読んだ。 #なめらかな社会とその敵 PICSY・分人民主主義・構成的社会契約論 #鈴木健

読んだ。 #なめらかな社会とその敵 PICSY・分人民主主義・構成的社会契約論 #鈴木健
 
これまで、人間は認知の限界により、複雑な世界を単純化されたものとして認知してきたが、コンピュータやインターネットなどの技術の発展によって、複雑な世界を複雑なまま、「なめらかに」認知できるようになってくるのではないか、そのようにして、現在の社会で発生している経済、政治、安全保障などの問題が解決される手がかりが見つかるのではないか、というようなところから。
 
人間が世界を単純化して認知するのは、単細胞生物が、「膜」をつくることで内と外を区別し、「核」で制御しようとする(小自由度で大自由度を制御しようとする)、生命活動そのものに起源があるのではないか。世界を「膜」や「核」ではなく、その背景にある「網(複雑な相互作用のネットワーク)」として認知しなおしていくことで、なめらかな社会への移行が進んでいくのではないか。
 
「なめらかな社会」実現のためのアイデアとして、経済においては「伝播投資貨幣PICSY)」の導入、政治においては「伝播委任投票システム」から成る「分人民主主主義」の実装などが、数式なども用いながら説明されている。
 
 
 
社会システムは生命システムにおける一現象に他ならない
 
おもに政治や経済の概念だと思われている私的所有が、地球上で40億年もの生物学的起源をもっていることを膜と核という問題系から明らかにしていく
 
資源の生産や交換を対象とする経済システムの必要性は、経済システムの主体であるところの人間が、そもそも代謝ネットワークをもった生命体に他ならないところから要請されるからである
 
 
・DNAが制御の主体であるという表現も、全体としてはひとつの代謝ネットワークである細胞において、単に説明上の都合で導入されているにすぎない
()自己複製によって維持される主体は、利己な遺伝子ではなく、細胞の代謝ネットワークのダイナミクス全体なのである
 小自由度が大自由度を制御しているという見方は、制御が一方向で、すっきりしたものがごちゃごちゃしたものを決めていると考えたがる人間の認知バイアスによる錯覚である。つまり、実際は全体としてしか理解できないものが、小自由度による大自由度の制御というみせかけの関係性が認知しやすいので、小自由度が制御の主体だと認識されてしまうそう認識されることで、その権力がさらに強化される。
 
王という小自由度の権力を制御することによって、複雑で大自由度の社会全体を制御できるようになった。権力は化学反応ネットワークのように複雑なネットワークであり、王はDNAのように世界に単純さをもたらす。ちょうどDNAが生命を制御しているのが錯覚で、実際には複雑な化学反応ネットワークの小自由度を統括する焦点でしかないのと同様に、王は社会を制御しているわけではなく、王を通して社会が制御されているのである。権力はどこかに座があるわけではなく、ネットワークとして創発する性質にすぎない。王は、【社会的な制御】の生物学的起源である。
 
オートポイエーシス生命システム
 
・ヴァレラによれば、再生産(生殖、細胞分裂)は、生命システムにとっては本質的ではなくサブエフェクトであるという。なぜならば、生命システム(オートポイエーシス)にとって本質的なのは、ネットワークが自己維持して、内と外をつくりだすところだからである。したがって、再生産が前提となる進化も生命にとってサブエフェクトということになる。進化という性質は生命にとって本質的であるとしばしばいわれているため、進化をサブエフェクトとみなすオートポイエーシスの考え方は、そういう意味で驚きである。だが、生命の定義をオートポイエーシスと等しいものと一旦考えれば、たしかに進化はサブエフェクトであるといわざるをえない
 
組織の規模が大きくなると、意志決定を行うためには権力者が必要になる権力者が組織的に要請されるのは、権力者が権力を行使したいからではなく、他の人々が権力者を通して権力を行使したいがためである。組織の人間関係の複雑さが一定量を超えると、全体を制御することが困難になる。権力者はこの問題を解決する社会制度である。
 
・個人に責任を問わなくては社会秩序が維持できないのであれば、人々は互いに責任を追及しあうだろう
 
ソ連崩壊直後の、はじめて民主的な選挙が行われたロシア議会では、政党がなかったために議会が機能停止に陥った。特定の政党に所属しない多くの議員が演説を行うため、採決のための物理的な時間を超えて議論が続き、収拾がつかなくなったのだ。政党に所属するほうが、議会で政策を実現し、議席を選挙で確保できる可能性が高いため、間もなくロシアでも本格的な政党政治がはじまることとなった。
 
代替的な政治システムを考えるときに、共同体やグローバルのことを視野にいれるとしても、個人の同一性を解体した分人まで検討することは、通常あまりないだろう。だが、個人の解体こそが肝なのである個人の一貫性を強要する仕組みが存在していると、それを利用して共同体の固定化や国家の絶対化が実現してしまう近代国家の概念が、自由意志で一貫性をもった判断をする近代的個人を想定していたことを思い出してほしい個人、組織、国家の3つの壁を突破するためには、個人そのものの一貫性が幻想にすぎないことから出発する必要があるのだ
 
自由意志をもった一貫した自己というイメージは、他者から責任を追及されることによって強化される
 
・私たちが皮膚の境界をもってひとつの個体としてみなしがちなのは、皮膚の内側の細胞同士の相互作用の密度が、別の個体の細胞との相互作用に比べて大きいからである。ひとつの脳をもってひとつの心とみなしがちなのは、ひとつの脳の内側同士の相互作用の密度が大きいからである。個体の内側同士のほうが相互作用が強いという前提条件が崩れてしまえば、こうした常識は脆くも崩れ去る。コンピュータの登場によって、物理層と認知層の間に万能のミドルウェアが提供されることにより、個体同士を超えた相互作用の可能性がつくりだされる。ある個体の細胞と別の個体の細胞が強く相互作用するようになれば、新しい知性のかたちが生み出されるかもしれない。
 
・スマートコントラクト。
立法はプログラマー、行政は自動実行、司法は問題があったときのサポートになればいい
 
自由とは、与えられた選択肢の中から選択することが可能であることでは決してなく、複雑なまま生きることが可能であることをいう。複雑なまま生きることができれば選択肢は自然に生成する。新たな選択肢を生み出すことができる稼動領域の複雑性の広さ、それが自由なのである構成的社会契約のようなある種単純なプロトコルを情報技術によって導入することにより、むしろ世界全体の複雑性は増大する。