読んだ。 #不倫と正義 #中野信子 #三浦瑠麗

読んだ。 #不倫と正義 #中野信子 #三浦瑠麗
 
 
はじめに 中野信子
 
第1部 不倫とバッシング
増える不倫
バッシングの過激化
性行動を分ける2つの脳のタイプ
仕事ができる男ほど浮気する?
「稼ぐ人」は「ばらまく人」か
脳も違えば制度も違う
29 三浦 極端なことを言えば、脳のタイプで性的な行動が自然に2つの方向に分かれてしまうと。
中野 そういうことになりますかね。だから、片方のタイプの脳の人がもう片方のタイプの脳の人を「そんなの人間としておかしい」とかあれこれ言ってみてもあまり意味がない。それぞれの機構で「自分の感覚が普通だ」と脳が処理しているから。それなのに「生まれたからにはいろんな人と付き合いたい」だとか「1人の人と添い遂げるのが本当の幸せ」などと言い合っても話がかみ合わないわけです。あなたの茶色い目はおかしい、いやあなたの青い目こそいかがなものか、と言い合っているようなものです。
三浦 倫理観の違いだけで片付けられるものではないということでしょうかね
 それともう一つには、社会のシステムの違いによっても受け止め方は変わってきますよね。性というのは人間にとって非常に強い衝動ですから、宗教でも政府でも、支配の根本手法に性の抑圧と管理が使われてきた一面があります。どういう条件でなら性交渉をしてよいかを縛ることで秩序を保とうとしてきたわけですね。
 結婚について言えば、近代になって平等が観念され始めた過程で、まずは健常者の男性が等しく妻をめとることができるのが望ましいという考え方はあったと思うんですよ。そして女性が子育てをする存在としてはある程度守られると。結婚は子どもを作る権利を意味しますし、人口を増やすことができるから。
中野 結婚というシステムの根源に迫る話ですね
三浦 ただその後、女性の側も平等な権利が認められていく過程で、性交渉や婚姻に関して個人の自由選択が基本になっていく。そうすると、そこに残った「倫理」とか「規範」って何なんだろうということになる。
 夫婦間関係は特殊な扱いです。国家が認めるある一定の形態のみが認められるので、完全な自由契約ではありません。それに、妻や夫が浮気を許したり、始めから許可していたとしても、世間から介入されるわけですからね。
 
不倫の「定義」
どこからが不倫か
ねたみと嫉妬の違い
40 中野 所有欲以外で言うと、ねたみと嫉妬という感情もあって、心理学的にはこの2つは違うものとして扱われるんですね。
 嫉妬というのは、瑠麗さんがさっき話していた所有欲と関係があって、自分が持っているものを奪われるんじゃないかっていう、不安な気持ちだったり不快感だったりという感情なんですね。これは進化の過程で言えば哺乳類から持っている、人間だけではない本能的な感情だと言われます。えさ場を荒らされないか、縄張りを奪われないかって言うのに近いものです。
 ねたみというのは、これはきわめて人間的な、人間にしかない感情だと言われます。ヒエラルキーがある集団で暮らす、社会性をもつ霊長類にかなり顕著に見られるもので、自分より上の地位にあるものに対して感じる不快な気持ち。
 自分と同程度のはずなのに自分よりもいいものを持っている。何かあいつだけ得してる、なんであの人だけ評価されるんだっていう状況に対して起こる気持ちのことで、その人のことを引きずり下ろしたいという欲求が生じるものなんですよね。
 
脳が感じる愛着の場所
嫉妬の個体差
46 中野 愛情ホルモンそのものは減らないですけど、ときめく気持ちとかそういうものは完全に減っちゃいますね。なんでかっていうと、ときめく気持ちをもたらす脳内物質って、脳にとっては基本的に毒なので。あんまり長い間持ってると悪い影響があるんですよ。なので、タイマーで切れるようになってる。
 だから長いことラブラブっていうカップルは、当初のときめきの気持ちでラブラブというよりは、夫を尊敬してます、とか、愛着を持って家族として仲良く暮らしてますってそういう様相のはずなんですよね。
三浦 ときめきはどういうふうに体に悪いんですか。
中野 これはドーパミンによるものなんですが、ドーパミンの悪さは2段階あって、1つにはドーパミンってずっと出続けていると神経毒性があるんです。もう1つは、この神経毒性がドーパミン作動性ニューロンというのをあまり健康な状態でいられなくしてしまう。もっともっと刺激を欲しくなる、といったちょっと中毒的な状態になるんです。この、ほかのことに目がいかない中毒状態になると、自分の状態をしっかり把握しておくことが難しくなるという作用があるんですよ。
 この中毒状態を作るというのには一定の意味もあって、特に女性は出産のときの体の負担が男性に比べると比べ物にならないほど大きい。だからドーパミンを出して理性をややオフにする。そうでもしないと、恋愛に踏み込みにくかったり、子づくりしにくかったりって言うことがあったりするんですよ。だから、ある程度はそういう状態も女性には期間限定で必要なわけです
 
不倫のメリット
「寝取られ」のロジック
複数愛は可能か
58 三浦 要は、そのケースでは1人の女性にパートナーが2人いるんですね。ご本人は、私はポリアモリーという性的思考を持っているので、フェアに責任をもってこの2人のパートナーと関係を維持しているんです、と言われるんです。でも、いやいや、それはパートナーの相当な犠牲のもとに成り立っているんじゃないですか?と思いましたね。身分制社会で別の目的を婚姻に求めているならともかく、好きになった人に他の男がいても、彼女はポリアモリーだったんだと思えば傷つかない、なんてことがあるわけないでしょう。だからって、そんなのは駄目だ! !とか言いませんけどね。他人の不倫と同じで「知らんがな」です。
中野 結構妥協はあるよなとは思いますね。
三浦 「相手を独占したい」という気持ちを押さえつけることが正しい道なんだというふうに思わされるということですね。執着をしている自分の方がステレオタイプの考え方に囚われていて、偏っているのだと思うに至るわけです
中野 執着をしない恋愛というのはないでしょ。
三浦 ないですよ、そんなもの。執着しない恋愛というのはセックスフレンドだから。
 
妥協としての「一夫一妻」
60 スウェーデンだったと思うんですけど、一握りの裕福な男性が何回も結婚していて、1回も結婚しない男性がそこそこいるという統計があるんですね。日本もそうなりつつありますが、これはどういうことかというと、性的な関係を法でそこまで規定しない社会の場合、あおりを受けるのは男の方なんではないかってことなんです。裕福でなければパートナーが得られないわけだから。そう考えると、一夫一妻はどちらかというと男のためのものだということになりますよね。
 
不倫の「罪」
バッシングの土台は「道徳感情
 
社会的制裁と報道
66 中野 数理社会学の研究で、どうしてルールを破る人にみんながサンクション、制裁を加えるのかというのがあるんです。罪が軽いと、ルールを破ったほうが見かけの利得が高くなる。そうするとみんながルールを守らなくなる可能性が出てくる。ルールを守らない方が得だったら、みんなでルールを守らないようにしようぜという圧力が出てくる。
 そうすると、集団が壊れる。集団である意味がなくなりますから。でも、集団であることを重視するというのが哺乳類の特徴というか、弱い者を守るために集団である必要があるんですね。我々、強力な外骨格とかないし、逃げ足も遅い。子どもを育てるのに20年近くかかっちゃう。そういう相当脆弱な構造をもっている種なので、集団であることそのものが武器なわけです。この武器を壊してはならんということで、逸脱した個体に対してみんなでちょっとそれは困りますというふうにサンクションを加えるというのが構造としてあるんですよね
三浦 そういう研究があるんですね。
中野 ただ、その構造そのものがひとり歩きしてしまうことがある。ほんとうにルールを逸脱しているわけじゃなくて、ただその人が楽しんでいるだけに見えるとか、そういうことで攻撃を受けることがあるんです。全く何の落ち度もなく、ただ集団の中で目立っちゃったというだけで。
三浦 ありそう。
中野 そういう「オーバーサンクション」と言われる現象があるんですが、おもしろいことに、オーバーサンクションを加えている側には快感が生じているんですね。制裁というのは他者への攻撃なので、本来はリベンジのリスクがあるわけです。でも、リベンジのリスクを恐れて制裁を加えないと集団が壊れちゃう。だからこういうときは攻撃に快感を持たされているわけなんです。この攻撃の快感をエンタメとして形にしたのが週刊誌と言っていいんじゃないですかね。
 
「愛の終わり」への恐怖
75 三浦 愛が終わらないという保証はないわけです。それなのに、私たちがなぜ、率先して「結婚」という束縛される枠組みを選択しようとするのかということについては、よく考えなければならないですよね。生活安全保障や子育て、同士的関係を維持することが目的なんだとしたら、性愛は別の自由意志として切り離せばいいのに、なかなかそうはならない。
 
 
 
 
第2部 男と女の性と権力
よい恋愛に必要なもの
家では男尊女卑、外ではリベラル
家庭環境による反復
86 中野 それはもう大いにあり得る話で、対人コミュニケーションのひな型のようなものを「内的作業モデル」というんですね。そこで感情の処理とかそういうのを何をもとにつくるかというと、やっぱり親のコミュニケーションの様式をもとにつくる。だからけんかが絶えないおうちで育った人は、けんかしないとコミュニケーションをとっている感じがしなかったりするもんだんです。
 そのモデルは別に生まれつき備わったものじゃないから、変えていけるのですが、帰るチャンスがないとずっとそのままになる
 
権力欲と性
性的同意と紅茶
女が性的に奔放になる理由
97 中野 あの「津波ごっこ」とか「地震ごっこ」というのはよく知られていると思いますけれど、実は止めちゃいけないんです。怖かったことを追体験することで、学習しているんですよ。そんなに怖くなかったんだと思いたい、だから何度も何度もやるんですけど、記憶ってそういう性質がある。こういうことがあったという事実の記憶、出来事の記憶はかわらないけれども、何度も想起したりすることで意味づけを変えようとするんですね
 
格差は残る、家族は変わる
100 最近はハイヒール・フェミニズムと言えばいいんですかね、「私はフェミニズムだ」というのが若干ファッションアイコンに近い。女性としての美しさとかそういうものを追求してもいいんだよというのは、かつてのフェミニストの苦しんでいた感じとは大分違うじゃないですか。今後はそういうふうに、女性は性的魅力をしたたかに武器に変えて、奪いたいものは奪うし、ステップアップにも使うし、ということになるのか?
 それとも、最近こっちもこっちで幅をきかせていますけど、とにかく性的にふしだらなものは許さん、みたいな方向に行くのか。女性を性的な目で見るあなたたちこそが不潔です、みたいな方向ですね。どっちが多数派を占めるに至るのか、そこがよくわかんないんです。
 
男の「殺気」
女としての防御の仕方
愛とセックスは切り離せる
112 三浦 収入の格差がなくなればなくなるほどそうだろうし、お互い育児負担が平等になれば縛られている度合いも同じになってくる。だから、今は女性の地位向上の通過点なんだろうと思ってます。
 ただ、さっき私が言った自由意志の問題というのは、近代に放り出されてしまった人間の自我を支えるための苦しみなので、終わりを告げることはなくて、恐らくこれからずっと続いていくんですよね。むしろ仮に権威主義的で階層秩序に組み込まれた社会になったら、もっとみんな楽になるはずなんですよ。
中野 例えばジグムント・バウマンの言う「ソリッド・モダニティ」的な社会?つまり、現代を「リキッド」とした場合のそれ以前。
三浦 あるいはもっと以前の社会ね。自分が何をしてもしようがない、システムにのみ込まれて生きるだけだ、その中でなるべくよりよく生きよう、みたいな、ある意味、保守的な生き方ができれば水に流せるようになるのかもしれないし、それが恨みにはつながっても、現代のような孤独と存在不安に苛まれる方向には向かわないのかなって言う気がしますけどね
 
パートナーは「帰る場所」か
113 中野 自由意志を最初から持たないように設計されている真社会性の生物ならそれはうまく回るのだけれど、人間ってカロリーの5分の1も使って脳を維持してるんですよね。そうやってわざわざ各個体に自由意思を持たせているのに、制度が不完全にコントロールを加えている状態というのがどうも…なんかシステムとして冗長すぎなんじゃないですか
 さっきの社会経済的要因に関してはその通りだと思う。今が過渡期にあって、そういう時期に不満が噴出しやすいのも、とてもよくわかるんですね。
 ただ不思議なのは、自由意志によって自分が選び取ったはずの相手から、自分が選ばれないかもしれない、あるいは間違った選択をしてしまったという後悔、などからくる心理的な不安定さを、でもパートナーだけによって埋めることができるんだろうかっていう、そもそもの疑問があって。ほかの人間関係をあまりにも捨てているように思える人も中にはいて
三浦 いますね・・・。
中野 何かこう、結婚生活にあまりにも依存しすぎてません?(笑)家族の絆っていうものがあまりにもタイトで、他の人間関係がすごくアンバランスな気がしますよね。そういうところがむしろ、過剰に見えるバッシングの原因にもあるんじゃないかとも思うんですよね
 
 
 
 
第3部 結婚の罪
結婚の4階建て構造
1階。一番大事なところは経済と生活の安全保障。
2階。「親としての責任」。お子さんがいらっしゃる場合は。
3階。友達あるいは同志としての信頼関係。「夫婦間の信頼関係」
4階。「夫婦の営み」
要は、恋愛感情と火星的な意味合いでの関係性というのは、結婚という建物で言ったら4階部分だと。3階までそろっていたら、別に男女の営みがなくても、夫婦として十分成立する。
 
家族のかたちと社会の意識
日本の結婚制度、うまくいってる?
130 中野 そう考えると、じゃ、仕組みとして結婚というのはどうかと言うと、何かちょっと間尺に合わない感がある。そもそも結婚って、財産の散逸を防ぐとか、あとは人口の管理とか、そういう事のために国家が行ってきたものなのかなという前提があったとすると、もうあまりその役に立ってないですよね。
三浦 つまり、社会に子どもを増やしたいと思ったとき、結婚を守るより結婚を解体したほうがいいかもしれないということ?
中野 すでにフランスがそれで成功していますし、恐らく日本的な結婚制度というのがあったほうが人口が減ることになるんだと思います。フランスにPACSってありますよね?「同棲以上、結婚未満」みたいな制度。民事連帯契約って訳すみたいですけど、同性または異性の成人2身による、共同生活を結ぶための契約。
三浦 日本で言う事実婚を法的に保証した制度ですよね。同性婚も簡単にでき、扶養義務や救護義務はあるなどほぼ結婚と同等だけれど、法定相続の遺留分がなかったり、共同で養子縁組はできなかったり、差もある。
中野 フランスだとこのPACSも含めた婚外子の割合って、半分を超えているんですよね。それを考えると、結婚があったほうが国力を削いでいるんじゃないかっていう印象がある。
三浦 日本は、婚外子というのは事実上存在することを認めたうえで、親の罪は子供の罪ではないからという形で相続分を平等にしたんですよね。2013年の民法改正で。でも、これって、要は罪としている時点でね・・・。婚外子を罪の結果としてみるカソリックが優勢を占めるフランスでさえ、婚外子の平等は1972年には実現しているのですけど。
 
遺伝子プールが「家を守る」
136 三浦 「家」を守るというのは、これは日本独特の発想ですね。これは本郷和人さんがおもしろい新書(『権力の日本史』)を書かれているけれども、日本における家督相続のあり方の変遷過程で、血筋ではなくて「家」を守るようになったと。養子が多用されてきたのはその通りです。日本では将軍の落とし胤という話を聞くことがありますよね。高貴な武人がその家を訪れたときに妻を夜伽にだすというへんてこな風習もあったと。
中野 歓待の掟ですね。
三浦 高貴な胤をもらったことで家の格が上がる―という発想がある。家督相続を繰り返して、後世に家名と財産を受け継いでいくことが社会秩序の基本にあるとすれば、それは個人の幸せを重視する立場ではないし、必ずしも子供が多ければいいというわけでもないんですよね。
中野 日本という国は家という装置をすごく大事にするという点は、たしかにそう思います。
 家でなければ、昔、国体という言葉がありましたけれども、共同体によって醸成される何らかの1つのプレートというか、そういうものをすごく個人よりも優先するという特徴がありますよね、日本って。これはたぶん他の国より大きいんだと思う。というのは、遺伝子プールとしてそういうことを大事にする人たちの国というのがある程度予測されるんですね。
三浦 遺伝子的に?
中野 そう。不安傾向が高い遺伝子というのを保持している人が大多数の国なんですよ。個人が意思を持って何かを決めるということよりも、「みんなの意思」というのをすごく大事にする。「みんなの意思」を作るためには、「みんな」というものを心理的な形で統制する必要があるんですよね
 
138 三浦 社会全体の発想という点でいうと、結婚を尊べ、すなわち妻子を放り出すなというのは、「村」の社会保障で面倒を見るんじゃなくて、「家」単位の社会保障を機能させてほしいからだと思うんですね。人に迷惑をかけるな、という。その気持ちが強すぎて、公的な社会福祉が存在する現代でも、有名人が離婚すると、シングルマザーでやっていけるのか、などと言う余計なお世話に近いような記事が出回りますよね。
中野 夫側にバジェットさえあれば、不倫が男の解消としてある程度見逃されてきたというのはそういうことですよね
 
姦通罪に驚く今の子
社会の「あるべき論」
145 中野 それはどっちなのかな。不倫をしていることでバランスが取れて幸せな結婚になるのか。
三浦 おそらくそれはあるでしょう。あるいは幸せな結婚生活を営める能力のある人だからこそ、破綻しない不倫ができているのかもしれない。
中野 そっちの考え方もありますよね。
 
結婚制度で守られているのは誰か
遺伝子を残せた男の数
結婚の「お得さ」
夫婦長続きの法則
フェムテックのもたらすもの
結婚と老後
なぜ結婚するのか?
男が人妻に言いがちなこと
日本人の一般的信頼
「脱出可能」な女と「脱出不能」な男
夫婦別姓の問題点
男の「逃げ場」
 
 
 
 
第4部 不倫の「倫」
「倫」とはなにか
204 中野 「倫」がどういうものなのかをあまりはっきりさせないまま、あるいははっきりしないまま、人を叩く行動だけがものすごくエスカレートしている現状というのがあって。その基準がはっきりしていないところに危うさがあると思う。この人おかしいね、と誰かに思われたら終わり、狙われたら終わりというような状況ですよね
 もっときちっとした基準があればいいんだけど・・・「倫」も「道徳」もはっきりしないんだよね、意外と。
三浦 人間が生きる意味というものを突き詰めてしまうのが「倫」だとすると、生きる上での合理性を模索するのが「道徳」だという、仮にすごい雑駁な定義を行ってしまうとしますよね。あくまで今回の議論のための便宜上の定義ですけれど。
 そうすると倫理主義的なアプローチを「神」なしに行うのは難しくないですかね。「神」で説明できる部分をどんどん狭くしていくのがある意味合理主義者の考え方ですけれども、倫理にはやはり最後に神が残る。現代という時代はその部分をできるだけ取り除いていって、限りなく世俗に近づけていたはずなんだけれども・・・そうしたときに、じゃ、「倫」の功利主義で説明できない部分はなんだよということなんですよね。世俗主義をとる国においては。
中野 うん。老子の定義に戻って良いなら、「道」には管理者が必要ないけど「倫」には必要なんだよね。神という形で。でも世俗主義の社会だと、その管理者が不在なので、民衆がその管理者を代行するという形になる。もうその結果は、見ての通りだね。一人一人が裁きを与える権威を持ったと自覚している。それは幻の権威なのだけれど、そこは誰も裁かないから
三浦 人間は「神」をつい作りだしてしまう、というのが私の考え方です。日本では「神」という表現こそしないものの、「お天道様は見ている」という考え方や、運命に対する不可知性の認識がありますよね。本来は「誰も傷つけていない婚外恋愛」を裁こうとする根底には、この「神」の倫理の援用があり、それがしばしば暴力につながるという考え方です。
 
 
価値観調査に見る日本
207 

 

 
210 三浦 ええ。儒教的伝統をもっている国は、西洋の考える宗教とはちょっと違うもので自らを律している。日本より宗教色が強いカソリックのスペイン人より、宗教色が薄い日本人の方がよっぽど自らを律しているんじゃないか、という話もありますよね。
中野 日本人の場合は、唯一神の代行者が「世間」なんだと思うよ。「民衆」というと一見、主権在民的なことを言っているようで美しく感じられるんだけど、微細に網の目の張られたパノプティコン(中央の監視塔からすべてが一望できる監獄のこと)と考えるとかなり怖い社会。私たちの「世間」はアブラハムの宗教のような形を取らないけれど、人々の行動様式を制限したりある方向に誘導したりという機能だけで考えたら、宗教のような機能を持っているともいえる。それは、日本に独特なものかもしれない。これを同調圧力と呼ぶ人もいるだろうね。
 
恣意的な「倫」
モラルの基準
「倫」は必要か
もし中野信子と三浦瑠麗が不倫したら
一夫一妻制は女も守る
一度の結婚で人生足りるのか
想像もダメなのか
倫理の網の目
 
 
 
おわりに 三浦瑠麗