読んだ。 #はじめての構造主義 #橋爪大三郎

読んだ。 #はじめての構造主義 #橋爪大三郎
 
 
 
第1章 「構造主義」とはなにか
 構造主義がやってきた
 ブームの火付け役
 サルトルとの論争
 構造主義は「反人間主義」なのか?
 構造主義の方法
 現代思想構造主義に始まる
 「構造」って、わかりにくい
 構造主義の核心に迫る
 
 
第2章 レヴィ=ストロース構造主義の旗揚げ!
 『悲しき熱帯』の衝撃
 レヴィ=ストロースの修業時代
 アメリカ亡命時代
丸山圭三郎ソシュールの思想』―ソシュールの「一般言語学」の講義ノートの内容がわかりやすい
 
 記号としての言語
・日本人はふつう、世界が山や水やナイフや犬や……から出来上がっている、と信じている。しかし、それは日本語を使うからそう見える、ということにすぎないらしい。英語だとか、他の言語を使って生きてみると、世界は別なふうに区分され、体験されることになるだろう。つまり、世界の在り方は、言語と無関係でなく、どうしても言語に依存してしまうのである。われわれはつい、言語と無関係に、世界は初めから個々の事物(言語の指示対象)に区分されているもの、と思い込みがちだ。ところが、そんなことはないので、言語が異なれば、世界の区切り方も当然異なるのだ
 
・ある言葉が指すものは、世界の中にある実物ではない。そこの言葉が世界から勝手に切り取ったものである。また、言葉が何を指すかも、社会的・文化的に決まっているだけである(自然現象の中に根拠がない)。別なふうでも(たとえば、水を「湯」と呼び、湯を「水」と呼んでも)、ちっとも構わなかったのである。こういう特徴をソシュールは、言語の「恣意性」と呼んだ。
 
シニフィアン(記号表現、能記)「犬」 /inu/
シニフィエ(記号内容、所記) 「ワンワン吠える生き物だな」「ハチ公もそれだな」
 
 レヴィ=ストロースのひらめき
 音韻論の発展
言語学を普通、音韻論(どんな音からなりたっているのか)統語論(文法。言葉のつながり、配列がどのような規則に従っているか)意味論(ある文がこれこれの意味に理解できるのは、どういう仕組みによるのか)の三部門に分けることになっている。
 
 音素をみつけだす
 恣意性の原理
・音声学は物理学に、音韻論は言語学に属する。(音韻論にはソシュールの言語思想は不可欠のものだった。言語記号の恣意性の原理がなければ音素の概念には到達しなかった)
 
 母音三角形と子音三角形
母音ならa/i/u、子音ならp/t/k。これが有名な母音三角形と、詩音三角形で、この組み合わせは世界中どんな言語でも、共通なのだそうだ
 



レヴィ=ストロースは、ヤーコブソンの話がうれしくて仕方がなかった。
 
 機能主義の人類学
 機能主義の弱点
 人類学の原点にかえる
 インセスト・タブーの謎
 イトコにもいろいろある
 親族呼称の不思議
 謎の婚姻クラス
オーストラリア大陸北部砂漠に、もともと住んでいたいろんな種族の結婚の精度。
 
「女性の交換」――親族は女性を交換するためにある
 
 クラ交換
・むしろ、こう考えるべきだろう。”価値あるものだから交換される”のではない。その反対に、”交換されるから価値がある”のである!ここがポイント。人々の間に交換のシステムが出来上がっていて、あるものを交換のためにみんな欲しがるから、それが価値あるものとなる。電流が流れると磁場が生まれるように、交換のシステムは必ず価値を孕むのである。
 
モース(贈与論)は、この交換システムのことを「全体的社会的給付」と読んだ。社会(人々のつながり)とは要するに、交換することなのであって、誰もかれもが交換に巻き込まれていく。交換されるものに「価値」が備わっているとしか見えなくなる。こうしたことが、社会的事実(個々人の意思を離れ、社会全体で成立してしまう事柄)として生じていることを指摘した。
 
交換の媒体である宝物や貨幣(「価値」)は、人々を巻き込む交換システムの力の象徴になっている。媒体には、何か使い道があったりしない方が良い。下手に使い道があると、自分で抱え込んでしまって、交換に参加しなくなるからである。
こういう交換の媒体があるおかげで、交換がスムーズに行われていく。首飾りを届けてくれたお礼に、もう一種の宝物を必ずお返しにする。そのほか、タロイモとか豚肉とか、自分で食べてもおいしいものがどっさり相手に送られるのが普通だ。こうして、隣り合った部族の人々の間に、友愛が確認されていく。
 
 贈り物としての女性
 女性の価値
女性そのものの価値を、直接味わうことができるようだと、交換のシステム(つまり社会)が成り立たなくなる。だから、親族(すなわち、女性の交換システム)が成り立つためには、それが否定されなければならない。同じ集団のメンバー(男性)にとって、女性の利用可能性が閉ざされなければならない。これがインセスト・タブーだ!近親相姦は、女性が交換される「価値」であることの、裏側の面(反価値)である。近親相姦が否定されて初めて、人々の協力のネットワーク(つまり社会)が広がっていくのだ。
インセスト・タブーは、人間に備わった本能みたいに考えられたこともあれば、道徳のようなものとして学ばれると考えられてこともあった。どちらでもないようだ。本能のように、持って生まれたものではない。また、意識的に学習できるものでもない。その両方の中間にあって、社会を生きる能力みたいなものである。このタブーが、どんな社会にも必ず見つかって普遍的なのは、それが社会に必要な根本的能力だからである。
 
 限定交換
 一般交換
交叉イトコ
 
 難問もつぎつぎ解決
 コミュニケーションの一般理論
 交換することが生きること
・必要があるから交換がある、のではなく、交換のために交換がある。人間は”交換する動物”なのだ。必要に迫られて、人間は言葉をしゃべったわけじゃない。言葉をしゃべるのは、まったく無償の行為だ。それと同時に、人間には、人間だけのものである豊かな意味の世界が開けたのだ。ソシュールが、言語記号のことを、物質的な世界に縛られない恣意的なものだといったのは、そういう意味ですよ。同じように、女性を、物財を、交換するのも、必要に迫られてのことじゃない。そうするのが、人間らしいことだからだ。
「未開」社会のように、分業の進んでいない社会に見つかる交換は、こういうふうに理解できる。それは「未開」人の気まぐれではない。むしろ社会というものの、根源的な姿なのだ。
 
レヴィ=ストロースがブラジルで受けた(であろう)霊感を、あえて言葉にしてみたら、こんなふうになると思う。親族の謎を解いた今、彼はその霊感を、社会はコミュニケーションのシステムである、という言い方に表したのである。
これによれば、社会の一番基本的な形は、交換のシステムである。その交換は、利害や必要に基づくのではなく、純粋な動機(交換のための交換)にもとづくものだ。交換のシステムの中では、女性や、物財や、言葉が、「価値」あるものになる。しかし、それらが、その価値故に交換されるとか、利害動機や機能的な必要に基づいて交換されるとか考えるわけにはいかない。あくまでも、交換のための交換が基本であり、それが特殊に変化・発達していった場合にだけ、いわゆる経済(利害に基づいた交換)があらわれるに過ぎない。
デュケルケームの機能主義人類学にも、経済(下部構造)が文化や精神世界(上部構造)を規定するというマルクス主義の基本的な考え方にも真っ向から対立するものだった。
 
 構造人類学の成功
 神話研究と〈構造〉
 「構造」か〈構造〉か
 神話研究の行き詰まり
 神話学の手順
 神話学は客観的な方法か
 神話学と、テキストの解体
・それは、これまでの知的伝統をひっくり返す、破壊行為である。神話学を先頭とする構造主義現代思想に消すことのできない影響を残した理由が、そこにある。なぜだろう?それは、神話分析が、テキストを破壊してしまう無神論の学問だからだ
テキストはふつう、何かを言いたいためにある、と考えられている。言いたいこと(メッセージ)を読み取るのが、テキストの読解である。ところが、レヴィ=ストロースの神話学は、テキストを字義通りに読まない。それは、テキストの表層に過ぎなくて、本当の<構造>はその下に隠れている、とみる。テキストをずたずたにして、いろんな代数学的操作を施しても構わない、と考えるのだ。
 
キリスト教の「聖書」も、共産党の「資本論」など権威あるテキストも、解釈権をなし崩しに否定されるいったん構造主義の洗礼を受けた後では、どんな権威あるテキストも成立しなくなる。(テキストよりも「××を読む」という態度の方が、上位となってしまう。)
 
 
第3章 構造主義のルーツ
 構造主義のルーツは数学
・ヨーロッパの知のシステムは、いくつか、それを支える重要な部分品がある。その部分品を片端から、構造主義が打ち壊してしまう。
例えば、テキスト。テキストの権威を確立してこそ、知のシステムも安定できる。ところが構造主義は、テキストよりも、「××を読む」という態度の方を上位においてしまう。同じテキストも読みようではどうとでも読めるし、誰でも(筋さえ通っていれば)自分流に読んでかまわない、というのだ。この手口は、神話分析のところで説明した。
また、たとえば、主体。社会をこしらえているのも主体なら、物を考えるのも主体、魂を救われるのも主体である。知のシステムは、主体を前提にしている。ところが構造主義は、<構造>みたいに、主体を超えた、無意識的・集合的な現象が重要だ、と主張する。人間のことを主体としか理解しないようでは、いつまでたっても人間がわからないだろう、というのだ
このほかに、もっと重要な部品がある。それは、真理である。
ヨーロッパの知のシステムは”真理”を目指して進むものだった。ただ一つの心理(正しいことがら)がある。そして人間は、いつか真理(正しいことがらをのべる言葉)を手にできる。こう信じられてきた。
これに対して、構造主義は、真理を”制度”だと考える。制度は、人間が勝手にこしらえたものだから、時代や文化によって別のものになるはずだ。つまり、唯一の真理、なんてどこにもない。――この批判は、レヴィ=ストロースだけじゃなくて、ラカンフーコーアルチュセールなど、他の構造主義者たちにも一貫して流れるテーマである。
 
 真理から制度へ
 証明という制度の発見
・公理が他所から証明されたりしては大変だから、よくよく吟味が重ねられ、最終的には五つに絞り込まれた。五つの公理から出発すれば、幾何学の知識は、すべて証明の連鎖によってあとづけることができる。このことを記した本が、ユークリッドの「幾何学原本」である。
 
ユークリッドは実在の人物かどうか疑わしいという話もあるが、「幾何学原本」のほうはちゃんと実在しており、以後二千年にわたって、すべての学問の手本となった。
 
 平行線公理
①どんな二点のあいだにも、一本の線分がひける
②線分を、好きなだけ延長できる
③好きな点を中心に、好きな半径の円を描くことができる
④直角はどれも等しい
⑤直線外の一点を通って、その直線に平行な直線を、一本だけ引くことができる
 
五番目のが有名な「平行線公理」
 
 幾何学と論理学
ギリシャ人は、幾何学が大好きったが、算術は大嫌いだった。算術は、奴隷や商人の仕事だったからである。そのため、ギリシャで、代数はほとんど発展しなかった。
アラビア人には、このような偏見がなかったので、代数学も次第に発展した。インドからゼロを伝えたのも、上手い記数法(アラビア数字)を伝えたのも、彼らであるイスラム教徒にいろいろ教えてもらって、ルネサンス頃になると、イタリアでは四次方程式ぐらいまではどうにか解けるようになった。
代数学幾何学を劇的な形で結合させたのは、デカルトである。
 
 理性の時代
 カントの批判哲学
 公理主義から形式主義
 物理学の革命
 真理の相対主義
・ヨーロッパ世界はこれまで、唯一の真理があることを信じてきた。その心理が、啓示によってもたらされるのか、それとも、理性によってもたらされるのか、という違いはあるにしろ、真理を目指して運動してきた。ところがいまや、なにが「正しい」かは、公理(前提)をどう置くかによって決まる。つまり、考え方の問題である。公理を自明のものと考えれば、証明や論証の結果は”真理”に見える。しかし、そうみえるのは、ある知のシステムに閉じ込められているくせに、そのことに気づかず、それを当たり前と思っているからじゃないか。――こういう反省が怒ってきて当然なのだ
 
 遠近法にさかのぼる
<構造>←形式主義←射影幾何学←遠近法
 
 遠近法のウソ
 ヨーロッパ社会と絵画
 遠近法と「視る主体」
 遠近法の合理性
 平行線が交わる?
 射影交換と図形の群
 



 
 変換群と〈構造〉



 
 
 同型写像と代数構造
ゲーテルの不完全性定理--数学が完全であることを、その数学自身によって示すことは出来ない
 
 レヴィ=ストロースとのつながり
 オーストラリアの代数学
・ヨーロッパ世界が、えっちらおっちら数学をやって、「クラインの四元群」にたどり着くまでに、短く見ても二千年かかった。つい最近まで、誰もそんなもの、知らなかったのである。ところがオーストラリアの原住民に人々は、誰に教わらないでも、ちゃんとそれと同じやり方で、大昔から自分たちの社会を運営している。先端的な現代数学の成果と見えたものが、何のことはない、「未開」と見下していた人々の思考に、先回りされていたのだ
 
 ふたたび、神話の〈構造〉とは何か
・「野生の思考」、「器用仕事(ブリコラージュ)
 
 置換軍としての神話
 神話学へのいちゃもん
 主体が消える
・この射影幾何学の体系化をきっかけにして、数学における構造主義が誕生した。こんなふうに<構造>を研究するのは、そもそも、主体とか客観とか、何か実体を考えてしまう発想とは対極的である。レヴィ=ストロースは、代数学の<構造>の話しかしなかったみたいだけれども、幾何学の<構造>にも話を広げて見れば、構造主義の方法の中で主体が消えていく理由がよくわかる
レヴィ=ストロースは、主体の思考(一人ひとりが責任を持つ、理性的で自覚的な思考)の手の届かない彼方に、それを包む、集合的な思考(大勢の人々を捉える無自覚な思考)の領域が存在することを示した。それが神話である。神話は、一定の秩序――個々の神話の間の変換関係にともなう<構造>――を持っている。この<構造>は、主体の思考によって直接捉えられないもの、”不可視”のものなのだ
 
 
第4章 構造主義に関わる人びと―ブックガイド風に
 ほんのスケッチ・人物篇
「狂気の誕生」「臨床医学の誕生」「言葉と物」「監視と刑罰」「性の歴史」
資本論を読む」
使っている方法がどちらかというと単純なので、バルトの書くものはわかりやすい。レヴィ=ストロースフーコーのような、高級な数学モデルをしたが気にするわけでもない。マルクスフロイトや…そのほか大学者の説を援用するのでもない。二体対立の原理みたいな単純な道具立てと、持ち前のセンスの良さ。この二つだけを頼りに、現象にいきなり切り込んでいく。
 
日本について独自の分析をした『表徴の帝国』
「これはエクリチュールについての本である。日本を使って、わたしが関心を抱くエクリチュールの問題について書いた。日本はわたしに詩的素材を与えてくれたので、それを用いて、表徴についてのわたしの思想を展開したのである」。天ぷら、庭、歌舞伎の女形からパチンコ、学生運動にいたるまで…遠いガラバーニュの国“日本”のさまざまに感嘆しつつも、それらの常識を“零度”に解体、象徴、関係、認識のためのテキストとして読み解き、表現体(エクリチュール)と表徴(シーニュ)についての独自の哲学をあざやかに展開させる。
「エクリ」(全三巻)が主著だが、むずかしくて、何を言ってるのかよくわからなかった。翻訳のせいもあるけれど、フランス人でも歯が立たないというんだから仕方がない。
 
レヴィ=ストロースの語るところによれば、構造主義には三つの源泉がある。マルクス主義、地質学、それに精神分析。これらに共通するのは、目に見える部分の下に、本当の秩序(構造)が隠れている、と想定している点だ。
 
・郵便モデル
脱構築(デコンストリュクシオン)――既存の枠組みを「脱」して新しい枠組みを「構築」する事。
 
・「グラマとロジー」に、レヴィ=ストロースの文章を批判した箇所がある。「悲しき熱帯」のなかの、文字のことを話題にする部分なのだが、デリダが自分の筋書きに無理やり持っていくので、レヴィ=ストロースにしてみれば、難癖をつけられたみたいに感じたことだろう。
レヴィ=ストロースは、ルソーを高く評価し、その後継者のつもりでいる。
②ルソーは、「言語起源論」を見てもわかるように、文字(エクリチュール)を否定的にとらえ、ロゴス中心主義音声中心主義を表明した。
③これは、フッサール現象学の間違った考え方(現前の形而上学)の、元祖である。
④そういえば、レヴィ=ストロースも、音韻論のモデルを「未開」社会の分析に持ち込んでいる。そして、ルソーの見解を引き継いで、文字のない社会=話し言葉が届く小世界=無垢の共同体・対・文字のある社会=権力と抑圧と搾取のある社会、と考えている。
レヴィ=ストロースは、文字は後から社会に持ち込まれた、とみるようだ(後成説)が、要するに彼は、ルソーやフッサールの一味である。それは、言葉がもともと持っているエクリチュールの働き(エクリチュール作用)を見ないことになる。
⑥だからけしからんのであって、レヴィ=ストロースは口では、自民族中心主義反対を唱えるくせに、そのの実は、自民族中心主義(現前の形而上学)と変わらない。
と、こうなる。
 
  ほんとにブックガイド
  言語学関係
  人類学関係
  レヴィ=ストロースの主な本・書いた順に
  構造主義に関連して
  数学と遠近法について
  日本人による仕事の一例としては
  ポスト構造主義に入門するのなら
 
 
第5章 結び
 構造主義は時代遅れか
 ポスト構造主義は新しいか
 ポスト・モダンの大流行り
 モダニズムがんばれ
 これからどうする・傾向と対策