読んだ。 #ただしい人類滅亡計画 反出生主義をめぐる物語 #品田遊

読んだ。 #ただしい人類滅亡計画 反出生主義をめぐる物語 #品田遊
 
>全能の魔王が現れ、10人の人間に「人類を滅ぼすか否か」の議論を強要する。
>結論が“理"を伴う場合、それが実現されるという。
>人類存続が前提になると思いきや、1人が「人類は滅亡すべきだ」と主張しはじめ……!?
 
>本書は「人類を滅亡させるべきか否か」について10人が議論する様子を書いた小説であり、反出生主義について考える補助線です。
 
 
 
57 ブラック:人類滅亡は誰かにとっての不幸でありうる。しかしそのリスクは、人類が存続する場合だって同じだ。つまり、俺が人類存続に反対する理由をひとことで言うと、こうなる。
 「終わりがどんな形で訪れるにしろ、人類の不在は端的にいって不幸ではなく、これから実現するかもしれない不幸が回避できるから」。
 
ブルー:さっきのレッドさんの発言を裏返したような、そのままのような・・・。
 
ブラック:ただ裏返したわけじゃない。
 レッドは「人類の『滅亡』は端的に”不幸である”」と言ったが、俺は「人類の『不在』は端的に”不幸ではない”」と言っているところにまず注意してほしい。これはまさに、さっきの「非実在」の意味の違いを区別している。「滅亡」はすでにあるものがなくなる点に着目しているが、「不在」はそうとは限らない。この場合は、ただ人間がいないことを意味している。それは「単なる非存在」なのだから、嘆く必要はない。
 次に、レッドは「これから実現するはずだった幸福が失われる」と言っていたが、俺は「これから実現するかもしれない不幸が回避できる」と言っている。子どもが生まれなければ、その子どもにとっての不幸も生じないんだから当然だな。
 これが俺の「道徳の基礎ルールに従った反出生主義」だ。
 
 
61 ブラック:いや、オレンジはたとえ話に引っ張られて誤解をしているな。反出生主義を語るとき、スープの例えは不適切なんだ。
 
レッド:スープのたとえを最初に出したのはお前だろう!
 
ブラック:いや、あれは、「幸福と不幸の性質の違い」を説明するために言っただけだ。勝手に他へ応用されちゃ困る。
「存在」と「非存在」をてんびんにかけた話で、スープのように具体的なものを比喩に使うと、非存在の方に「喪失」のニュアンスが生じてしまう。それこそ、出生主義者のまちがいの源泉なんだ。
「せっかく生まれてくるはずの子どもを『生むな』だなんて、ひどい!」
「せっかく配られるスープを取り上げるなんて、ひどい! ひどい!」
・・・ほら、似てるだろう?
 
 
65 ブラック:いいかげんわかったと思うが、反出生主義を比喩で理解しようとしないほうがいい。なぜなら、さっきも言った、「存在と非存在の混同」を起こしてしまうから。出生―意識あるものが新たにこの世に存在をはじめること―は、他の事象にたとえられない、特別なことなんだ
 
グレー:ふーん、そうかなあ?まあ、ある意味ではそうかもしれないけど。
 
ブラック:しかし、別のところでパープルのたとえ話は役に立ったようだ。
 
オレンジは先ほど、こう言った。「バカな賭けをするのも銃を自分に向けるんだったら自己責任だけど、他人を巻き込んじゃいけない」と
―生殖は「他人を巻き込むバカな賭け」だとは思わないか?
 
 
74 シルバー:内容によって「よりよい子どもをつくり上げようとしている独善」とも取れるし「人の不幸をあらかじめ取り除いてあげている善」とも取れるね。
考えてみると、むずかしい問題だ。
 
ブラック:あからさまな優生思想は、人権意識の台頭とともに否定された。
しかし「不幸な人を増やしてはならない」という考えは今も肯定されているばかりか、より強化されたとすら言える。
その考え方は、不幸になるかもしれない個体の出現を制限し、より幸福になりそうな個体の出現を望むようになった。
これを「かわいそう」を動力源にして駆動する新たな優生思想と捉えることもできるかもしれない
残虐するのとは別のやり方で、生れる命の選別を恣意的に行っているという点で共通している。
 
シルバー:それが悪いことだっていうよりは、善と悪の境界線が曖昧って感じかなあ。
 
オレンジ:で、反出生主義者で人類の滅亡を企むブラックは、そこには参与しないって?
 
ブラック:そう。俺はもっと根本的な話をしている。俺は不幸の内容ではなく、不幸が「ある」ということ自体を問題視しているからだ。
 
 
82 ブラック:いや、それでいいんだ。
これから自分の価値観がどう変わっていくのかは誰にもわからない。
だからこそ、どの選択肢を選ぶべきかを、未来の自分が持つであろう価値観に基づいて知ることもできない。
なのになぜ、イエローは「バイクに乗る」という選択肢を選べたのか?
・・・そのときにおける”現時点の”価値観で「バイクに乗るのがよさそうだ」と思ったからだ。
人生やってみなくちゃわからないことだらけだ。
だが、膨大な選択肢からひとつを選ぶには「やってみなくてもわかる気がする」という、”現時点の”価値観に基づく判断がどうしても必要なんだ。
イエローはその賭けに勝って「バイクに乗る喜び」という新しい幸福を手に入れたが、それは「バイクに乗ったら楽しそうだ」という価値観をすでに持っていたからに他ならないじゃないか。
だからこそ「未知に挑戦し、変革せよ」というメッセージは打ち出せない。
むしろ導ける教訓は「現状を分析し、より期待値の高そうな方を選べ」ということになる。
いくらあとから価値観が変わるといったって、どう変わるかが予想できないなら、その時の価値観で損得勘定をしてベストを選ぶしかない。
 
 
89 ブラック:そこだ!そこをお前たちは何度も間違え続けているんだ出生は人生の内部の出来事ではない
だから、学校の例と同じように考えてはいけない。
まったく別のカテゴリーとして捉えなければならない。
それこそが重要なポイントなんだ。
まず、「生まれてくる/生まれてこない」という分岐がおかしいじゃないか。
「生まれてこない人生」などというものはありえないのだから。
ロッコのレール分岐のようなたとえを採用するなら、親による出産と子どもの出生の連動をそのまま考えることはできない。
「子どもを産まない人生」は人生のなかで起こる出来事だが「親から生まれてこない人生」は人生のなかで起きる出来事じゃないからな。
出産とは、子どもの人生のレールを分岐させる出来事ではなく、レールそのものを生じさせる出来事であり、その点で破格に特別な行為なんだよ
この、「無」から「有」を生じさせる事の重大さを、子どもを学校に行かせるとか行かせないとかいう程度の、人生の内部で起こる葛藤と同列に扱うべきではない。
 
 
114 ブラック:俺たちに課される義務、それは「他人に苦痛を与えないこと」だ。つまり「他人に苦痛を与える」というタブーを侵さないことでもある。
(略)
オレンジ:他人を幸福にする義務と言ってはいけないの?
 
ブラック:いや、俺たちが背負っている義務の根本は苦痛の量を減らすことにある。だからこそ、苦痛を増やす行為・・・暴力や窃盗や詐欺は特に厳しく糾弾される。
法律書を開いてみれば、その意味はすぐに分かるだろう。
そこにあるメッセージは「幸福を増やすべし」などではない。
「苦痛の量を増やすな」なんだ。
俺たちはみんなの幸せの実現を義務として課されているのではなく、みんなを不幸にしないという義務を負って生きている。
他者に苦痛を与えることを回避する義務。
それが道徳的には重要なんだよ。
 
(略)多くの場合、幸福とは欲求が満たされたとき一時的に感じられる精神状態であって、苦痛とはカテゴリーが違う
 
 
175 グレー:なんでブラックをみんなが理解してくれないのか、おしえてあげよっか。
ブラックの主張の根本には「人を傷つけてはならない」という原則があるよね。その原則をどこまでも伸長させて「人類を滅ぼすべき」という主張に改造してるみたいだけど・・・その「人を傷つけてはならない」っていうルール自体、言ってみればただのルールにすぎないわけさ。みんな、そんなルール大して重視してないんだよ。
「ただのルール」にすぎないものを過剰に神聖視して人類全体に守らせようって思考がもう、ふつうの人たちからしたら胡散臭くって仕方ないってことだよ。
そりゃあ、人生をこじらせたやつにしか共感なんて得られないよ。
(略)
じゃあさ、「人を傷つけてはならない」っていう普遍的なルールがどういう前提から生み出されたかを考えてみようよ。
これは単純で、まず自分が傷つけられたくないんだよね。
全員が「人を傷つけてはならない」というルールさえ守れば、自分が傷つけられるリスクはなくなる。
だれだって、おもしろおかしい幸福な人生を生きたいし、苦痛を遠ざけたいと考えている。
つまり利己心だ。
道徳っていうのは、個々人の利己心を互いに了解したうえで、それぞれの利益が最大化するような仕組みを考える過程で生まれたもののはずだ
だから、どんなに道徳的な仕組みが発達しても、結局は「自分にとって得か損か?」がゴールになっているともいえる。
ボクたちは、自分にとって得でさえあれば道徳に反した行動をとれるし、それはみんな最初からわかっていることなんだよ。
(略)
「ルールを破れば得する状況でもルールをしっかり守ること」自体が気持ちいいんだよね。
それが得になるような精神構造をつくり上げちゃってるだけなんだ。
子ども向けの道徳教育って、道徳的行為を「気持ちよがる」精神構造を植え付けるのが目的なんだけど、完璧にそういう精神構造を体現しちゃってる人って、普通の人にはちょっと不気味なんだよ。
 
 
180 グレー:でも結果的に、いつか人類は絶滅しちゃうんでしょ。
たいていの人はそのこと自体がかなりイヤなことで、苦痛なんだよ。
ほんとうにわからない人だなあ。
 
ブラック:苦痛だとしても、苦痛を味わう存在そのものが今後も増え続けるよりは・・・。
 
グレー:苦痛を味わう存在が今後増え続けるとしても、子どもを作りたいんだよ。大部分の人は。
ボクたちは「人を傷つけてはいけない」というルールに合意したうえで社会のなかで生きているけど、それ以上に重要な事実として「多少は人を傷つけたり、傷つけられたりしていく社会」で生きていることにも合意している。
時にはそっちの基準の方が大切なんだ。
そりゃブラックの言うことは論理的には正しいかもしれない。
子どもを生むことは、苦痛を感じる主体をひとつ新たに増やす罪深い行為かもしれないよ。
でも結局「たかが罪」なんだよね。
 
ブラック:たかが、罪・・・。
 
グレー:人間社会はずっと存続させるために頑張ったり、子育てをしたり、そういうことを「したい」と思ってしまう。
その「実際そう思ってしまうこと」が大事なんだ。
人が生きることの楽しさと、人類の存続にまつわるあれこれは密接に結びついている。
ボクたち人間は「それぞれが利己的に『この生命』を生きる生き物である」という断絶を共有してつながっている共同体なんだよ。
その一方、ブラックの反出生主義は「生まれてきてしまうかもしれない子どもたち」という存在しない存在のためにある。
矛盾が少ないのはブラック側だとしても、その議論には中心が無いから、ペラく、胡散臭く見えるんだ。
そのうえ、もうひとつ問題がある。
ブラック、きみはなぜ、そんなに人類を絶滅させたがるんだ?
 
ブラック:・・・だから、その方が道徳的にかなっているからだ。
 
グレー:思ったとおりの答えだなあ。
きみは当り前みたいに言うけど、それって異常な心理だよ。
ふつう、人は道徳のために生きようとはしない。
しかも、教育によって刷り込まれた一般的な道徳を慣例的に守ろうとするのならまだしも、ブラックはかなり独特の、道徳原理を転倒させて世界を滅ぼすところへつなげようとしている。
そんな異形の道徳みたいなものを力強く掲げようなんてなかなか思わない。
もしそんなことを本気で願っているとしたら、道徳を守りたいという以上に、そういうプロセスを経て世界を滅亡に導くことに執着しているように見えるね。
 
(略)
グレー:でもその道徳は、実際の道徳の運用とズレてる。
みんなが実際に守っているのは「道徳」そのものではなくて「道徳の守り方」なんだからね。
(略)
ブラックの反出生主義は「『道徳の守り方』という道徳」に反している。そういう意味で不道徳な主張だ。
 
 
226 かなり大雑把にいえば、現在の反出生主義には2つの源流があることになります。
1つは実存の苦しみから生じる反出生主義。
2つ目はわたしたちの道徳的な決まりから導かれる反出生主義。
現在行われている反出生主義に関する議論は二つの流れが合流するところで行われていると言えます。
反出生主義は見かけ以上に厄介です。
「実存」の川をさかのぼれば、この人生とは何か、存在とは、幸福とは何か、といった難問が立ちはだかり、「道徳」の川をさかのぼると、社会の意義、善悪の根拠といった別の難問が待ち受けています。
川が合流することによって生じる対流のような謎もあります。
ネット上の議論がかみ合わないのも当然かもしれません。
 
本書は「人類を滅亡させるべきか否か」について10人が議論する様子を書いた小説であり、反出生主義について考える補助線です。