の小説『廓』の中の、女衒が京都の「女郎屋」に話す言葉だ。『芸娼妓酌婦紹介業ニ関スル調査』によると、1920年大正9年)の全国の女衒の実績は、「求人1万1385人、求職者8930人、就職者6600人」。この中に、飛田の求人・就職も含まれていたわけである。
 明日の米にも事欠く人たちの目の前に大金をちらつかせ、「戸主」にもちかける。あるいは直接に娘をくどく。その際の女衒らのセールストークのポイントは、
・体を売る仕事だとは、決して口にしない。
・いい着物が着て、いい暮らしができる。金がたくさんもらえる。
・2、3年で上等な着物を着て、たくさんのお土産をもって故郷に帰れる。
 の3点だった。女衒は、娘とひきかえに大金を「戸主」に渡す。その額に、娘が娼妓として働くまでにかかる交通費や食事代、着物代、家具調度代などが加算され、娼妓の『前借金』となる。
 
106 滋賀県八日市市(現東近江市)にあった八日市新地遊郭では、娼妓になる儀式として、女性を、死者の湯灌に見立てた「人間界最後の別れ風呂」に入れ、その後、土間に蹴落とし、全裸で、麦飯に味噌汁をかけた「ネコメシ」を手を使わずに食べさせた。人間界から「畜生界」に入ると自覚させたのだという。「男根神」と書いて「おとこさん」と呼ぶ期の某を強制的に性器に入れる「入根の儀式」というのも行われたという。
 
112 先述したように、当初、飛田遊郭は、開発のために組織された阪南土地建物が「大家」で、楼主たちに建物を賃貸していた。1926年(大正15)6月に、阪南土地建物が新世界のルナパーク(遊園地)や南陽商店街(ジャンジャン横丁)などの経営を手広く手がける大阪土地建物に吸収合併されたため、楼主たちは、自動的に大阪土地建物の「店子」となった。
 
 
第四章 住めば天国、出たら地獄――戦後の飛田
焼け残る/赤線、青線、ポン引き、カフェー/売春防止法/苦肉の策/一斉取締り/「アルバイト料亭」へ/一九六〇年、黒岩重吾レポート/西成暴動/女性の「保護」/「アホほど儲かった」/住めば天国、出たら地獄/喫茶店ママの「女の子」雑感
 
126 これは、「公娼制度を廃止せよ」というGHQに逆らったのではなかった。内務省は、「(米兵による)性犯罪から子女を守るため」という大義名分の下に、3300万円という巨額を投じて「特殊慰安施設協会(RAA=Recreation and Amusement Association)を組織し、米兵向けの慰安所を設置したのだから。公娼制度を非難するGHQが、本音のところで自国の兵士のために売春婦を必要としたのだ。
 RAA RAAは、敗戦間もない8月26日に、花柳界業者らにより会社として発足し、「新日本女性求む、宿舎、衣服、食料全て支給」などと広告を出して、そうと知らずに応募してきた一般女性まで巻き込んでゆく。東京では吉原、玉の井、立川、福生など13か所に設置された。大阪では千日前のアルサロ「ユメノクニ」に慰安所が設置されたが、飛田には設置されなかった。
 「進駐軍ジープに乗って飛田を見にきたけど、建物が古くさいという理由ではずされた」
 と、飛田近くの山王2丁目の住民でもあった竹島昌威知さんが教えてくれた。
 
132 そのころ、飛田の経営者の中に、着流しに丸帯、膝までの羽織という断層で闊歩する「女次郎長」を名乗る任侠もいた。この女次郎長が、女人禁制の大峰山奈良県)に登ろうとしたというエピソードが、大峰山麓の洞川という町に残っていた。お坊さんら3人の男性を連れて登山口に行き、洞川の住民たちに止められた。「大峰山の女人禁制が解かれた折には、一番乗りする」と取り決めし、「その時に返す」と証文を書いて、区長の家に伝わる役小角の立像を持ち帰ったという。
 
143 「売春婦を、搾取と拘束から解放するのだと、私たちはやったわけです。女性を食い物にして、甘い汁を吸っている業者を徹底的にやっつけようと。しかし、結論を言うと、売春婦まで落ちた女性は転業ができなかった。田舎に居場所がなかった。飛田の経営者や暴力団に搾取されても売春をして生きていくほうがよいという、貧困の構造には太刀打ちできなかった・・・・・・」
 四方さんたちが保護し、旅費をもたせて田舎に帰らせた元売春婦たちは、しばらくして、ぽつりぽつりと戻ってきたのだった。
 
154 ・C子さん(36歳)
 西成で出張売春業を始めた。女性を逃がさないために麻薬を用い始め、自身も麻薬中毒に。麻薬取締法の現行犯で検挙され、実刑となる。
 1953年、29歳で景気を終えて実家に帰るが、狂躁状態に。精神病院で「ロボトミー手術」を受けて、40日後に実家に戻る。しかし、家人がまた再婚話を持ち出したため、家を出る。(「ロボトミー手術」とは、全部前頭葉切除手術のことで、人格変化を起こすなど、医学的、人道的な問題が多く指摘され、現在では行われていない)
 古巣の山王町界隈を縄張りに、再び売春管理をする。売防法後は自ら曳き子となって街頭に立つ。1959年5月30日、検挙。不起訴、婦人相談所に一時保護後、生野学園に移送された。
 生野学園に入寮後、鋼材会社に勤める。しかし、社長のセクハラに遭い、退職。その後、胃潰瘍になり、入院・手術。退院後、新興宗教家に話を聞いてもらい、救われつつある。
 
160 『花の大門灯りがつけば』
友田澄之介 作詩/稲葉実 作編曲
平井治男 唄/斎藤正男とその楽団
 
花の大門、 灯りがつけば
なびく柳に 彼女(アノコ)の笑顔
明るい西成 楽しい飛田
君と僕との新天地 新天地
 
お茶を飲もうか シネマを見よか
更けりゃ青春 ほろ酔いきげん
明るい西成 楽しい飛田
夢の花咲く 新天地 新天地
 
『飛田小唄』
友田澄之介 作詩/山室敏男 作編曲
 
ハァー浪花うれしや 西成ゆけば
むかし恋しい ネオンが招く
飛田えーとこ ほんまにそやそや
紅がこぼれる ちらちらと ちらちらと
 
ハァーあの娘(コ)見たさに また逢いたさに
門をくぐれば 優しいえくぼ
飛田えーとこ ほんまにそやそや
恋のやなぎも なよなよと なよなよと
 
 
 
第五章 飛田に生きる
「さわったらあかん」の掟/夏まつり/原田さんの本当の経歴/開かずの間/舐めたらあかん/古びたアパートで/夫婦の履歴/欲と二人連れ/不動産屋にて/初めてのヤクザ取材/組事務所を訪ねる/求人
 
169 私は、2001年から08年までの間に4回この夏まつりを見に行った。最初の年はまず子どもの人数に面食らった。
 「飛田に住んでる子は数えるほどやけど。(料亭などの)従業員の子やら、近隣に住んでる子やら。飛田ほど奮発してお菓子たくさん出してる町会、他にないんちゃうか。それ目当てに、みんな来てくれる」
 と、町会世話係氏。
 「普通、お神輿は神様がお旅所へ移動するときに乗るものやん?このお神輿も氏神さんに拝んでもらったん?」
 と聞けば、
 「そんなん無理無理、これ、あらへんがな」
 と、世話係氏は右手の親指と人差し指で丸を作って、笑った。
 「飛田には、七夕も地蔵盆も子供の祭りがな~んもなかったんよ。かわいそうやんか。それで、昭和55、6年くらいから、これ始まったらしいよ。そこのころは、中に子どもも大勢住んでたからね」
 とのことで、神様不在のお神輿だった。
 私の住んでいた千里ニュータウンも同じだ。土着のお祭りがないのが「かわいそう」だからと、地区の小学校では、お神輿(つうのもの)をメインにした秋の学校行事があった。
 
179 開かずの間
 原田さんに関して、もう一つ追記しておきたいことがある。
 ある夜、「きれいごとでない話を教えたろか」と、相当酒の入っていた原田さんが言い出した。
 「料亭をよう壊さんもう一つの理由があるねん」
 「なになに?」
 「昔の話やで。あくまで昔の話やで。な。そこんとこ、間違うたらあかんで」
 「分かった」
 「『開かずの間』があるんやんか。分かるか?」
 原田さんがゆっくりと話し出したのは、母親がやっていた料亭の建物は、外から見ると二階建てだが、じつは3階に屋根裏部屋があるということ。そこが、病気になった女の子を寝かしていた部屋だと思うということだった。
 「なんぼ、りっちゃんにかて、俺の口からよう言わん。な、分かるやろ。分かるやろ。そういうことや」
 ということは、その部屋でそのまま亡くなった人もいるということか。病気ばかりでなく、お仕置き部屋としても機能したのだろうか。想像はふくらむが、原田さんは明らかにそれ以上を話したがっていない。書けば簡単だが、そこまで話すまでには、話しはじめてからすでに一時間ばかりを要していた。「こんなこと素面で喋れるかい」と言うかのように、原田さんは白波のお湯割りをぐいぐい飲んだ。
 「その部屋、見たいか?」
 「うん」。奥さんが「やめとき。戸の前に行くだけで冷っとするんよ。ぞっとするんよ。さわらんほうがええ」と言ったが、好奇心が勝った。
 「僕かて中には一回も入ったことないねん。僕が小さい時から、ずうっと閉まったままやったから。ただ、女の子がお盆に載せてご飯を運んでいくのは見たことあるような・・・・・・気ぃするねんな。僕かて”恐いもの見たさ”な気持ちや」
 居酒屋「おかめ」から元料亭の建物までは、裏の通路で続いている。元料亭の建物の中に入るのは2度目だ。1度目は、原田さんに初対面の日で、かなりおびえながら中に入ったよなと思い出しながら、原田さんの後を建物の中に入った。すでに原田さんへの信頼感は絶対だから、怖くはない・・・・・・のだが、電気を点け、2階に上がり、
 「ここや」
 と、通路の端にある戸の前に立つと、奥さんの言が正しかったことがすぐに分かった。単なる木の引き戸だ。だが、奥から、何がしかの”気配”を感じる。戸の奥から、何かしらが漂ってくるような気がしてならないのだ。
 「開けるで」
 原田さんが引き戸を開けた。かたい。歪んでいる。ぐぐぐっと音を立てて、引き戸が開いた。その中には、暗く、細く、急な階段が続いていた。
 「登る?」
 「う、うん」
 私は、特に「気」の鋭いほうではない。パワースポットと呼ばれるところに行っても、何かを感じた経験もない。しかし、この時は違った。暗く、細く、急な階段を2、3段上がると、身の毛がよだった。腕や足、体全体の産毛が立ったような感覚に襲われた。「となりのトトロ」に出てきた「まっくろくろすけ」に似た、しかしもっと陰湿な黒い物体がいっせいに動いた、ような気がした。と同時に、階段上から冷たい風がするするするっと流れてくるのを、確かに感じたのだ。心臓が口元に上がってきたかのように口ががくがくし、震えが止まらなくなった。
 「原田さん、私、無理」
 「そやな。僕も・・・・・・やめとこ・・・・・・」
 二人して踵を返し、引き戸を元通りに閉めた。
 「ほら見てみ。やめときって言うたやろ」 
 「おかめ」に戻ったとき、血の気が失せた顔をしていたらしい私に、奥さんがそういった。「あかん、酒や酒」と、白波のボトルに手を伸ばしながら、やはり青くなっている原田さんが、こうも言った。
 「あのなぁ。飛田はうち以外にも、営業してへんのに建物をようぶつさんと置いてるとこ何軒かあるやろ。よう見てみ。3階がある。つまり、そういうこっちゃ」
 
188 「ウチ、今、おばちゃんやで」
 飛田の曳き子のおばちゃんをしているというのだ。その時、すぐにも食らいつきたい気持ちを抑え、「うわ、そうなん。飛田のこと、また教えてくださいね」に留めたのは、先の取材約束の失敗によって「急いてはコトを損じる」と懲りたからだ。
 田口さんというご夫婦は、創価学会員だった。大きな仏壇をもっていたが、火事で焼けてしまった。「この年から、もうローンよう組まんから」と、小型の仏壇を部屋に置いていたのだった。後日訪ねると「今から集いに行くから、井上さんもおいで」と誘われ、ついて行った。
 集いの会場は、界隈では大きめのお宅。三和土を上がると、八畳ほどの茶の間があり、そこに茶髪の青年から80歳以上とおぼしき女性まで17人がずらりと座っていた。2月だった。「学会歌」の合唱から始まり、
 「南無妙法蓮華経・・・・・・・」
 のお題目が唱和された後、世話役が「1月2日、池田先生の81歳の誕生日に、晴れて入会された方を紹介します」と、前方にちょこんと座っていた、肉体労働者であろう日に焼けた70年配の男性を紹介した。その男性は、
 「いい人間になりたいです。今最悪ですから」
 と皆に言って、ぺこりと頭を下げた。
 続いて、「一人一言ずつ近況報告を」となり、端に座った人から「朝夕、お題目を唱えています」「仏壇に向かうと気持ちが落ち着きます」などと報告したが、先ほどぺこりと頭を下げた70年配の男性に順番が回ると、その人は、
 「集いに来さしてもらうんは、まだ2回目で・・・・・・こんなふうに喋ったこと学校の時から一回もないから・・・・・・かなわんのやけど」
 と小声で言った後、もごもごとこんなふうに続けたのだ。
 「オレは今までむかっとすることがあったら、特に酒飲んでたら、すぐに手ぇが出たけど・・・・・・このごろは心の中で・・・・・・まずお題目を唱えるようになった。唱え終わったら、むかっとする気持ちがおさまってて・・・・・・手ぇがでんようになりました」
 世話役が、「それはいいことです。頭が爆発しそうになったら、お題目、ひとり言やと思うて言うてください。120%、頭の切り替えやっていくようにしてください」と応じ、皆がその男性に拍手をした。田口さん夫婦も大きな拍手をした。男性は「うれし恥ずかし」といった面持ちになった。
 
202 不動産屋にて
 梅田さんは、もともと母親名義だった料亭2軒のうち1軒を自分名義に変えたと言ったが、飛田に新規参入はできるのか知りたい。新開筋商店街に不動産屋は2軒ある。そのうち、張り紙のある方の店を覗いた。
 「6畳トイレ付き3万3000円」「2DK5万5000円」などという張り紙に並んで、一軒の「料亭」の案内が張り出されていた。表に張り出されているということは、オープンな情報なのだ。
 「山王3丁目
 客室3
 保証金2000万
 家賃200万」
 ノートにメモを取っていると、
 「やめとき」と後ろから声がかかった。
 
 
第六章 飛田で働く人たち
事務所再訪と、消えた「おかめ」/料亭の面接/西成警察、大阪府警/ビラを配る/二十九歳の女の子/元“お嬢”/彼氏は「借金まみれ」/まゆ美ママ/飴と鞭/商売哲学/タエコさん/原田さんとの再会
 
228 飛田新地料理組合が、公的機関から「感謝」されてきたというのも妙だが、なにより驚いたのは、マントルピースの上に飾られた写真である。料理組合の組合長と茶髪の弁護士が二人でにっこり笑顔で写っている写真が、そこにあったのだ。
 「あれ? これ橋下知事。『行列のできる法律相談所』に出ていたころの橋下知事ですよね?」
 「そうや。組合の顧問弁護士。一回、公演に来てもろた時に写したやつやな」と幹部。
耳を疑った。
 「えっ?ほんまに?」と訊き返しても、
 「そうや。だいぶん前やから、ふたりとも若いわ」
 と得意然としているのだった。
 事務室の壁面に、組合長をはじめとする幹部の名札が並んでいる場所がある。その末尾に、「橋下事務所」と書いた札が確かにかかっているのも、見てしまった。
 
268 料金は、30分1万円(80年代後半当時)。できるだけ「延長」を取る。
 暗黙の約束事は、女の子が玄関口にいないときには呼び込まないこと。近所の他店の呼び込みの邪魔になるからだ。自分の店の間口の間しか呼び込まず、道路の真ん中より向こう側を歩いている人を呼び込む権利は、向こう側にある。店の玄関口に鏡を置くのは、客が店の境界線より手前に来た時点から呼び込むため。鏡に客の姿が映ると、すぐに呼び込みを始めるという寸法だ。
 
281 トサン(年利1095%)、トゴ(年利1825%)などトイチ以上の闇金が横行しているのだという。先に、ヤクザの人たちから聞いた闇金の仕組みの、さらに上をいっているというのだ。
 
298 多くの「女の子」「おばちゃん」は、他の職業を選択することができないために、飛田で働いている。ほかの職業を選べないのは、連鎖する貧困に抗えないからだ。抗うためのベースとなる家庭教育、学校教育、社会教育が欠落した中に、育たざるを得なかった。多くは十代で親になる。親になると、わが子を、かつての自分と類似した状況下におくことになる。
 本書には書かなかったある女の子と、ミナミの居酒屋であった時、彼女は生ビールのジョッキが汚れていたとアルバイトの若い女性を頭ごなしに怒り、料理の運び方がなっていない、客をバカにしているのかと声を荒げた。自分が” 上”の位置にいるとの誇示と、普段抑圧化にいるストレスの発露だと思う。そうした幼稚な言動は、時として、差別言語となって露呈する。 「あいつは朝鮮や」「あいつら部落や」「(生活)保護をもらう奴はクズや」といった耳を疑う言葉を、飛田とその周辺で、幾度となく耳にした。個別の責任ではなく、社会の責任だと思う。
 
 
 
 

読んだ。 #海と毒薬 #遠藤周作

読んだ。 #海と毒薬 #遠藤周作
 
>太平洋戦争中に、捕虜となった米兵が臨床実験の被験者として使用された事件(九州大学生体解剖事件)を題材とした小説。
 
>成文的な倫理規範を有するキリスト教と異なり、日本人には確とした行動を規律する成文原理が無く、集団心理と現世利益で動く傾向があるのではないか。小説に登場する勝呂医師や看護婦らは、どこにでもいるような標準的日本人である。彼らは誰にでも起き得る人生の挫折の中にいて、たまたま呼びかけられて人体実験に参加することになる。クリスチャンであれば原理に基づき強い拒否を行うはずだが、そうではない日本人は同調圧力に負けてしてしまう場合があるのではないか──自身もクリスチャンであった遠藤がこのように考えたことがモチーフとなっている。
 
ストーリーを追っていく過程で、自分の心の在り方、自分が生活している日本の社会、そのふたつの関係を再確認することになる。
 
戸田医師の少年時代を回想する章。わたしたちの過去の経験。戸田医師の感覚は非常識な感覚なのか。
日本の社会、組織ではよくあること。
すぐ先の街への空襲で殺されることと、病院で病気で死ぬことと、病院で実験台にされて殺されること。
職業倫理を支えている社会の、個人の、考え方の脆さ、堅さ。
 
 
137 そのくせ、長い間、ぼくは自分が良心の麻痺した男だと考えたことはなかった。良心の呵責とは今まで書いた通り、子供の時からぼくにとっては、他人の眼、社会の罰に対する恐怖だけだったのである。勿論、自分が善人だとは思いもしなかったが、どの友人も一皮向けば、ぼくと同じだと考えていたのだ。偶然の結果かもしれないが僕がやった事はいつも罰をうけることはなく、社会の非難をあびることはなかった。
 
143 もう、これ以上、書くのはよそう。断っておくが、ぼくはこれらの経験を決して今だって苛責を感じて書いているのではないのだ。あの作文の時間も、蝶を盗んだことも、その罰を山口になすりつけたことも、従姉と姦通したことも、そしてミツとの出来ごとも醜悪だとは思っている。だが醜悪だと思うことと苦しむこととは別の問題だ。
 それならば、なぜこんな手記を今日、ぼくは書いたのだろう。不気味だからだ。他人の眼や社会の罰だけにしか恐れを感ぜず、それが除かれれば恐れも消える自分が不気味になってきたからだ。
 不気味といえば誇張がある。ふしぎのほうがまだピッタリとする。ぼくはあなた達にもききたい。あなた達もやはり、僕と同じように一皮むけば、他人の死、他人の苦しみに無感動なのだろうか。多少の悪ならば社会から罰せられない以上はそれほどの後ろめたさ、恥しさもなく今日まで通してきたのだろうか。そしてある日、そんな自分がふしぎだと感じることがあるのだろうか。
 
194 「でも俺たち、いつか罰をうけるやろ」勝呂は急に体を近づけて囁いた。「え、そやないか。罰をうけても当たり前やけんど」
「罰って世間の罰か。世間の罰だけじゃ、なにも変わらんぜ」戸田はまた大きな欠伸をみせながら「俺もお前もこんな時代のこんな医学部にいたから捕虜を解剖しただけや。俺たちを罰する連中かて同じ立場におかれたら、どうなったかわからんぜ。世間の罰など、まずまず、そんなもんや」
 だが言いようのない疲労感を覚えて戸田は口を噤んだ。勝呂などに説明してもどうにもなるものではないという苦い諦めが胸に覆いかぶさってくる。「俺はもう下に下りるぜ」