読んだ。 #人新世の「資本論」 #斎藤幸平

読んだ。 #人新世の「資本論」 #斎藤幸平
 
 
 
 
はじめに‐SDGsは「大衆のアヘン」である!
 
 
 
第1章 気候変動と帝国的生活様式
1.02 ポイント・オブ・ノーリターン
1.03 日本の被害予測
1.04 大加速時代
1.05 グローバル・サウスで繰り返される人災
1.06 犠牲に基づく帝国的生活様式
27 ドイツの社会学ウルリッヒ・ブラントとマルクス・ヴィッセンは、グローバル・サウスからの資源やエネルギーの収奪に基づいた先進国のライフスタイルを「帝国的生活様式」(imperiale Lebensweise)と呼んでいる。
 
1.07 犠牲を不可視化する外部化社会
1.08 労働者も地球環境も搾取の対象
1.09 外部化される環境負荷
1.10 加害者意識の否認と先延ばしの報い
1.11 「オランダの誤謬」‐先進国は地球に優しい?
1.12 外部を使いつくした「人新世」
1.13 冷戦終結以降の時間の無駄遣い
1.14 マルクスによる環境危機の予言
1.15 技術的転嫁‐生態系の撹乱
1.16 空間的転嫁‐外部化と生態学帝国主義
1.17 時間的転嫁‐「大洪水よ、我が亡き後に来たれ!」
1.18 周辺部の二重の負担
50 例えば、南米チリでは、欧米人の「ヘルシーな食生活」のため、つまり帝国的生活様式のために、輸出向けのアボカドを栽培してきた。「森のバター」とも呼ばれるアボカドの栽培には多量の水が必要となる。また、土壌の養分を食い尽くすため、一度アボカドを生産すると、他の種類の果物などの栽培は困難になってしまう。チリは自分たちの生活用水や食料生産を犠牲にしてきたのである。
 
1.19 資本主義よりも前に地球がなくなる
1.20 可視化される危機
1.21 大分岐の時代
 
 
 
 
第2章 気候ケインズ主義の限界
2.02 「緑の経済成長」というビジネスチャンス
2.03 SDGs‐無限の成長は可能なのか?
2.04 プラネタリー・バウンダリー(地球の限界)
62 地球システムには、自然本来の回復力(レジリエンスが備わっている。
 
2.05 成長しながら二酸化炭素排出量を削減できるのか?
2.06 デカップリングとはなにか?(切り離し、分離)
65 通常、「経済成長」によって「環境負荷」は増大する。そのように今まで連動して増大してきたものを、新しい技術によって切り離そうとするのが、ディカップリングだ。つまり、経済が成長しても、環境負荷が大きくならない方法を探るのである。
 
「相対的ディカップリング」
 
2.07 絶対量で二酸化炭素を減らす必要性
「絶対的ディカップリング」
 
2.08 経済成長の罠
2.09 生産性の罠
2.10 デカップリングは幻想
2.11 起きているのはリカップリング
2.12 ジェヴォンズパラドックス‐効率化が環境負荷を増やす
76 新技術の開発で高率性が向上したとしても、商品がその分廉価になったせいで、消費量の増加につながることが頻繁に起こる。テレビは省エネ化しているが、人々がより大型のテレビを購入するようになったせいで、電力消費量がむしろ増えている。あるいは、自動車の燃費向上をSUVなどの大型車の普及が無意味にしたというのも、同じパラドックスである。
 
2.13 市場の力では気候変動は止められない
2.14 富裕層が排出する大量の二酸化炭素
81 もちろん、「裕福な生活様式」によって、二酸化炭素を多く排出しているのは、先進国の富裕層である。世界の富裕層トップ10%が二酸化炭素の半分を排出しているという、驚くべきデータもある。とりわけ、プライベート・ジェットやスポーツカーを乗り回し、大豪邸を何件も所有するトップ0.1%の人々は、きわめて深刻な負荷を環境に与えている。
 他方で、下から50%の人々は、全体のわずか10%しか二酸化炭素を排出していない。にもかかわらず、気候変動の影響に彼らが最初に晒される。ここにも、第一章で見た帝国的生活様式や外部化社会の矛盾がはっきりと表れている。

 
2.15 電気自動車の「本当のコスト」
2.16 「人新世」の生態学帝国主義
2.17 技術楽観論では解決しない
90 IEA(国際エネルギー機関)によれば、2040年までに、電気自動車は現在の200万台から、2億8000万台にまで伸びるという。ところが、それで削減される世界の二酸化炭素排出量は、わずか1%と推計されているのだ。
 なぜだろうか?そもそも、電気自動車に変えたところで、二酸化炭素排出量は大して減らない。バッテリーの大型化によって、製造工程で発生する二酸化炭素はますます増えていくからだ。
 
2.18 大気中から二酸化炭素を除去する新技術?
92 NETの代表例であるBECCS(Bio-energy with Carbon Capture and Storage)について考えてみよう。BECCSとは、バイオマス・エネルギー( BE)の導入によって排気量ゼロを実現しつつ、大気中の二酸化炭素を回収して地中や海洋に貯留する技術(CCS)を用いて、二酸化炭素排出量をマイナスに持っていこうとするものだ。
 しかし、BECCSが実現しても、問題はそう簡単には解決しないだろう。「緑の経済成長」を目指すなら、拡大する経済規模に合わせて、BECCSの規模を拡充させなくてはならないからだ。
 
2.19 IPCCの「知的お遊び」
2.20 「絶滅への道は、善意で敷き詰められている」
2.21 脱物質化社会という神話
96 シュミルが指摘するように、サービス部門への経済の移行が問題を解決するわけではない。例えば、レジャーは非物質的であるが、余暇活動のカーボン・フットプリントは全体の25%をも占めるといわれている。
 
2.22 気候変動は止められないのか?
2.23 脱成長という選択肢
 
 
 
 
第3章 資本主義システムでの脱成長を撃つ
3.01 経済成長から脱成長へ
3.02 ドーナツ経済‐社会的な土台と環境的な上限

103 まず、水や所得、教育などの基本的な「社会的な土台」が不十分な状態で生活している限り、人間はけっして繫栄することはできない。社会的な土台の欠如とは、自由によく生きるための「潜在能力」を実現する物質的条件が欠けていることを意味する。人々が本来もっている能力を十分に開花できないならば「公正な」社会はけっして実現されない。これが今、途上国の人々が置かれている状態である。
 けれども、自らの潜在能力を発揮するために、各人が好き勝手にふるまっていいわけではない。将来世代の繁栄のためには、持続可能性が不可欠となる。そして、持続可能性のためには、現在の世代は、一定の限界内で生活しなくてはならない。それが、第二章でも見たプラネタリー・バウンダリー論に依拠した「環境的な上限」であり、ドーナツで言えば外延を成す。
 要するに、この上限と下限のあいだに、できるだけ多くの人々が入るグローバルな経済システムを設計できれば、持続可能で公正な社会を実現することができる、というのがラワースの基本的な考えである。

 
3.03 不公正の是正に必要なもの
3.04 経済成長と幸福度に相関関係は存在するのか?
3.05 公正な資源配分を
3.06 グローバルな公正さを実現できない資本主義
111 しかし、問題の本丸は、公正な資源配分が、資本主義のもとで恒常的にできるのかどうか、である。
 
3.07 4つの未来の選択肢
(2)野蛮状態
(4)X(脱成長コミュニズム

 
3.08 なぜ資本主義のもとでは脱成長できないのか?
3.09 なぜ貧しさは続くのか?
3.10 日本の特殊事情
121 もちろん、人々の生活を第一に考えた反緊縮は、すばらしい発想だ。しかし、日本の反緊縮の議論に決定的に欠けている視点がある。それが本書の主題でもある、気候変動問題である。
 前章でも触れたが、反緊縮を真っ先に掲げたアメリカのバーニー・サンダースにせよ、イギリスのジェレミー・コービンにせよ、反緊縮政策の目玉のひとつは、グリーン・ニューディールだった。つまり、気候変動対策としてのインフラ改革であり、生産方法の変革であった。ところが、彼らの反緊縮政策が日本に紹介される際に、気候変動という視点は、すっぽり抜け落ちてしまった。その結果、日本の経済論壇における「反緊縮」とは、金融緩和や財政出動で資本主義のもとでの経済成長をひたすらに追及する従来の理論と代り映えしないものになっている。
 
3.11 資本主義を批判するZ世代
3.12 取り残される日本の政治
3.13 旧世代の脱成長論の限界
3.14 日本の楽観的脱成長論
3.15 新しい脱成長論の出発点
3.16 「脱成長資本主義」は存在しえない
3.17 「失われた30年」は脱成長なのか?
133 そもそも、本来成長を目指す資本主義を維持したままの脱成長とは、「失われた30年」の日本のような状態を指す。実際、広井は日本が「成熟社会の新たな豊かさの形こそを先導していくポジションにある」と述べている。
 だが、資本主義にとって、成長できない状態ほど最悪なものはない。資本主義のもとで成長が止まった場合、企業はより一層必死になって利益を上げようとする。ゼロサム・ゲームのなかでは、労働者の賃金を下げたり、リストラ・非正規雇用化を進めて経費削減を断行したりする。国内では階級的分断が拡張するだろうし、グローバル・サウスからの掠奪も激しさを増していく。
 実際、日本社会では、労働分配率は低下し、貧富の差はますます広がっている。ブラック企業のような労働問題も深刻化している。
 
3.18 「脱成長」の意味を問い直す
3.19 自由、平等で公正な脱成長論を!
3.20 「人新世」に甦るマルクス
 
 
 
 
第4章 「人新世」のマルクス
4.02 <コモン>という第三の道
141 近年進むマルクス再解釈のカギとなる概念のひとつが、<コモン>、あるいは<共>と呼ばれる考えだ。<コモン>とは、社会的に人々に共有され、管理されるべき富のことを指す。20世紀の最後の年にアントニオ・ネグリマイケル・ハートというふたりのマルクス主義者が、共著『<帝国>』のなかで定義して、一躍有名になった概念である。
 
4.03 地球を<コモン>として管理する
143 「否定の否定」とはどういう意味か、簡単に説明しておこう。一段階目の「否定」は、生産者たちが<コモン>としての生産手段から切り離され、資本家の下で働かなくてはならなくなったことを示している。だが、二段階目の「否定」(否定の否定)においては、労働者たちが資本家による独占を解体する。そして、地球と生産手段を<コモン>として取り戻すというのである!
 
4.04 コミュニズムは<コモン>を再建する
4.05 社会保障を生み出したアソシエーション
146 グレーバーによれば、アソシエーションから生まれた<コモン>を、資本主義のもとで制度化する方法の一つが、福祉国家だったのである。しかし、1980年代以降、新自由主義の緊縮政策によって、労働組合や公共医療などのアソシエーションが次々と解体もしくは弱体化され、< コモン>は市場へと吞み込まれていった。 
 
4.06 新たな全集プロジェクトMEGA:Marx-Engels-Gesamtausgabe
4.07 生産力至上主義者としての若きマルクス
149 すなわち、資本主義の発展とともに多くの労働者たちが資本家たちによってひどく搾取されるようになり、格差が拡大する。資本家たちは競争に駆り立てられて、生産力を上昇させ、ますます多くの商品を生産するようになる。だが、低賃金で搾取されている労働者たちは、それらの商品を買うことができない。そのせいで、最終的には、過剰生産による恐慌が発生してしまう。恐慌による失業の生でより一層困窮した労働者の大群は団結して立ち上がり、ついに社会主義革命を起こす。労働者たちは解放される。
 これは、マルクスエンゲルスと一緒に書いた『共産党宣言』(1848年)の内容を物凄く大雑把にまとめたものと言えるかもしれない。
 
4.08 未完の『資本論』と晩期マルクスの大転換
4.09 進歩史観の特徴‐生産力至上主義ヨーロッパ中心主義
4.10 生産力至上主義の問題点
154 まず、「生産力至上主義」の立場に立てば、生産が環境にもたらす破壊的作用を完全に無視することになる。自然に対する支配を完成させることで、人類の解放を目指すのが生産力至上主義なのだ。その結果、資本主義のもとでの生産力の上昇こそが、環境危機を引き起こしているという厳然たる事実を、生産力至上主義は過少評価してしまう。
 
4.11 物質代謝論の誕生‐『資本論』でのエコロジカルな理論的転換
4.12 資本主義が引き起こす物質代謝の撹乱
4.13 修復不可能な亀裂
4.14 『資本論』以降のエコロジー研究の深化
4.15 生産力至上主義からの完全な決別
4.16 持続可能な経済発展を目指す「エコ社会主義」へ
164 そのうえで、生産力上昇の一面的な賛美をやめた『資本論』刊行前後の時期のマルクスは、さまざまな文献を読み漁りながら、社会主義における持続可能な経済発展の道を模索していた。
 
4.17 進歩史観の揺らぎ
4.18 『資本論』におけるヨーロッパ中心主義
4.19 サイードによる批判‐若きマルクスオリエンタリズム
169 なるほどイギリスがヒンドゥスタン〔=インド〕
 
4.20 非西欧・前資本主義社会へのまなざし
4.21 「ザスーリチ宛手紙」‐ヨーロッパ中心主義からの決別
4.22 『共産党宣言』ロシア語版という証拠
4.23 マルクスコミュニズムが変貌した?
4.24 なぜ『資本論』の執筆は遅れたのか?
4.25 崩壊した文明と生き残った共同体
180 古代ゲルマン民族の共同体である「マルク共同体」(Markgenossenschaft)
 
4.26 共同体のなかの平等主義に出会う
4.27 新しいコミュニズムの基礎‐「持続可能性」と「社会的平等」
4.28 「ザスーリチ宛の手紙」再考‐エコロジカルな視点で
4.29 資本主義とエコロジストの闘争
4.30 「新しい合理性」‐大地の持続可能な管理のために
4.31 真の理論的大転換‐コミュニズムの変化
191 晩年のマルクス進歩史観を捨てたが、それを可能にしたのは、1868年以降の自然科学研究と共同体研究であった。両方の研究が密接に連関しているのをしっかりと踏まえることで、晩期マルクスの到達点である「ザスーリチ宛の手紙」のもつ理論的意義も、初めて理解できるようになるのである。
 つまり、自然科学と共同体社会を研究することで、「持続可能性」と「平等」の関連について、マルクスは考察を深めようとした。そして、「ザスーリチ宛の手紙」を何度も書き直しながら、将来社会が目指すべき、新しい合理性の姿を展開しようと試みていたのである。要するに、ロシア人からの質問をきっかけに、持続可能で、平等な西欧社会を実現するための展望を、マルクスは構想し直そうとしていたのだ。
 
4.32 脱成長へ向かうマルクス
4.33 「脱成長コミュニズム」という到達点
197 マルクスが目指していたもの

1840~1850年代 生産力至上主義(『共産党宣言』、『インド評論』) 経済成長○、持続可能性✕
1860年代 エコ社会主義(『資本論』第一巻) 経済成長○、持続可能性○
1870~1880年代 脱成長コミュニズム(「ゴータ綱領批判」、「ザスーリチ宛の手紙」) 経済成長✕、持続可能性○
 
4.34 脱成長コミュニズムという新たな武器
4.35 『ゴータ綱領批判』の新しい読み方
4.36 マルクスの遺言を引き受ける
 
 
 
 
第5章 加速主義という現実逃避
5.01 「人新世」の資本論に向けて
206 経済成長をますます加速させることによって、コミュニズムを実現しようという動きもある。それが、近年、欧米で支持を集めている「左派加速主義」(left accelerationism)だ。
 
5.02 加速主義とはなにか?
207 イギリスの若手ジャーナリスト、アーロン・バスターニはこの可能性を追求して、「完全にオートメーション化された豪奢なコミュニズム」(fully automated luxury communism)を提起し、人気を博している。
 
5.03 開き直りのエコ近代主義
210 エコ近代主義は、原子力発電やNETなどを徹底的に使って、地球を「管理運用」しようという思想である。自然の限界を認識して、自然との共存を目指すよりも、自然を人類の生存のために管理することを目標とするのだ。
 
5.04 「素朴政治」なのはどちらだ?
5.05 政治主義の代償‐選挙に行けば社会は変わる?
5.06 市民議会による民主主義の刷新
5.07 資本の「包摂」によって無力になる私たち
219 つまり、バスター二の主張は一見するとラディカルだが、実はシリコンバレー型資本主義の焼き直しに過ぎないのだ。
 要するに、バスター二は資本主義を批判しながらも、資本主義が大好きなのである。だが、そんなバスター二の加速主義に引き付けられる人々がいる。
 
220 一時期流行った「ロハス」もこの無力な状態を克服しようとせず、消費だけで持続可能性を目指し、失敗した。消費者意識のレベルの変化では、成長を目指し続ける商品経済に、いとも簡単に呑み込まれてしまうのである。
 このように呑み込まれることを、マルクスの概念を使って言い換えると、「包摂」という。私たちの生活は資本によって「包摂」され、無力になっている。バスター二の理論的限界も根はロハスと同一で、資本による包摂を乗り越えることが出来ないのだ。
 
5.08 資本による包摂から専制
5.09 技術と権力
223 「資本の専制」がこのようなプロセスを経て完成することを踏まえると、バスター二の加速主義の真の危険性がわかるだろう。新技術の加速を追求するだけなら、「構想」と「実行」の分離をより一層深刻化させてしまい、「資本の専制」がさらに強化されるにすぎないからだ。
 そうなれば、どの技術を、どうやって使うかについて構想し、意思決定権をもつのは、知識を独占する一握りの専門家と政治家だけになる。資本は、そうした人々を取り込むだけでよい。様々な問題を新技術で解決できるにしても、一部の人間が有利になるような解決策が一方的に「上から」導入されてしまう可能性が極めて高いのである。
 
224 近年、気候変動対策として注目されている技術であるジオエンジニアリング(気候工学)を例に、この問題を考えてみよう。
 ジオエンジニアリングには、いろいろな種類があるが、共通する特徴は、地球システムそのものに介入することで、気候を操作しようとすることにある。
 
5.10 アンドレ・ゴルツの技術論
227 生産力至上主義の危険性を避けるためには、「開放的技術」と「閉鎖的技術」の区別が重要であると、ゴルツは述べた。「開放的技術」とは、「コミュニケーション、協業、他者との交流を促進する」技術である。それに対して、「閉鎖的技術」は、人々を分断し、「利用者を奴隷化し」、「生産物ならびにサービスの供給を独占する」技術をさす。
 
5.11 グローバルな危機に「閉鎖的技術」は不適切
5.12 技術が奪う想像力
229 だが、エコ近代主義のジオエンジニアリングやNETといった一見すると華々しく見える技術が約束するのは、私たちが今までどおり化石燃料を燃やす生活を続ける未来である。こうした夢の技術の華々しさは、まさにその今までどおり(status quo)の継続こそが不合理だという真の問題を隠蔽してしまう。ここでは、技術自体現存システムの不合理さを隠すイデオロギーになっているのである。
 
5.13 別の潤沢さを考える
 
 
 
 
第6章 欠乏の資本主義、潤沢なコミュニズム
6.01 欠乏を生んでいるのは資本主義
6.02 「本源的蓄積」が人工的希少性を増大させる
236 「本源的蓄積」とは、一般に、主に16世紀と18世紀にイングランドで行われた「囲い込み(エンクロージャー)」のことを指す。共同管理がなされていた農地などから農民を強制的に締め出したのだ。
 
6.03 コモンズの解体が資本主義を離陸させた
238 土地は根源的な生産手段であり、それは個人が自由に売買できる私的な所有物ではなく、社会全体で管理するものだったのだ。だから、入会地のような共有地は、イギリスでは「コモンズ」と呼ばれてきた。そして、人々は、共有地で、果実、薪、魚、野鳥、きのこなど生活に必要なものを適宜採取していたのである。森林のドングリで、家畜を育てたりもしていたという。
 だが、そのような共有地の存在は、資本主義とは相容れない。みんなが生活に必要なものを自前で調達していたら、市場の商品はさっぱり売れないからである。誰もわざわざ商品を買う必要がないのだ。
 だから、囲い込みによって、このコモンズは徹底的に解体され、排他的な私的所有に転換されなければならなかった。
 
6.04 水力という<コモン>から独占的な化石資本へ
240 マルムは、なぜ人類が水力を捨てたのかを資本主義との関連で説明してくれる。
 
Fossil Capital: The Rise of Steam Power and the Roots of Global Warming (English Edition)  - Andreas Malm
 
241 石炭や石油は河川の水と異なり輸送可能で、なにより、排他的独占が可能なエネルギー源であった。この「自然的」属性が、資本にとっては有利な「社会的」意義を持つようになったというのである。
 
6.05 コモンズは潤沢であった
6.06 私財が公富を減らしていく
244 ローダデールのパラドックス
「私財(private riches)の増大は公富(public wealth)の減少によって生じる」
 
 要するに、「公富」と「私財」の違いは、「希少性」の有無である。
「公富」は万人にとっての共有財なので、希少性とは無縁である。だが、「私財」の増大は希少性の増大なしには不可能である。ということは、多くの人々が必要としている「公富」を解体し、意図的に希少にすることで、「私財」は増えていく。つまり、希少性の増大が、「私財」を増やす。
 
245 そう、ローダデールの議論は直接には、「私富」の合計が「国富」であるというアダム・スミスの考えに対する批判と見なすことができるのだ。
 つまり、ローダデールに言わせれば、「私富」の増大は、貨幣で測れる「国富」を増やすが、真の意味での国民にとっての富である「公富」=コモンズの現象をもたらす。そして、国民は、生活に必要なものを利用する権利を失い、困窮していく。「国富」は増えても、小億民の生活はむしろ貧しくなる。つまり、スミスとは異なり、本当の豊かさは「公富」の増大にかかっているというのである。
 
6.07 「価値」と「使用価値」の対立
246 マルクスの用語を使えば、「富」とは、「使用価値」のことである。「使用価値」とは、空気や水などがもつ、人々の欲求を満たす性質である。これは資本主義の成立よりもずっと前から存在している。
 それに対して、「財産」は貨幣で測られる。それは、商品の「価値」の合計である。「価値」は市場経済においてしか存在しない。
 マルクスによれば、資本主義においては、「商品」の論理が支配的となっていく。「価値」を増やしていくことが、資本主義的生産にとっての最優先事項になるのである。
 その結果、「使用価値」は「価値」お実現するための手段に貶められていく。「使用価値」の生産とそれによる人間の欲求の充足は、資本主義以前の社会においては、経済活動の目的そのものであったにもかかわらず、その地位を奪われたのだ。そして、「価値」増殖のために犠牲にされ、破壊されていく。マルクスはこれを「価値と使用価値の対立」として把握し、資本主義の不合理さを批判したのである。
 
6.08 「コモンズの悲劇」ではなく「商品の悲劇」
6.09 新自由主義だけの問題ではない
6.10 希少性と惨事便乗型資本主義
6.11 現代の労働者は奴隷と同じ
6.12 負債という権力
6.13 ブランド化と広告が生む相対的希少性
6.14 <コモン>を取り戻すのがコミュニズム
6.15 <コモン>の「<市民>営化」
6.16 ワーカーズ・コープ‐生産手段を<コモン>に
261 「ワーカーズ・コープ(労働者協同組合)」
 
6.17 ワーカーズ・コープによる経済の民主化
263 20世紀の福祉国家は、富の再分配をめざしたモデルであり、生産関係そのものには手をつけなかった。つまり、企業があげたり順を所得税法人税という形で、社会全体に還元したのである。 
その裏では、労働組合は、生産力上昇のために資本による「包摂」を受け入れていった。資本に協力することで、再分配のためのパイを増やそうとしたのだ。その代償として、労働者たちの自律性は弱まっていった。
 資本による包摂を受け入れた労働組合とは対照的に、ワーカーズ・コープは生産関係そのものを変更することを目指す。労働者たちが、労働の現場に民主主義を持ち込むことで、競争を抑制し、開発、教育や配置換えについての意思決定を自分たちで行う。事業を継続するための利益獲得を目指しはするものの、市場での短期的な利潤最大化や投機活動に投資が左右されることはない。
 
6.18 GDPとは異なる「ラディカルな潤沢さ」
6.19 脱成長コミュニズムが作る潤沢な経済
6.20 良い自由と悪い自由
6.21 自然科学が教えてくれないこと
6.22 未来のための自己抑制
 
 
 
 
第7章 脱成長コミュニズムが世界を救う
7.01 コロナ禍も「人新世」の産物
7.02 国家が犠牲にする民主主義
7.03 商品化によって進む国家への依存
7.04 国家が機能不全に陥るとき
7.05 「価値」と「使用価値」の優先順位
7.06 「コミュニズムか?、野蛮か?」
7.07 トマ・ピケティが社会主義に「転向」した
288 そして、社会民主主義政党が労働者階級を見捨て、インテリの裕福層重視になっていったことを「バラモン左翼」と痛烈に皮肉っている。リベラル左派の姿勢を、右派ポピュリズムの台頭を許しているとして、厳しく批判するようになっているのだ。
 
7.08 自治管理・共同管理の重要性
290 そして、ピケティも強調しているように、「参加型社会主義」はソ連社会主義とはまったく異なるものである。官僚や専門家が意思決定権や情報を独占していたがゆえに、ソ連における民主主義的な「参加型社会主義」は不可能であった。
 独裁的なソ連に対して、「参加型社会主義」は、市民の自治と相互扶助の力を草の根から養うことで、持続可能な社会へ転換しようと試みるのだ。今、ピケティと晩期マルクスの立場はかつてないほどに近づいているのである。
 
7.09 物質代謝の亀裂を修復するために
7.10 労働・生産の場から変革は始まる
7.11 デトロイトに蒔かれた小さな種
7.12 社会運動による「帝国的生産様式」の超克
7.13 人新世の「資本論
7.14 脱成長コミュニズムの柱1‐使用価値経済への転換:「使用価値」に重きを置いた経済に転換して、大量生産・大量消費から脱却する
301 レジリエンス(回復力、弾性(しなやかさ))
 
7.15 脱成長コミュニズムの柱2‐労働時間の短縮:労働時間を削減して、生活の質を向上させる
7.16 脱成長コミュニズムの柱3‐画一的な分業の廃止:画一的な労働をもたらす分業を廃止して、労働の創造性を回復させる
7.17 脱成長コミュニズムの柱4‐生産過程の民主化:生産のプロセスの民主化を進めて、経済を減速させる
7.18 脱成長コミュニズムの柱5‐エッセンシャル・ワークの重視:使用価値経済に転換し、労働集約型のエッセンシャル・ワークの重視を
7.19 ブルシット・ジョブ VS. エッセンシャル・ワーク
316 だからこそ、「使用価値」を重視する社会への移行が必要となる。それは、エッセンシャル・ワークが、きちんと評価される社会である。
 
7.20 ケア階級の叛逆
7.21 自治管理の実践
7.22 脱成長コミュニズムが物質代謝の亀裂を修復する
7.23 ブエン・ビビール:Buen Vivir、良く生きる
 
 
 
 
第8章 気候正義という「梃子」
8.01 マルクスの「レンズ」で読み解く実践
8.02 自然回帰ではなく、新しい合理性を
8.03 恐れ知らずの都市・バルセロナの気候非常事態宣言
8.04 社会運動が生んだ地域政党
8.05 気候変動対策が生む横の連帯
8.06 協同組合による参加型社会
8.07 気候正義にかなう経済モデルへ
8.08 ミュニシパリズム‐国境を超える自治体主義
337 このように国境を越えて連帯する、革新自治体のネットワークの精神は「ミュニシパリズム」と呼ばれている。従来の地方自治体が閉鎖的であったのとは対照的に、国際的に開かれた自治体主義を目指しているのである。
 
8.09 グローバル・サウスから学ぶ
8.10 新しい啓蒙主義の無力さ
8.11 食料主権を取り戻す
8.12 グローバル・サウスから世界へ
8.13 帝国的生産様式に挑む
8.14 気候正義という「梃子」
8.15 脱成長を狙うバルセロナ
8.16 従来の左派の問題点
8.17 「ラディカルな潤沢さ」のために
8.18 時間稼ぎの政治からの決別
8.19 経済、政治、環境の三位一体の刷新を
8.20 持続可能で公正な社会への跳躍
 
 
 
 
おわりに‐歴史を終わらせないために