読んだ。 #なめらかな社会とその敵 PICSY・分人民主主義・構成的社会契約論 #鈴木健

読んだ。 #なめらかな社会とその敵 PICSY・分人民主主義・構成的社会契約論 #鈴木健
 
これまで、人間は認知の限界により、複雑な世界を単純化されたものとして認知してきたが、コンピュータやインターネットなどの技術の発展によって、複雑な世界を複雑なまま、「なめらかに」認知できるようになってくるのではないか、そのようにして、現在の社会で発生している経済、政治、安全保障などの問題が解決される手がかりが見つかるのではないか、というようなところから。
 
人間が世界を単純化して認知するのは、単細胞生物が、「膜」をつくることで内と外を区別し、「核」で制御しようとする(小自由度で大自由度を制御しようとする)、生命活動そのものに起源があるのではないか。世界を「膜」や「核」ではなく、その背景にある「網(複雑な相互作用のネットワーク)」として認知しなおしていくことで、なめらかな社会への移行が進んでいくのではないか。
 
「なめらかな社会」実現のためのアイデアとして、経済においては「伝播投資貨幣PICSY)」の導入、政治においては「伝播委任投票システム」から成る「分人民主主主義」の実装などが、数式なども用いながら説明されている。
 
 
 
社会システムは生命システムにおける一現象に他ならない
 
おもに政治や経済の概念だと思われている私的所有が、地球上で40億年もの生物学的起源をもっていることを膜と核という問題系から明らかにしていく
 
資源の生産や交換を対象とする経済システムの必要性は、経済システムの主体であるところの人間が、そもそも代謝ネットワークをもった生命体に他ならないところから要請されるからである
 
 
・DNAが制御の主体であるという表現も、全体としてはひとつの代謝ネットワークである細胞において、単に説明上の都合で導入されているにすぎない
()自己複製によって維持される主体は、利己な遺伝子ではなく、細胞の代謝ネットワークのダイナミクス全体なのである
 小自由度が大自由度を制御しているという見方は、制御が一方向で、すっきりしたものがごちゃごちゃしたものを決めていると考えたがる人間の認知バイアスによる錯覚である。つまり、実際は全体としてしか理解できないものが、小自由度による大自由度の制御というみせかけの関係性が認知しやすいので、小自由度が制御の主体だと認識されてしまうそう認識されることで、その権力がさらに強化される。
 
王という小自由度の権力を制御することによって、複雑で大自由度の社会全体を制御できるようになった。権力は化学反応ネットワークのように複雑なネットワークであり、王はDNAのように世界に単純さをもたらす。ちょうどDNAが生命を制御しているのが錯覚で、実際には複雑な化学反応ネットワークの小自由度を統括する焦点でしかないのと同様に、王は社会を制御しているわけではなく、王を通して社会が制御されているのである。権力はどこかに座があるわけではなく、ネットワークとして創発する性質にすぎない。王は、【社会的な制御】の生物学的起源である。
 
オートポイエーシス生命システム
 
・ヴァレラによれば、再生産(生殖、細胞分裂)は、生命システムにとっては本質的ではなくサブエフェクトであるという。なぜならば、生命システム(オートポイエーシス)にとって本質的なのは、ネットワークが自己維持して、内と外をつくりだすところだからである。したがって、再生産が前提となる進化も生命にとってサブエフェクトということになる。進化という性質は生命にとって本質的であるとしばしばいわれているため、進化をサブエフェクトとみなすオートポイエーシスの考え方は、そういう意味で驚きである。だが、生命の定義をオートポイエーシスと等しいものと一旦考えれば、たしかに進化はサブエフェクトであるといわざるをえない
 
組織の規模が大きくなると、意志決定を行うためには権力者が必要になる権力者が組織的に要請されるのは、権力者が権力を行使したいからではなく、他の人々が権力者を通して権力を行使したいがためである。組織の人間関係の複雑さが一定量を超えると、全体を制御することが困難になる。権力者はこの問題を解決する社会制度である。
 
・個人に責任を問わなくては社会秩序が維持できないのであれば、人々は互いに責任を追及しあうだろう
 
ソ連崩壊直後の、はじめて民主的な選挙が行われたロシア議会では、政党がなかったために議会が機能停止に陥った。特定の政党に所属しない多くの議員が演説を行うため、採決のための物理的な時間を超えて議論が続き、収拾がつかなくなったのだ。政党に所属するほうが、議会で政策を実現し、議席を選挙で確保できる可能性が高いため、間もなくロシアでも本格的な政党政治がはじまることとなった。
 
代替的な政治システムを考えるときに、共同体やグローバルのことを視野にいれるとしても、個人の同一性を解体した分人まで検討することは、通常あまりないだろう。だが、個人の解体こそが肝なのである個人の一貫性を強要する仕組みが存在していると、それを利用して共同体の固定化や国家の絶対化が実現してしまう近代国家の概念が、自由意志で一貫性をもった判断をする近代的個人を想定していたことを思い出してほしい個人、組織、国家の3つの壁を突破するためには、個人そのものの一貫性が幻想にすぎないことから出発する必要があるのだ
 
自由意志をもった一貫した自己というイメージは、他者から責任を追及されることによって強化される
 
・私たちが皮膚の境界をもってひとつの個体としてみなしがちなのは、皮膚の内側の細胞同士の相互作用の密度が、別の個体の細胞との相互作用に比べて大きいからである。ひとつの脳をもってひとつの心とみなしがちなのは、ひとつの脳の内側同士の相互作用の密度が大きいからである。個体の内側同士のほうが相互作用が強いという前提条件が崩れてしまえば、こうした常識は脆くも崩れ去る。コンピュータの登場によって、物理層と認知層の間に万能のミドルウェアが提供されることにより、個体同士を超えた相互作用の可能性がつくりだされる。ある個体の細胞と別の個体の細胞が強く相互作用するようになれば、新しい知性のかたちが生み出されるかもしれない。
 
・スマートコントラクト。
立法はプログラマー、行政は自動実行、司法は問題があったときのサポートになればいい
 
自由とは、与えられた選択肢の中から選択することが可能であることでは決してなく、複雑なまま生きることが可能であることをいう。複雑なまま生きることができれば選択肢は自然に生成する。新たな選択肢を生み出すことができる稼動領域の複雑性の広さ、それが自由なのである構成的社会契約のようなある種単純なプロトコルを情報技術によって導入することにより、むしろ世界全体の複雑性は増大する。

読んだ。 #実戦!パソコン通信 #すがやみつる

読んだ。 #実戦!パソコン通信 #すがやみつる

 

自分にとっては『ゲームセンターあらし』の作者であった、やすがみつる先生が1985(昭和60)~86(昭和61)年に『MSXマガジン』で連載されていたというパソコン通信についての文章がまとめられた本。

1980年代の中頃、Windows以前、インターネット以前、まだほとんどの人がコンピュータを触ったこともなかった頃の「パソコン通信」の世界がどのような感じだったのか、やすが先生がどのようにして楽しんでいたのか、当時の空気感がそのまま伝わってきて、かなりおもしろかった。

子どものころ、無線の本やパソコンの本など、自分の知らないすばらしい世界があるのかと、よくわからないなりに想像してあこがれながらこのような本を読んでいた記憶を思い出した。

現在では誰でもスマホを持っていて、皆が普通にwebを利用していて、もうそれ無しでは生活できないような社会になっているが、そのはじまりの頃の話としても楽しめた。

当時、パソコン通信をしていた人たちの雰囲気と、現在多くの人が普通に利用しているSNSの雰囲気の違いなども考えさせられる。

当時、パソコン通信をしようと思ったら、KDDの国際電話サービスでアメリカに電話をかけて、アメリカのサーバーに繋いで、電話の受話器をマイクとスピーカーにくっつけて、ピーとかガーとかの音でデータをやりとりしていたようだ。

アメリカまでの電話代に加えて、利用したいサーバーの使用料などもかかり、1時間に5~6000円かかったらしい。

あと、パソコンが趣味という人に対して、当時はまだ「オタク」という言葉は無かったようで「ネクラ」といわれていたみたいだ。

 

↓このサイトで読みました。
https://www.mangaz.com/book/detail/49601

 

 

 

・人間と人間が、お互いの感情までをも伝え合うことができる素晴らしい通信手段だからこそ、ぼくは、このパソコン通信に熱中してしまっているのである。

・しかし、これらのSIGにアクセスするたびにいつも感心するのは、シスオペさんたちの献身的なまでのSIGに対する情熱である。誰か新しい人がメンバーになって、初めてのメッセージを書き込むと、必ずウェルカム・メッセージを書き、コマンドなどがわからなくてとまどっている人には、適切なアドバイスを与え、よからぬメッセージを書く者には警告を告げる。シスオペさんたちは、「コンピュサーブ」へのアクセス料を免除されているらしいが、それにしても、その頭が下がる。社会奉仕とかボランティアといった概念が生活に密着しているアメリカ人だからできることではなかろうか、などとも考えてしまうほどなのだ。これが日本ならどうだろう?のべつまくなしコンピュータを叩いているだけで、おかしいだの、ネクラだのといわれかねない。日本のパソコン通信の発展も、このあたりにあるような気がしてならないのだが・・・・・・。

・日本のパソコン通信は、「アスキー・ネット」などの一部を除いては、企業が手がけるものの大半がIP(情報提供者)からユーザーに向けて情報を与えるものと考えられているようだ。しかし、パソコン通信の最大の楽しさは、ユーザー同士が互いに情報を交換できる、本当の意味での「双方向通信」にあるはずなのだ。
 ニュースなんて新聞やテレビでこと足りる。つまらないデータなんか見たくもない。ぼくたちが欲しいのは、つい昨日まで、まったくの見ず知らずだった人たちと同じ趣味について意見や情報を交換することなのだ。そしてときには、ちょっぴりさびしくなったときなどにチャットや電子メールで、くだらないことをお喋りしたり。そんなコミュニケーション機能の充実したパソコン通信ネットが欲しいんだ。

・むやみにユーザーが増えることによって、コンピューサーブの中にあるCBシミュレーターの一部のユーザーのように、無節操な使い方をする人が出てくると、ほかのユーザーに失望を味あわせることにもなりかねない、ということだ。「コンピュサーブ」のCBシミュレーターでは、ヒワイな話をするとIDが取り消しになり、復活してもらうには10ドルの割金を支払わなければならないというルールもあるようだが、このようなルールの必要のないような節度やマナーも、ユーザー側が自覚する必要があるだろう。

・そう、そのOAGで出発の日時や出発地、到着地なんかで、全世界一日500万フライトあるっていう空便の検策ができるんだよね。料金別でもできる・・・・・・。それを担当者に見せたらビックリするんだよね。日本の旅行代理店がオンラインでつながってるのはJALだけで、あとは電話で座席を確保するってんだから。

・新聞、雑誌の投稿欄、あるいは深夜放送のリクエストはがきといったものは、必ず誰かのセレクトを受けた。しかし、パソコン通信は、そのフィルターなして、自分の存在をアピールできる。こんなメディアは、かつてなかっただろう。

・そして何よりもいいのは、場所と時間を選ばないこと。ハンドヘルド・パソコンと音響カプラを使えば、公衆電話からだってアクセスできる。

読んだ。 #今すぐ知りたい日本の電力 明日はこっちだ #いとうせいこう

読んだ。 #今すぐ知りたい日本の電力 明日はこっちだ #いとうせいこう

 

今後の電力について、エネルギーについて考えるために、いとうせいこうさんが5人の業界の方にインタビューした本。
再エネは現在のところどうなっているのか、今後はどうなっていくのか、再エネ先進国といわれるドイツではどうなっているのか等。

現在直面しているエネルギー問題の解決には、技術の進歩だけでなく、多くの人々が電力やエネルギーに関する認識を見直す必要がありそう。

再生可能エネルギー(Renewable Energy)とは、石油や石炭、天然ガスといった有限な資源である化石エネルギーとは違い、太陽光や風力、地熱といった地球資源の一部など自然界に常に存在するエネルギーのこと

 

 

①電力問答 なぜ高くなった?/梶山喜規(株式会社UPDATER)

・そういうところに責任を持ってる人たちからしてみると、悪影響を与えそうなものっていうのは、あまり連系させたくないんですよね。

原子力発電を諦めないことで、たとえそれが動かなくても系統を空けておく状態が続く。

・FIT(固定価格買取制度)からFIP(フィードインプレミアム)

②自分でつくって自分で使う でんきバンク/前川久美(株式会社アイジャスト)

③光を分けて同時二毛作 ソーラーシェアリング/東 光弘(市民エネルギーちば株式会社/株式会社TERRA)

・ちょうどその事故というか、あの大震災の午前中、当時の政権は民主党だったんですけど、そこで固定価格買取制度〈FIT〉が国会を通ったんですね。

・ソーラーシェアリング。パネル自体が細くできていて、「上からの太陽光がパネルを抜けて下の土地にまで届く。つまり光をシェアしよう」って発想。

・ペロブスカイト太陽電池。部分的に影になっても、影になったところだけのパフォーマンスが落ちて、残りは普通にパフォーマンスする。

④自給を高める 米の産直から電気の産直まで/三浦広志(特定非営利活動法人 野馬土)

・世界中で主流になっていた超大規模経営農業は、有機物の補充なんていうすぐにはお金にならないことはおろそかにして、遺伝子組み換え技術なんかを利用しながら、化学肥料や農薬を使いまくって作物を増産し、目先の利益を優先してきました。その結果として作物をつくり続けられる土の力が維持できなくなり、いわゆる砂漠化が進んできたんです。その反省から国連は持続的に農業を続け、食料をつくり続けるためには、数千年続いてきた農業のビジネスモデル「家族農業」の価値を見直そうということになったんです。
()
農家所得ですが、フランスやイギリスでは9割、スイスに至っては100%以上が補助金です。

⑤価値の革命 エネルギー危機と世界/西村健佑(有限会社 Umwerlin)

ドイツ国内の電力は発電量に占める再生可能エネルギーの割合が40%を超えています。

・ドイツの場合は1986年にチェルノブイリ事故があり、そこから「再生可能エネルギーの電気が欲しい」という運動が「どんな電気を買うかは一般市民が自ら選べるようにして欲しい」という運動と並行してはじまりました。
 日本の場合、私の理解している範囲では、どちらかというと大企業さんが国際的に、例えばAppleさんとかGoogleさんと取引をする時に「再エネ電力使ってね」と求められるようになったので「こりゃあ、なんとかしなきゃ」というかたちではじまって。

・あまり意識されないかもしれないですが、アメリカとヨーロッパではもうすでに気候変動の影響というものをハッキリと受けていて、かなり危機的な状況なんです。

・世界的に見ると、2010年以降は再生可能エネルギーの値段がすごく下がったので、Googleさんなどははっきり言ってると思いますけど、まず最初に「一番安い電気をしっかり確保しておこう」と考えたら、「再生可能エネルギーやるのが一番だよね」という流れになってきていました。

原発が70%近くを占めるフランス

・ドイツのエネルギーの今現在の目標というのは、温室効果ガスの削減で2030年5%という目標を持っています。そして2045年には「完全なカーボンニュートラルを国として達成する」としています。

・ドイツの目標はまず全体のエネルギーの使用量を、「2050年までに半分にしましょう」という目標があります。

・ドイツの場合は熱で、特に暖房がものすごいエネルギーを使うので、やらなきゃいけないのは断熱です。だから建物で、まず断熱をしっかりとやって、そもそも「エネルギーを使わない家」を建てなきゃいけないんです。

・パッシブハウスといわれる非常にエネルギー性能の高い建物は、壁が80センチぐらい。窓も三重窓で40センチぐらいあるので、ほとんど暖房エネルギーを使わない構造です。そうなると暖房はいりません。

・「雇用を守る」というのはもちろん大切なことではあるんですが、ただ「今の雇用を守るために人が住めない街をつくってどうするんだ」という話もあるわけです。このままいけば将来、ドイツでは気候変動でまともな生活が送れなくなるような地域が増えていくのは間違いないので。

読んだ。 #偽情報戦争 あなたの頭の中で起こる戦い #小泉悠 #桒原響子 #小宮山功一朗

読んだ。 #偽情報戦争 あなたの頭の中で起こる戦い #小泉悠 #桒原響子 #小宮山功一朗

 

日本では日本語がかなり特殊である為、外国からの偽情報が入ってきにくいということもあり、ほとんどの人はそれについてあまり意識していないと思うが、ロシア、アメリカ、ウクライナEU、中国など、世界中で偽情報戦争が繰り広げられているらしい。
2014年のアメリカ大統領選、ロシアとウクライナの戦争、コロナウイルスに関するあれこれなど、実際に様々な偽情報やフェイクニュースが拡散されている。
もちろんそれらは、国民一人一人の信じている(信じたい)世界観に沿ったものでもあるのだが、それを利用して、自国の利益になる状況を生み出そうとする動きも実際にあるらしい。
現在もSNSなどでは、分断が進んでいる状況を見ることができるが、そのような目で見てみる必要もありそうだ。
今後、AIが進化して、日本への偽情報の脅威も増していく可能性がある中で、日本はどのように対処していかなければならないだろうか、というようなことが書いてあったと思う。

 

 

・これを台湾有事に当てはめると、中国はさまざまな情報戦を展開する可能性がある。基本的な戦略は、日本を米国から少しでも切り離さんとするものであろう。具体的には、「在日米軍基地と米国の軍事行動が日本を戦争に巻き込む」と訴えることで、日本国民の軍事アレルギーを刺激し、戦争や駐留米軍に対する批判的なデモを扇動する可能性も考えられよう。
 また、歴史的観点でいえば、中国からは、もともと沖縄は琉球という独立国家であり、清朝に従属していたなどという指摘が聞こえてくる。2017年1月付の公安調査庁の報告書では、「琉球帰属未定論」に関心を持つ中国の大学やシンクタンクが「琉球独立」を標榜する日本の団体関係者と交流を進めていると指摘されている。今後、台湾をめぐり中国が一段とこうした動きを強め、米軍基地が集中する沖縄の人々に働きかけ、日米の防衛力を低下させるよう揺さぶりをかけてくることにも警戒する必要があろう。さらに、日本国民の厭戦機運を高め、日本の台湾有事への介入を阻止するため、「先島諸島および九州や本州の一部が中国との激しい戦場になる」「米中の戦争が始まり、日本が米国に加担すれば、当然、日本に対する全面攻撃が行われる」といった国民に危害が及ぶとする情報や、「日本でも徴兵制が実施される可能性がある」といった日本政府に対する国民の不信や不満を煽るような情報が流布する可能性もあろう。

・個々人は合理的で冷静なので、あからさまな外国のプロパガンダを読んだり聞いたりしてもそう簡単に信じることはないからである。しかし、実際に隣人や同僚や公共機関が自らの世界観では理解し難い状況に陥っていればどうか?公務員が政府の方針に反抗してストライキを始め、要人が次々と暗殺され、店先から品物が消えた時、個々人は合理性や冷静さを保っていられるか?
 つまり、「電波侵略」はこのような状態を作り出し、群集心理によって個々人の精神を塗り替えることを目的とすべきだ、というのがメッスネルの考えであった。

・つまり、ロシアの情報戦が狙っているのは人々の認識を180度逆転させることではなく、大量の偽情報を複数のチャンネルから継続的・反復的に浴びせかけることによって何が事実なのかわからない状況を作り出すことなのである。

・民主主義というシステムの持つ問題
我々は、民主主義の合意を形成する力に期待し、民主主義が社会に分断をもたらす危険を看過していた。
 多くの民主主義国家において、多数決の原理と、少数者を保護すべきというリベラルな価値観は一つのセットになって考えられている。我々が目指す、少数者の意見も重視される多様な社会は、細かく分断された社会と紙一重である。
 技術の進歩により、選挙においては、「人々の分断を煽り、自らの支持者を投票に行かせるように動機付ける」ことの重要性が増している。社会の共通項ではなく分断を強調し、その分断のどちらか一方の勢力に対して、相手方への敵対心を煽るのである。

・あまり意識されない選挙の二つ目の目的は、敗者に負けを受け入れさせることである。近隣の小学校の体育館を貸し切り、候補者の名前が記された投票用紙を二重三重に確認し、集計するという現在の投票システムは非効率な側面はあるにせよ、敗者に結果の真正さを疑わせないだけの信頼と実績がある。

・独裁とテクノロジーが結合するのであれば、民主主義もまたテクノロジーとの結合を目指すべきである

・情報が闘争手段となったという現実を認め、安全保障の一領域として位置付けること――情報安全保障の概念を持つこと

・①戦争と平和をめぐる伝統的安全保障
②気候変動や感染症などの非伝統的安全保
③人々の認知をめぐる情報空間の安全保障

・「行いによるプロパガンダ
公務員が仕事をしなくなる。小さな暴力が社会に蔓延する。これまで当たり前に手に入っていた物資が手に入らなくなる。

読んだ。 #日本の歴史をよみなおす(全) #網野善彦

読んだ。 #日本の歴史をよみなおす(全) #網野善彦
 
1991年に刊行された『日本の歴史をよみなおす』と、1996年に刊行された『続・日本の歴史をよみなおす』を合わせて一冊として2005年に刊行された本。
 
百姓=農民ではなかった。百姓とは、さまざまな職業に従事する人々(武士、町人、神官・僧侶など以外)を指す用語だった。
貧しい水呑み百姓として分類された人々のなかには、実際には大規模な交易や様々な産業・事業を経営する裕福な事業家もいた。
日本列島は孤立した孤島ではなく、海や河川が交易路として活用され、海外と緊密な交易を行う貿易立国であった。
かつては穢れを清める職能集団として畏怖されていた人々が、社会の自然に対する認識の変化に伴い、賤民として差別されるようになっっていった、など、
漠然と持っていた日本の歴史の常識(イメージ)が、古文書などの詳細な解析によって覆されてきた、、というようなことが書いてあった。
 
 
 
 
前近代に女性がこのようなすぐれた文学を多く生み出した民族が、はたして世界にあるのかどうか。私はおそらくほかにはないと思いますが、なぜ女性がこのような役割をはたしえたのか、その意味はまだ深く考えられていないと思います。
 そして最初の問題にもからみますが、こうした女流の文学が生まれたのは十四世紀までなのです。室町時代以降、女性の日記はありますが、江戸時代までふくめて女性の文学といえるものは、おそらくないのではないかと思います。これが最初にお話しした、十四世紀を境とした社会の転換と深いかかわりがあることは確実です。
 
 
ところが南北朝をこえて室町時代になりますと、文書はきわめて数が多くなるのですが、鎌倉時代以前に比べると文字に品がなくなります。しかも、大変に読みづらくなる。
()文字にたいする社会の感覚が、鎌倉時代とは大きく変わってきたのではないかと思います。
 鎌倉時代までの人びとは、文字にたいしてある畏敬の感情をもっていたと思うので、それが文字そのものの美しさにつながっていたのだと考えられますが、そうした意識はなお生きていたとしても、文字を使う人にとって、それはきわめて実用的なものになってきた。
 
埋蔵銭
埋蔵物は、当時の考え方では、無主物になってしまうのです。
 
・文字の普及によって社会の均質化が進んだと申しましたが、北海道と沖縄をのぞく日本列島に、丸に四角の穴をあけた銭が流通するようになったことが、日本の社会の均質化の進行にひとつの意味をもっていたことは間違いないと思います。
 
贈りものをし、相手からお返しをもらうという行為がおこなわれれば、人と人との関係は、より緊密に結びついていかざるを得ないことになってきます。これでは商品の交換にはなりません。ではどうしたらモノは商品として交換されうるか。
()モノがモノとして相互に交換されるためには、特定の条件をそなえた場が必要なので、その場が市場である。市場においてはじめて、モノとモノとは贈与互酬の関係から切り離されて交易をされることになるのではないか。市場は、その意味で、日常の世界での関係の切れた、私流にいえば「無縁」の場として、古くから設定されてきたのではないか
()実際、日本の社会では、河原、川の中洲、あるいは海と陸との境である浜、山と平地の境目である坂などに市が立つのが普通です。このように市の立つ場は独特な意味をもった場なのですが、そうして開かれた市場は、日常の世界とはちがい、聖なる世界、神の世界につながる場であると考えられていました
 
・利息
日本の社会の場合、金融の起源を古くさかのぼってみますと、出挙(すいこ)に帰着します。
()このように、交易にせよ金融にせよ、俗界をこえた聖なる世界、神仏の世界とかかわることによってはじめて可能であったのですから、交易、金融にたずさわる商人、金融業者は、俗人にはたやすくできなかったのです。それ故、中世では商人、金融業者は、いずれも神や仏の直属民という立場で姿を現しています
 
・当時市場のなかで起きた事件は、市場のなかだけで処理して、外へ持ち出さないという習慣がありましたが、道もまったく同じで、道でもし殺人事件がおこったとしても、その場だけで処理して、決してそれに関連して、被害者の親族が加害者に復讐をするということはしてはならない場所だったのです。
 そういう性格は、道や市場、さらには津・沖・泊・浜坂などの境界的な場所に共通していますが、神人や供御人の遍歴する場は、まさしくこのような場だったことになります。
 
・階級的な差別とは異なる、身体障害者人に嫌われる病に罹った人に対する差別の実態を、原始社会にさかのぼってみてみると、縄文時代においては、そうした差別はなかったようです。
 縄文時代の零歳の平均余命は十七歳といわれており、大変に酷烈な状態に人びとは置かれていました。ネアンデルタール人にもそうしたことがあるようですが、縄文人の骨のなかに、明瞭に身体障害者と見られる人の骨、たとえば兎唇とか、足に障害を受けた人の骨が残っているとのことで、ある考古学者はこの時期には、人間が生きるということ自体非常に大変な時期であり、人間そのものが非常に大切だったので、そうした差別はなかったのではないかと考えています。
 
ケガレとは、人間と自然のそれなりに均衡のとれた状態に欠損が生じたり、均衡が崩れたりしたとき、それによって人間社会の内部におこる畏れ、不安と結びついている、と考えることができるのではないかと思います。
 
ケガレに対して人びとは、たんにそれを忌避し嫌悪するだけではなくて、畏怖の感覚をもっていたのです。ケガレを清める力をもち、それを職能にしている非人に対するとらえ方にも、やはりそれに通ずるものがあったと見られるので、そのように特異な、一般の人間にはできない職能をもっているがゆえに、非人は神人・寄人、神仏の直属民という社会的な位置づけをあたえられたのだと思います。
 
・「童名」
「丸」をつけた名前。「丸」をつけるものは、みないわば聖俗の境界にあるものであることに注意する必要がある。鷹や犬などはまさしくそういってよい動物だと思いますし、楽器も同様です。当時の音の世界は、神仏との関係でとらえられており、神仏を呼び出し、また神仏を喜ばせるために用いられているわけで、楽器はまさしく神仏の世界と俗界を媒介するものだと思います。
 船にしても同様で、大海に乗り出したときに人間がいのちを託すものなので、そこになんらかの呪的な力を与えたいという気持がおこるのは当然だと思いますし、戦場で命を託する刀や鎧にしても同じ意味があると思います。こうしたものになぜ童名がつけられたのかということは、童――子どもそのものに対するこの時期の社会の見方と深いかかわりがあり、童自身が、聖俗の境界にある特異な存在と考えられていたのです。
 
ケガレに対する観念が変化してきたことに理由があると考えています。それ以前のようにケガレを恐れる、畏怖する意識がしだいに消えて、これを忌避する、汚穢として嫌悪するような意識が、しだいに強くなってきたことによるのだと思います
 このような社会的なものの見方の変化は、文字や貨幣などの問題と同じように、日本の社会において、人間と自然のかかわり方が大きく変化してきたこととかかわりがあると思うので、自然がより明らかに人びとの目に見えてきたが故に、このようなケガレに対する畏れが消えていったのですが、それにともなって、ケガレを清める仕事に携わる人びとに対する忌避、差別観、賤視の方向が表に現れてくるようになったのだと思います。
 
・そういう状態なので、当然、女性と男性の社会的な地位にはさほどのちがいはなかったと思われます。家父長制は決して確立してはいないのですが、そこへ中国の律令制が導入されるもともと中国の社会は早くから家父長制的な社会ができ上がっていますし、律令は当然その上にできた法体系です。それを受けいれたので、法制的には、日本の律令国家も男性優位、父系、家父長制を採用しており、親族関係を公的にとらえる場合には、原則的に父系、父親の系統でたどるという建前が導入されます
 平民の公的義務である調・庸などの課役を負担するのは男性――成年男子のみ、政策決定にあずかる官人も男性で、女性は裏の世界、後宮に退かされることになるのです。しかしこれは日本の当時の社会の実態と大きく異なっており、建前と実態の摩擦をおこすことになります
 
実際、文字が女性に浸透したということ、それだけではなく後宮の女房による独自な女流文学が生まれたことは、女性が自分の目をしっかり持っていたことを示していると思います。その背景には父系制が確立していない双系的な社会に、非常に強固な父系の建前を持った制度が接合したという事態があった
 すこし極端ないい方をすると、まだ未開の要素を残し、女性の社会的地位も決して低くない社会に、文明的、家父長的な制度が接合したことによって生じた、ある意味では希有の条件が、このような女流文学の輩出という、おそらく世界でもまれに見る現象を生み出す結果になったのではないかと思うのです。これは強固な家父長制、男性の支配の下に女性が置かれていたと考えたのでは、とうてい理解できないことですし、さきほどお話ししたような、女性の社会のなかでの活発な活動の意味も、まったく解釈できないと思います。
 
天皇という称号が安定的に用いられ、制度的に定着するのは天武、持統朝――浄御原(きよみはら)律令の制定のころで、厳密にいえば持統からだというのが、古代史家のほぼ通説になっていると思います。
 ですから、この説にしたがって、史実に忠実な立場に立てば、雄略天皇崇峻天皇はもちろん、天智天皇という「天皇」もいないことになります。こうした厳密さは、神武から数える天皇の代数、しかも江戸時代以来いろいろな数え方をされている代数が、教科書をはじめあちこちで無神経に使われていることからみても、非常に大切なことだと思います。
 しかも、大宝律令のできた七〇一年に遣唐使が中国大陸に行くのですが、その時の使いは「日本」の使いであると唐の役人にいっています。つまり「日本」という国号も、これまで推古朝とも考えられていましたが、やはりこれも最近の説では七世紀の後半、律令体制の確立した天武・持統のころ、天皇の称号といわばセットになって定まったと考えられていますこれも大変大事な点で、このときより前には「日本」も「日本人」も実在していないことをはっきりさせておく必要がありますその意味で縄文人弥生人はもちろんのこと、聖徳太子も「日本人」ではないのです
 それはともかく、まだまだ未開な要素を残している日本列島の社会と、高度な文明の所産である中国大陸の律令制とのドッキングのしかた、これがじつはいろいろな形で列島の国家と社会を長く規定しているのですが、天皇の特異性もこのことと関係しています。
 まず、中国の律令制の骨格は儒教で、天命思想易姓革命の思想(天子は天の命によってその地位にあるので、天子に徳がなければ、天の命があらたまり、天子の姓がかわる。王朝が交替するという思想)がその背景にあるのですが、この国家が律令制を取り入れる時に、この天命思想と易姓革命の思想は注意深く排除しているということが注目されます。もちろん、律令とともに儒教をとり入れているのですから、天命思想と日本の天皇が、まったく無縁であったわけではありません。
 早川庄八さんの研究によりますと、天皇の口頭での発言を文書とした宣命には、明らかに天命思想につながる内容がもりこまれているのですが、それは八世紀という時代の状況の中で、天武・持統の直系の子孫を天皇とし、それ以外の皇統の人びとを排除するための論理として使われている。そして最終的には、天皇皇位継承の裏付けとなっているのは、皇孫思想なので、高天原から太陽神の子孫であるニニギノミコトが、この国土に降り、その子孫が天皇の位につくのだという、私どもが戦争中にさんざん聞かされた、皇孫思想にほかならない。それを合理化するために、天命思想が用いられているにすぎないのです。
 しかしこの皇孫思想は、太陽神の子孫としての天皇の立場を継承するというマジカルな性格を持っており、未開な要素を持つ日本列島の社会の中から生まれた神話に裏づけられたもので、「天」という普遍的で明確な概念を前提とする、天命思想とはまったくちがっているといえます
 
・実際、天皇の称号の定着した持統以来、江戸時代までの天皇は、二、三の例外を除き、みな火葬で、聖武以来仏式ですし、墓も泉涌寺をはじめ、寺院に葬られていたのです。墳丘もつくられていないので、昭和天皇のような葬儀や墓は、明治以後になって、天皇号の定まる以前の、いわば古墳時代のころのやり方を「復興」する形ではじめられたので、これを「古来の伝統」などというのは、まったくおかしいことだと思います
 こうした仏教と天皇との結びつき方については、まだ具体的にはっきりしていないことも多いのですが、十三世紀の後半から、天皇が即位の時に、密教の灌頂の儀式を行う、「即位灌頂」という儀式をやっていたことが最近明らかにされています。こういう密教風の儀式をやったことがはっきり確認されているのは、伏見天皇のときからですが、それ以前からも、これに近いことが行われていたようで、仏教的な儀式と、天皇との結びつきは、かなり強く、しかもそれが、非常に重要な意味を持っていたことを十分、考えなくてはならないと思います。
 
・ですから、異様なほどの力を持っている人について、人の力をこえたものがその人を動かして、異常な力を発揮させているとして、悪七兵衛(あくしちびょうえ)悪源太(あくげんた)悪左府(あくさふ)のように、「悪」をつけてよぶのも同じ「悪」の用法です。金融業者、商人、海の領主、山の領主の組織が「悪党」といわれたのは、「悪」にたいするこの時期のこうしたとらえ方が背景にあったと思います。
 
・海の慣習法
また十五世紀前半に、朝鮮の使者として日本を訪れた宋希璟という人が『老松堂日本行録』(岩波文庫)という旅行記を書いています。当時の西日本の社会・風俗を知るうえで大変おもしろい史料なのですが、その中に海賊についての詳しい記述もみられます。
 この人の一行が、安芸国蒲刈島に泊まったときの話は、さきほどの堅田の話とそっくりなのです。東から来た船は東の海賊をひとり乗せておけば、西の海賊はそれにたいしていっさい口を出さないし、逆に西からの船は、西の海賊をひとり乗せておけば、東の海賊は襲撃をしないというのです。つまり、この蒲刈を境に西の海賊と東の海賊の縄張りがあったわけですが、そこでこの人は東の海賊に銭七貫文を支払って船に乗せ、西に向かって安全に航海したとこの記録に書いています。
 
 
・そういう大陸、半島の動きを、日本列島の動向、さらには東南アジアまでをふくめて、海に視点をおいてもう一度考え直してみると、アジアの歴史そのものの捉え方も大きく変わってくる可能性が十分にあると私は思います。
 十六、七世紀になると、日本も朝鮮も、明、清の中国大陸の帝国も、これまで「鎖国」ともいわれていた海禁政策をとり、いずれの国家も、自らの社会の内部の商工業的な要素を賤しめ、過小評価し続けてきたと思います。それが近代にまで受け継がれ、われわれ自身が、日本について最近まで思い違いをしてきたように、儒教イデオロギー農本主義の影響下にあった地域では、同じような誤解をしているのではないかと思います。
 韓国の学界のようすを聞いてみても、非農業的な側面、海民についての研究は非常に少ないようです。中国も同様のようで、やはりこれまでの日本の学界と同様に、頭からそういう非農業的な要素は社会の中での比重が小さいというきめつけが大勢をしめているようです。
 このように、全体として東アジアの社会は現代にいたるまで、自らの社会内部の非農業的、商工業的な要素を過小評価してきたといえると思うので、それを正当に評価したとき、どのような社会像、あるいは国家像が新たに見えてくるかは、今後の大きな問題になりうると思います。
 
十三世紀前半には、鎌倉や京都などはもちろん、各地に都市的な場所が顕著に現れており、まずそういう場で飢饉がおこったのだと考えられますわれわれ自身の、戦争中から敗戦後にかけての経験からいっても、実際に食糧をつくっている地域はそう飢えるものではありません。そこから切り離されて食糧を購入している都市民がまず干上がるのは、考えてみればあたりまえのことです
 そうなりますと、江戸時代の三大飢饉とされている享保天明天保の飢饉、東北に餓死者が大量に出たとされている飢饉も、単純に東北が貧しいからだとはいえないのではないでしょうか。農村地域に壊滅的な飢饉がおこったと考えてよいかどうか、この点は徹底的に再検討の必要があると思うのです。つまり東北は、意外に都市的な性格を持つ地域だったのかもしれません。だからこそ、作柄の不況によって決定的なダメージをあたえられた可能性も充分あります
 
われわれが今後の国際社会で生きていくため、その中でほんとうになすべき使命を果たしていくためには、日本の社会について正確な理解を持ち、自らについて正確な認識を持っていなくてはなりません。そうでないと、伸ばすべきものをつぶし、無駄なエネルギーを使い、とんでもないところに日本人がいってしまう危険があると思うのです。

読んだ。 #観光客の哲学 増補版 #東浩紀 #ゲンロン叢書013

読んだ。 #観光客の哲学 増補版 #東浩紀 #ゲンロン叢書013
 
普遍的な正義や他人への寛容を信じるリベラリズム(左派)の人気がなくなってしまい、
個人的な自由、経済的な自由を重視する、動物的な欲求が軸となったリバタリアニズムと、
各地域の共同体による自治(各共同体の善)を重視するコミュニタリアニズムだけが大きな力を持ってしまった現代に、
代替の主義として、「観光客の哲学」を軸とした連帯=普段は小さなコミュニティーの中で生活しながらも、たまには旅行にでも行ってみる感じで行動し、普段出会うことのない人やモノに出会うこと(誤配)で生まれる共感、憐みによる連帯によって、もう一度普遍的な市民への道を目指せるのではないか、というようなことが説明されていたのではないかと思う。
 
過去の哲学者の人たちによる目指すべき社会への考えが積み重ねられていく中で、70年代に社会が「大きな物語」を失った後のポストモダンの説明、当時はなかったインターネットやタッチパネルなどの新技術が人類社会に与える影響、これまでの東さんの著作で語られてきた話(郵便的、誤配、動物化、一般意志2.0、等)など、様々な事柄が、「観光客の哲学」に繋がっていくのがおもしろかった。
 
「第2部 家族の哲学(導入)」は、先日出版された、「訂正可能性の哲学」に繋がっていくとのことなので、そちらもたのしみ。

 

 

 

ヴォルテール(1694 - 1778)
カンディード』でライプニッツが主張した最善説」(オプティミズムを批判した。
最善説――世界は最善であり、悪の事実にもかかわらず合目的的であり、有限な諸事物の価値は、普遍的全体を実現する手段として肯定されるというテーゼ。世界は全体としてうまくいっているんだから、細かい悪いところには目を瞑っておけという考え。その起源はブラトンアリストテレスにまで遡る。
 
どちらが「正しい」のか。じつはその問いにはあまり意味がない。
ぼくたちはそもそもひとつの現実しか生きることができず、だれもこの現実をほかの現実と比較することができないので、そこに「まちがい」があるかどうかも決定できないからである。
最善説の是非は、ぼくたちがひとつの現実に閉じこめられているかぎり、原理的に答えることができない
 だからそれは最終的には、議論で解決すべきものではなく、ひとりひとりの信念に委ねるべきものである
 
ライプニッツは、「まちがい」はないと信じたほうがひとは幸せになれると考え、
ヴォルテールは、逆にあると考えなければひとは誠実に生きることができないと考えた。
 
 
 
 
・<ジャン=ジャック・ルソー(1712 - 1778)>
『人間不平等起源論』や『社会契約論』の著者である思想家としてのルソーの人間観と、『新エロイーズ』や『エミール』や『告白』の著者である文学者としてのルソーの人間観には、じつはかなり開きがあるというのが哲学史的な常識である。
 ルソーは、政治思想家としては、個人は共同体の意志にしたがうべきだと主張した、全体主義に近い立場の人物として知られている。
「一般意志はつねに正しい」という『社会契約論』の一節(第二編第三章)はあまりにも有名である。
この一節は、共同体の意志が個人の意志に優越すべきだと主張するものとして受け取られ、実際、のち参照するカール・シュミットのような保守の思想家によって肯定的に評価されている。
 
他方でルソーは、文学者としては、孤独を尊び、偽善を憎み、共同体の規範の押しつけを許さない徹底した個人主義として受け入れられている。
『新エロイーズ』は、慣習や階層に縛られない自由な感情の発露としての恋愛表現の起源と考えられている。
『告白』は、私的な性体験や嫉妬感情の赤裸々な記述で多くの読者に衝撃を与えた。
そちらではルソーは、全体主義者どころか、むしろドストエフスキーと比較されるような情熱的な実存主義者だと考えられている。
 
全体主義個人主義社会か実存か。つまりは政治か文学か
エルンスト・カッシーラーは、その分裂を「ジャン=ジャック・ルソー問題」と呼んだ。
 
ルソーの「一般意志」の概念は、社会と交わりたくない、他人とも会話したくない、人間がそもそも嫌いな人々、現代風に言えば「ひきこもり」や「コミュ障」の人々のために構想された社会性の媒介なしに社会を生みだしてしまう逆説的な装置として読むべきだという提案である。
 ルソーは人間が嫌いだった。社会も嫌いだった。『学問芸術論』や『人間不平等起源論』に記されているように、彼はそもそも、人間は、社会などつくらず、したがって学問も芸術ももたず、家族単位でばらばらに生きるのが本来のすがただと考えていた。
にもかかわらず、人間は現実には社会をつくった。なぜか?
ルソーは、人間は本来は社会などつくりたくないはずだと信じていたからこそ、逆にその問いに答えねばならなかった。
言い換えれば、個人主義の文学者が集まり全体主義的な社会を生みだすメカニズムを考案しなければならなかった。
「一般意志」の概念はその必要性から生みだされたのだ。
この観点で読めば、『新エロイーズ』も『告白』も『社会契約論』も、矛盾なく一貫して理解できる。
 
 
 
 
イマヌエル・カント(1724 - 1804)
カントの影響下でヘーゲルが生まれ、カントへの反発からニーチェハイデガーが生まれ、のちカントの復興として分析哲学が生まれる、そんな巨大な存在だ。
 
ヴォルテールの『カンディード』から40年ほどのち、フランス革命期の1795年『永遠平和のために』。二〇世紀に入り、国際連盟国際連合ができる時代になってあらためて注目を浴びる。
 
 カントの主張。永遠平和の設立のためには三つの条件が必要
①「各国家における市民的体制は共和的でなければならない」(第一確定条項)。
国際法は自由な諸国家の連合制度に基礎を置くべきである」(第二確定条項)。
③「世界市民法は普遍的な友好をもたらす諸条件に制限されねばならない」(第三確定条項)。
カントはそこで「訪問権」について語る。国家連合に参加した国の国民は、たがいの国を自由に訪問しあうことができなければならない
これがきわめて重要なのだが、それはあくまでも訪問の権利だけを意味し、客人として扱われ歓待される権利は含まない
「友好の権利、つまり外国人の権限は、原住民との交際を試みることを可能にする諸条件をこえてまで拡張されはしないのである」
 
カントはここで、永遠平和が、第一および第二条項の規定にかかわらず、国家を対象とする条件だけでは成立しないと述べているように見える。永遠平和は、各国が共和国になり、国家連合がつくられるだけでは達成されない。それは、「世界市民法」が成立し、個人が国境を越えて自由に移動できるようにならないと達成されないのである。
 
 ぼくの考えでは、この第三条項の追加でカントが提示しようとしたのは、国家と法が動因となる永遠平和への道とはべつに、個人と「利己心」「商業精神」が動因となる永遠平和へのもうひとつの道があり、この両者が組み合わされなければ永遠平和の実現は不可能だという認識である。
 
 したがって、その訪問権の概念の射程は、国家意志と結びつく外交官の「訪問」ではなく、商業主義的な観光のイメージで捉えたほうが、より正確に測ることができると思われる。観光は市民社会の成熟と関係しない。観光は国家の外交的な意志とも関係しない。言い換えれば、共和制とも国家連合とも関係しない。観光客は、ただ自分の利己心と旅行業者の商業精神に導かれて、他国を訪問するだけである。にもかかわらず、その訪問=観光の事実は平和の条件になる。
 
 したがって、ぼくたちは、ならずもの国家は排除するほかないかもしれないが、ならずもの国家からの観光客は排除してはならない。中国といくら国交が悪化しても中国からの観光客を受け入れねばならないし、ロシアといくら国交が悪化してもロシアからの観光客を受け入れなければならない。それは中国なりロシアなりを国家として評価するからではないそのような権利を普遍的に保障しなければ、それ自体は中国やロシアと無関係につくることができる永遠平和のための国家連合、それそのものの原理が内部から蝕まれるからなのである。
 
カントはじつはそこで、各国家に、まずはおまえの下半身を制御できるようになってから国際社会に乗りだしてこいと、そう注文をつけていたのである。
 
 
 
 
・<ヘーゲル(1770 - 1831)>
カントシュミットのあいだにヘーゲルという哲学者がいる。
ヘーゲルは、国家を市民社会の「理性」にあたるものだと捉えた。たとえばいま、ぼくたちは日本列島という地理的な境界のなかに住んでいる。同じ言葉を使い、モノやカネを交換し、ひとつの社会を形づくっている。けれども、ヘーゲルはそれだけでは国家にはならないと考える。
国家は、その人々が、われわれはひとつの土地に住み、ひとつの歴史を共有し、ひとつの社会をつくるのだという自己意識を抱いたときにはじめて生まれる。それがヘーゲルの考えである。つまりは国家とは、事実の産物というより、なによりもまず意識の産物なのだ。この規定は近代政治思想の基礎をなしている。
 そしてここで決定的に重要なのが、ヘーゲルの哲学において、市民社会から国家へのその移行が、たんなる歴史的あるいは社会学的な展開としてではなく、人間の精神的な向上と結びつけて語られていたとである。
 
 
 ヘーゲルによれば、人間はまず家族のなかで「自然的な倫理的精神」として現れる。ひらたく言えば、家族の愛に包まれた自足した存在として生きることになる。しかしつぎに家の外に出る。市民社会に入る。市民社会というのは、ひととひととが、愛ではなく言語や貨幣を媒介に交流する領域のことである。そこではひとは、みな他者の欲望を介して自分の欲望を満たすようになる。ヘーゲルの言葉を使えば「利己的目的は、おのれを実現するにあたって[・・・・・・]普遍性によって制約され」るようになる。それは、ひとが、主観性と客観性特殊性と普遍性、つまりは私と公のあいだで引き裂かれた存在となることを意味している。
 市民社会のなかの人間は、ひらたく言えば、愛のなかで自足できなくなり、自分が他人から見たらどう見えるのか、自分は社会のなかでなにをやるべきなのか、そのことばかり考えなければいけなくなるのである。
 そして最後に、国家が、まさにその分裂を統合する契機として現れるヘーゲルによれば、ひとは国家に所属し、国民になることによってはじめて、公的=国家的な意志を私的な意志として内面化し、普遍性を特殊性のなかで経験するようになる
というよりも、ヘーゲルの考えでは、そのような内面化の実現(特殊性と普遍性の統合)こそが、国家なるものの精神史的な存在意義なのだ。
『一般意志2.0』の読者のため付け加えておけば、特殊性と普遍性を統合する「国家意志」というこの奇妙な概念の想定こそが、ヘーゲルルソーの「一般意志」の解釈として引き出したものであり、すなわちルソー問題(個人主義全体主義の分裂)ヘーゲルなりの解決になっている。
 ひとは、家族から離れ、市民を経て、最後に国民になることではじめて成熟した精神に到達する。「個々人の最高の義務は国家の成員であることである」とヘーゲルは記している。
 
 
 
カール・シュミット(1888 - 1985)
政治的なるものの本質は友(自国民)と敵(テロリスト)を公的な基準で分けることにある
 
おそらくは彼ら「まじめかふまじめかわからないテロリスト」をより正確に表象することができるのは、シュミット的な「敵」ではなく、むしろドストエフスキーが前掲の小説で描いたような「地下室人」のイメージである。二一世紀のテロリストは、シュミット的というよりもドストエフスキー的、言い換えれば政治的というよりも文学的な存在なのだ。
 
友敵理論」――政治が政治として機能するのは「友」と「敵」が峻別されているときだけだという、たいへん大胆な理論。
 『政治的なものの概念』(1932)
 抽象的な判断には、必ずその判断の基礎となる固有の二項対立がある。たとえば、美学的な判断は美と醜の二項対立(美しいかどうか)に、倫理的な判断は善と悪の二項対立(正しいかどうか)に、経済的な判断は益か損かの二項対立(儲かるかどうか)に支えられている。それらの対立はすべて原理的に独立している。美しいけれど正しくないことや、正しいけれど儲からないといったことは、世のなかにいくらでもある。ぼくたちがそのような判断ができるのは、美学と倫理と経済が独立した判断の範疇を構成しているからである。判断の独立性は、それぞれ固有の二項対立をもっていることで保証されている。
 
 友敵理論はじつに危険な思想である。とはいえ、それは単純に危険だという理由で排除できるものでもない。なぜならば、それは、ユダヤ人が嫌いだとかドイツ国家の偉大さを示したいといった感情的な理由だけで作られたものではなく、国家とはなにか、人間とはなにかを考え抜いた結果として、論理的に引き出された理論でもあったからである。
 
 グローバリズム(二〇世紀初頭の自由主義)を批判する論者は、むかしもいまも数多くいる。彼らは多くの場合、グローバリズムの導入は自国産業にとって損になると、あるいは自国文化を破壊するといった主張を展開する。けれども、シュミットはその類の議論には関わらない。なぜならば彼の考えでは、そのような批判は、政治的な判断に経済的あるいは美学的な判断(グローバリズムは損だ、あるいは醜いといった判断)をもちこんだものにすぎず、結局は政治の価値を損なうものだからである。
 
国家が存在しなくなったら、政治は存在しなくなる政治が存在しなくなったら、人間は人間でなくなってしまうシュミットは人間が人間であるために、グローバリズムを拒否するのだ。これ以上に強い批判の論理があるだろうか。
 
 
 
 
アレクサンドル・コジェーヴ(1902 - 1968)
1947年『へーゲル読解入門』
(※彼の仕事で有名なのは、1933年から1939年にかけてパリで行ったヘーゲルについての講義である。のちに哲学や文学の分野で大きな仕事を成し遂げる者たち(ラカンバタイユメルロ=ポンティブルトンなど)がこの講義を聴講していた。講義は後に『ヘーゲル読解入門』として出版されることとなる。)
 
 人間が人間として生きる「歴史」は本質的に1806年のイエナの戦い(ナポレオン戦争)で終わっていたのであり、二〇世紀のふたつの大戦は、現在がすでに「ポスト歴史」(歴史の終わりのあとの時代)に入っていることを確認させるものにすぎなかったと述べた。
のち二〇世紀も終わり近くになって、アメリカの政治学者、フランシス・フクヤマがこの図式を援用して「歴史の終わり」論を主張し、同名の著書(『歴史の終わり』)が世界的なベストセラーとなったので、そちらを経由して知っている読者が多いかもしれない。ただしフクヤマのほうは、歴史の終わりを確認する契機を冷戦の終焉に定めている。
 
 人間の歴史が終わるとはいかにも奇抜な主張に聞こえるが、この背景にも、シュミットの思想と同じくヘーゲル独特の人間観が横たわっている。ヘーゲルの考えでは(コジェーヴが解釈し要約したへーゲルの考えでは)、人間とは、みずからの存在を賭けて他人の承認を求め、環境を変革し続ける精神的な存在にほかならない。
「人間は自己の人間的欲望、すなわち他者の欲望に向かう自己の欲望を充足せしめるために自己の生命を危険に晒し、それによって自己が人間であることを「証明」する。[・・・・・・]このまったくの尊厳を目指した生死を賭しての闘争がなかったならば、人間的存在者は地上に存在しなかったであろう」
 裏返して言えば、誇りを失い、他人の承認も求めず、与えられた環境に自足している存在は、たとえ生物学的には人間であってももはや精神的には人間とは言えないというのが、コジェーヴヘーゲルの考えである。だから、人類がみなそのような自足した存在になってしまえば、人間の歴史は――種としての人類そのものが存続したとしても終わる。(※のちに日本に来て撤回する)
 
シュミットコジェーヴもともに、人間と人間の生死を賭けた闘争がなくなり、国家と国家の理念を賭けた戦争が解消され、世界がひとつになり消費活動しか存在しなくなった時代における人間の消失を問題にしている。シュミットはそれを政治の喪失(自由主義)と呼び、コジェーヴ歴史の終焉動物化と呼んだ。
 
 シュミットコジェーヴグローバリズムに抵抗した。国境を越え、均質な消費社会で世界を覆うグローバリズムは、彼らにはヘーゲルの人間観への深刻な挑戦に見えた。
 
 
 
 
ハンナ・アーレント(1906 - 1975)
「消費」「労働」「匿名」
1958『人間の条件』。
 
 アーレントはなにが人間の条件になると考えたのか。
アーレントは、人間が行う社会的な行為(アクティヴィティ)を三つに分類している。
活動(アクション)仕事(ワーク)労働(レイバー)
そして彼女は、「活動」と「仕事」は人間の生に意味を与える「労働」は意味を与えない、にもかかわらず現代社会では労働が優位になっているのが問題だ、と議論を立てた。
 
「活動」ギリシア市民の政治的な(ポリス的な)行為をモデルに考えられた理念型である。それは具体的には、広場=公共空間(アゴラ)にすがたを現し、演説をし、他人と議論するといった言語的で身体的な行為を意味している。
二一世紀のいまであれば、議会への立候補や政治集会での演説に加え、市民運動に参加したりNPOで社会奉仕を行ったりするような行為を広く指す言葉だと理解すればいい。
 
 対して「労働」は「人間の肉体の生物学的過程に対応する行為」。生物学的過程に対応するとは、つまりは、そこでは身体の力だけが問われるということを意味している。それは現代で言えば、コンビニやファストフード店のバイトのような、だれが行っても同じで、人数と時間のみで換算される賃労働を名指している。
 そしてここで重要なのが、アーレントがこのふたつの概念を、行為者の固有名性に注目して対置していることである。固有名性とは、ひらたく言えば「顔」「名前」の問題のことである。アーレントは、活動においては行為者の固有名性が決定的に重要だと考える。実際、政治家の演説において重要なのは、なにを述べているかという内容よりも、むしろだれがその演説をしているかという「顔」のほうである。
他方で労働では顔や名前はまったく重要ではない。工場労働者やバイト店員は匿名の数にすぎない。実際、コンビニに商品を買いに行くときに、だれがレジの担当者かを気にする消費者はほとんどいないだろう。どの店舗かすら気にしていないかもしれない。
労働においては、アーレントの言葉を借りれば、顔のない「生命力」が売買されているにすぎないのである。
 
しかし、このアーレントの哲学は、理論的には大きな弱点を抱えていることも知られている。
なぜならば、そもそも彼女がモデルとして参照した古代ギリシア都市国家は、奴隷制のうえに成立していたものだったからである。
 古代ギリシアではたしかに、顕名で公共的な「人間」と匿名で私的な「労働する動物」が明確に分かれていたかもしれない。アーレントはその区別を現代に復活させることを提案した。けれども実際にはそこには、顕名の市民たちによる活動=政治=ポリスは、彼ら市民がそれぞれ所有する奴隷たちの匿名の労働=家政=オイコスで支えられるという、じつに残酷単純な下部構造があったのである。
だとすれば、その区別を現代にそのままもちこみ蘇らせようとすることは、はたして適切な選択だろうか。
政治活動やボランティアの公共的な価値ばかりを強調し、労働に関わっているかぎり人間は人間になることができないと論を立てるのは、むしろ労働の現場から生まれるさまざまな思考を政治の場から排除することにつながるのではないだろうか。
ひらたく言えば、アーレントこそが、コンビニバイトをいちばん人間扱いしていないのではないだろうか。
 
 
 
 ぼくがここでアーレントの例を出したのは、一般に彼女が、シュミットコジェーヴ、とりわけシュミットとは対照的な思想家だと考えられているからである。実際、ナチスに協力したシュミットと、ナチスの迫害を恐れ亡命したユダヤ人のアーレントは政治的に対極に位置している。アーレントは左翼で、シュミットは右翼である。けれども、そのようなイデオロギーの意匠を剥ぎ取ると、彼らの思想は驚くほど近い構造をもっている。
 どういうことか。シュミットコジェーヴアーレントも、一九世紀から二〇世紀にかけての大きな社会変化のなかで、あらためて人間とはなにかを問うた思想家である。そこでシュミット友と敵の境界を引き政治を行うものこそが人間だと答え、コジェーヴ他者の承認を賭けて闘争するものが人間だと答え、アーレント広場で議論し公共をつくるものこそが人間だと答えた。答えはいっけん三者三様だが、彼らが人間と対比したものを考えると、共通の問題意識が浮かびあがってくる。
 
シュミット友敵理論を構築したのは、友と敵の分割を気にせず、経済的な利益だけを追求する人間(自由主義者)が現れたからである。
コジェーヴ闘争の精神をもち歴史をつくるものこそが人間と主張したのは、闘争も歴史も必要とせず快楽に自足する人々(動物的消費者)が現れたからである。
そしてアーレントが『人間の条件』を執筆したのは、ふたたび引用を繰り返せば、「自分の肉体の私事の中に閉じ込められ」た、他者を必要としない「労働する動物」が現れたからである。
 コジェーヴは動物的な消費者を批判し、アーレントは「労働する動物」を批判した。近代の大衆社会では労働者はそのまま消費者になる。だから労働の問題と消費の問題は表裏一体である。
 
 実際、アーレント消費もまた労働と同じ論理で批判している。彼女によれば、労働は生命力を貨幣に変え、消費はその貨幣で動物的欲求を満たすだけの行為である。労働が公共につながらないように、消費も公共につながらない。彼女はつぎのように記している。
〈労働する動物〉の余暇時間は、消費以外には使用されず、時間があまればあまるほど、その食欲は貪欲となり、渇望的になる」。
したがって、「苦痛と努力の足枷から完全に「解放された」人類は、世界全体を自由に「消費」するようになり、人類が消費したいと思うすべての物を日々自由に再生産するようになるだろう」が、その「ユートピア」で生まれるのは「幸福」を追求する「大衆文化」だけで、人間の生になにも意味を与えてくれないだろう。
 
 シュミットコジェーヴアーレントは同じパラダイムを生きている。彼らはみな、経済合理性だけで駆動された、政治なき、友敵なきのっぺりとした大衆消費社会を批判するためにこそ、古きよき「人間」の定義を復活させようとしている。言い換えれば、彼らはみな、グローバリズムが可能にする快楽と幸福のユートピアを拒否するためにこそ、人文学の伝統を用いようとしている
 
 本書が「観光客」について考えることで乗り越えたいのは、まさにこの無意識の欲望である。
二○世紀の人文学は、大衆社会の実現と動物的消費者の出現を「人間ではないもの」の到来として位置づけたそしてその到来を拒否しようとした
しかし、そのような拒否がグローバリズムが進む二一世紀で通用するわけがない。実際、人文学の影響力は今世紀に入って急速に衰えている。だから、ぼくたちは人文学そのものを変革する必要がある。それが、本書の基礎にある危機意識である。
 
 
 
 シュミットアーレントたちのあと、二〇世紀の後半には、表面的には、大衆社会や消費社会の分析に取り組む学派があちこちで現れる。
フランス語圏におけるジャン・ボードリヤールロラン・バルトのような記号論的な消費社会分析、英語圏における文化研究(カルチュラル・スタディーズと呼ばれる文化社会学の一派、あるいはドイツ語圏のフリードリヒ・キットラーノルベルト・ボルツなどである。
ポストモダニズムと呼ばれるのはだいたいそれらの組み合わせで、いわゆる「現代思想」の業界でよく参照されるのはむしろその動向である。
だからそちらを知る読者は、人文思想が大衆社会を排除したなんていつの話だと疑問に思うかもしれない。
そもそもその業界では、ヘーゲルの政治観や人間観はとっくに乗り越えられたことになっている
 しかし実際には、その生半可な理解のほうが罠なのである。なぜならば、現実を見れば、いま名前を挙げたポストモダニストたちの社会分析や文化分析が――個別の現象や作品の解釈であるていどの成果をあげたとはいえ――公共とその外部、人間とその外部、政治とその外部を分割する二項対立の解体にいっさい手をつけることができず、また現実の政治にもほとんど影響を与えることができなかったことは明らかだからである。
 ポストモダニストはたしかに、政治とその外部を「脱構築」すると主張していた。そしてそれは学会や一部読者層のあいだで流行はした。しかし、現実の社会においては、そのような彼らの主張そのものが、非政治的なもの(戯れ)として政治の外部に排除されたと言える。
彼らポストモダニストたちの仕事はときおり「文化左翼」と総称されるが、その命名(文化)そのものが、彼らの仕事が政治的なものだと見なされていないことを証拠だてている。
実際に2017年のいま、国内でも国外でも、いわゆる「現代思想」の担い手は、文化左翼に甘んじ大学のなかで文学批評や芸術批評を講義するかあるいはすべての理論を捨てて(つまりポストモダニストの矜持を捨てモダニストに戻り)、古い「政治」のスタイルを受け入れデモに参加し街頭に出るか、どちらかしかできなくなっている。そこでは政治とその外部の対立がみごとに再生産されている
なにひとつ脱構築されていないし、なにひとつ変わっていない。ぼくはその状況に思想の敗北を見る。
だから、ぼくは、もういちど基礎の基礎に戻り、近代思想の人間観と政治観を、過去のテクストの小手先の解釈変更などに頼るのではなく、根本から問いなおすべきだと考えるのだ。
 
 
 
 
・<ジャック・デリダ(1930 - 2004)>
「誤配」
エクリチュール」(文字)――「パロール」(話し言葉)と対をなし、デリダにおいては、文字は話し言葉から派生するものだが、しかし話し言葉もまた文字なくしては成立しないというねじれた相互依存を範例に、ものごとの本質が非本質に本質的に依存してしまう関係を一般に意味する概念として使われている。
ここでぼくが「福島」と「フクシマ」に見いだしているのは、まさにそのねじれた関係の問題である。観光地化とはエクリチュールのことなのだ。
 
 
 
 
ロバート・ノージック(1938 - 2002)
リバタリアニズムは個人の自由を尊重するので、ときにアナーキズム無政府主義)に近づくことになる。
1974『アナーキー・国家・ユートピア』 リバタリアニズムの理論的な出発点
ジョン・ロックの自然状態の想定に戻り、個人の原始的な所有権の確認から始めて、国家が暴力を独占し個人の権利を制限することがどこまで正当化されるのか、石をひとつひとつ積み上げるようにして、きわめて緻密な議論を展開している。
彼の結論は、国家は最小国家(市民を暴力や犯罪から保護し、契約の執行を支援するだけの国家)であるかぎりでのみ道徳的に正当化されるのであって、それ以上の大きさになるのは不当だというものである。
 
本書の文脈で注目すべきは、このリバタリアニズムの国家論が、前章で見たヘーゲルらの国家論とまったく異なる性格をもっていること。
 ノージックが考える最小国家には、ヘーゲルシュミットが前提としていた弁証法的(精神史的)な機能がいっさい存在しない。
そこでは国家は、異なった利害をもつ複数の個人がともに生きることを可能にするための、ぎりぎり最低限の調整装置としてのみ考えられている。
最小国家は個人の欲望をなにも変えない。個人を国民にしない。それどころか、それはむしろ、個人を国民にする機能(たとえば教育)を、外部にオプションとして追加するための価値中立的な基体として考えられている。
ノージックは、彼の考える最小国家を「複数のユートピアのための枠組み」(メタユートピア)と形容している。
つまりは、リバタリアンの「国家」は、政治=人間の層というよりも、むしろ徹底して脱政治的な、経済=動物の層に属するメカニズムとして考えられているのである。だからこそ彼らは、国家について民間企業と同じように論じることができる。
 これは、リバタリアニズムの理論が、国家と政治と人間を等式で結ぶヘーゲルパラダイムから自由に作られている可能性を示唆している。これは決定的に重要である。
左翼のリベラリズムに対して右翼のリバタリアニズムといったイデオロギー対立に基づく解釈は、この重要性のまえではほとんど意味がない
ヘーゲルパラダイムから自由なのだから、ここには新たな政治思想の萌芽が宿っている。
 
 
 
 
・<ジョン・ロールズ(1921 - 2002)>
二〇世紀のリベラリズムの理論は、1971『正義論』で整備されたと言われている。
ノージックの『アナーキー・国家・ユートピア』はじつはこの『正義論』への批判として書かれた著作で、リバタリアニズムはそこから生まれた。
 
同じようにコミュニタリアニズムも、『正義論』への批判として書かれた著作から生まれている。
マイケル・サンデルの『リベラリズムと正義の限界』(1982)。
サンデルはそこで、ロールズの議論は普遍的な正義を追求する普遍的な主体(負荷なき主体)の存在を前提としているが、それはあまりにも強すぎる仮定であり、実際には政治理論は、特定の共同体の特定の価値観(正義ではなく善)を埋めこまれた主体しか前提とすることができないと主張した。
この著作がきっかけになって、1980年代から1990年代にかけて、英語圏政治学でリベラルとコミュニタリアンのあいだで継続的な論争が起きた。
<※「善(the good)」とは、特定の個人や社会にとって、自己をより幸福にしてくれること(あるいはその状態)のこと。人々は、それぞれが自分の「善」の構想(≒価値観)を持ち、その「善」に従って自分の人生選択をするもの。
正義(justice)」とは、権利が守られ、みんなが合意した法・ルールによって正しく問題解決されることで、日本語の「権利(right)」に近い意味を持つ。
ロールズは、人々が持つ「善」は多様であるから、それを社会の法・ルールで規制するべきではない。そのため、すべての人が合意できる「正義」に限定して法・ルールを検討するべきと考えた。>
 
 
・リベラル・コミュニタリアン論争の核心。
リベラルは普遍的な正義を信じるコミュニタリアンはそんな正義は信じない。それだけである。
そして前者の普遍的な正義を信じる思想は個人から市民社会へ、国家へ、そして世界市民といった単線的な物語を信じたカントヘーゲルの後継者として現れている
 カントたちは、個人が国民になり、そこで終わりだとは考えなかった。特定の国家への所属は、それを超えた普遍的な主体への上昇の一段階にすぎないと考えられていた。一九世紀のナショナリズムは、現代の内閉的なナショナリズムと異なり、永遠平和(カント)や世界精神(ヘーゲル)に通じていた
リベラルはまだその発展図式(弁証法)を信じている。それに対してコミュニタリアンはもう信じない。本質はそこにある。
つまりはそれは、ヘーゲルパラダイムが壊れたことに対応する現象にすぎない。
対してリバタリアニズムの出現は、前述のように、そのパラダイムを超える理論の可能性を宿している。
 
 ぼくはさきほど、グローバリズムは、ナショナリズムを破壊するのではなく、それを温存したまま、そのうえに異質な別の秩序を覆い被せたのだと述べた。しかしそれにはちょっとした注釈が必要である。
 グローバリズムはたしかにナショナリズムを温存した。けれどもなにも変質させなかったわけではない。
かつてナショナリズムは世界精神への上昇の第一歩だったしかしいまはその上昇は存在しない世界精神は世界市場に取って代わられたからである。
ナショナリズムはいまでは、永遠にナショナリズムのまま、つまり特定の共同体への愛のまま普遍化されることがない
コミュニタリアンリベラリズム批判は、現代のナショナリズムのそのような不能性に対応している。
 
 リバタリアニズムグローバリズムの思想的な表現で、コミュニタリアニズム現代のナショナリズムの思想的な表現である。
そしてリベラリズムは、かつてのナショナリズムの思想的な表現だ。
 リベラリズムは普遍的な正義を信じた。他者への寛容を信じた。けれどもその立場は二〇世紀の後半に急速に影響力を失い、いまではリバタリアニズムコミュニタリアニズムだけが残されている。
リバタリアンには動物の快楽しかなくコミュニタリアンには共同体の善しかない
このままではどこにも普遍も他者も現れない。それがぼくたちが直面している思想的な困難である。
 
 
 
 
マルチチュード」「帝国
 
『〈帝国〉―グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』 (2003)
帝国」――グローバル化が進む冷戦後の世界を「帝国」と呼び、それは、複数の主権国家合従連衡からなるそれまでの秩序とは異なる、まったく別の秩序を生みだしているのだと述べた。
 
帝国とは、グローバルな経済的あるいは文化的な交換をスムーズに機能させるため、国民国家とはべつに、国家と企業と市民がともにつくりあげる新たな政治的秩序
国民国家の体制」はナショナリズムの層、「帝国の体制」はグローバリズムの層に相当。
 動物=グローバリズムの層こそがつくりだす政治、人文思想が伝統的に政治的思考から排除してきたものこそがつくりだす政治的秩序
 
 
ネグリたちは、国民国家の体制から帝国の体制への「移行」について考えた。つまり、国民国家の時代はじきに終わり、帝国の時代が始まると考えた。本書は両体制の共存について考えている。
 
国民国家の体制とでは規律訓練」が優位、帝国の体制では生権力」が優位。
 規律訓練のほうは、権力者がああしろこうしろと命令し、懲罰を与えることで対象者を動かす権力。懲罰があるので規律訓練と呼ばれる。
生権力のほうは、あくまでも対象者の自由意志を尊重しながらも、規則を変えたり価格を変えたり環境を変えたりすることで、結果的に権力者の目的どおりに対象者を動かす権力を指す言葉である。対象者の社会的な生活に介入するという意味で生権力と呼ばれる。
 
 
マルチチュードとはなにか。
 帝国の内部から生まれる帝国の秩序そのものへの抵抗運動(対抗帝国)を広く指す言葉として捉えなおした。
 反体制運動や市民運動のことだが、ただ、かつての運動とは異なりグローバルに広がった資本主義を拒否しないむしろその力を利用する
 
 
 ネグリとハートも、マルチチュードの概念を説明するにあたり、同じようにアーレントに批判的に触れている。そこで彼らが批判するのは、「政治的なもの」と「社会的なもの」を徹底して分割し、政治的解放を経済的要求に基づく運動(階級闘争)から切り離そうとするアーレントの理論的な傾向である。
 
ネグリたちは、マルチチュードとは、まさにその分割をしない運動のことだと主張している。マルチチュードは自分の生(オイコス)から運動を始める。労働や生活の現場から運動を始める。そして帝国の批判にいたる。
 
 マルチチュードの概念には致命的な欠点がある
ネグリたちは、マルチチュードが集まり声を上げさえすれば、あとはネットの力によってなんとかなると、そう記しているように思われるのである。そこで問われるのは信じる力である。あるいは「愛」である。
 新しい運動は、党も要らない、イデオロギーも要らない、指導者も要らない。反資本主義的である必要もない。ただネットワークの力を信じればいい。愛があればいい
 
 マルチチュードの概念はなぜこのような弱点を抱えてしまったのだろうか。ぼくの考えでは、おそらくふたつの原因がある。
 ①ネグリとハートの議論が「一元論」であること『帝国』の世界には帝国しか存在しないしかもひとつの帝国しか存在しない。その「単一性」が彼らの議論の肝である。
彼らの議論では、世界には帝国しか存在しないので、マルチチュードは帝国に依存して生まれることになるし、帝国への抵抗もまた必然的に帝国に依存して行われることになる。帝国が帝国の敵をみずから生みだし、帝国内で闘いあうというこの自己循環的構図が、マルチチュードの運動論を決定的にあいまいなものにしている。
 
 ②彼らのマルチチュードの概念が、そもそも先行するポストマルクス主義の運動論に少なからぬ影響を受けていること。
 いまでは『帝国』の議論が突出して知られているが、同書出版以前にも、新たな運動論を模索する議論はいろいろと行われていた。
そこでとりわけ大きな影響力をもっていたのが、エルネスト・ラクラウシャンタル・ムフが一九八〇年代に提示した「根源的民主主義」(ラディカル・デモクラシー)論
彼らの関心は、共産主義革命への信頼が失われた世界において、つまり、ひらたく言えば左翼の「大きな物語」が壊れた世界においていかにしてさまざまな抵抗運動のあいだに連帯をつくりだすかという問いにあった。根源的民主主義は、そこで提案された新たな連帯の構想の名称。
 
 スラヴォイ・ジジェクが1989年の『イデオロギーの崇高な対象』で行った要約。
「そこには[根源的民主主義には]、個々の闘争(平和運動エコロジーフェミニズム、人権運動など)の結合がみられるが、そのどれか一つが、「真理」、最後の「シニフィエ」、他のすべての運動の「真の意味」だというわけではない。しかし、「根源的民主主義」というタイトルそのものが示しているように、これらの闘争を結合しうるということ自体が、ある一つの闘争が「結節的な」決定的役割を果たすことを示唆している」。
 ここでジジェクが指摘しているのは、ラクラウたちの新たな連帯の構想においては、じつは重要なのは個々の抵抗運動の中身ではなく、連帯の事実そのものになっているということ。かつては共産主義が「大きな物語」として機能し、それら多様な抵抗運動にひとつひとつ意味を与えていたそして連帯に根拠を与えていたしかしもはや共産主義は機能しない。となってくると、とにかく中身は関係なく連帯をしていくしかない現代のヘゲモニー闘争では、むしろその連帯の事実こそが効果を発揮する
 
 根源的民主主義――「否定神学」 
 
・「リベラリズム」と呼んでいるもの、それは要は普遍主義のプログラムである。
あらゆる人間にあらゆる権利が等しく認められるべきであり、あらゆる人間のあらゆる尊厳が尊重されるべきだという寛容のプログラムである。ぼくたちは、自分を尊重するのと同じように、あらゆる人間を尊重しなければならない。
その倫理の起源はカントに遡る。彼は『実践理性批判』で、「君の意志の格律が、いつでも同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ」という有名な命法を書き記した。
 ぼくたちはいま、まさにその普遍主義のプログラムが崩れ落ちる時代に生きている。
思想的にはその予兆はあった。ポストモダニズムと呼ばれる理性批判の隆盛がそのひとつだし、英語圏リベラリズムコミュニタリアニズムリバタリアニズムに分解したのもまた予兆だったと言うことができる。
 
 
 マルチチュードふたつの致命的な弱点
帝国の内部で、帝国自身の原理から生みだされる反作用だと考えられていた。
多様な生を多様なまま共通点なくして連結する、否定神学的」な連帯の原理に依存するものだと考えられていた。
 
 郵便とはなにか。
 「否定神学」=存在しえないものは存在しないことによって存在するという、逆説的な修辞を指す言葉。
 「郵便」=存在しえないものは端的に存在しないが、現実世界のさまざまな失敗の効果で存在しているように見えるし、またそのかぎりで存在するかのような効果を及ぼすという、現実的な観察を指す言葉。
 
本書ではその失敗を、『存在論的、郵便的』を引き継ぎ誤配と呼ぶ。
否定神学では、神は存在しないがゆえに存在すると考える。
郵便的思考では、神はとりあえず存在しないが、現実にはさまざまな失敗があるがゆえに存在しているように見えるし、またそのかぎりで現実に存在するかのような効果を及ぼすと考える。
 
 
 
 
 住民が観光客を認めないように、原作厨は二次創作を認めない。しかし、同時に、住民の経済が観光客なしには成立しないように、原作厨の喜びもじつは二次創作(二次創作的な実写ドラマ化や実写映画化)なしには存在しない。なぜならば、それこそが原作者を潤わせるからである。
実際、それがいくら「原作とちがう」ものだったとしても、実写ドラマ化や実写映画化によって、原作は売れ、より広い読者を獲得するのが現実である。
 
ある時期以降(おおざっぱには1995年以降)のオタク系コンテンツは、大なり小なり、みな最初から二次創作の想像力を内面化するようになっている。二次創作の市場が一定規模を超えると、作家はみなあらかじめ二次創作で読み替えられる可能性を考えるようになるし、その読み替えを先取りしてキャラクターを作ったほうが商業的に成功しやすいと判断するからである。
その結果、市場に流通する物語やキャラクターは独特の偏りを帯びてくる
キャラクターの設定やデザインは、二次創作されやすいように「萌え」化するし物語のほうも、最初からいくらでもスピンオフを作ることができるように、パーツに分かれたデータベース化が進むことになる。
あるゲームのジャンルでは、物語の二次創作(読み替え)が先取りされた結果、同じ事件がいくども繰り返すループ(時間の反復)のモチーフが流行したりすることになる。
 これはポストモダン社会ではじつに一般的な現象だと言える。
 
 オタク文化にかぎらず、現代社会においては、ある作品が、それ自体の価値だけで評価され流通することはほとんどない
あらゆる作品は、「ほかの消費者がその作品をどう評価するか」、そして「自分がこの作品に評価を与えたとして、ほかの消費者は自分のその評価についてどう考えるか」といった、「他者の視線」を内包したかたちで消費されることになる
 それは理論的には、かつてケインズが「美人投票」の例で語り、ルネ・ジラールが「欲望の三角形」という言葉で語り、社会システム理論が「二重の偶有性」と命名した現象である。
 かりにそれらの言葉を知らなくても、フェイスブックの「いいね!」機能を思い浮かべれば、その本質はたやすく理解することができる。
ひとは、気に入った投稿を素朴に「いいね!」するわけではないむしろ「いいね!」をつけると他人からの評判が上がるものに対してこそ、積極的に「いいね!」をつけていく
そのため、ネットワーク全体で見ると、政治のような、ひとにより賛否が分かれる厄介な話題は避けられ、猫画像や料理画像のような「無害」なコンテンツにどんどん「いいね!」が集まっていくことになる。
ぼくたちはいま、「他人の欲望を欲望する」(他人のいいね!にいいね!する)カニズムが、かつてなく猛威を振るう世界に生きているのである。
 
 ぼくは『ゲーム的リアリズムの誕生』で、そのような状況は新しい批評の視座を求めると主張した。
そこでは、作品を分析するにあたって、まず作品自体の評価があり、つぎにその消費環境があるという常識的な順序が適用できない。
作品自体があらかじめ消費環境を織りこんでいるので、分析者もそれを考慮して作品に向かわなければならない。
いわば「メタ作品」を分析する「メタ視線」が必要になる。
二次創作を想定して原作が作られるというのは、まさにその状況の好例である。
 
 小説でも映画でもマンガでもなんでもよいが、作品を愛するひとというのは、たいていの場合、作品そのものの読解を重視し、その消費環境についての分析は「社会学的なもの」として排除しがちである(いまでも文芸誌にはそのような時代錯誤な批評が溢れている)。
 けれども現代においては、作品の内部(作品そのもの)と外部(消費環境)を切り離し、前者だけを対象として「純粋な」批評や研究を行うという態度、それそのものが成立しない
外部が内部にどのように繰りこまれているのか、そのダイナミズムを理解しなければ批評も研究も存在できないのだ。
ぼくは『ゲーム的リアリズムの誕生』で、そのダイナミズムへの注目を環境分析」的読解と名づけた。
 
 
 もともとポストモダンあるいはポストモダニズムという言葉は、一九七〇年以降の時代を示す文化史的な概念にすぎない
その時期に現代社会のありかたが大きく変容したのは事実であり、それ以降の時代は以前とはなんらかの言葉で区別しなければならない。
フランス人はそれをポストモダンと呼んだ。それだけである。
 それゆえ表現はちがっても似た概念を使う学者は多くいる。たとえば、ウルリッヒ・ベックアンソニー・ギデンズのような非フランス語圏の社会学者は、ほぼ同じ事態を再帰的近代化と呼んでいる。
 再帰性」とは、自分の行動が他人にどう見えるのかをつねに意識して行動を決定する、そのようなメタな態度の名称であり、つまりは「他者の欲望を欲望すること」の名称である。
 ぼくたちはまさに「他者の欲望を欲望すること」が全面化する社会に生きている。
 この点ではポストモダンはまったく終わっていない。否、それどころか、ポストモダンがますます深くなった時代に生きている。
 二一世紀のポストモダンあるいは再帰的近代の世界においては、二次創作の可能性を織りこむことなしにはだれも原作が作れず、観光客の視線を織りこむことなしにはだれもコミュニティがつくれない
 本書の観光客論はこのような射程のなかで構想されている。二次創作者はコンテンツの世界での観光客である。裏返して言えば、観光客とは現実の二次創作昔なのだ。
 
 
 
二層構造の時代
グローバリズムナショナリズムを破壊したのではない。それを乗り越えたのでもない。ましてやその内部でナショナリズムを生みだしたのでもない。
それは、単純に、既存のナショナリズムの体制を温存したまま、それに覆い被せるように、まったく異質な別の秩序を張りめぐらせてしまったのである。
 
 二層構造の時代においては、政治がいくらいがみあっていても経済はつながり続けるのだから、もし国際関係をポンチ絵にしたてあげるとすれば、それは、各国が独立の人間として表象されるのではなく、むしろ人間としての独立性を失い、ひとつにつながった「身体」(市民社会)のうえに、ばらばらに「顔」(国家)だけがくっついているような絵になると考えられる。
 
 経済はつながるのに、政治はつながらない時代。欲望はつながるのに、思考はつながらない世界。下半身はつながっているのに、上半身はつながりを拒む時代。それが二層構造の時代の世界秩序だが、最後に、さらに下品との非難を浴びるのを承知のうえで連想を進めるとすれば、この時代においては、国民国家(ネーション)間の関係は、しばしば、愛を確認しないまま、肉体関係だけをさきに結んでしまったようなものになりがちだと言うことができるのかもしれない。
 
けれども結局は、関係が切れないなら、覚悟を決めて愛を育てるしかない。それは人間関係でも国際関係でも同じではなかろうか?
 
 
 
 
ネットワーク理論
 1990年代に、ダンカン・ワッツスティーヴン・ストロガッツが「スモールワールド」(図3b)を発見し、
アルバート=ラズロ・バラバシレカ・アルバートスケールフリーを発見したことで、理論は飛躍的に発展することになる。
 
 その新しい理論によれば、ぼくたちが生きる人間社会――正確には人間社会が含まれる「複雑ネットワーク」一般――は、大きなクラスター係数」「小さな平均距離」「スケールフリーという三つの特徴を備えているとされる。
 
「大きなクラスター係数」
「小さな平均距離」
 
 
図3bはじつは、図3aの枝のわずか一五パーセントをつなぎかえたグラフである。
それでも点Aから点Bへの距離は、6から3へ縮まっている。
彼らはこのようなグラフを「スモールワールドグラフ」と名づけ、これこそが人間が現実につくっているネットワークの表現に適していると主張した。
 ネットワーク理論では、大きなクラスター係数小さな平均距離をあわせスモールワールド性と呼ぶ(小さな平均距離だけをそう呼ぶこともある)。
人間社会は、数学的に表現すれば、格子グラフでもランダムグラフでも完全グラフでもなく、スモールワールドグラフになる。
 
 ワッツたちのこの発見が教えてくれるのは、人間社会にダイナミズムを与えているのは、他者の絶対的排除でもなければ、他者への完全な開放性でもなく、そのあいだの状態だということだ。
 スモールワールド・ネットワークは、他者へのつなぎかえの確率が0でもなければ1でもない、中間の値のときにこそ生まれるものなのだ。
 
 人間社会をモデル化するために「確率的」な「つなぎかえ」を導入すること=コミュニケーションの誤配を導入したことに相当。
 
 
スケールフリー
これは人間社会の不平等性を表現している。
あるひとには八人の友人がいるが、別のひとにはひとりしか友人がいないような状況。
 ネットワーク理論では、頂点に接続する枝の数を、その頂点の「次数」と表現する。
枝数が偏っていることは、「次数が一様に分布していない」と表現される。
スモールワールドグラフやランダムグラフでは次数分布は必ず偏る。
 
 スケールフリーは、その次数分布に関する特徴を指す言葉である。
 
 スケールフリーは、スケール=規模からフリー=自由、すなわち規模にかかわらず分布が同じかたちをとるという特徴を指す言葉。
 
 スケールフリーなネットワークにおいては、たとえば、枝が一〇本の頂点の総数から一〇〇本の頂点の総数への減りかたが、枝が一〇〇本の頂点の総数から一〇〇〇本の頂点の総数への減りかたに等しくなる
それゆえ、どれだけ枝数が多い頂点を起点としても、さらに枝数が多い頂点が見つかる可能性がけっしてゼロにならない
ひらたく言えば、膨大な数の枝が集中する頂点が少数だが必ず存在し続けるわけである。
これがスケールフリーなネットワークの特徴である。したがって、それは「不平等」なネットワークとも言われる。
 
 
 「成長」「優先的選択」
 ここで成長とは、ネットワークに新しい頂点が加わることを意味し、優先的選択とは、その新しい頂点が既存の頂点に枝を張るときに、接続先として高い次数をもつ頂点を優先して選ぶ(高い次数をもつ頂点を選ぶ確率が高い)という条件づけを意味している。
それらふたつの概念の導入は、あえて哲学的に解釈すれば、バラバシたちが、ネットワーク理論に時間主体(方向性)の概念を導入したことを含意している。
 
 しかし、それはけっして富めるものが貧しいものを「搾取」しているからではない。そもそも数学的観点からすれば、富めるものと貧しいものの区別はほとんどない。ネットワーク理論は、全体の次数分布にのみ関わり、頂点の固有性には関知しない地震(岩盤の歪みの集中)が一定の確率で起こるように、富の集中も一定の確率で起こる。理論は世界の富の偏りは予測できるが、だれが富むのか、だれが貧しくなるのかは予測できない
富の偏りは、一部の富めるものがつくるのではなく、ネットワークの参加者ひとりひとりの選択が自然に、しかも偶然に基づいてつくりだしていくのだ。それが、バラバシたちの発見の教えである。
 
 
 
・「ツリー」と「リゾーム
ドゥルーズフェリックス・ガタリ千のプラトー』(1980)
ふたつの異なったネットワークのかたちをもとに、ふたつの異なった社会思想を構想する可能性。
 ツリーは木を、リゾームは根茎を意味する。木と根茎のイメージそのものについて言えば、両者を対置するのは数学的に正確とは言えない。
二一世紀のネットワーク理論では、むしろ木と格子が対置されている。木と格子の決定的なちがいは、木では一周して出発点の頂点に戻ってくることができないが、格子では戻ってくることができるところにある。木では枝先と枝先は接続しない。格子では接続する。この点では根茎は木に属する。
ドゥルーズガタリは「リゾームのどんな一点も他のどんな一点とでも接合されるし、接合されるべきものである」と記しているが、そうであれば彼らはそれを、根茎ではなく格子と呼ぶべきだっただろう。
 
 しかし、ここで重要なのは、そのような正確さ以前に、とりあえずは思想家たちが、すでに三〇年もまえに、木よりも複雑なかたちをした、なにかしら新しいネットワークのモデルを基礎に新しい社会分析の言語を作ろうとしていたという事実のほうである。木、すなわち幹があり枝があり、分岐が一方向的で、単数の起点があり複数の終点があるネットワークのモデルは、軍や党や巨大企業のような、ひとりのトップを抱え、その命令が位階をたどり順々に現場へと「降りていく」ような近代的な社会組織と親和性が高い。それゆえ、逆にポストモダニストたちは、そのような樹木状のものではない、別のかたちのネットワークについて考えようとした。そこで現れたのがリゾームという言葉である。ツリーリゾームの対置は、前章で見たネグリたちの議論にも入りこんでいる。『帝国』には、リゾームの概念とインターネットのネットワーク構造(「非階層的で非中心的なネットワーク構造」)を等置し、マルチチュードの活動の場はリゾームだと述べた箇所がある。彼らの理論では、国民国家の体制はツリーをモデルとして、帝国の体制はリゾームをモデルとして考えられている。
 
 ネグリとハートのあいまいさは、遡ればドゥルーズガタリのこのあいまいさに帰着する。さらに付け加えれば、前章でも指摘したように、いま重要なのは国民国家から帝国への移行でなく両者の重ね合わせ(二層化)だが、ツリーとリゾームの概念はそもそも重ね合わせることができるように作られていない。それもまた概念のあいまいさに起因する
 
ツリーリゾームのモデルをスモールワールドスケールフリーの概念で置き換える以上のような読み替えこそが、観光客=郵便的マルチチュードの発生機序と戦略について、神秘主義に陥らない洞察を与えてくれるように思われる
 
 
 
ワッツストロガッツは、スモールワールド性を考えるなかで「つなぎかえ」と「近道」を発見し、バラバシアルバートは、スケールフリー性を考えるなかで「成長」と「優先的選択」を発見した。
 
 原始的な格子グラフは、枝の確率的なつなぎかえによってスモールワールドグラフへと変わる。共同体は市民社会へと変わる。けれども、社会を社会たらしめた誤配あるいは確率は、すぐに優先的選択(資本)へと変質し世界に圧倒的な不平等をもたらすのだ。
 
 
 ぼくたちはシュミットネグリと異なり、国民国家の体制がいままでと同じように単独で続くとも、逆に終わってほかの体制にとってかわられるとも考えていない。それは帝国の体制と重なり、世界秩序の一部として存在し続ける。
 本書の仮説によれば、国民国家スモールワールドの秩序が生みだす体制で、帝国はスケールフリーの秩序が生みだす体制である。だから両者は、ツリーリゾームとは異なり、矛盾なく共存することができる。
そのうえでさきほどの「神話」が教えてくれるのは、帝国のその体制はけっして国民国家の体制と対立するものではなく、むしろ国民国家を生みだした契機そのもの、すなわち、スモールワールドの秩序を可能にしたつなぎかえ=誤配そのものが変質し、偶然性を失い、組織化されることによって生みだされるということである。国民国家と帝国はともに同じ誤配から生まれている。誤配がなければ他者との出会いもないが、逆に格差もない。
 だとすれば、ここでぼくたちは、グローバリズムへの抵抗の新たな場所を、帝国の外部に求めるのでもなければ、帝国の内部に求めるのでもなく、むしろ帝国とその外部とのあいだに、すなわち、スモールワールドスケールフリーを同時に生成する誤配の空間そのもののなかに位置づけることができるのではないだろうか。誤配スケールフリーの秩序から奪い返すこと、それこそが抵抗の基礎だと考えられないだろうか。これこそがぼくの最後の提案である。そして、ツリーリゾームスモールワールドスケールフリーで置き換える本書の仮説が可能にする、ドゥルーズネグリたちにはけっして到達できなかった構想である。
 二一世紀の新たな抵抗は、帝国と国民国家の隙間から生まれる。それは、帝国を外部から批判するのでもなく、また内部から脱構築するのでもなく、いわば誤配を演じなおすことを企てる。
出会うはずのないひとに出会い、行くはずのないところに行き、考えるはずのないことを考え、帝国の体制にふたたび偶然を導き入れ、集中した枝をもういちどつなぎかえ、優先的選択誤配へと差し戻すことを企てる。
そして、そのような実践の集積によって、特定の頂点への富と権力の集中にはいかなる数学的な根拠もなく、それはいつでも解体し転覆し再起動可能なものであること、すなわちこの現実は最善の世界ではないことを人々につねに思い起こさせることを企てる。
ぼくには、そのような再誤配の戦略こそが、この国民国家=帝国の二層化の時代において、現実的で持続可能なあらゆる抵抗の基礎に置かれるべき、必要不可欠な条件のように思われる。
二一世紀の秩序においては、誤配なきリゾーム状の動員は、結局は帝国の生権力の似姿にしかならない。
 ぼくたちは、あらゆる抵抗を、誤配の再上演から始めなければならない。ぼくはここでそれを観光客の原理と名づけよう。二一世紀の新たな連帯はそこから始まる。
 
 
 
 
リチャード・ローティ(1931 - 2007)
プラグマティズム」――「真理」とか「正義」とかいった哲学的な言葉はじつは深淵な存在を名指しているわけではなく、ただ日常生活で便利に利用可能な実用的(プラグマティック)な符丁にすぎない、と考える立場。
 一九八九年の著作『偶然性・アイロニー・連帯
「リベラル・アイロニスト」。
その立場の基底にあるのは、公的なふるまいと私的な信念の分裂。
 現代は「公的なものと私的なものとを統一する理論への要求を捨てさる」ことが求められる時代。なぜならば、現代の西側先進国社会では(同書は一九八〇年代に著されている)、たとえば、特定の哲学や宗教を私的に信じるのは自由だが、しかしそれを公的なものとして他人に強制し改宗を迫ることはけっして許されないからである。
 
それが「アイロニスト」と呼ばれるのは、矛盾とともに生きる態度を意味するから。
 自分の私的な価値観がたんなる偶然の条件の産物であることを認める
 
ローティは、現代人は公的なふるまい私的な信念の分裂を受け入れるべきだと説く。
他方でぼくは、現代人は国民国家の体制帝国の体制のあいだに引き裂かれているという認識を記してきた。
 
コミュニタリアニズムは、あらゆる信念は結局は主体が所属する共同体(国民国家)の偶然性に規定されると主張する政治思想であり、
他方でリバタリアニズムは、社会の基盤(メタユートピア)はあらゆる信念に関係なく設計されるべきだと訴える政治思想である。
 
ここでの言葉を使えば、前者が私的な信念の基礎づけに、後者が公的なふるまいの基礎づけに対応する。
ぼくたちはそのようなふたつの思想が並び立つ時代に生きている。
ローティの提案は、いわば、その分裂を「アイロニー」によって再縫合し、リベラリズムを逆説的に復興しようとする試みだったと捉えることができるだろう。
 さて、そのうえで重要なのは、ローティがそこで、書名でも告知されているように、「偶然性」「アイロニー」に続き「連帯」について考えていたことである。
ローティは私的な信念の公共化を認めない。言い換えれば、普遍的な価値の存在を認めない
それではぼくたちは、普遍的な価値の支えなしに、いったいどのようにして他者と関係を結べばよいのだろうか?
ローティはそう問いかけた。それはまた、ぼくたちがここまでさまざまなかたちで問い続けてきた問題でもある。
 ローティの答えはどのようなものだろうか。じつは彼はそこで「感覚」や「想像力」といった言葉をもちだしている。
 
「本書でこれまで主張してきたのは、わたしたちは歴史や制度を超えたものを求めないようにしようということだった。[・・・・・・]わたしがリベラル・アイロニストと呼ぶのは、この感覚[連帯の感覚]が、まえもって他者と共有されたなにものかについての認識としてあるのではなく、むしろ他者の生の細部への想像的な同一化の問題としてあるような、そのような人々のことである」。
つまりは、連帯は共感の力で広がるのだと、ローティはそう記している。
 ローティ普遍的な理念を信じない。だから連帯の基礎として言語や論理は使えない。
プラグマティスの彼が頼ることができるのは、具体的な経験だけである。だとすれば、このような結論にたどりつくのは不可避だと考えられる。
 
 この結論は少なからぬ読者の失望を招くことになった。
共感可能性に基づく連帯などというものは、結局のところ異質な他者の排除を意味するだけではないかそれではほんとうの連帯とは言えないのではないかと厳しい批判を受けた。
実際、ローティはのち一九九八年に出版した『アメリカ未完のプロジェクト』では、国家や伝統に対する「誇り」の機能についておおむね肯定的に語っている。その知識をもって遡行して読むと、『偶然性・アイロニー・連帯』での連帯についての記述もまた、ナショナリズムへの回帰の萌芽のように見えなくもない。
 
 しかしぼくは、ローティがそこで示そうとしていたものは、じつは本書が「誤配」という言葉で名指したものの可能性に近かったのではないかと――少なくとも『偶然性・アイロニー・連帯』の記述をそのように読みなおすことは可能なのではないかと――考えている。
というのも、さきほどの引用にも示されているように、彼がそこで連帯の基礎にしようとしたものは、民族や宗教や文化のような大きな帰属集団が生みだす大きな共感ではなく、あくまでも個人単位での、きわめて具体的な、そして偶然的な「細部」への感情移入にすぎなかったからである。
「われわれ」の感覚は、むしろその細部への共感のあと、事後的かつ遡行的に生みだされる。
ローティは『偶然性・アイロニー・連帯』の最後のページで、彼の考える連帯をつくりだすのは、「あなたは、わたしが信じ欲することと同じことを信じ欲しますか」という問いではなく、すなわち共通の信念や欲望の確認ではなく、単純に「苦しいですか?」という呼びかけなのだと述べている。
 たまたま目のまえに苦しんでいる人間がいる。ぼくたちはどうしようもなくそのひとに声をかける。同情する。それこそが連帯の基礎であり、「われわれ」の基礎であり、社会の基礎なのだとローティは言おうとしている。
これはまさに、つなぎかえがスモールワールドグラフを作った、あの誤配の作用そのものなのではなかろうか。
 
 
 ルソーは人間が好きではなかった。人間は人間が好きであるはずがないと考えていた。人間は社会をつくりたくないはずだと考えていた。
 にもかかわらず、人間は現実には社会をつくる。なぜか。ルソーが『人間不平等起源論』で提示した答えは「憐れみ」だった。憐れみとは、「われわれが苦しんでいる人々を見て、よく考えもしないでわれわれを助けに向かわせる」ものであり、「各個人において自己愛の活動を和らげ、種全体の相互保存に協力している」働きである。もし憐れみがなければ、人類はとうのむかしに滅びていただろうとルソーは記す。憐れみこそが社会をつくり、そして社会は不平等をつくる。それはとても誤配に、そして「つなぎかえ」に似ている。
 
 ルソーローティもおそらくは誤配の哲学者だったのだ。誤配こそがヘーゲルが見なかったものであり、そしてぼくたちがいま回復しなければならないものなのだ。観光客の哲学とは誤配の哲学なのだ。そして連帯と憐れみの哲学なのだ。ぼくたちは、誤配がなければ、そもそも社会すらつくることができない。
 
 
 
・観光客の哲学は家族の哲学によって補完されねばならない。
国民国家と帝国を往復し、誤配憐れみを広げる郵便的マルチチュードの戦略は、新しい家族的連帯に支えられなければならない。
 
家族の強制性。家族は、自由意志ではそう簡単には入退出ができない集団であり、同時に強い「感情」に支えられる集団でもある。家族なるものには、合理的な判断を超えた強制力がある。
自由意志で入った集団からは、自由意志ですぐに出ることができる。それでは週末の趣味のサークルとかわらず、まともな政治の基盤にならない
 ひとは個人=私のためには死ぬ。国家のためにも階級のためにも死ぬ。同じように家族のためにも死ぬ。だから家族は新しい政治の基礎になりうる。他方でひとは趣味のサークルのためには死なない。だからそれは新しい政治の基礎になりえない
 
家族の偶然性
世間では「子どもは親を選べない」と言ったりするが、それは哲学的には不正確である。子はたしかに親を選べないが、そもそもほかの親を選んだら自分が自分でなくなるのだから、その想定には意味がないほんとうの意味で「選べない」、すなわち偶然性に曝されているのは、むしろ親のほうである。ぼくたちはみな、出生のときに巨大な存在論的抽選器を通過している。ぼくたちのだれひとりとして、生まれるべくして生まれた必然的な存在はいない。ある親からある子どもが生まれることには、じつはなんの必然性もない。みな親から見れば偶然なのだ。この点において、すべての家族は本質的に偶然の家族である。言い換えれば、家族とは、子の偶然性に支えられたじつに危うい集団なのである。
 
③家族の拡張性
 日本の「イエ」は、歴史的にはむしろ核家族からはかけ離れたイメージで捉えられてきた。そもそもイエは、血縁よりも経済的な共同性を中心とし、養子縁組によってかなり柔軟に拡張が可能な組織だったと言われている。だからこそ日本社会は、イエを企業と読み替え、近代化にすみやかに適合することができた。
一緒に住み、「同じ釜の飯」を食えば、性と生殖がなくとも家族と見なされる、そのようなダイナミズムは世界中にあったし、いまでもある
 その柔軟性は、家族がまさに、第五章の末尾で見たようなルソーあるいはローティ的な「憐れみ」に開かれていることを意味している。家族とはそもそもが偶然の存在である。だからそれは偶然により拡張できるのだ。
 家族の輪郭は、性と生殖だけでなく、集住と財産だけでもなく、私的な情愛によっても決まる。この特性が家族の拡張性を生みだしているのだが、しかしそれは同時に、家族の境界をじつにあいまいなものにもしている。
 
 
功利主義で、動物の権利の主張で知られている。
『実践の倫理』(1979)類人猿に部分的な人権を与えるべきだと主張し、話題を呼んだ。
彼がそう主張したのは、べつに動物が好きだからではない(好きかもしれないが)。
功利主義の原理(最大多数の最大幸福)を貫くと、人間のあいだの差別が許されないならば種のあいだの差別も許されないという結論が、論理的に導かれると考えたからである。ただしその結論は、すべての動物や生命が無条件に平等であることを意味しない。
シンガーの議論は功利主義に基づいている。つまりある原理(平等の原理)に基づいている。
彼が人権を一部の動物に拡張すべきだと提案するのは、その動物が、平等の原理の対象となる条件を満たしていると考えられるからである。
裏返せば、彼の動物権利論は、論理的に、対象となる動物がその原理の適用にふさわしい感受性をもっているかどうか(人間にどこまで近いか)を判定する作業を要求することになる。ひらたく言えば、シンガーは動物の生命に序列をもちこむことになる。そして、その作業は翻って、人間の生命にも序列をもちこむことになる。
シンガーの議論は徹底して論理的であり、あいまいな常識で止まることはしない。
結果としてシンガーは、オランウータンやチンパンジーの成体のほうが、自己意識をもたない人間の胎児や嬰児よりもはるかに「人格性」が高く、法的に守られるべきだという結論に達し、多くの非難を浴びることになった
 
★13 この論理はじつは、カントが『永遠平和のために』で各国が共和制であることを求めた論理とまったく同じ構造をしている。リベラリズムの論理は、つねに幸福への参加資格を求めるのである。
 
 シンガーが胎児や嬰児の人格を類人猿よりも下位に置かざるをえなかったことの意味が、あらためて重要に思われてくる。それは合理主義的な思考の限界を端的に示している。ぼくたちは生まれたばかりの子どもを大切に扱う。それが人類社会の基礎である。けれどもその配慮は、功利主義的には、もしかしたらたいして正当化できないのかもしれない。
なぜならば、新生児はまだ人格をもたないからだ。
新生児に人格はないでもぼくたちはそれを愛するだから子どもにも人格が生まれる
最初に人間=人格への愛があり、それがときに例外的に種の壁を越えるわけではない。
最初から憐れみ=誤配種の壁を越えてしまっているからこそ、ぼくたちは家族をつくることができるのである。
 
本論の議論と重ねると、やはりそこには本文で記したものと同じ弱点を指摘せざるをえない。
シンガーの議論には憐れみ=誤配がない。功利しかない。
それゆえ貧困国への寄付についても、「最大多数の最大幸福」を目的とした数値的指針を中心にしてしか議論できない。
シンガーの哲学的視座においては、だれか特定のひとを愛することと、あらゆるひとを公正に扱うことはつねに対立している。彼は家族についてつぎのように記している。
理想的な親であることと、すべての人命の価値は等しいという考えに基づいて行為することの間[の][・・・・・・]葛藤が現実のものであり、解決不可能なものであるのは、こうした理由からである両者は常に緊張関係にある親は他人の子どもよりも自分の子どもを愛するものであり、またそうすべきなのだそしてこの理由から、親は他人のニーズを満たすよりも先に自分の子どもの基本的なニーズを満たすものなのだ。[・・・・・・]しかしだからといって、親が他人の基本的なニーズを満たすよりも先に、自分の子どもたちにぜいたく品を買い与えることが正当化されるわけではないのだ」。ピーター・シンガー『あなたが救える命』児玉聡、石川涼子訳、勁草書房、2014年、184-185頁。
シンガーの哲学においては、「たまたま出会ったもの」に対する偏愛はつねに公正と倫理に反するものと位置づけられている。
しかし現実には、公正も倫理も誤配からしか生まれないのではないか
 
シンガーが支援する寄付行為、それそのものがほんとうは、ある種の誤配抜きには、すなわちたまたま寄付を与えられた人々とそうでない人々の偏差の産出抜きにはありえないのではないか。ひとは、たまたま出会ったひとを助けたいと思うからこそ寄付を差し出し支援を行うのであって、人類全体の匿名の集合的な福利のために所得の一部を差し出すのであれば、それはもはや寄付ではなくたんなる税金なのではないか。つまりシンガーは寄付の必要性について語るあまり、逆にその本質を無化しているのではないか。
本書第五章の言葉を用いれば、シンガーは、スモールワールドでの誤配の表れだった寄付を、スケールフリーの秩序のなかで機能的に最適化しようとしているように思われるのである。
ただし、最後にもういちど繰り返すが、シンガーの論理の力強さと実践とのあいだの一貫性(彼自身、大学院生時代に始まり長いあいだ、所得の一割を寄付に割りあて続けていることが知られている)には目を見張るものがある。
そこでは、グローバリズムの時代にナショナリストであることの非倫理性が厳しく問われている
ぼくの批判は、シンガーのその問題提起を深く受けとめたうえでのものである。
 
 
 
 
スーヴィンは、自然主義的(現実世界)異化的(現実外世界認識的/非認識的のふたつの二項対立により、文学を四つに分類することを試みている。
自然主義的かつ認識的な文学がいわゆる自然主義文学(日本でいうところの純文学)
自然主義的かつ非認識的な文学が自然主義下位文学(大衆文学)
異化的で認識的な文学がSF
そして異化的で非認識的な文学が神話やファンタジーに相当する。
「認識的」はここでは「啓蒙的」に近い意味で使われている。(確固とした学問体系に基づき新たな知見を獲得できるもの)
スーヴィンの著作は1979年に刊行されたものだが、この区分にしたがえば、現在の日本で刊行されているSFは多くがファンタジーに分類されるだろう。
 
 
 
・当時ぼくが抱いたもうひとつの違和感を記しておきたい。情報技術の誕生を新たな舞台=空間の誕生として捉えるサイバースペースの比喩は、誤った認識を生みだしただけではない。それは同時に特殊な政治的含意を帯びていた。
 
 
 
イデオロギーがなくなり、かわりにネットワークが整備されたポストモダンの時代において、主体が世界とどのような関係を結ぶかを図示している。
 
 ラカン精神分析理論によれば、人間の主体は「想像的同一化」と「象徴的同一化」というふたつのメカニズムの組み合わせで構成される。
 想像的同一化とは、目で見ることができるイメージ(像)への同一化を意味している。
もともとは幼児が鏡に映る像を自分と認識する働き(鏡像段階)を意味する言葉だが、ラカンの理論ではより広い文脈でも使われる。
 
 ラカンの主体についての理論は、まるで人間が世界に対して、映画の観客がスクリーンに対するときと同じ構造で接しているかのように読めるところがある。
 図2はその想像的同一化の働きを図示したもの。
スクリーンとは世界のことだと考えてほしい。
この図は、映画館で観客がスクリーンを眺めている状態をモデル化するものであるとともに、人間が世界に対峙している状態をモデル化した図でもある。
 さて、ここで注目してほしいのは、主体からスクリーンの特定の箇所(イメージ)に矢印が向かっていることである。
この矢印が想像的同一化の作用を意味している。ひとはだれでも、成長の過程で世界のだれかに「同一化」する。具体的には両親や教師や先輩といった人物である。それがこの図ではイメージの黒点で示されている。ひとは想像的同一化の対象と自分を重ね、そのふるまいをまねること(同一化すること)で大人になる。
映画の例で言えば、それは、観客がスクリーンを見ながら、あの俳優かっこいいなおれもああなりたいな、あの女優きれいだなわたしああなりたいな、と思う感情の動きに相当している。
 
★13 1964年のセミネール『精神分析の四つの基本概念』で書かれた図。参考までに下にラカンの元 図を引用する[図4]。
 
なおこのセミネールでは、想像的同一化象徴的同一化の二重性は「まなざしの分裂」と表現されている。
ぼくたちは、なにかを目で見るときに、同時にそんな自分もまなざされている。その分裂が主体の基礎だというのがラカンの主張だ。
図の右の「表象の主体」とは「なにかを見る主体」のことを意味している。
 
 
 しかしそれだけではない。ラカンの考えでは、人間にはもうひとつ同一化のメカニズムが存在している。それが象徴的同一化である。
 図3はその象徴的同一化の働きを図示したものである。
 
ラカンのオリジナルにはじつはこちらが近い。ここでもスクリーンは世界を表している。
そして主体が世界=スクリーンを眺めている。
しかしこんどは、世界=スクリーンの背後の構造が描きこまれているところが異なっている。
世界=スクリーンは、ただ漠然と観客=主体に与えられているものではなく、背後にそれを生みだす秩序を隠している
哲学の言葉で言えば、それは、世界を成立させる「超越論的主観性」や社会をつくりだす「象徴秩序」ということになる。
映画館の例でいえば、それはフィルムの映写機であり、またそのフィルムに映る光景を切り取った映画監督のカメラに相当する。
世界を生みだすその根源は、ラカンの理論では「大文字の他者」と呼ばれる。それが大きな三角形の頂点をなしている。
 
 この図3には主体から発するふたつの矢印が描かれている。ひとつは図2と同じ、想像的同一化の矢印である。
しかしここで重要なのはもうひとつの矢印が、世界=スクリーンを飛び越え、大文字の他者から発して世界=スクリーンを通過し右側の主体へとまっすぐに向かう「視線」なるものに宛てられていることである。
これが象徴的同一化の作用を表している。それは、世界=スクリーンを成立させるメカニズム、それそのものに対する同一化である。
 世界を成立させるメカニズムそのものへの同一化とは、あまりに抽象的に響くかもしれない。
けれども、これもまた映画の例で考えるとわかりやすい。
ぼくはさきほど、想像的同一化とはスクリーンに映る俳優(イメージ)への同一化なのだと述べた。
しかし、そもそもその俳優たちはなぜスクリーンに映っているのか。それはむろん、だれかが彼らをキャスティングしたからであり、まただれかが彼らを撮影したからである。
象徴的同一化はその裏方の作業への同一化である。つまりは、映画で言えば、かメラへの同一化ということになるわけだ。「大文字の他者」から主体にまっすぐに伸びる「視線」とは、映画監督が俳優たちを見つめる視線のことである。
 象徴的同一化想像的同一化よりも「高級」である。これもまた、映画の例で考えるとわかりやすい。多少とも映画にうるさい友人がいるひとであれば、つぎのように言われた経験があるだろう(ぼくにはある)。
俳優にせよ物語にせよ、映画の内容を見ているあいだはアマチュアである映画好き(シネフィル)は、スクリーンに映っているものではなく、映っていないもの、つまりはカメラの画角(フレーム)や監督の視線を追いかけるのだとまさにそれこそが想像的同一化と象徴的同一化の差異である
マチュアはイメージを見る。シネフィルはカメラに同一化する。そして後者の同一化を経ることで、はじめて映画の鑑賞は成熟を迎える
 じつはラカンの理論は、これと同じ論理で主体化の過程を説明している。
ひとは、両親なり教師なりをまねるだけでは(想像的同一化だけでは)大人になれない。彼らがなぜそのようなふるまいをするのか、そのメカニズムを理解すること(象徴的同一化をすること)ではじめて大人になる。
この二重化がラカン精神分析の主体理論の肝なのだ。
別の言葉で言い換えれば、人間は、見えるもの(イメージ)に同一化するだけでなく、見えないもの(シンボルあるいは言語)に同一化することで、はじめて大人になる(主体になる)のである。
ラカンはこの見えるものの世界を「想像界と、見えないものの世界を「象徴界と名づけた。「大文字の他者」と「象徴界」は、ほぼ同じ意味である。
 
 以上を踏まえて図1に戻ろう。いまやこの図が図3の変形になっていることはたやすく見て取れるはずである。
 
ぼくがこの図で示そうとしたのは、象徴界大文字の他者)が弱体化したポストモダン社会において、主体がどのようにして同一化の二重性を確保するのか、という問いに対するぼくなりの答えだ。
 その問いは、じつはさきほどまで見てきたサイバースペースの問題と密接に関係している。
 サイバースペースの概念が現れたのは1980年代である。一般に「ポストモダン」と定義される時代は、その少しまえの1970年代から始まったと言われている。ここでは詳しく紹介しないが、ポストモダンとは「大きな物語」の喪失によって定義される時代である。
それはまた精神分析の用語で言えば象徴界」の失調を意味している。
そしてここで重要なのは、さきほど紹介したジャンルSF史における「宇宙」や「未来」の地位低下は、まさに、時期的かつ内容的に、文学におけるポストモダン化の表れだと考えられることである。宇宙と未来の失墜、それは大きな物語の喪失にほかならない。
 情報社会論、精神分析、ジャンルSFを横断するこのような歴史を描いてみると、サイバースペースという概念が、大きな物語が消えた世界において、その欠落を埋め合わせる「新しい大きな物語」の役割を果たしたことがわかってくる。
サイバースペースは、宇宙や未来の魅力が失われた時代に、新しいSFの舞台として現れた。
またそれは、エコロジーが叫ばれ成長の限界が説かれた時代に、新しい産業のフロンティアとして現れた。
つまりはそれは、文学的にも政治的にも、近代が終わったあとにも残り続けた近代主義、「大きな物語」の残滓を受け取るすぐれて精神分析的な機能を果たす言葉として現れたのである。
ひらたく言えば、現実の世界はすっかりポストモダン化し、もうだれもかつてのような大きな夢(宇宙や未来を信じる夢)はもてなくなってしまったけれど、唯一サイバースペースにだけは夢が残っている、そのように二〇世紀末の人々は信じようとしたのだ。
その幻想はいまも残っている。情報社会論では、近未来に「シンギュラリティ」が来る、新しい技術の力で人間のすがたも社会のすがたも一変するといった、二〇世紀どころか一九世紀の空想的社会主義者もかくやと思わせる「大きな物語」がまだ流通している。その類の言説はビジネス界隈ではじつに素直に受容されているが、本来はこのような視野のもとで批判的に検討されるべきである。
 
 サイバースペースなき情報社会の主体について考えるとは、すなわち、大文字の他者の弱体化をごまかさずに受け入れた主体の構造について考えることである。
そしてラカン派の理論によれば、主体は主体であるためには、必ず想像的同一化象徴的同一化ふたつの同一化を経なければならない。
したがってぼくはそこで、大文字の他者が弱体化したポストモダン社会において、主体はどのようにして同一化の二重性を確保するのか、という問いについて考えることになったのである。
それは、いわば、不気味なものについての考察の、別のかたちでの表現だ。
 
 
 
二〇年前に論文を書いていたとき、ぼくがそこで念頭に置いていたのはじつはコンピュータのインターフェイス画面である。
コンピュータの画面には映写機もカメラも存在しない。
 それでは、このカメラが欠落した状況で、いかにして同一化の二重性を確保するのか。そこでぼくが考えだしたのが、宛先の二重化というアイデアだった。図では、ひとつの世界=スクリーンのうえに、想像的同一化の対象(イメージ)象徴的同一化の対象(シンボル)が等価に並ぶようすが描かれている。
ポストモダンの世界では、世界のカメラがなくなったかわりに、スクリーンのうえにイメージとシンボル、見えるものと見えないもの、現象とそれを生みだす原理が同時に並び立つ
主体はそのふたつに同時に同一化する。その結果、あるときイメージのほうに同一化していたとしても、つねにシンボルへの別の同一化から介入が来るような、そのような葛藤が生じる。
その葛藤こそが、図3のような想像的同一化象徴的同一化の二重性とは異なったかたちではあるものの、それに似た機能をもつポストモダン特有の主体の二重化を生みだす――ぼくはそのような仮説を立てたのである。
 
 
図5の視聴者は、熟議する出演者のすがた(イメージ)を見ると同時に、可視化された視聴者の空気=コメント(言葉/シンボル)も見ることになる。
ニコ生の視聴において、辛辣でシニカルなコメントが流れ、出演者への感情移入に冷や水を浴びせられた経験があるひとは少なくないだろう。
図5の世界では、視聴者=主体は単純にイメージに同一化することができない。
視聴者はときに出演者に同一化してしまうかもしれないが(想像的同一化)、しかし同じ画面にはたえずコメントが流れ、そちらを読むとこんどは大文字の他者ならぬ視聴者の無意識に同一化することになり(象徴的同一化)、出演者への素朴な感情移入は壊れてしまうことになる。
このように理解すると、二〇年前のぼくが「目と言葉、イメージとシンボル、仮想現実の虚構性を伝える情報と現実性を仮構する情報とが、ともに並んでスクリーンの上に見いだされる」と抽象的な言葉で描こうとした経験が、かなり具体的にニコ生の画面で実現していることがわかるだろう。1990年代には仮説でしか語れなかったポストモダンの主体の新たな二重化が、いまでは現実に動いている。
 
 
 デオロギーのかわりにコンピュータが与えられたこの時代において、ぼくたちはどう世界と関係をもつべきか
 
 
 
GUIの開発とは、「にせもの」が「にせもの」として触られ、操作され、「ほんもの」のほうも変化させてしまう、そのような新たな世界感覚を実現するメディアの創出だったのだ。
 
 それでは、触視的平面の出現は、ひとの政治や社会との関係を具体的にどのように変えるのだろうか。それを明らかにするためには長い論文が必要であり、まだその準備はできていない。
 
 
 
・だとすれば逆に、スクリーンが触視的平面に置き換えられることで、そのような人間観も変わるだろう。
それは政治や社会についての言説も変えるはずだ。
具体的には、いま記したような「見えるもの」と「見えないもの」の対立に基づく行動原理、すなわち、ひとは「見えるもの」にすぐ騙される、だから「見えないもの」について語ろうという指針そのものの有効性が失われていくのではないか。
 実際、そのような現象はいまやあちこちで観察されるように思われる。
たとえば本書初版出版の数ヶ月まえ、アメリカではドナルド・トランプが大統領になった。トランプはポピュリストで、発言には性差別的で人種差別的なものが多く、政策も場当たり的で批判が多い。にもかかわらず彼は2016年には勝利を収めたし、2020年の大統領選で敗北したあとも大きな影響力を保っている。
 2016年のトランプ旋風は専門家にとっても予想外の現象だった。リベラルの多くは当初、トランプの支持者はセレブで大金持ちという煌びやかなイメージ(見えるもの)に騙されているだけであり、支離滅裂な実態(見えないもの)を暴けば影響力も下がるだろうと考えた。
けれどもそううまくはいかなかった。支持者の多くはいくら真実を示されても嘘のほうを信じ続けたし(フェイクニュース)、リベラルの執拗な批判は、逆に支持者たちの側に悪質な陰謀論の流行を引き起こすことになった。
 
トランプ「にせもの」にすぎず、見えないところにこそ「ほんもの」があるという知識人のキャンペーンは、一方では「にせもの」でなにが悪いという開きなおりを引き出し、他方ではおれたちにはおれたちの「ほんもの」があるのだという独自の世界観を生み出す結果にしかならなかったのである。
 触視的平面の時代においては、ひとは「にせもの」の彼方に「ほんもの」があるはずだと考えない
現代は、「にせもの」が「にせもの」として触られ、操作され、加工され、多くのひとがその操作そのものに快楽を覚える時代であり、また「にせもの」を触っているだけでもいつか「ほんもの」に届くはずだと信じられる時代なのだ。
すべてが見え、触ることができるはずの時代においては、見えないものについて語る人々はむしろ信頼を失う
そんな時代に知識人がなにを行動原理にすべきなのか、なかなか悩ましい問題だ。
 
 これはいいかえれば、触視的平面の時代における「リテラシー」とはなにかという問題でもある。
スクリーンの時代においては、見えるものを疑い、見えないものについて考えることリテラシーだった。
触視的平面の時代において、そのような疑いの精神はどこにいってしまうのか。最後に短く触れておこう。
 
 『サーチ』という映画。
同作はインターフェイスに支配された現代人の生をみごとに物語に変えていた。
 けれどもこの作品で本当に驚くべきなのは、むしろぼくたちがそれを物語として読み取れることのほうだろう。さきほども記したように、この映画には画面のキャプチャしか存在しない。一時間半強の上映時間のあいだ、ぼくたちが見るのは、デスクトップのうえを動くカーソルであり、開いては閉じるウィンドウであり、スマホのうえで不可視の指がタイプする文字列である。
 人間の顔が登場しないわけではない。PCやスマホに顔が映ることもあるからだ。とりわけ主人公のディヴィドは、エンジニアという職業のせいか、やたらとFaceTimeを利用する。そのため、要所要所では俳優の会話が映され、それこそがこの作品の娯楽性を支えている。
 けれども、この映画では、それらの会話がいつどこで、どのような目的で行われたかを正確に理解するためには、FaceTimeのウィンドウのなかに映されたディヴィドの顔を見、会話を聞くだけでなく、付随して表示される時刻やユーザーアイコン、また並んで開いたメーラーSNSほか複数のウィンドウとの整合性など、さまざまなメタ情報をきちんと読み取る必要があるのである。ときにはそこに重要な伏線が隠されてもおり、それは物語の最後で大きな役割を果たす。むろん観客のほとんどは読み取りを意識すらしていないだろう。けれどもその能力は映画製作の前提となっている。
もし観客が、グーグルもフェイスブックYouTubeも、またウィンドウズOSもMacOSも知らなかったら、『サーチ』は映画としてまったく成立しなかったにちがいない。おもしろいとかおもしろくないとか以前に、そこでなにが語られているのか、観客はなにも理解できないはずだ。
 このような映像作品が登場し商業的にも成功したという事実は、さきほど掲げた問いに対して重要なヒントを与えてくれる。
なんども繰り返しているとおり、スクリーンの時代の映像作品においては、観客は俳優(見えるもの)に同一化するだけでなく、カメラ(見えないもの)にも同一化しなければいけなかった。似た二重化は『サーチ』でも働いている。
 ただし対象が異なっている。ここでも観客は俳優(見えるもの)に同一化するだけでは不十分である。伏線は隠れている。けれどもそれは必ずしもカメラ(見えないもの)への遡行を引き起こさない。
たとえば、ヒッチコックのスリラーではしばしばカメラワークそのものが伏線として機能しているが、『サーチ』ではそのようなことは起こらない。
そもそもこの映画はすべてが画面キャプチャによってつくられており、古典的な意味でのカメラワークは存在しない。
むしろそこで観客に求められているのは、文字や記号によるメタ情報という「もうひとつの見えるもの」の存在に気づき、それを解読し、整合性を確認する能力である。同じ画面のなかのふたつのウィンドウ、つまりFaceTimeメーラーSNSのあいだの齟齬が、物語を駆動する疑いの核として機能している。
ぼくは第七章で似たような齟齬についてニコニコ生放送を例に説明しているが、おそらくはこちらの例のほうがわかりやすいだろう。
 触視的平面においてはすべてが見える。そして触ることができる。少なくともそうみなされている。ケイのいうイリュージョンだ。
 だからそこでは、「にせもの」のむこうに「ほんもの」があると説き、後者への接触こそ重要だと説く言説は信用されない。むしろ、のっぺりと広がる「にせもの」の世界をそのまま受け入れ、そのうえで異質な論理に導かれた複数のサブ世界を発見し、それらのあいだの矛盾を探る能力のほうが必要とされる。
このことは、これからの知識人の行動原理を考えるうえで参考になるかもしれない。
 
 

読んだ。 #私の日本地図14 京都 #宮本常一 #未來社

読んだ。 #私の日本地図14 京都 #宮本常一 #未來社
 
宮本常一さんが京都の歴史や思い出などを語ってくれるのを聞いているような感じで少しづつ読んだ。
少し知っている場所もあり、GoogleMapで場所や写真を確認しながら読んだ。おもしろかった。
 
 
 
・もともと大谷というのはここではなく、知恩院のあたりで、そこに親鸞の墓があったのを、慶長八年(一六〇三)徳川家康の命によって親鸞の遺骨を二分し西大谷と東大谷に廟所をつくり、西本願寺東本願寺でまつることにしたという。
 
この寺にのぼって来る清水坂のあたりは、昔は乞食が多く、「坂の者」とよばれていた。そしてこの人たちは京都の市中へ物乞いに出、死人のある家へ出かけて葬送に加わったり、火葬を手伝ったりして、死者に供えたものや、仏事などの供養の品をもらいうけて生活し、時には盗人になることもあって、昼間はともかくとして、夜間などには寺へまいるのもおそれられた。それにもかかわらず、おこもりするものが夕刻など参拝しようとして、盗人におそわれたこともまれではなかったようである。
 
・犬神人
放免とは罪人の放免せられたもののことである。平安時代には、五月と十二月の適当な日をえらんで盗犯や私鋳銭をおこなった者を衛門府から罪状と判決の案文を書いたものを奉り、罪人を宮廷に引き出し、首に白布をまき、罪人の臂と胸背を縄でくくり、笞刑のまねをして放免する風習があった。そのとき罪人の額に犬という字を入墨することもあった
 さて放免せられた者の中には祇園の社に奉仕する者が多かった。境内や祇園祭の神幸路の清掃などにあたり、また市中に行き倒れの死者があるとその処分もした。
 
・鷺舞
鷺舞などはその一つである。鷺舞というのは鷺の姿をして舞うものである。中世の終り頃の絵図にも描かれている。しかし京都ではいつかほろびてしまっていた。ところがこの舞は山口市の八坂神社の祭にうけつがれ、さらに島根県津和野の弥栄神社の祭でもおこなわれた津和野のものは山口から習ったのであった
 山口の鷺舞は太平洋戦争の後中絶してしまって、津和野にだけそれが残った。古いおもかげを残した舞であった。その舞が今また京都でも演ぜられるようになっている。
 
京都というところは古いものをしっかりと抱きかかえて持っている。しかしそれは単に京都人が古いものにこだわっているためではない。そういうものの中にやすらぎを見出そうとする人が日本にはまだたくさんいるということであり、またそれを求めて京都を訪れる人も多い。そういう人たちに対しては京都の人も安心してつきあうことができる。田舎人たちは些細な親切にも喜ぶ心をもっている。そういうものが、京都の町の風物の中ににじみ出ているように思う。私は円山公園の樹下の置座で甘酒をすするたびに、庶民の生きついで来た古い町の心にふれるように思う。
 
法然の出現によって民衆は往生極楽の道を見つけたといっていい。言いかえれば、民衆も貴族も同等に生きる権利を持っていることの自覚である。そしてそのことによって民衆は民衆の結束の力によって生きる道を見出しはじめる。
 
京都の町の宮や寺が今日まで生きのびてきたのについても、論理や制度をこえた心情的なものが大きく支えてきていたのではなかったか。そしてその心情的なものは京都人の心の中に培われているというよりも、日本の風土の中にひろく培われているものではなかろうか。京都における八坂神社の繁栄も、地方に分布する祇園社とそれに対する信仰が下敷になっているのではなかろうか。そして生きのこれるような寺や宮は、何らかの形で、地方の民衆につながりをもっているものが多いのではなかろうかと考えてみる。
 
岡崎公園のできたのは明治二八年(一八九五)であった。その地で第四回内国勧栗博覧会がひらかれた
 
京都疏水
 
薬師寺唐招提寺などは寺へゆくと鍵を出してくれて「勝手にごらんなさい」という。その頃は寺を訪れる人は誰もいなかった。だから仏さまの前に半日すわっていてもよかった。日が暮れて来てまで堂の中にいたことがある。
 
われわれの先祖が山地に深い愛着を示したのは、一つは人の魂の帰る場所を山中と考えた人が多かったためかもわからない。日本人は死してその肉体はほろびても、魂はほろびないと考えていた。そしてその魂は山中に入ると考え、その山も吉野山とか立山とか熊野とか、そのほか、その地域では特定の山に魂のふるさとを求めていた。
 その魂はまた山を下って来て生れ出るものに入り来たると考えたらしいことは、子供の生れるとき、山へ馬をひいて山霊を迎えにいく風習をのこしているところが北陸地方にはあった。馬をひいて山中に入ってゆくとき、馬が立ちとまって身ぶるいすることがあるそうである。そのとき山霊が馬に乗りうつったと考え、そこから馬をひいて帰るのであるそして馬の背に乗った山霊は家まで
かえったとき子供のからだにのりうつるというのである
 
・今はケーブルがあるからよいが、ケーブルのなかった頃にはハガキ一通あっても細いけわし坂道を叡山(配達夫はこういった)までのほらなければならなかったそれも雪のないときはよい。雪の道をのぼるには時に死ぬ思いをしなければならぬこともあった。それでもその仕事はやめなかった。誰かがやらねばならぬ仕事なのである。それほどにしても郵便配達だけでは食えぬので、家では百姓をしているとのことであった。
 
本願寺という寺は不思議な寺である。京都の町の中に周囲を圧した規模で建てられておりつつ、京都市民にはそれほど親しまれていない。ここには東寺の弘法さんのような現象は見られない。この寺は地方の民衆の信仰に支持されている。それも多分に政策的なものがあって、東本願寺の信徒はだいたい京都から東西本願寺の信徒は京都から西というふうに区分されていて、信徒の色彩にも差が見られ、幕末の政治的な動きの中でも東本願寺は幕府西本願寺は勤皇をとなえて明治政府へも八万両を献金している。それはそのまま地方民衆の心を反映していると言ってもよかった。
 
いま栄えている知恩院なども明治初年の窮迫は甚しいものであった。明治二〇年頃、約四三万円の借金に山門を売るという話もあったという。それを信徒の寄付によって立ち直ったという。宇治の鳳凰堂が乞食のねぐらになったり、奈良興福寺五重塔が売りに出されたりしながらも、民衆がもう一度寺の方を振り向いてくれることによって生きのびてきたのである
 
応仁の乱のあとなどは、都は荒れはててしまって、公家たちで地方にゆかりのある者はそこをたよって、都を捨てた者が多かった。そしてこの町は再び栄えることはないのではなかろうかとさえ思えた。にもかかわらず、もう一度繁栄をとり戻してくる。地方に住む者たちにとっては都はあこがれの地であり、都によせる心は強かった。人びとの心の中にある都は美しくきらびやかで気高いものでなければならなかった。そして世の中がおちついてくると、もう一度目を見るような町を作りあげてきたのである。それには豊臣秀吉のような主役がいた。いま一つは地方の民衆がいた
 
・京都の市中をあるいていると実にいろいろのことを考えさせられる。考えさせられるような素材が残っているのである私が考えさせられるような素材は、京都市民にとっては、京都の過去を語りついでくるための素材でもあった書物に書いてあるものを見ればわかるというのではなく、残っているものを見て語りついでゆくとき血がかよってくる。と同時に、それを残そうとする試みもなされる。そしてそういうものを残すための講組なども見られる。残されるだけは残そうとする
 私は堀川という川を見てしみじみそう思ったのである。
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これが東京なら、埋めてしまって道路にしてつかっているだろう。道路になってしまえば語り草もきえてしまう。それは市民の中から歴史の一輪が消えていくことになるが、たとえ水がなくても川の形が残っておればいつまでも語り草になる。生活の周囲にいつまでもかわらず続く語り草のあることが人の心をおちつかせてくれる。と同時に、将来を見定める力をも失わせない
 
御所と対照的な点は、御所には堀も石垣も櫓もないが、二条城は二重の堀をめぐらし、石垣を組み、櫓をもっている(もとは天主閣もあった)。防衛の体制は完全にとられている。そして民衆を寄せつけようとしていない。これが武家の正体であったのだということを、まざまざと見せてくれる
 
・そのまえ下関で外国船の砲撃をはじめたときも、藩の命令で寺の梵鐘を供出したことがあった。釣鐘の下側を敵の方に向けておくといかにも大きな大砲を据えているように見えるというので、敵おどすために梵鐘を戦地に運んだ
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近いうちにかならずバク(幕府)がせめて来る」というのが合言葉であった。
 
天皇というものは日本中の五穀の豊穣を司る神のように思えた。つまり天皇(われわれの地方では禁裡様といった)はわれわれ農民ときわめて近い関係にある人として意識されていた。それは、はいつくばって応待しなければならない武士や大名とはおよそ違った感覚のものであり、村祭に衣冠をつける八幡宮の神主をもう少しえらくした人のように思えた
 
 
四条橋の上から見ると賀茂川は死体で埋まりそれが流水をせきとめていた。そして町には死臭がみちていた。それが六月の大雨でやっと下流へ押しながされていった。そのことについて『蔭涼軒日録』には「洛北死屍の悪を洗滌するなり、快哉」と記している。
 
法華宗は即身成仏をとき、現世を寂光土たらしめようとする現世利益を目的とした仏教であり、そのために加持祈禱もおこなった。このような現実的な宗教は京都の富有層には大いに歓迎された。
 
町民たちは町内の結束をかためるための寄合をしたり、自治に必要な費用をいろいろな名目で町民からとりたて、それを町内の普請につかったり、飲食費にあてたりした。祇園祭の山や鉾もこうした町内によって守られたのであるが、さらに、そうした町がいくつか集って町組を組織した
 なぜそういうものが必要であったのか、それは火事を防ぐためであったと思われる
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町民たちが自身の力で町を守ろうとする組織は、室町の後期には一応できあがっており、その組織を生み出していった思想的な背景に法華宗のあったことは見のがせない
 
京都という町は単に京都市民によって支えられた町ではなく、京都をとりまく田舎の人びとによっても支えられていたのである。本願寺が田舎の人たちに支えられているのもその一例であり、京都の伝統的な産業も田舎の人たちによって支えられているといっていい
 
愛宕山は火伏の神として信仰されているが、もとは山岳信仰の山であったと思われる。もと、この山を含めた一帯を愛宕郡といった。これをアタゴとよまずオタギとよんだオタギは御嶽であろうと思うオタギは神が天から天降りする山のことであり、沖縄ではウタキといっているが、本土でもオタケ、タケと名のつく山には神がまつられ、聖地になっているものが少なくない。愛宕という山もそういう山であった。
 
私は京都の町に日本海的な文化のにおいの強さを感じてきたのであるが、それはまた、武家文化とは本質的には対照的なものではなかったかと思っているそしてそれは王朝以来の文化をうけついできたものではなかっただろうか。前述の国々も近世封建制の中をくぐりぬけてきながら、なお中世以前の文化を多く残しているのは、そこに生きた人たちが京都を一つの指標としていて、古い生活態度をくずさなかったためではないかと思う。田舎者が出て来ても京都では安心して行動することができたし、また田舎風を丸出しにしても笑われることはすくなかった
 
 
和文脈と漢文脈
いまひとつ宮廷と民間をつなぐ大切な絆があった。それは仮名である。もともと中国からもたらされたものは漢字であった。だから公文書をはじめ、宮廷の人びとは好んで漢字を用いて意志伝達をおこなった。ところが宮廷人たちはその漢字の中から仮名を工夫した。和歌とよばれる文学は仮名でないと心情を十分表現することができなかったので、和歌は早く仮名を用いて表現された。その仮名を一般の文章にも用いたのは宮廷の女たちであった。女は仮名を用いて意志も感情もこまやかに表現し、多くの物語を書いた。
 漢字は宮廷の男たちと僧侶の間で用いられていた。しかし、仏教を民間の一般民衆の間に弘めようとする聖とよばれる僧侶たちは、仮名を用いて文章を書き、その表現も平易を旨とした。それが多くの説話文学を生むことになった
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そしてそういうものが全国の民衆に共通した感情と思想を徐々に形成していく固になったのではなかろうか私は明治維新の到来は一方にこのような民衆の目ざめがあり、この中軸をなしていたのが京都であったためではないかと思っている