読んだ。 #ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。 #エレイン・N・アーロン #HSP

読んだ。 #ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。 #エレイン・N・アーロン #HSP
 
・Highly Sensitive Person
 
HSPはいつも神経が高ぶっているというわけではなく、新しい刺激や長引く刺激に対して神経が高ぶりやすい。「神経症的」とは違う。神経症的とは、特に理由もないのに、つねに不安でいる。
 
HSPは無意識からの影響を受けやすく、その無意識は彼らに「もっとも重要な情報」や「予知的な洞察」をもたらすという。ユングにとって無意識は学ぶべき知恵の宝庫なのである。
 
HSPの人たちは、実際に眠らなくても、とにかく9時間は目を閉じてベッドに横たわっていようと努めるだけで、ずいぶん楽になるものだ。近く的刺激の80%は目から入ってくるので、目を閉じて休むだけでもかなりの休息になる
 
・多くのHSPにとっての遊び、楽しみとは、自分のぺ-スで好きな本を読んだり、庭いじりをしたり、家でゆっくり支度をした食事を落ち着いて食べることだったりする。あなたの周りにいる非HSPには、この件で口出しさせないほうがいいだろう。午前中にいくつもの「活動」を詰め込むのは、あなたにとっての楽しみではないかもしれないのだ。~常に余裕をもって計画すること。もし他の誰かと一緒なら、相手を憤慨させたり傷つけたりしないためにも、あらかじめ「私は途中で抜けるかもしれない」と伝えておくことも大事だ。
 
・もちろん睡眠も神経のぴりぴりした状態からあなたを連れ出してくれるが、~睡眠だけに頼らず、遊び、瞑想、祈り、ヨガなど、それぞれ違った興奮を脳に起こさせる方法をいろいろと取り混ぜて、休息をはかるようにしよう。
とりわけ瞑想はぜひとも取り入れてほしい。~意識は覚醒したままで、とても深い休息を得ることができる。~まるで、瞑想がHSPに必要なものをすべて与えてくれるかのようだ。
 
「境界」という概念が大切。望むものは内側に入れ、望まないものを外に閉め出すよう、融通の利くものでなければならない。いつもすべてを締め出している状態は避けたいし、他者と一つになりたいという衝動もコントロールしたいものだ。他者と一つになるのは、きっと素敵なことだろうとは思うが、長続きはしない。自分がまったくなくなってしまうからだ
~一番の悩みの種は自分の「境界」がもろいことだという。~自分には関係のない問題に巻き込まれたり、予期せぬほどたくさんの人に嫌な思いをさせられたり、必要以上に口出ししてしまったり、人間関係の泥沼に引きずり込まれたり、相手のことをよく知りもしないうちから深く付き合う羽目になったりしてしまう。
~「境界」を築くには鍛錬が必要。必要以上の刺激をシャットアウトするため。自分の意思で。不本意ながらその場を離れたり、「ぶっ飛んでしまう」のではなく、自ら選んで周りの声や騒音をシャットアウトする、あるいは少なくとも、そういった刺激から受ける影響を小さくするということである。
 
・人間は、生まれてから数年の間に、他者やほかの世界を信頼すること、あるいは信頼しないことを学んでしまう。もし信頼することを学んだなら、恐怖をコントロールすることができるようになり、敏感さはそのままの形で残っても、長期的な神経の高ぶりを起こすほどの恐怖を味わうことはあまりなくなる。小さいとき、あなたがまわりの人に「やめて」と頼むと、ちゃんと聞き入れてやめてくれた。だからあなたは「他者」とは、自分に重荷を課すものではなく、助けてくれるもので信頼していいと了解したのだ。~これは生まれつきではなく、学習したものなのだ
 
・それにきちんと耳を傾けるようにと言った。けれども、時には、本当は耐えられるのに、花火を見たり観覧車に乗るという考えを恐れているだけ、という場合もある。「自分で自分の親になる」~新しいことに喜んで挑戦するようになるためには、「挑戦してうまくいった経験」をたくさん積むことが必要だ。
 
・「シャイ」はある状況に対する反応でしかない。~「敏感さ」は遺伝するが、「シャイ」は遺伝しない
 
・「社会的不快感」社会的な場面で神経の高ぶり過ぎに対処する方法
「神経の高ぶりすぎ」は「恐怖」とは別物であるということを思い出す
②他のHSPを探し、一対一で話してみる。
③気持ちを落ちkつかせるいつもの方法を使う。
④「ペルソナ」を作り、意識的にそれを使うようにする
⑤自分の特徴を他人に説明する
 
・「ペルソナ」とよいマナー。時と場合に応じて、率直さの度合いを調節する。
 
・「今までいくつかよい間違いを犯したことがある」スタートレック、キャプテン・ピカード
 
・教師、医師、弁護士、芸術家、科学者、カウンセラー、宗教関係者などの職業が、現代では非HSPに占拠される率が高くなってきたが、~「聖職者的」価値観が小さくなり、「戦士的なスタイル」つまり「拡張と利益追求」が前面に出てきたということ。世の中が複雑になり、より強い刺激を求めるようになってきている。
 
ユング「人生とは個性化のプロセス」。地上に産み落とされたとき一人一人に「問い」が与えられ、それに対する「答え」を見つけていくということ。自分の世代のやり方で、この「問い」に答えていかなければならない。大切なのは、「答え」そのものより、その「問い」への答えを追及する姿勢。
わずかでも私たちの時代を進歩させるための仕事を受け持っている。困難な過去は一見人生の目的を妨げているように見えるが、実際のところは目的達成に一役買うこともある。その困難な過去を十分に経験し、人間の問題として理解することが人生の目的になっていることさえある。
 
ユングは、私たちのようなタイプの人間に安易に金銭的な援助をするのは大きな間違いだと言っている。実際的なことを考えなくて済むなら、HSPはたちまち「浮世離れした人」になってしまう。誰も耳を傾けない「戯れ言や」になってしまう。
「自分の喜び」と「世界のニーズ」との接点を探す。
「まわりからの要求に答えること」で手一杯。様々な責任、名誉、お金、安定、好かれたい、プレッシャー→HSPの「直観力」は、答えられるべき「内なる問い」も拾ってしまう。この対立する2つの間で苦しむ。
 
HSPが抱えるもう一つの問題は、あまり現実を知らない、ということだ。勘に頼ろうとして人に尋ねることを嫌うからだ。~人前でのスピーチ、会議、ネットワーキング、社内政治、出張など、私たちの社会で「職業的成功の鍵」とされている物事に直面すると神経が昂りすぎてしまう人が多い。
 
・私たちはみんなある程度はプログラミングされて育っていく。一番謝意所に自分に愛と庇護を与えてくれた人を喜ばせ、その人にすがりつくようにプログラムされている。
 
・怒り、対立、涙、不安、変化に直面すること、変化してくれと言われること、批判されること、間違いをあざ笑われること、誰かに恥をかかせること、が苦手なので、なるべくそういう状態を避けようとする。~人間関係を新鮮に保つには、これらのことがある程度は必要。「直感」が災いして、勝手に会話の行き先をいろいろ想像してうまくいかないと決めつける場合もある。
①自分が勝手に頭の中で想像し。ていることを認識し、それ以外の可能性も想像してみること。
②相手に正直に、「私はあれこれ先行きを想像してしまうので、自分の気持ちをなかなかオープンに表現できない」と話してみる。
 
・リフレクティブ・リスニング(反映的傾聴)-相手の言っていること、特に相手の気持ちに耳を傾ける。相手の気持ちを自分の言葉にして繰り返す。
<してはいけないこと>
①質問してはいけない。②アドバイスをしてはいけない。③自分にも似た経験があると言ったり、自分の経験を話してはいけない。④分析したり解釈してはいけない。⑤相手の気持ちを反映しないこと、気持ちを逸らすことはしてはいけない。⑥沈黙しすぎて相手のモノローグばかりを延々と続けさせてはいけない。ちょうどいい長さの沈黙。⑦相手が何を言おうとも、言い訳をしたり、自分の考えを話してはいけない。
+もし必要なら、自分の聞く番が終わってから「黙って聞いていたけれど、それはかならずしも同感したからではない」と言おう。
 
・シャドウ
 
・スピリチュアル・アプローチ
一見にっちもさっちもいかない状態にあるように思えても、実はその奥深くでは、もっと大きな秩序や計画、目的の下で様々なことが起こっているのだと教える。
 
組織的な宗教に抵抗を感じているHSPも多い。組織だっていない宗教についてはかなり好意的、半数の人が日常的に自分の内面に目を向け、スピリチュアルな修練をしていると言っていた。
 
<欠点>
①他者と付き合うことや、自分の体や考え方、気持ちを理解することなどを避けるようになる。
②指導者や運動に強い「転移」を起こすことが多いが、たいてい彼らはその種の「理想化転移」からあなたを救い出し成長させるスキルを持っていない。それを助長する指導者さえいる。
③ほとんどの教えは「事故や自我、個人的欲望を捨て去ることが大切だ」と説く。~あまりにも早く自我を捨ててしまうHSPがたくさんいる。そのカリスマ的輝きは本物なのだろうか?~真の救いや啓蒙とは、個人的な問題を解決するつらい努力の果てにある。HSPにとって一番つらい仕事は、現実を捨てることではなく、この現実にしっかりとかかわること。
 
・転移。セラピストへのアタッチメント(愛着を抱くこと)。
 
・ビクトール・フランクル「夜と霧」
人生の意味は、人によっても、日によっても、時間によっても異なる。~チェスで最良の手とは何でしょうか?
 
・エティ・ヒレスムの日記
 
・全体性の追求とは、中心に向かって渦巻きを描くようなものだ。その中心に至ることは決してないが、何がその中心なのかはだんだんわかってくる。この渦巻きを描いていると、「様々な自分」を経験するので、傲慢さが起こる余地はほとんどなくなる。これが「完全性」ではなくて「全体性」の追求なのだ。
全体性はその定義の中に不完全さを含む。自分が抑圧したり、拒絶したり、否定したりすることを含む、人間の「シャドウ」も含む。それを熟知し、注意する~それを意識的に統合し、人格に活力や深みがもたらされたときに初めて道徳的な行動ができる。
 
自分のシャドウについてもう少し学ぶことが、子供時代に身に着けた「過剰な社会科」という拘束衣から解放されるための最良で、おそらく唯一の方法だと思う。あなたの中にいる「良心的で喜ばせたがり屋」のHSPが、「パワフルで、衝動的で、たくらみ深く、自己拡大的で、不遜」なHSPと出会う。お互いを尊重し、それぞれの欠点に注意しあうことで、世の中に貢献できるパーソナリティになるだろう。これも、全体性の一つなのだ。
~多くのHSPにとって本当の「挑戦」とは、「中道」を見極めることである。
 
・遅かれ早かれ、いずれ私たちは想像の世界や趣味、遊びを通して、自分の劣等機能を鍛えなければならなくなるらしい。ユングやフォン・フランツによると、そのために時間を取るのは倫理的義務だという。多くの不条理な集合的行動は、人々が他者に自分の劣等機能を投影したり、劣等機能への訴えに反応してしまうことと関係している。そしてこの劣等機能は大衆を操作しようとするメディアや指導者たちに悪用されるのである。
劣等感コンプレックスに気づけば、ストップをかけることができるようになり、他人を責めなくなる。→倫理的義務の一つだといわれるゆえん。